即興短編集   作:遠名 彬

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お題:それいけ、と彼は言った
制限時間:30分


我が家の愛犬

我が家には犬がいる。中型犬である。飼い始めたのは数年前で、今ではすっかり家族の一員として馴染んでいる。

私は朝、彼の散歩をする事から一日を始める。ちょうどダイエットもしたいし、なにより私がリードを握ると彼はとても嬉しそうに尻尾を振る。それがなにより可愛らしい。そんな彼を独り占めできるのが、私のささやかな自慢である。

朝靄が視界を遮る中、私と彼は仲良く出発する。私の歩く速度に合わせてくれている彼は、時折こちらを伺うように視線を向ける。そのたびに彼の凛々しい顔が見えて、私はくすりと微笑むのだ。

川沿いの土手を歩く。毎日見る人々とすれ違い、軽く頭を下げて会釈する。彼も顔見知りの犬が通るたび、少し嬉しそうにする。そんな、平和な日。

ふと、いつもは見ない人を私の目は捉えた。その男の人は何かを探すように忙しなくきょろきょろと視線を彷徨わせている。それは静かに時の流れる朝方にはどうも似合わない。

突然、私の足元の彼がわん、と鳴いた。威嚇と言うより、知り合いを見つけたときの挨拶のような、そんな吠え方。それを聞いた男の人はこちらを向いて、そして驚いた風に近づいてくる。

私にはなんとなく嫌な予感がしてこの場を離れようとするけれど、彼はリードに従わずに男の人を見ている。こんな事は初めてだ。

 

ああ、探したよ。

 

そんな声が、聞こえた。それは間違いなく男の人が言っていて、彼は男の人にじゃれつく。嬉しそうにする二人を見ていると、私の中で心が悲鳴を上げる。

この男は誰なんだ。彼を奪うつもりなのか。

 

「あの、どちら様でしょうか」

 

私の言葉でようやく私の存在に気付いたようで、男の人は咳払いをして服を整える。名残惜しそうにする彼の姿が、私には腹立たしかった。

 

「ああ、すみません。私はこの、――ちゃんの前の飼い主です。小さい頃にどこかに行ってしまって、それからずっと探していたのですが、最近になってSNSでこの辺りに似たような犬がいると耳にしまして、来てみればまさしく――ちゃんで。今の飼い主の方ですよね」

 

マシンガントークのように矢継ぎ早にそう言う彼。確かに、我が家で犬を飼い始めた切欠は、家の近くにこの子が捨てられていたからだった。それを拾って、育てて。間違いなく育ての親は私だ。それを今更出てきてもとの飼い主だとは。

 

「この子は我が家の家族です。今更返せと言われても困ります」

「ああ、返せなんて言うつもりはありません。ただ、最後に別れも伝えてなかったから、それを言いに来ただけで」

 

彼はそういって、懐から使い古されたフリスビーを取り出した。犬はそれを待ってましたと言わんばかりに吠える。リードを強く引く。無理矢理鎮めて、彼の言葉を待つ。

 

「昔よく、これで遊んだものです。それいけ、なんて言って投げれば、――ちゃんは必死に取りにいく。楽しかったなぁ」

 

懐かしむようなその言葉。そして彼はそれを私に手渡した。

 

「やってみてください。今の飼い主は貴方です。それいけ、って、言ってやってください」

 

彼はそれだけ言って、最後に犬の頭を撫でて去って行った。私の手には、やたらカラフルなフリスビーが残っただけだった。

期待に目を輝かせる彼に、私は仕方なくこう叫ぶ。

 

「それいけ!」

 

青い空に飛んだ飛行物は、途中で犬に咥えられて墜落した。

 

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