即興短編集   作:遠名 彬

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お題:高貴な母/私が愛した犬
制限時間:30分/一時間


母の対応/愛した犬がいた

私は重い足取りで家路を歩く。原因は私の鞄の中にある。今日は高校に入って初めての試験、その結果が返ってきた日だ。一応普通に受験して普通に入学したから、学力はそれなりにあると思っていた。しかし何だ、この結果は。クラスの中でもだいぶ下の方だ。正直話にならない。試験用紙を見たときはまともに解けたと思っていたのだが……全然そんな事は無かった。

 

「……はぁ。ただいまー」

 

家を出るときに軽々開いた筈の扉は、いやに重かった。中にいる母の威圧感なのか、空気が重たい。

 

「おかえりなさい。今日のテストは……そう、駄目だったのね」

 

私の顔を見た母は、すぐさま察して言葉を繋いだ。何だかんだで我が母は察しがいい。デリカシーは無いが。

 

「うん。ごめん……」

「いいのよ、別に。テストが悪くて死ぬわけじゃあるまいし」

 

あっけらかんとそう言う。自称高貴な母はどこからどう見てもそういう風には見えないが、本人がそう言っているのだからそうなのだろう。否定するのはもう疲れた。

 

「荷物置いてきなさい。おやつ用意して待ってるから」

 

二階にある私の部屋へと促して、母は笑顔で言う。しかし、テスト用紙は持ってくるように。そう目が語っていた。中学の頃から毎度の事なので私も流石に分かっている。

 

階段を上っていく私の足は、幾分か軽くなった。ぎゃあぎゃあ責めて来ないのは素直に喜ばしいが、あまり期待されてないような気にもなる。

きっと今日も用意されているだろう、無駄に洒落たお菓子をつまみに、私は階段を下りていった。手の中の紙切れは、重くもなんとも無い。

 

――――――

 

我が家には犬がいた。過去形である。今はもういない。墓石の下に眠っている。

 

飼い始めたのは、今から10年くらい前になるだろうか。ペットショップで買ってきた犬は人見知りで、あまり懐こうとしなかった。はじめの頃はその警戒具合に戸惑ったものだ。

なんとか仲良くなろうと、すきま時間を見つけては遊んだ。日を経るにつれ、段々と心を許してくれるその姿に、何度も安堵し、喜んだ。

 

数年が経つ頃には、もう立派な我が家の一員だった。よくペットを家族だと言い切る人がいるが、その気持ちがよく分かった。

中型犬だったので、家の外の犬小屋にいつもいた。朝のご飯をあげに行くと、毎日嬉しそうに尻尾を振ってくれた。散歩に連れていけば、リードを力強く引っ張って、元気よく歩き回った。何度も振り回されたが、とても楽しかった。

 

事故死だった。散歩の途中で、目の前で飛び出してきた車が、リードを引っ張っていた犬を轢いた。鈍い音は、今も耳の中に残っている。その当時は、目の前で起きた一瞬の出来事があまりにショッキングで、すぐには現状を理解することはできなかった。

しばらく呆然と立ち尽くし、やがていつまで経ってもリードが引かれない事を思いだし、その先を見た。

物言わぬ、犬だった何かが、そこには横たわっていた。首に繋がれた紐は、何故だか私が握っていた。

 

私の家に残ったものは、家主の居なくなった小屋が一つと、食べる者の居なくなった食材の山だ。ちょうど両親が切れかけていた食品を買い足してきていたから、未開封のものばかりだ。

それから一週間、泣いた。家の中もお通夜みたいな雰囲気になっていた。何度も新しく犬を飼おうという提案が出たが、重苦しい空気がそれを否定した。誰も、新しい記憶で暗い過去を塗りつぶそうとはしなかった。

 

今でも月に一度、犬が眠る墓地に出向く。行ったところで何もないが、なんとなく心が救われる気がした。

私が愛した犬はもういない。そこにあるのは、骨と墓だけだ。

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