fate/zero 滅びの魔王と騎士の譚   作:ぴよぴよひよこ

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 世界の果てを、人は魔界と呼んだ。
 そこは雪原のようでいてそうではなく。砂漠のようでいて()(あら)ず。荒野にして無の大地。
 風に舞うは塵。魔王が貪った亡骸の成れの果て。どんなものにも魂が宿るといわれ、石ころにさえそれが在るというのに、食われ尽くされたモノたちには何も残されない。



 魔王は貪欲だった。
 生まれながらにして周囲のあらゆるモノを喰らってしまう異常体質。魂を根こそぎ奪われた全ては生物非生物問わず塵へと還った。

 魔王は強大だった。
 喰らったモノの知識や経験(じんせい)さえも己が物として奪い、瞬く間に手の付けられない怪物として君臨した。

 人々はかの者を恐れ、呪い、時には数万もの軍勢で取り囲んでも、それは魔王の腹の足しにしかならず、力を与えることにしかならなかった。
 神々はかの者を厭忌(えんき)し、蔑み、魔王を討伐せしめん者に祝福を与えた。

 天上の意思を形にした(つるぎ)、魔なる者全てを断ち切る聖剣。祈りに守られた身体はどんな脅威も通さず、神に愛された腕を振るえば竜すら屠る魔法が迸る。
 そんな、人の身にして天上の力を振るう者を、人々は勇者と呼んだ。




 そして。






 ――――世界は、滅んだ。






-来訪者-

 

――――――――――――

 

 

 

 ロンドン、時計塔。広く魔術師を束ねる『魔術協会』、その総本部の通称だ。

 厳かな造りになっている廊下を、一人の少年がはしゃぎ走っていた。

 スキップしかねない自分をどうにか御しながら、しかしにやけた顔は隠すことができずに今も腕の中の箱に目を落としている。

 彼――ウェイバー・ベルベットは自分が選ばれた人間だと思っていた。優れた能力を持ちながら周囲はそれを嫉妬からか認めない、悲劇の主人公だと。その証拠に、自分を侮辱した講師が参戦すると風の噂に聞いた"聖杯戦争"のための触媒、聖遺物と呼ばれる古びた箱に納められた何かを、彼は手にすることができたのだ。その嫌味な講師に宛てられた配達物の中から。

 一般的にいえばコソ泥と揶揄されても文句は言えない所業だが、ウェイバーはそんなことも気にならないくらいに上機嫌だ。気付いたとしても、こんなのは当然のことであって、今までされてきた仕打ちを顧みればまだ足りないと思うだろう。

 かの冬木の地で栄光を勝ち取って、自分を貶めてきた周りの人間全てをひれ伏させなければ気が済まないのである。そしてそれはもはや夢想などではなく、実現可能なこととして腕の中に納まっているのだ。

 

 そう遠くない未来に思いを馳せながら角を曲がると、一人の女性とぶつかりそうになってしまった。ウェイバーは自分が浮かれすぎていることを恥じ、気を引き締めようと反省して彼女に頭を下げた。

 

「すみません、ちょっと急いでて」

 

 無限に広がる楽しい想像に水を差された気分でもあったが、こんなに浮足立っていては勝てるものも勝てない。それを気付かせてくれたのだから頭の一つも下げてやろう。そう思って素直に謝った。

 対する女性は彼ににっこりと笑いかけると、眉目秀麗な面立ちをそのままに潤んだ唇から言葉を放つ。

 

「#W4,dユッ惲クキカI#・ツ1$遐?」

「へ、えっ?」

 

 理解不能な言語を投げつけられてウェイバーが目を白黒とさせた。

 彼とて魔術師である。世界中のとまではいかなくとも、現代・古代に関わらずそれなりに言語には明るい。しかし彼をして、目の前の女性が話す言葉は一分(いちぶ)たりとも理解することができなかった。ともすれば、未開の部族の方がまだ分かる気がすると思うほどに。

 

「a・絏O碾&a」

 

 真っ白なファーがふんだんに使われたコート、同じく砂の一粒も付いていない純白のブーツとの間に見える肌も雪のような、しかし髪と瞳だけが紅く染まった妖艶な美女。

 彼女は笑みを絶やさずしばし首を傾げていたが、そっとウェイバーの頭に手を乗せて……すぐに離した。

 ウェイバーはその行為に魔力の波動を感じて身を翻そうとも思ったが、敵意が感じられない上にすぐ離されたので跳ね上がった心臓の動きが悟られないように平静を装ってみせたのだった。

 

「ふむ……これで通じるか?」

「あ……えっと、はい」

 

 次に彼女が話した言葉は彼にも馴染みのあるイギリス英語だった。米国風――彼にとっては向こうがおかしい――の訛りもなく聞き取りやすい声にこくりと頷く。紅い髪の女も満足げに顎を引くと、恐らくだが先ほどのセリフを語訳して繰り返した。

 

「聖杯戦争について何か知っているか」

「――ッ!?」

 

 今度こそウェイバーは飛び退(すさ)った。このタイミングで聖杯戦争について尋ねられれば、どんなことを聞かれるにせよ良い出会いであるはずもない。もしかしたら講師……ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが聖遺物を奪った不届き者を始末するために雇った刺客かもしれないのだ。

 警戒も露わに睨みつけるウェイバーだったが、しかし女は襲い掛かる様子もなく彼を笑って見ている。

 

「取って食いはしないさ。まだ聖杯戦争は始まってもいないだろう?」

 

 余裕たっぷりな相手の態度に、優秀な魔術師だと自負するウェイバーも内心を隠して体面を取り繕う。

 

「ってことは、アンタも参加者なのかよ」

 

 彼は冬木の聖杯戦争について、ある程度だが調べている。曰く、参加者はサーヴァントと呼ばれる英霊を召喚して使役する。それを律するために令呪という三画の聖痕が身体のどこかに発現するらしい。

 それこそが聖杯戦争の参加権。つまりはウェイバーもまだそこまで至ってはいないのだが、あたかもすでに決まっているかのように尋ねた。

 女は紅い眼を細めてかぶりを振る。同じ色をして結われた肩ほどまでの髪も合わせて揺れた。

 

「その予定ではあるのだがな。まだこちら(ヽヽヽ)には来たばかりでね、誰かに詳しい話を聞こうと思っているのだよ。お前でも良いが、誰かあてなどないか?」

 

 なるほど、とウェイバーは得心した。

 この女は外部の魔術師で、聖杯戦争について知ったものの詳細が分からないからこそここ、魔術師の総本山たる時計塔にやってきたのか。

 そして実に悪辣なことも思いつく。自分も聖杯戦争にはそこそこ詳しいが、もっと適任者がいるだろう。自分よりももっと、ずっと前から準備を進めていたであろう男が。彼の元にこの女を送れば、聖遺物盗りの容疑もなすりつけられるかもしれないという浅い考えもあって。

 例えそれが叶わなくとも、少しでも時間稼ぎになれば重畳だ。先に冬木に行って英霊を召喚さえしてしまえばあの傲慢な、しかし実力は確かなロード・エルメロイが追って来たとしても返り討ちにできるはずなのだ。

 

「ああ、きっとこの時計塔で一番詳しい人を、ボクは知っている」

「ほう?」

 

 ニッと笑って答えた彼を、女もまたニィと白い歯を剥いて見た。

 

 

 

 運がいい。白いコートをはためかせながら歩く女はそう思っていた。こちらの世界に来たばかりで右も左も分からなかったが、最初に出会ったのが聖杯戦争の関係者だったとは。

 英霊を召喚して競い合うというこの闘争。どういう因果か彼女もそれに招かれた(ヽヽヽヽ)。彼女自身聖杯がどういったものかは漠然としか知らずとも、自分がイレギュラーであることは自覚している。

 なぜなら、そう――彼女はこの世界の住人ではないのだから。

 

 魔王。それが故郷の星での彼女の字名(あざな)。忌み名とも言えるが。

 

 時空だとか位相だとか、そういった断絶の向こう側にある、既に滅ぼし尽くし、滅び去った故郷。その滅びが文字通り目の前にまで迫った時、無味無臭となった世界に知らない魔力(におい)が紐のように掠めた。それに従い、辿るように彷徨っているうちにこの世界に彼女は立っていたのだ。

 理由も方法も分からなかったが、前者だけはすぐに知ることになった。英霊が呼ばれた際に付与される現代の知識が彼女にも与えられたのである。システム上のバグなのか言葉は通じなかったがそれも今は習得している。

 望みを叶えるという万能の願望器。それ自体にあまり興味はないが、英霊にはそそられるものがある。

 

 魔王たる自分を倒しうる勇者。

 幾千年もの時を待ち続け、しかしついに現れなかった本物の勇者を彼女は求めていた。

 

 しかし差し迫った問題がひとつ。

 彼女は魔法――この世界では魔術と呼ぶもの――は使えるが、今いる世界のそれを知らない。つまり聖杯戦争を知り、参加権を得ようにも英霊を召喚する(すべ)を知らないのだ。

 令呪と呼ばれるものもまだない。だがそれは聖杯戦争について知れば手に入るだろうと半ば確信していた。この戦争には望みが強い者ほど選ばれる。そして聖杯が位相を超えてまで自分を招いたのだ。なればこそいずれは手に入るのだろう。

 入手できなければできないで単身乗り込むつもりでもあったが、こういう闘争(ゲーム)は初めてなのだ。できる限りルールに則ってやろうという思惑もあった。

 この世界にとっては、それが何よりの幸運であったのかもしれないが。

 

 やがて到着した大きな屋敷の前で人を待つ。

 先ほど聞いた少年の話によれば、目の前にそびえる屋敷の主人がこの辺りで一番聖杯戦争に詳しいのだとか。ただで教えてくれるのかは分からない、が、その場合は多少強引になっても奪えばいい。

 そういう意味でも、ウェイバーは恵まれていたかもしれない。彼女の質問を拒否していれば命と一緒に記憶と知識が奪われていた可能性だってあったのだから。

 

 魔王に奪えぬものなし。かの地で謳われた、絶対悪の力。その特異体質でもって星の命さえ奪い尽くしてきた。

 吸収という行為を極めたような異常な力だ。奪取と言い換えてもいい。命を、魔力を、魂を。根こそぎ奪って己がものとする。生まれたばかりの時は無意識のうちに発動してしまったが、今はそれなりに制御できている。殺すことなく、記憶だけを模写することも可能だ。

 ウェイバーから言語能力を借りたのもこの力の応用である。少年の持つ全てを奪い尽くすこともできたが、仮にも聖杯戦争の相手となる者だ。英霊を召喚させずに殺してしまっては本末転倒というもの。ゆえに彼はまだ存命している。誰も思わなかったが、あの利運を手繰り寄せる力は並々を外れているのかもしれない。

 ぼうと立って待ち続けていると、遠くから早足の靴音が聞こえてきた。

 

「失礼。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトとお見受けするが」

 

 コツコツと音を立ててやってきた男の前に、魔王が立ちはだかる。

 群青のコートに真鍮色の髪を撫でつけた男――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトその人が苛立たし気に答えた。

 

「いかにも。そういう君はどこのどなたかな。私は今とても気が立っている、答えによっては代償も払ってもらうぞ」

 

 ケイネスは言葉通り、毛羽立つ心の内を隠そうともせずにそう吼えた。

 ずっと前から準備してきた、聖杯戦争を必勝の舞台にするための聖遺物。それをこともあろうか教え子の一人が掠め取っていったのだ。予備の触媒もあったものの、そちらはあくまで予備。せっかく考えていた作戦も練り直さなければならない。

 残された時間からある程度の妥協も認めざるを得ないだろう事実に、彼のプライドは怒りを抑えることができずにいた。

 無論あの愚物には相応の罰を与えるとして、その前にこの不躾な女が犠牲になったとしても微塵も罪悪感など覚えない。それほどまでに、彼の激情は向かう先を求めていたのだ。

 

「ふむ? まあ良い。我が名は魔王エリスティン・ucニF……ん、言語化できんな。貴様には聖杯戦争について、知っていること全てを教えてもらいたい」

「……なんだと?」

 

 他人の感情なぞどうでもいいと放った彼女の言葉は、そんなケイネスの怒りの火山に、油どころか火薬庫を丸々と放り込んだようなものだった。

 ぴくりと反応した次の瞬間、怒気と魔力が混ざり合って彼の体中から迸る。

 

「貴様……あの凡骨の手の者か」

「少年のことか? 先ほど彼に聞いてここへ来たのだよ」

 

 手の者、という部分には頷かなかったが、どちらにせよケイネスにとっては同じこと。奴に関わって自分に接触してきたのだ。例えあの愚かな教え子に唆されてやってきた者だとしても、もはや生かして帰すことなどできそうにない。

 懐から取り出した試験管を叩きつけるようにして中身を散らし、心境をそのまま命令に変え、時計塔が誇る天才魔術師が叫んだ。

 

Fervor,mei sanguis(沸き立て、我が血潮)!」

 

 ケイネスの足元に飛び散った水銀が生き物のように動き出す。命令通りに沸き立つ液体は元の質量よりも増えて見えた。

 これこそが彼の誇る最強の秘術にして切り札、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』である。魔術師として稀有な二重属性、『水』と『風』を極めたケイネスが行き着いたのが水銀を操るという流体操作の奥技。

 護身用の試験管入りのものだったために心許(こころもと)ない量の水銀だが、ここは自身の屋敷前。自分の研究室に一部を走らせて大瓶に保管している本体に接続すれば、すぐさま本領を発揮して目の前の女を切り刻むだろう。

 

「水銀か、面白い使い方をする」

 

 女――エリスティンと名乗った魔王は(うごめ)く水銀を愉快そうに眺めていた。

 彼女の世界にも水銀はあった。しかし多くは錬金術の触媒や道具の一部としてしか活用されていない。ましてや武器にして振りかざすなど誰も想像しなかった使用法だ。

 何をしてくれるのか、と構えることもせずにその場に立ち尽くしている。

 

 それが癪に障ったのかケイネスが少ないながらも月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を操り、間抜けにも隙を晒している女へ斬りかからせた。

 

Scalp()!」

「おっと」

 

 暗がりに紛れる鏡張りのような銀色の一閃。小さいことも相まって目には見えないはずのその閃きを、エリスティンは事も無げに足を上げて回避した。

 必殺とは言えないが、必中ではあったはずの攻撃。それを簡単に躱されてケイネスの中に幾ばくかの冷静さが戻ってくる。

 ――ただ者ではない。

 あの阿呆の権化とも言える教え子と密接な関係を持っているようには思えない。先ほど述べていた「聞いて来た」というのはどうやら本当らしい。しかしそれで矛を収めるつもりもない。この女は聖杯戦争について教えろと言ったのだ。つまりは敵。その一角ならば今ここで落としておいて損はない。

 

「接合完了したか……終わりだ、女!」

 

 研究室に走らせていた一部が、ついに本体に触れた。瞬間、壁や庭木など全ての障害を薙ぎ払って銀色の波が女に襲い掛かる。津波のような水銀のうねりが敵を囲み、逃さぬように閉じていく。

 これだけあれば地面を含めた全方位攻撃も可能だ。勝利を確信したケイネスはしかし、油断せず敵を包み込んで球体になった自らの魔術礼装を()めつける。

 

Fervor,mei sanguis(滾れ、我が血潮)!」

 

 トドメに球体内部で無数の棘を作り出して縦横無尽に刺し穿つ。哀れな女は身体中を串刺しにされて無残な死体になっていることだろう。逃げ場など無い、絶対の死。

 そう、確信していたのに。

 

「終わりか?」

「な……」

 

 響いてきた声は紛れもなく奴のもの。今も針地獄になっているはずの月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の中から、変わらぬトーンで飛んできた。

 そしてバキバキと破壊音を立てて(ヽヽヽヽヽヽヽ)、卵から孵るようにエリスティンが現れる。

 

「バカな! 貴様、何をした!」

「凍らせただけだが」

 

 やはり事も無げに言ってのける紅髪の魔王。しかしケイネスは目の前の女の言葉を信じられずにいた。

 確かに水銀は凍る。通常であればマイナス三十九℃でかの液体は個体へと変化する。しかしそれはあくまで通常時であればの話。彼もその弱点を知っているがゆえ、止まっているように見える月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)も、実は内部を高速で動かしているのだ。

 攻撃や防御に際して瞬時に形態変化させるためでもあったが、その摩擦熱でもって、氷の属性、あるいはその魔術を担う相手だろうと互角以上に戦えると自負しているのである。

 だというのに、敵を囲んでいたはずの礼装はぴくりとも動かず、新たな命令を受けてもそれを実行することができずにいた。

 

 本当に凍らせたのか、一瞬で、内部まで。どんな神秘をもってすればそんなことが起こり得る? 高速で動く我が礼装の温度は一〇〇を優に超えているのに。

 しかし現実に彼の切り札は凍り付いて動かない。それはケイネスも認めざるを得ない事実だった。

 

「……もう一度、名を聞かせてもらえまいか」

「魔王エリスティン――覚えたか?」

 

 それを理解したケイネスの中に生まれたのは、敬意。

 あの不出来な教え子とは関係がないこの女。"魔王"というのがどういう意味で冠詞を飾っているのかは分からないが、エリスティンと名乗った彼女は紛れもなく高位の魔術師だ。

 ケイネスが聖杯戦争に臨むのは己の栄光に箔をつけるためである。自他ともに認める天才である彼に唯一足りていないのが、誰かを打ち破ったという華々しい功績。

 だから、楽しみにしていた。

 アインツベルンに始まり、トオサカと戦い、マキリと魔術を競うことを。

 始まりの御三家と呼ばれる、ここ時計塔でも名の通った彼らと秘術を尽くして、それを打ち破るのが楽しみだったのだ。それこそが唯一と言っていいほどに。

 ゆえにこそ目の前に立つ女の名を知っておかねばならない。ここまで見事に切り札を打ち破られたのなら、その神秘を称賛して、畏敬しつつも冷静に推し量って返礼せねばなるまい。

 

「ああ、エリスティン、覚えたよ。では――次は本気で行かせてもらう」

 

 足元に残しておいた一抱えほどの水銀に、より高熱を纏わせて(けしか)ける。幾筋もの銀の煌めきが闇夜に光った。横に避けた魔王だが、刃はそれを追わず、その背後にあった水銀塊を砕き溶かして飲み込んだ。

 

「『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』!」

 

 自身が最も信頼を寄せる魔術礼装の名を叫ぶ。

 その行為自体に意味はない。けれども水銀の塊はケイネスの叫喚に呼応するかのように表面を波打たせて魔力を漲らせた。

 

「Scalp!」

 

 一つになって巨大化した月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)から無数の刃が鞭のようにしなってエリスティンを襲う。しかし規模が変われど、もう二度も見た攻撃だ。難なく躱し、あまつさえケイネスの方へと進み出た。

 

「ははは、それが本気か? ――そら」

 

 魔王が歩きながら無造作に手のひらを上に向けると、そこに巨大な氷柱が生まれた。そしてなんのアクションもなく恐るべき速度で撃ち出される。

 あまりの自然さ、そして構築の早さにケイネスが息を飲んだ。何も無い空間から直径一メートルはあろうかという氷柱を生み出す。だが今彼女は呪文も何も唱えなかった。魔力が集中したことにさえ気付けなかった。目の前で見ていたというのに。

 

 ヒトが持つそれぞれの『起源』。魔術師の多くはそれを自らの芯として秘術を構築する。そうすることによって得手不得手を見極め、より強力な魔術を構築することができるのである。

 ケイネスは知る由もないことだが魔王エリスティンで当てはめるならば『奪取』とでも云うべきその在り方。彼女もそれを()ることで自らの力を振るっている。――熱を奪う。それによる氷の属性魔術。奪った熱量すら魔力に変換し威力の足しにして放たれる氷塊の一撃は岩盤すら易々と突き穿つ。

 

 しかし相対した男も名にし負うロード・エルメロイ。迫りくる脅威にも毅然と向かい、銀色の塊から同程度の太さの一条の柱を生み出してそれを弾き飛ばす。そして視線が上に釣られたところで、不可視の一撃で殺し切る!

 

Fervor,mei sanguis(滾れ、我が血潮)!」

 

 地面を縫い、ブーツの底の裏から背後から。あらゆる死角からレイピアのように月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が襲いかかった。凍らせる隙など与えない。あらかじめこれまでよりも高熱を纏わせているのだ。そして無数の槍、そのどれか一つでも刺されば勝ちが決まる。傷をつけたそこから体内に侵入し、内部を破壊する。流体操作にはそういう必殺もあるのだ。

 

「狙いは良い。が、まだまだ、練りが甘い」

 

 だが、魔王には通じなかった。こともあろうに彼女は避けることなく、また防ぐ仕草すら見せなかった。なのに銀色の槍は一本たりとも彼女に傷一つ作ることなく折れて液体へと戻ってしまったのだった。

 構築法が異なるためにケイネスには見えない防護膜。魔力障壁と呼ばれるごく一般的な、しかし彼女が使えば異常なほどの防御力を誇るそれが槍のことごとくを打ち払ったのである。魔王のこれを貫くには魔力をさらに込め、そして集中させねば遂げられぬ。

 今まで反射的に躱していた攻撃も、その気になれば微動だにせずとも防げた。暗にそれを感じ取ったケイネスはついに(おそ)れを顔に出す。

 

「何者なのだ、貴様は……!」

「言ったろう、魔王だと」

 

 如何な魔術師でも自ら名乗るのに抵抗のあるその冠詞。ケイネスも最初は内心で嘲笑っていたが、今はそれが正しく思えた。しかし――

 

「まだ終わらんぞ。たとえ魔王だろうと、その名が私の歩みを阻めるものではないと知れ!」

 

 畏れて、なおケイネスは叫んだ。合わせて励起した魔術刻印と回路が熱を持ち始めて彼の魔力を礼装へと届ける。もはや出し惜しみなどできない。飛び退るように屋敷の庭に入って、先ほどぶち破った己の研究室へ続く穴へ月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の一部を走らせた。

 あの中にはまだまだ、この切り札に勝るとも劣らない礼装があるのだ。今まで築き上げてきた己の全てが。九代続いたアーチボルトの総てが。

 

「あぁ良いとも。全てを出し切るが()い、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト」

 

 ゆっくりと追って庭園へ侵入した魔王が凄惨な笑みを浮かべて彼を見る。

 ケイネスの在り方は素晴らしい。力及ばずとも最後まで足掻き続けるその気概こそ、彼女の求める勇者像への第一歩なのだから。

 ならば魔王たる自分は全てを受け止めねばなるまい。

 

「おォおおオオ――!!」

「その意気や良し。さぁ――」

 

 ――かかってこい。

 

 彼女は次々と繰り出される秘術の、その全てを真っ向から受け、そして打ち払った。

 庭に潜ませていた悪霊、魍魎を砕き、侵入者に攻撃的な結界を踏み潰し、ケイネスの持ちうる全ての礼装もまた、エリスティンに傷を負わせることすらできずに沈んでいく。ついには月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)までも完全に機能を停止して霧散した。

 秘術を破壊されたフィードバックと、魔力を使い果たした疲労感が同時にケイネスを蝕み、命令を聞かなくなった身体が勝手に膝をついて崩れる。目の前には魔王が最初の姿から変わらず、かすり傷一つなく泰然と立っていた。最後の気力で、睨むように彼女を見上げる。

 

「……なる、ほど。魔王というのは、存外、適当な二つ名であった、な……」

「二つ名? 私は生まれた時からずっと魔王さ、ケイネス」

 

 冗談の続きのように軽々(けいけい)に述べるエリスティンに、苦笑を禁じえない。

 これだけの者が今まで噂にもならなかったとは。アーチボルトの家系は名ばかりの魔術系譜では全くない。これまで順風満帆だった人生は、確かな才能と実力に裏打ちされていることからきているのだ。それが、手も足も出ないとはどういうことか。

 明らかに封印指定の境界を越えているこの力。生まれながらでなければその名を知らぬはずもない。

 

「見事、だ、エリスティンとやら」

 

 決死の覚悟をして挑んだ決闘。敗れればどうなるか、ケイネスも熟知している。諦めたように項垂れる彼を見て、魔王はしかし自らも膝をついて勇敢な男の顎を掴んだ。

 

「最初に言っただろう、聖杯戦争について聞きに来たと」

「敗者に気遣いは無用! さぁ、一思いにやるがいい」

 

 殺すつもりはない、そう続けた彼女にケイネスは憤然と言い返す。決闘で負けたのだ。その情けは侮辱にもほどがある。

 魔術師というのは学問の徒であって戦士ではない。それが担う魔術も研究の成果であって人を殺すためだけのものでは決してない。しかして判然とした優劣をつけるための戦いこそがこの決闘。極めた秘術を応用し、振りかざして敵を討つ。それこそ高貴で誇りある貴族の"戦い"。負ければ全てを失う。そうでなければならない。

 動かぬ身体でなお怒りを発露するケイネスを、エリスティンは嬉しそうに見つめた。

 

「そなたにはまだ上がある。何よりその在り方よ。勇者の自覚なくして勇者足らんとするその気概、やはり殺すには惜しい」

「なに、を――」

 

 上から見下ろす魔王の双眸に、ケイネスは魔力の波動も感じなかったのに魅了を受けたような心地でいた。彼女の云う勇者というのが何を示しているのか定かではない。ただ大粒のルビーのような瞳が、自分の中のナニかを見透している気がした。

 

「どうしても死にたければまたいずれ挑んでくるがいい。魔王に逃走はない。ただ座して待つのみなのだからな」

 

 逃げも隠れもしない。力をつけてまた殺しに来い。尊大な言葉だったが、力の差を見せつけられた今では文句の言いようがない。敗者は勝者に全てを奪われるのだ。だからその情けさえも甘んじて受けなければならないのも必定だろう。

 ケイネスは己の無力さを思い知らされて、聖杯戦争についての全てを語り聞かせた。場所、期間、ルール。英霊を呼ぶための魔法陣と召喚呪文。予備に保管してあった聖遺物さえも譲り渡した。

 今の自分では聖杯戦争を勝ち上がるのも難しい。まだまだ力が足りないのだ。何よりここまで手も足も出ない相手が参加するとあっては、かの冬木はどんな戦火に見舞われるか想像もつきやしない。

 斯くして全てを譲り渡し、彼は壊れかけた屋敷へ帰っていった。

 

 

 

「……なるほど、これが」

 

 ケイネスを見送ってしばらく。ロンドンの街中を歩いていたエリスティンの左胸に焼けるような熱が(はし)った。ぐいと服を引いて胸元を露出させると、豊満な胸の左、己の心臓の上に剣が三本突き立ったような赤い魔力の結晶が刻まれていた。

 令呪。魔王をして並々ならぬ力を秘めさせていると感じさせる。もちろんそれ以上を有している彼女であるが、サーヴァントに命令を下すにはやはりこれを使う以外にない。いくら魔力があっても、システムに作用させるには相応の知識が必要となるのだから。

 

「ふふ、楽しみだ」

 

 くつくつと喉を鳴らして、夜の道を()く。

 果たしてどんな英雄豪傑が待っているのか。かつての世界で巡り合えなかった勇者が、眼前に立つ時が来るのだろうか。

 夢見る乙女のようにうっとりと、その未来に思いを馳せて。

 やがて魔王の姿はロンドンの宵闇に消えていった。

 

 

 

 









サブタイトル:最強オリ主で聖杯戦争めちゃくちゃしたいッ!~ついでにディルムッドを幸せにしたい(生き延びるとは言ってない)~


というわけでケイネスさんには退いていただいて物語は進みます。
もうラストまで書き終えていますので、失踪するご心配には及びません。
あとは肉付けと推敲を重ねて投稿していきます。よろしければお付き合いくださいませ。
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