制限時間:一時間
着慣れないタキシードを着ていると、今日は特別な日だという事が否応なく認識される。がやがやと五月蝿い喧騒を抜けて、俺は人気のないテラスの椅子に座って、ウェイトレスから貰ったシャンパンと大テーブルから失敬したチーズを楽しんでいた。
今日は中学の頃からの友人が、誰よりも早く結婚した日だ。その披露宴にお呼ばれしているのだが、元来友達の少ない俺は本人以外には特に知り合いもおらず、歓談するわけでもなくこうして食事を楽しんでいる。
奥さんは綺麗だった。よくテレビで美人だと持ち上げられているタレントにどことなく似ている顔で、笑う仕草は大和撫子そのもの。よく白無垢に似合っていた。あんな綺麗な奥さんを捕まえられてさぞ幸せだろう、と友人のほうを横目で見れば、惚気顔……というわけでもなく、むしろ気苦労が絶えなかったのか少し老けていた。顔を知っている程度の元クラスメイト達は嫉妬と羨望の入り混じったような目線を向けていて、確かにあんな顔を向けられ続ければ苦労もする、と少しだけ同情したものだ。
そうしてゆったりとシャンパンを味わっていると、同じテーブルに誰かが座った。顔を上げれば、そこにいたのは一人の女性だった。見慣れない顔をしている女性。おめかししている顔は綺麗ではあるものの、あまり男としては反応しない程度だ。
「こんにちは。お一人様でどうしたんですか?」
「友人が新郎しかいないもので、こうして一人で楽しんでいるのですよ」
適当に流して、女性から視線を外す。しかし彼女は俺への興味を無くしていないようで、見世物でも見るかのようにじろじろと見てくる。遠慮というものが無いのだろうか。
「何でしょうか。珍しいものでも無いと思いますが」
耐え切れなくなってそう声を掛けると、女性はにっこりと笑って口を開く。
「貴方、新婦の噂、ご存知ですか?」
噂。下世話な噂だろうが、気にならないわけでもない。どうせ世間話するような仲でもないし、そんな仲の人はあの中にはいない。
「噂。というと?」
「あの新婦さん、どこの家の出か知っていますか?」
「さあ。旧姓も知りませんしね。それで?」
「彼女の家系は、代々婿入りで男を食って続いてきたそうです。でも、今代の彼女は嫁入りです」
ふむ。話が見えないが、良い話ではなさそうだ。
「それが、何か?彼女の気持ち次第でしょうし。何か問題でも?」
「問題、ってことでは無いのですが。そうなると、不思議な事になるんです。だって、今回の結婚を先祖のしきたりが許すわけないじゃあないですか」
確かに……。それまで先祖代々続いていたとなると、拘束力はそれだけ大きくなる。それなのに逃げ出したとなると、よく親御さんが許したなぁ、という事になる。
「確かに。不思議ですねぇ」
「でしょう?ですから、新婦さんは近々不幸に見舞われる、ともっぱらの噂です」
「……それを、どうして私に?」
「だって、お一人でテラスにいる貴方、知らなそうでしたし」
……まあ、知らなかった。とはいえ知ったところでどうしようもない。気がつけば、女性は既に席を立っていた。少しだけの後味の悪さを胸に、友人の無事を祈って一人で乾杯した。
彼が行方不明になった、という一報が届いたのは、それから数日後の話だった。