制限時間:一時間
「ねぇ、トカゲとカナヘビの違いって、何だかわかる?」
とある日の夕方。同級生の少女がわたしに声をかけた。教室の窓から半身を外に出し、どこか物憂げな表情で夕陽に照らされる彼女の姿は、とても絵になる。
「さあ……。どうでもいいんじゃない?見た目は大して変わんない訳だし」
わたしは適当に返事をして、机の上の課題と三度向き合う。真っ白なプリントにはこれといって変化はない。目を離した隙に小人でも来ればいいものを。そう願わずにはいられなかった。
「トカゲの方がさ、すべすべしてて綺麗なのよ」
彼女はそれだけ言って、窓を離れた。そうしてわたしの席の隣に座った。そこにもおんなじ真っ白なプリントがある。
彼女もわたしも、今日の数学の授業で提出するはずの宿題を持ってきていなかった。今日中に提出しろ、という担任の若い教師に気圧されて、二人揃って放課後に拘束されている。ようは似た者同士、というわけだ。
「ふーん……。それが、微積分となんの関係があるの?」
少し皮肉げにわたしは口にする。それが気に食わなかったのか、彼女は少しだけむすっとわたしの方を睨んだ。どちらかと言えば可愛い系の顔でそれをやられても、マスコットキャラみたいだ、という感想しか出てこなかった。
「あなたは遊び心がないのね。現実しか見れなさそう」
不可思議な返答だ。今まさに遊び心から居残りをしている少女が言う言葉ではない。
「あなたは現実を見た方がいいかも。数学とか」
少女はまたしても不快な……今度は隠すことのない露骨な不快の顔をした。机に肘をのせて頭を支え、もう片方の手ではペンをくるくる回している。
「いいじゃない、べつに。堅っ苦しい学校生活はつまんないもの」
ぺらりとプリントを捲る。本来は教師に出すためのそれだが、今は裏側に大きく絵が書いてあった。お世辞にも上手いとは言えない。これをそのまま出したら、日が昇るまで説教されそう。
「ならさ、どうして高校通ってるの?義務教育じゃないんだし、働いてもよかったでしょ」
白紙のプリントを諦め、体ごと隣を見て問う。彼女はちょっとだけ動揺して、すいっと視線をそらした。でもその顔には慌てている風な色はない。どちらかといえば、面倒で、達観しているそれだ。
「……私はね、トカゲになりたいのよ。カナヘビじゃなくて。それはとっても大変。だけど一度きりしかない人生を懸けるに値する、私が見つけた唯一の目的」
少女はひとつ、深呼吸をした。話慣れていないのか、少しだけ過呼吸ぎみ。
「それは、さ。外聞のいい人間になりたいってこと?それが、トカゲとカナヘビの違いなの?」
わたしは素朴な疑問をぶつける。彼女は言った。“トカゲはカナヘビより綺麗だ”って。言葉通りに解釈するなら、綺麗な人になることが人生の目標だということだ。
「そういう言い方、きらい」
少しだけ大声で、彼女は強く否定した。
「たしかに、意味はそう。だけど、それじゃあまるで、私が他の人のためにすごい人になりたいみたいじゃない。そうじゃないの」
「……」
「私は……わたしは、誰からだって認めてもらえる、立派なトカゲになるの。それはわたしの為。利己的で自己満足に満ちた、エゴの塊みたいな夢なのよ」
彼女の中では、トカゲとカナヘビの境界がどこにあるのだろうか。あまりにも曖昧すぎて分からない。けれど、なにか……多少の知り合いであるわたし程度には明かせないような理由があって、彼女はトカゲになりたいと言うのだろう。
「……そう。そうなの。ごめんね、悪いこと言った」
私が謝ると、彼女はにっこりと笑った。教室の蛍光灯に照らされた彼女は、夕日で見るよりずっと輝いて見えた。
課題が完成せずに怒鳴られたのは、また別の話。