彼が違ったタイプの人物だったら……と思いついて書いてみました。
注)
・本作品はフィクションであり、実在の人物や組織とは一切関係ありません。
・政治的な意図や思想は特に込めていません。
(コメントなどでそういったご意見をいただいてもお答え致しかねます)
「ハァ……」
重厚感のある机に向かいながら、男がため息をつく。
七三分けで整えられた髪に、シワひとつないスーツ。
それだけでも、彼がそれなりの身分だと窺い知れる。
男は、一通の書類に目を落とす。
そして、頭を振った。
「全く、宮仕えの身とは言えとんだ貧乏くじですね」
文部科学省学園艦教育局局長。
それが彼、辻廉太の肩書であった。
事は数週間前に遡る。
国政選挙で時の与党が大敗、野党第一党が政権を担う事となった。
選挙では歳出削減による財政赤字削減と、国債発行額の抑制を最大の公約として掲げていた。
新政権がスタートするとすぐにプロジェクトチームが結成され、事業仕分けと称して各官庁や独立行政法人に対してのヒアリングが行われた。
無論、国の事業全てが無駄な筈もないし削ってはいけない予算も少なくない。
が、新政権は高い支持率をバックに強気の姿勢を崩さなかった。
多額の予算を占める事業がその槍玉に挙げられるのはもはや必然だった。
それは、文部科学省も例外ではなく。
「この学園艦ですが、かかっている費用が高すぎますね。統廃合を進めるべきでは?」
「急には無理です。生徒や父兄に対する説明も必要ですし、転校先の振り分けも」
「そうやってズルズル引き伸ばす気ですか! あなた方はそうやってすぐに
ダン、と机を叩くプロジェクトのメンバー。
「いいですか? 学園艦事業は艦そのものの維持だけではありませんよ? 兎に角莫大な税金が投入されているんですよ? これは血税なんですよ?」
同意とばかりに頷く財務省の官僚達。
当然だが、財務省は歳出削減は歓迎しても増加にはいい顔をしない。
削除する金額や件数が多ければ多い程、彼らは諸手を挙げて賛成する。
プロジェクトチームが強気一辺倒な理由の一つでもあった。
「戦車道や部活動で目立った活躍もない、生徒数が減少している高校もあると聞いています。その整理は決定事項です、存続の予算は認められませんね」
有無を言わせぬ調子で迫られ、文部科学省からの出席者は反論すら出来ない有様。
そして、その後始末は担当部局へ回される事となり。
その責任者である辻は、通達を前に頭を抱える事となってしまった。
行政は縦割りが基本であり、上位から来た指示はその通りに実施する以外の選択肢はない。
無論根回しなどで方針転換をさせてしまう場合がなくもないが、政権交代に伴い国務大臣も官僚達とは何の接点もない人物が就任。
彼らから見て、教育行政に精通しているとは言い難い素人だった。
が、兎に角新政権は政治主導を錦の御旗として掲げ官僚の提言よりも世論に耳障りの良い方を選んでいた。
当然、新大臣は強気で官僚達に対して恫喝紛いで指示を出した。
学園艦の統廃合も当事者からすれば堪ったものではないが、世論は自分に直接関わりのない事は兎角冷淡でしかない。
辻からすれば、統廃合の対象とした関係者の矢面に立つ事になり気は進まない。
それでも責任者である以上逃れられる筈もなく、あくまで抵抗すればその地位を追われる事は確実だった。
彼はその肩書を得るだけの才能と実績を持っていたが、同時に保身的でもあった。
つまり、彼には選択肢など最初から存在しない。
「やるしかないんだよなぁ……。ああ、胃が痛い」
ストレス性の胃痛と戦いながら、辻は仕事を進める日々だった。
学園艦教育局がリストアップした統廃合候補。
その中で最有力とされたのが、茨城県立大洗女子学園。
私立が多い学園艦の中で、その名の通り珍しい公立高校である。
直接の所管は茨城県だが、その莫大な維持費を地方自治体だけで賄える筈もなく国からも助成を受けていた。
事業仕分けで
学園艦自体も老朽化が進み、大規模な改修若しくは新造が必要となる見通しでもあった。
一説には大型タンカーの寿命が十五年と言われる中、大洗女子学園の学園艦は時折改修を行いながら既に数十年に渡り運用されている。
このまま存続すれば、維持費が膨大になるのは火を見るよりも明らか。
他に挙がった候補を差し置いてまで存続を主張するのは難しい……辻と部下の一致した見解だった。
「やむを得ないでしょう。……大洗女子学園を廃艦、廃校にする方針とします」
辻の決断で、全てが動き始めた。
「局長」
「何でしょう?」
「大洗女子学園への通達はどうなさいますか?」
部下の一人が、遠慮がちに尋ねた。
流石に電話一本、という訳には行かないが書面で知らせる方法もあった。
無論、それだけで終わる筈もないのだが。
学校関係者だけではなく、生徒や父兄に対する説明もしなければならない。
全て上意下達という訳にはいかない。
これもまたいろいろな根回しが必要であり、用意すべき書類も膨大になるだろう。
無論これを辻一人でやる訳ではなくとも、彼は責任者としての役割がある。
「……あの学園は、確か生徒会が実質的な権限を持っていましたね?」
「ええ。今の生徒会執行部になってから、学園長が大幅に裁量を認めたとか」
「では、その生徒会長を呼んで下さい。私から伝えます」
「わかりました。では早速、連絡を取ります」
部下はホッとしたように、辻の部屋を出ていった。
嫌な仕事を任されずに済んだのだから無理もないが、辻は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「……まぁ、仕方ないでしょう。一番逃げ道がないのは私なんですから」
そう独りごちながら、彼は書類を手に取った。
数日後。
呼び出しを受けた杏達が、辻の部屋に通されていた。
「は、廃校……ですか?」
「はい。大洗女子学園は、来年三月末を以って廃校とする事が決定しました。学園艦もその後解体となります」
「そ、そんな……」
「…………」
オロオロする桃と、困惑する柚子。
二人に挟まれた杏は、腕組みしながら何やら思案している。
辻はその様子を見ながら、書類を読み上げていく。
「……以上がお知らせする内容となります。何かご質問は?」
「あ~。ちょっといいかな?」
「……どうぞ」
仮にも年上に対する態度ではなかったが、それで目くじらを立てる程辻も小さくはない。
杏も気にした様子も見せずに続けた。
「それって決定事項なんだよね?」
「勿論です」
「ふ~ん。じゃあ、逆に目立った成果を何か出せば撤回ってのもアリ?」
「……成果、ですか。確かにそれが廃校の理由ではありますが」
食い下がろうとする姿勢は理解できるが、実際には難しいだろうというのが辻の思いだ。
いつも以上にトップダウンで行われている案件であり、覆る事はまずあり得ない。
「ですが、残り一年で何が出来ますか? 断っておきますが、私の権限だけでどうにかなる話ではありませんよ」
「だろうねぇ。……あ、そういやこんな記事を見たんだけど」
そう言いながら、杏はカバンから新聞を取り出した。
紙面を広げ、一つの記事を示した。
「今、文科省は戦車道に力を入れてるんだって?」
「ええ、その通りです。世界大会の誘致に向けて、全国の高校に対して戦車道の履修を奨励しているところですが」
「なるほどねぇ。じゃあさ、例えばだけど……高校大会で優勝したら?」
「戦車道全国大会での優勝ですか?」
「そそ。目立った実績って言えるんじゃないかなぁ、文科省の方針にも沿う訳だし」
辻は考える。
確かに、杏の言う事は正しい。
……ただし、実現可能な話であればだが。
高校の戦車道は歴史もそれなりに古く、伝統ある強豪校も揃っている。
例えば、九連覇を果たした黒森峰女学園。
ドイツ陸軍をモチーフにした学校だけあり、戦車の質も高く選手も実力者揃い。
それ以外にもサンダース大学付属高校やプラウダ高校、聖グロリアーナ女学院なども控えている。
大洗女子学園は嘗ては戦車道を行っていたようだが、それも数十年前に途絶えていた筈。
その際に目ぼしい車輌は売り払ったと記録にもあり、第一在校生に経験者がいるのかどうかすら怪しい。
そんな素人集団がパッと飛び込んであっさり成果を出せる程、甘い世界ではない。
万が一実現できたとしても、廃校をひっくり返す事はまず無理としか言えない。
それでも、一縷の望みをかけようという事なのだろうが……。
「小山、河嶋。という訳だから、戦車道やろっか?」
「ええっ?」
「か、会長? 本気ですか?」
「もっちろん。優勝した学校をさ、まさかそれでも廃校にする……なんて言わないよねぇ?」
辻としては、無駄なあがきと切って捨てるのは簡単だった。
……が。
今回のやり方には、いくら官僚の彼とは言え正直腹に据えかねる面があるのも事実だった。
それを口に出す事は出来ないが、今の政権や大臣のやり方をはいそうですかと素直に従うのも疑問があった。
彼一人だけならば兎も角、少なくとも学園艦教育局の職員は多かれ少なかれ同じ思いを抱いていた。
(……利用するようで気の毒だが、あの上から目線の連中にしっぺ返しを食わせるのも悪くないか)
「……前向きに検討はするとお約束しましょう。今はそれだけしか申し上げられませんが」
「じゃ、決まりって事で。手続きに必要な書類とか、後で送ってね」
「はい。手配させましょう」
言質は取った、とばかりに杏はニンマリとした。
勿論書面を取り交わすつもりもない、ただの口約束。
彼とて、縁もゆかりもない大洗女子学園の為に積み上げてきたキャリアを棒に振るような真似は出来る筈もない。
無論口約束も全くの空手形という訳ではないが、証拠として形に残してはいないのだから後でどうとでも言い逃れ出来る。
(……それでも、一泡吹かせるのが関の山でしょうけどね。それ以前に、そもそも全国大会に出場する資格を満たせるかどうかも怪しいものですが)
そう思いながらも、辻は何故か可能性はゼロではない……そんな予感がしていた。
新年度になった。
学園艦教育局も、学園艦統廃合プロジェクトだけが仕事ではない。
国家公務員は世間一般で考えられている以上に激務な職場も多い。
辻達も決して例外ではなく、仕事の山は一向に減る気配がなかった。
辻本人も効率化重視で局長室を出て、他の職員と同じ部屋で作業に当たっている有様だった。
「局長。こちらの書類もお願いします」
「やれやれ、また増えましたか。そこに置いて……おや?」
溜息をつきながら、新たに回ってきた書類が辻の眼に止まった。
その中に、大洗の文字を見つけたからだ。
「……ほほう。とりあえず第一関門はクリアしたようですね」
「局長?」
辻の独り言に、書類を置いて立ち去ろうとした部下が振り向いた。
「例の大洗女子学園、戦車道を再開したいとの申請が来たんですよ」
「え? 戦車道……ですか?」
「もう廃校は既定路線だというのに、最後の思い出づくりでしょうか?」
「第一、全国大会までもう時間もないのに」
会話を聞きつけた他の部下達も、根を詰めるのに飽きたのかぞろぞろと集まってきた。
「局長。戦車道の全国大会は確か、最低でも戦車五輛を揃える事が条件でしたね?」
「その通りです。どうやら、彼女達はそれは満たしたようですね」
確かに、その書類には申請に当たって必要な戦車の名前が記されていた。
「Ⅳ号D型に三号突撃砲F型、八九式中戦車甲型、M3中戦車……それに38(t)ですか。何とも個性的な顔ぶれを揃えたものですね」
辻も仕事柄、戦車道で使用を認められている車輌については必要十分な知識を備えている。
それが故に、このラインナップがどうかと問われれば即座に答えるだろう。
数だけは揃ったが、それだけの事……と。
生産国もバラバラで、装甲は紙な車輌ばかり。
火力も三突以外は十分とは言い難いレベルでしかない。
これでは、率いる隊長も苦労が絶えないだろう。
……ふとそこまで思いを巡らせてから、辻は書類にもう一度目を通した。
「局長、何か?」
「……いえ。大洗女子学園には戦車道経験者はいない筈ですが、隊長は誰が務めるのかと思いまして」
そして、見つけた。
隊長西住みほの名前を。
「西住……みほ?」
戦車道に携わる人間なら、西住の名前を聞いて覚えがなければモグリと言われても仕方がない。
武芸としての戦車道で最大の流派と言えば、西住流。
当然、辻は家元のしほとは繋がりがある。
「西住、という事はあの西住流の?」
「長女は黒森峰の隊長でしたね。確か、名前はまほ」
「ですが、大洗女子学園は戦車道が途絶えて久しい学校です。何故そんなところに西住の人間が?」
部下達の疑問に答えたのは、辻だった。
「西住みほ。……西住流家元の次女で、黒森峰の前副隊長ですね」
「前副隊長? それって凄いじゃないですか」
「でも、どうしてそんな娘が大洗に?」
「……そりゃ、去年の全国大会だろ。原因があるとすれば」
その声に、一同は腑に落ちたとばかりに頷いた。
「戦車道のない学校で、静かに学校生活を送ろうとしたのでしょう」
「それが、また表舞台に引きずり出されるとは……皮肉なものですね」
「それだけ、大洗女子学園は形振り構っていられないという事なのかも」
「とは言え、まだまだ子供に負わせるにはちょっと重荷過ぎる気もするなぁ」
立場上肩入れする事は出来ないが、彼らとて人の子。
横紙破りばかりの大臣や政治家にストレスマッハな日々という事もあって、みほや大洗女子学園の境遇に同情を禁じ得ないのも無理はなかった。
「ところで、局長?」
「何ですか?」
「わからないのが、大洗女子学園がいきなり戦車道を持ち出してきた事です。そりゃ、確かに奨励するよう通達は出していますけど」
「素人がいきなりやっても成果など出せませんし、その割にはかかる費用も膨大ですからね」
「でも、この短期間で体裁は整えた。その手腕は大したものですが、そもそもその発想に至りますかね普通?」
職員らが、一斉に辻を見た。
当人は狼狽える事もなく、眼鏡をかけ直した。
「彼女達も必死であれこれと手立てを考えた末に至った結論なんでしょうね」
「そうでしょうか? 局長は何かご存知では?」
「……君達、私を何だと思っているのですか。しがない中間管理職ですよ?」
部下達は、思わずツッコミを入れそうになるのを必死で抑えた。
辻が本当にしがない小役人でしかないのなら、この若さで今の地位に収まっている筈がない。
そして、今回のプロジェクトについても口にしないだけで
詳しい経緯まではわからずとも、辻が何らかの指針を与えたのではないか……と。
そんな好奇心に満ちた視線を受け流し、辻は腰を上げた。
「さて、私はちょっと副大臣に呼ばれていますので。休憩は構いませんが、程々に切り上げるように」
そして、第六十三回戦車道全国高校大会。
無名の存在でしかなかった大洗女子学園が大波乱を引き起こした伝説の回が、始まろうとしている。
辻以下学園艦教育局の面々が、予想だにしなかった結末を用意して。