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目の前で笑っている彼の、なんて無邪気で可愛らしい事か。高校生活の大半を費やして彼の気を引いた甲斐があったというものだ。私も彼に笑むと、いっそう笑みを深くしてそれに答えてくれた。
私と彼は付き合っている。それは勿論、告白という過程を経て成立した恋人関係という意味である。入学式で顔を合わせたとき、私は彼に一目惚れをした。まさか顔を見ただけの男に惚れこんでしまうとは私自身思ってもいなかったが、惚れてしまったのだから仕方がない。それからというものの私は彼の彼女となるために、ありとあらゆる手段を尽くした。彼にふさわしい女性になるための自分磨きとか、女性関係の調査とか。そうして一年が経過する頃には、私は以前の私とは大きく変わっていた。
ヘアスタイルも、ファッションも。彼が好きだという要素をこれでもかと詰め込んで、私は彼の理想の女性になった。
私はそれですぐに攻めてはいかなかった。フラれた時の衝撃を受けたくなかったから、極限まで彼に拒絶される可能性を低くしてから臨もうと考えた。
日常の中で、彼の視線を常に意識した。女友達を経由して自然に接近し、お友達になった。彼は特段変わったところのない男だったけれど、それでも彼への気持ちは微塵も揺らがなかった。
近づくにつれ、彼も私の事を気にしているような素振りを取るようになった。私は昔からそういう機敏に鋭かったからすぐにわかった。
それからすぐに、私は彼に告白した。そのままだったら彼は決して私に告白しなかっただろう。そのヘタれ具合も愛おしいものだったが、友達という関係では私は我慢できなかった。
彼は驚きながらも嬉しそうに、私の告白を受け入れた。全ては計画通り。そうして、今に至るのだ。
手を繋いで、街を歩く。私の隣には彼がいて、それ以外には何もいらない。このあたりは私の地元ということもあって、勝手知ったる街並みだ。どちらかと言えば私がリードしている。でも彼が要望する事なら、何だって最優先で引き受ける。彼の存在で私は満たされていた。
ふと街中で、視線が交錯した。私は気付いてすぐに視線をそらしたが、あの調子だとすぐにでも近寄ってきそうな雰囲気だ。しかし、彼を置いて逃げる訳にもいかない。悟られないように考え込んでいると、私の肩が叩かれた。
「あー、やっぱりユカじゃん。久しぶり、元気してた?」
「……あ、フミちゃん。久しぶり」
彼女は、中学の頃の同級生だ。呼び名はフミちゃん。明るくグループの中心的な存在だった。
この状況は、まずい。何がと言えば、隣に彼がいることがまずい。私は高校に入ってから、彼の好みに沿うように自分を変えた。それは、中学の時の私とは似ても似つかない人格である。
「どしたの、元気ないね。昔はもうちょっとハツラツとしてたじゃん」
「ユカ、この人は?」
彼は何も疑うことのない瞳で私に聞く。私が何と答えようか答えを練った数瞬の内に、フミちゃんは私と彼が手を繋いでいることを目撃し、全てを理解した。
「ユカ、って……あー! もしかしてユカの彼氏さん!? もしかしてデート中!?」
「ああ、この子はフミちゃん。私の中学の時の同級生だよ。……うん、そうなんだ」
私が少し恥ずかしそうにそういうのを見て、フミちゃんは怪しげな目で私を見た。彼は私の説明に納得したのか、どうもこんにちは、なんてお辞儀をしていた。
「ああ、どうも……。じゃなくて。ユカ、あんた悪いものでも食べたの? なんだか様子が変だけど……」
「あはは、そんな事ないよ。ごめんね、今デート中だから……また連絡するから」
私は逃げるように彼の背中を押す。顔中に疑問符を付けた彼は流されるままに退場し、フミちゃんは釈然としない顔で手を振っていた。
危なかった。私は逃げ延びたファミレスで冷水を飲みながらそう思った。しかし難を逃れられたと思っているのは私だけのようで、彼は私に向かって口を開いた。
「さっきの子……フミちゃん、だっけ? あの子が言ってた事……本当?」
「……」
「ユカが調子が悪いんだったら、今すぐ帰って休んだ方がいいけど……いつもそんな感じだよね。もしかして――」
――高校デビュー、ってやつ?
彼から発せられた言葉は、当たらずとも遠からず、といったところだ。確かに広義には間違っていないけれど、狭義にとらえれば全くの見当違いだ。
「……まあ、そんなところ。イメチェン、ってやつかな?」
……我ながらあざといというかなんというか。すっかり板についてしまったこのキャラを私は演じ続ける。
「じゃあさ、今度ユカの昔の話が聞きたいな。イメチェンする前のユカが」
「やめておいた方が、いいと思う。たぶん失望するし……」
その提案を即座に否定する。だが彼は引き下がらない。
「大丈夫。僕はユカが好きなんだ。昔にどんな性格でも、今のユカが変わる訳じゃないし」
舞台俳優のような事をのたまう彼は、きっと私の事など何一つ知らないのだ。どれだけ苦労して彼好みになったのかも。だけれど、そうやって彼を責めるのはおかしな話だ。別に頼まれたわけでもないのだから。
彼と私との間には、優に100を超えるだろう誤解が横たわっている。だけれど彼はそれを知らない。それでいいのだ。本当の私は彼に釣り合うような女ではないのだから。誤解で下駄を履いて、ようやく並び立っているのだ。それでいいではないか。
「分かった。じゃあ、今度話すね」
だから私は、彼に“イメチェン前の私”を話す。今の立場があれば、本来の私など掃いて捨てても後悔は無い。
運ばれてきた遅めのランチに目を輝かせる彼を見て、私の中の決心はより強いものとなった。