制限時間:一時間
私は、彼の声を聞いた事は無い。いつだって私たちはたどたどしい手話と筆談で、お互いの意思を伝え合っていた。
知り合った頃から彼は口が利けなかった。何度話しかけてもこちらを不思議そうに見るだけで口を開かない彼のことを、当時の私は本当に馬鹿にしていた。今思えばなんと失礼な事をしたのだろうか、と過去の自分をぶん殴りたくなる。すぐに近くにいた人に教えてもらって速やかに土下座したのだが、彼は穏やかに笑って許してくれた。
それから、私は事ある毎に彼の助けをするようになった。彼は唖者ではあったものの多くの繋がりを持っていて、人と会話する機会も多くあった。その度に筆記をするのは地味ながらも大変であり、私は彼の秘書として会話をサポートする役目を自ら負った。そうして日々を過ごしていると、段々と彼の意図が分かってきて、今では事前に打ち合わせを挟まなくてもおおむね彼の意向どおりの通訳をすることができている。もちろん逐一確認はするが。
そんな私と彼の元に、ある話が舞い込んできた。それは最近名を上げてきた一人の少女の噂。なんでも、望むものなら何だって作り出せる、自称“錬金術師”の少女。
彼女の手にかかれば、卑金属を貴金属にすることなどたやすく、この世界に存在する筈もない物質を作ったり、万病に効く薬を調合したり……。いくつかの話は眉唾物だ。それでもその特異性で既に多くの仕事をこなしているというのだから、あながち間違いでもないのだろう。
私は彼の許可を得て、その錬金術師が住んでいるという辺境の地に赴いた。
教えられた住所には、いかにもという古めかしい屋敷が立っていた。まさしく骨董品のような家だ。時代錯誤的とも言う。
扉にあるノッカーを叩く。教養として色々知っておいて幸いだった。今の時代は監視カメラなりバイオメトリクスなりでどうとでも人の確認ができるものだが、この家にはそんなものは無いようである。
「はいはい、どなた……?」
眠そうな声。古めかしい扉を開けて現れたのは、これまた前時代的な服を着た一人の少女であった。眠たげに一つ欠伸をして、そうして私のことをじろじろと眺め回す。
「見知らぬ人。何か用ですか?」
「……はい。仕事の依頼に来ました」
なんとも気が抜ける彼女に幾分かの疑問を抱きつつ、私は鞄から紙を一枚取り出した。それを受け取った少女は、それを寝ぼけ眼で見る。近視なのか妙に顔に近づけて読む様は滑稽に映った。
「……うーん、唖者を治す薬、ねえ。できなくはないけど、材料と報酬は確約してくださいよ?」
どこからともなく契約書が挟まったクリップボードを手渡される。特に断る理由も無く、私はその契約書にサインした。
――――――
それからしばらくして。
契約どおりに制作された薬は、明らかに怪しい色をしていた。要求してきた素材も多くは魔物のものであり、そこからできる物質が人間に食べさせるものだとは到底思えない有様である。それでも何とか薬の体をなした液体を持ってくるあたり、さすがは錬金術師と言ったところか。とはいえ、あまり彼に飲ませたいとは思わない。
それを持って、彼の部屋に入る。催促されて出したそれを見て、流石の彼でも少しだけ顔を歪めた。それを見て下げようと一瞬思ったが、彼は勇気を持ってそれを飲み干した。
「……あ、れ?」
初めて聞く彼の声は、想像よりも若く、高かった。