制限時間:一時間
「ありがとうございましたー」
やる気なさげな店員の声を背中に受けながら、コンビニを後にする。右手に提げたビニール袋には、ペットボトルの緑茶とパックに包まれた寿司。これで600円だ。
暗く、夜の帳が落ちた中を歩く。24時間営業のコンビニは深夜に出歩く人間にはとても嬉しいものであり、今日もいつも通りに夜食を買う。
都会に食い扶持を求める人々が眠る郊外のマンション街。私は自分の家に辿り着くと、鍵を開け暗闇に閉ざされた我が家に入る。
手探りでスイッチを切り替えると、人工的な光が世界に満ちる。味気ない、物の少ない一人暮らしの部屋が、私を迎え入れてくれる。タイマーで自動的に起動したエアコンが部屋を暖めていてくれて、外行きの服装のままの私には少し暑い。ジャンバーを適当に脱ぎ捨て、ぽつんと置かれたテーブルの上にコンビニの袋を置く。軽く水道で手を洗い、胡坐をかいてテレビの電源をつけた。
途端に、深夜番組特有の下品な笑い声がテレビから聞こえだす。今はそういう気分ではない。緑茶を口に入れながら、リモコンを操ってチャンネルを回す。そんな中でふと、手が止まった。
何の事も無い、深夜の旅番組。ここからは遠く離れた場所、都会の中にある料理屋の特集だった。
テレビではあまり見ない芸人っぽい男が、どこか見覚えのある家々の間を抜けて、一つの店の前で足を止めた。
発展していく都会の町並みには見合わない、どこか和風の香りが漂う古臭い面構え。そこは寿司屋のようで、中に入っていくカメラにはステレオタイプな寿司屋の内装が広がっている。
私は、その店には見覚えがあった。当たり前だ。あそこは私の実家だ。
芸人の面白くもないトークは、既に私の耳には入ってこなかった。薄っぺらい液晶の向こう側に映る、逃げるように出て行った私の実家が、不思議な衝撃をもって目に飛び込んできて、視線を逸らす事を許さない。
寿司を頼む。下駄のような板の上に載せられて、鮮やかな赤色をした鮪の握り寿司が客に出される。それを口に含んだ芸人は、いかにもなオーバーリアクションで美味しい美味しいと褒め称える。当たり前だ。人生の全てを寿司を握る事に捧げているあの馬鹿親が握ったものだ。美味しくなければ私が許さない。
あの頃は、寝ても覚めても寿司だ寿司だと父も母も私に言ってきた。何でも何代も続いている寿司屋の跡継ぎに私が生まれたらしい。だから親二人は私にどうしても寿司屋を受け継いで欲しかったそうだ。冗談ではない。どうして私が……寿司に微塵も興味がない私が継がなければならないのか。そう言って、大学はわざと遠い場所に進学した。親は何も言ってこなかった。
袋から寿司の入ったパックを取り出す。中には大量生産物の寿司が、バランによって区分けされて並んでいた。一つ、口に放り込む。それはテレビに映っていたそれと種類的には同じな筈の鮪なのに、かつての親が握ったそれとは比べ物にならないほどに不味く、冷えていた。それだけで、父がどれほど優れた寿司職人だったのかがよく分かる。そういえば、コンビニで寿司を買ったのはこれが初めてだ。
肌寒くなってきた。いつの間にかエアコンは切れていて、三月特有の残った肌寒さが部屋を冷やしている。
寿司を食べ終えて、バランだけになったトレイを見ていると、親の寿司がたまには食べたくなってくる。手紙も電子メールも、あれからほとんどやり取りしていない。仕送りも一度も口座から受け取っていない。けれど毎月お金を入れているのだろう、残高は凄い事になっていた。
パックをゴミ箱に放り投げる。本当の寿司屋では客に出す寿司にはバランは付けない。テレビではもうまったく別の番組が始まっていた。
まだ三月は始まったばかりだ。少し遅いが帰省でもするか、と、スマートフォンで路線を検索した。
地元の駅は、案外近かった。