部屋の作りはゆったりと広く。
設えられた丁度は品がよく。
淑女の集う館では、差し込む日の光さえもが柔らかくたおやかに見える。
「いかがかしら、聖グロリアーナの紅茶は」
「……感動、ですね。大げさに聞こえるかもしれませんが、これまで飲んだ紅茶の中で一番美味しいです」
茶葉の質と淹れてくれたオレンジペコちゃんの技、そしてかの聖グロリアーナ戦車道の中枢、通称「紅茶の園」へのお招きにあずかり紅茶を味わう栄誉を得たとなっては、なんかもうこの場で天に召されるんじゃないかというほどの光栄だった。
というかここ、男が入っていいんだろうか。最初はそんな不安にさいなまれて落ち着かなかったのだけど、一口紅茶を飲んだらもう忘れた。アーイイ、はるかにイイ。
「お口に合ったようで何よりです。お茶菓子もどうぞ」
「ありがとうございます。うちの店でも紅茶は出していますけど、とてもかないません。勉強になりますよ」
「データによると、大洗女子学園ではなかなかの人気だそうですね。どうでしょう、ダージリン。今度は店長のお店に伺ってみるというのは」
「ええ、とても楽しそうねアッサム」
正直、まさか俺の人生にこんな幸運が訪れるなんて思わなかった。
ティータイムの席を、ダージリンさん、アッサムさん、オレンジペコちゃんとさらにもうお一方と同じくできるなんて……! 戦車道ファンとしては生涯自慢できるぞこれ!
……もっとも、俺の店のことも把握していたり、大洗女子学園ごと店がなくなった今の俺にこんなことを言ってくるあたり、これからする話が一筋縄ではいかないことは間違いないのだが。
さて、ここからが大変だ。
大洗女子学園の廃校が決定してから今日まで、数日が経った。
この状況にたどり着くまでも本当にいろいろあったから、これからの話をするにあたってそのあたりを整理しておこう。
◇◆◇
まず結論から言うと、エキシビジョンマッチのあとに大洗女子学園の廃校が知らされたあの夜、俺は寝る暇がなかった。
納得いかないとはいえ、一時的にでも学園艦から追い出されてしまうのは事実。何はともあれ西住ちゃんたちの衣食住、の辺りは学校がどうにかするだろうから、俺は戦車をどうにかする算段に手を付けた。
明日の総員退艦時に戦車まで持ち出すということは、さすがに難しい。まして、戦車道チームは全国優勝で学園艦の存続を勝ち取ることができるとほのめかされたうえでのこの所業。順当にキレて戦車で学園艦に籠城、などということを避けるためにも取り上げられる可能性は極めて高い。
「あ、もしもしケイさん? そうそう、店長。……あ、話は聞いてる? ……もうサンダースを出発した!? C-5Mで!? 空中給油とか大丈夫なの!? ……それは、こっちに任せてくれるかな。すぐにランデブーポイントを連絡するから、そのままこっちへ来てください」
そんなわけで、こんなに急な話でも輸送機を出してくれるかもしれないサンダースのケイさんに連絡してみたらなんとすでに大洗女子学園廃艦の情報を受けて輸送機で文字通り飛んできてくれているらしい。
とはいえあまりに急いでのことだったので補給の算段も付いてないらしく、そこはうちで何とかすることに。電話をしながらPCで姉さんにメールを送って、空中給油機を手配してもらう。
「夜分遅くにすいません大洗女子学園商店会のみなさん! いまから大洗女子学園の校庭にサンダース大付属の輸送機が来て、戦車を預かってくれることになってます! ついてはトラック並べてヘッドライトで滑走路替わりの位置を示す照明にするんで、手伝ってくれませんか!」
「なにぃ!? 戦車、助かるのか!?」
「あなた、家のことはいいから今すぐ行ってきて。……大洗女子学園の、あの子たちの戦車を守ってあげて」
「よっしゃ、任せろ! ここにいない奴らにも声かけろ! 急ぐぞ!」
その電話が終わるなり閑散とした商店の間を突っ走って寄合所に駆け込み、そこにいた人たちに助力を請う。これから大洗に来てくれるのはC-5Mスーパーギャラクシー。そんじょそこらの道路を滑走路替わりにするわけにはいかない大型輸送機で、しかも今は日もとっぷり暮れた夜。校庭に直接乗り付けてもらうにしても、何とかして着陸地点を照らさなければならないがあいにく大洗女子学園の校庭にナイター設備はない。こういう時は人海戦術に頼るのが一番だ。
若輩の俺の言葉ではあるが、なにせことがこと。学園艦の未来を救ってくれた戦車道チームのためならば、普段は会議と称した宴会の前哨戦くらいでしか顔を合わせないお歴々もむしろ率先して力を貸してくれることとなった。
そんなこんなで戦車をなんとかケイさんたちに預けることができたものの、俺はいまだ一時たりとて休んでいる暇はない。
大洗女子学園の生徒は転校先の振り分け先が決まるまで分散して生活することになるらしいが、少なくとも現状より快適な生活が保障されるわけもなく、せめて少しでもサポートしなくちゃならない。
幸い俺は主に干しいも限定とはいえ大洗女子学園と取引のあった商店主なので、その立場を利用して物的な面でのサポートをさせていただくとしよう。
「はーいみんなー、生活必需品は仕入れてきたからクラス別に持って行ってねー」
「店長準備いいー」
「ねえ、おやつが半分くらい干しいもなんだけど!?」
「娯楽用にって用意されてる本棚に入ってるのが全部百合マンガなのはなんで!?」
というわけで、夜の内に店から引き揚げた物資と大洗女子学園上の商店の人たちが提供してくれた生活物資の類を大洗女子学園の生徒が分散生活する寄宿先に送る手配をしたり、ついでにちょっと手紙を出したり。
特に、いまにも恐竜の頭が付いた電車が飛んできそうな古い小学校に寝泊まりすることになる西住ちゃんたちは不便も多いだろうから、俺が直接出向いて生活の基盤を整えたりなんかもしておいた。
その後、一応落ち着いたのでケイさんたちに戦車を持ってきてもらって、何とか夜を越した翌日。守るべき風紀を見失ったそど子ちゃんたちがアイデンティティまで見失い、ただの自堕落な女子高生と化してやる気のない出欠を取るのを見届けて、ひとまず俺の仕事が終わったことを確信する。
なにせ、一応とはいえここは大洗女子学園の子たちが生活する場となった。男の俺は場違いだろう。
「あ、あの! 店長さん!」
「西住ちゃん?」
そんなわけでそろそろ引き上げて次に行くかと荷物をまとめていた、その時だ。
西住ちゃんから、声を掛けられたのは。
「その、えーと……ありがとうございます。店長さんがいろいろ用意してくれたおかげで助かったって、みんな言ってました」
「そうかい? それは良かった。少しでも快適に過ごしてもらいたいからねえ」
話をしながら、そういえばと気付く。
昨日の夕方からこっち、あまりにも忙しくて西住ちゃんと話をする時間が作れていなかったことに。だからだろうか、西住ちゃんの様子もどこかぎこちない。
「……」
「……一昨日の、話ってやつかい?」
「あ、う……」
その理由は、エキシビジョンマッチの前日に西住ちゃんが言っていた「話」だったらしい。
試合が終わったあのあと、本来なら西住ちゃんが店に来てくれるはずだった。
だがいまは、店に入れる状態ではない。明日の約束、という当たり前のことさえ奪われたことが今更ながらに突き付けられて、俺は拳を握りしめる。かわいい女の子たちから明日を奪い、笑顔を奪う。まさしく天魔のその所業、必ず悔い改めさせなければならないだろう。
「……ごめんね、西住ちゃん。今は、聞いてあげることができないと思う」
「そ、そうですよね。こんなことになっちゃいましたし……」
西住ちゃんは微笑んだ。
気丈で、まぶしく、尊い笑顔だ。この世で最も美しいものとさえいえる、女の子が誰かのために浮かべる笑顔。
しかしそれは、こらえきれない涙が瞳を濡らしながらではいけない。そんなこと、許せるはずがない。
「……大丈夫だよ、西住ちゃん」
「え……?」
だから、俺はそれを言葉にする。
決意を、覚悟を、そして必ず取り戻すべき、未来を。
「その話は、ちゃんと聞く。また俺の店で、必ず」
「店長、さん……?」
「だから任せて……とは言えないんだけどね。ひょっとしたら、西住ちゃんたちの力を借りることになるかもしれないけど」
正直、既に結構辛かった。
不眠不休で人に連絡を取って、体を動かして荷物を運び、手紙を出して、アポを取ってと働きづめで、さすがに体が重くなってきてはいた。この後の移動時間で少し睡眠をとって、その先にも待ち受けるヘビーなあれこれに備えなければいけないと思っていた。
だけど、そんな疲れは全て吹っ飛んだ。
大洗女子学園の廃校を阻み、戦車道に邁進し、多くの女の子のあこがれとなった西住ちゃんの笑顔を取り戻すためなら、いまの俺はなんだってできるに違いない。
「そのために、ちょっと行ってくるよ。だから西住ちゃんはみんなのことをよろしく。……お願い、出来るかな」
「……はい、がんばります! だから、全部終わったら私の話も聞いてください。また、あのお店で」
忘れるはずもない頑張る意味。
それを再びこの胸に強く刻んでくれた西住ちゃんの期待、必ず応えなければ。
そんな決意を背に、俺は大量の荷物を持って大洗女子学園の一部生徒が起居する小学校跡を発ったのだった。
「杏ちゃん、これ持って行って」
「人がこっそり出かけようとしてるところを狙いすましたように現れたと思ったら……なに、その両手に肘まで使って大量に持ってる紙袋」
「お土産だよ。主に干しいも。……お土産だからね? 配るためのものだからね? 一人で食べちゃダメだよ?」
「もう、やだなあ店長。私がそんなことするわけないでしょ?」
「瞳の中に干しいも映ってるよ杏ちゃん」
ちなみに、その荷物の大半は時を同じくして出かけようとしていた杏ちゃんに持っていってもらうためのお土産であったりする。……杏ちゃんの行き先がわからなかったから直接渡しに来たんだけど、やっぱり宿泊先を聞いて郵送した方がよかったかなと、早速締まりのない笑顔で紙袋の中を覗き込む杏ちゃんを見て不安に思うのだった。
◇◆◇
「とまあ、そんな感じで大洗女子学園の生徒たちはひとまず落ち着けたようです」
「それはよかったですわ。みほさんたちのこと、聖グロリアーナの戦車道チームのメンバーも心配していましたのよ?」
いきなり本題に入るのは優雅ではない。
戦車道に限らず「何事もエレガントに」を信条とする聖グロリアーナの流儀に従い、お招きにあずかってしばらくはダージリンさんたちとの他愛のない雑談に興じた。
……いやまあそんな余裕でいられるわけないんですけどね! こんな夢のような状況、戦車道ファンに興奮するなって方が無理だよ! ああああ目の前でダージリンさんとアッサムさんとオレンジペコちゃんが紅茶飲んでる! それだけでなんかもう昇天しそうなくらい幸せだなオイ!
……と、我を忘れかけてはいるが、目的そのものまで忘れるわけにはいかない。
今日こうしてダージリンさんたちと話す機会を得たのは、何も俺の戦車道ファンにして百合好きとしての興味を満たすためではないのだからして。
「……ところで、そちらの方は聖グロリアーナの先生ですか?」
「ええ。我が校の戦車道を監督していただいている、ヤン先生です」
でも、そうだとわかっていてもなお見過ごせない方がおひとり。
「……あれ!? ブランデーこれだけ!? だ、ダージリン……」
「もうおしまいです」
「そんな!?」
その人こそ、最初からこのお茶会に同席している明らかに聖グロリアーナの生徒ではない、なんか眠そうな目をした大人の女性。ダージリンさんに曰く、ヤン先生であった。
「うぅ、アールグレイのころは入れ放題だったのに……」
「だからこそ、です。アールグレイお姉さまは、引退の間際に聖グロリアーナの戦車道とヤン先生のブランデーの量を控えることをわたくしに託されたのですから。『ブランデー入りの紅茶作戦』を得意とした手前諫められなかった、と涙ながらに訴えられたんですのよ?」
なんかダージリンさんにたしなめられて涙目になってるこの人、実は有名人であったりするんじゃなかろうか。
「あの、つかぬ事を窺いますが……ひょっとして、ヤン先生は『魔術師』ヤンさんですか?」
「ひぐぅ!? わ、私の黒歴史を知っている人がここにも!?」
やっぱり!
聖グロリアーナ戦車道の全国大会における最高成績、準優勝を果たしたときの指揮官、『魔術師』ヤンさんだ!
「聖グロリアーナの生徒だったのは知ってましたけど、母校で教師を、しかも戦車道の監督をしていたんですね……お会いできて、光栄です」
「いや、まあ監督と言ってもほとんど生徒任せなんで……あまりその辺は触れないでもらえると嬉しいです」
よく見れば現役時代の面影がばっちりあるその顔、黒森峰女学園の全国大会連覇が始まったばかりのころ、早くもその記録に土をつける寸前まで行った名采配。今も思い出せるあの試合の立役者に会えるなんて……!
……本当に、大洗女子学園のことがなければもっとゆっくり話を聞かせてもらえたのにと思うと悔しくてならない。
「いろいろ話をさせてもらいたいことは多いですが……改めて、ありがとうございます。お話を聞いてもらえたらと思ってはいましたが、こうして直接会う時間を作ってくれたこと、いくら感謝しても足りません」
「いえいえ、お気になさらず。ローズヒップたっての頼みですもの。……それにしても、ローズヒップも隅に置けないわ。殿方と連絡を取り合っていた、なんて」
そう、俺の目的は、こうしてダージリンさんと話をすること。
戦車道に関してのあれこれや、彼女が聖グロリアーナでどんな学生生活を送っているかも極めて興味深い所ではあるのだが、今はそれよりも優先しなければならないことがある。その辺は今度またじっくり聞ける機会があったらいいなあ!
「あー、ローズヒップの名誉のために言っておきますが、確かに連絡はしていますが電話番号を交換したわけではありません。今回のことをローズヒップにお願いしたのも、普段からやってる文通ですし」
「文通」
「すごいですよね。どういうわけか、手紙を出すと翌日には返事が来ます」
「翌日」
ダージリンさんの目がどんどん丸くなっていく。これ、ひょっとして聖グロリアーナの生徒でもそうは見られないレアな現象なんじゃなかろうか。
「それで、こうしてダージリンさんと話す機会を作ってもらったわけです。いやあ、さすがローズヒップは仕事が速いです。……ところで、この場にローズヒップは呼ばないんですか?」
「お客様の前ですから。あの子にこういったことを任せるのは、もう少し優雅を覚えてからにしてもらおうと考えてますの」
にっこりと、ローズヒップはいまだ足らずとばっさり切って捨てるダージリンさん。
だが、「もう少し」と言った。
エキシビジョンでのこととはいえローズヒップにほぼ自由裁量権まで与えたあたり、しっかり期待はしているんだろう。
ローズヒップとやり取りしている手紙の中で、拙い語彙を尽くして毎回必ず誉めそやされる聖グロリアーナの隊長、ダージリンさん。リアリストで視点が高く、そしてとても優しい人であるようだった。
「それで、お話というのは大洗女子学園の今後に関してでよろしくて? 我が校の校長先生も、いざとなったら大洗女子学園の生徒を多数受け入れることに賛成してくれていますわ」
「……特に、戦車道チームのメンバーなら?」
「うふふ」
そして、いかにも聖グロリアーナらしいそろばん勘定が得意と見える。
「もちろん、最終最後となったらそれが一番穏当な落としどころだと思います。……でも、大洗はまだ諦めていません」
「でしょうね。わたくしたちが生まれる前に途絶えた戦車道を復活させて、全国大気で優勝してのけてまで存続を勝ち取ったのですもの。この程度のことでへこたれるとは思っていませんわ」
しかもそうやって自分たちの利益を最大限に見越したうえで、しっかりと現実も見ている。
西住ちゃんが負け越しているはずだ。戦車道はもとより、交渉の上でもタフな相手に過ぎる。
「なので、その件に関しての協力を……と言いたいところなんですが、実はまだ何も決まってないんですよ」
「あら、そうですの?」
それなのに、手札空っぽってどういうことなんですかね!
「現在、大洗女子学園の生徒会長……ヘッツァーに乗ってるカメさんチームの車長と言った方が分かりやすいですか。その子が廃校撤回のために動いています。ただ、状況が状況なのでどう転ぶか全くわからないというのが正直なところです」
そう、杏ちゃんが奔走していることは知っているけど、実のところその結果はまだ何一つ出ていなかったりする。
必要になるだろうからとお土産を渡したときに聞いた話では、まず文部科学省の役人を問い詰めてから、必要なら戦車道連盟なんかとも話をすると言っていたけどさて今この瞬間どこにいて誰と話をしているのか、そこまでは把握できていなかったりする。
「いやもう、ほんと申し訳ないです。わざわざ時間取ってもらったのに御覧の有様で……でも大洗女子学園は本当にもう時間がなくて……!」
「あ、いえ。そんなマジ泣きされるほどのことでは」
とはいえ、そんな見切り発車でもとにかく動くしかなかった俺を許してほしい。
杏ちゃんたちの頑張りと、姉さんの遅延工作。その二つが合わさってさえ、大洗女子学園の命脈が後どれだけ続くのかはいまいち読めないのだからして。
「『配られたカードで勝負するしかないのさ』って言葉もありますが、実はまだ手札が配られてすらいません。都合よく初手エグゾになってくれたりしないものか」
「スヌーピーですね。それと後半は65万8008分の1って意味ですね」
「……おやりになるわね」
「どこで張り合ってるんですか、ダージリン」
だから、それこそどんな手札が配られても動けるように、事前の準備が必要なわけだ。
「とまあ、そんな状況なわけで具体的なことを言えるわけではないんですが……もし大洗女子学園存続の道が開けたとき、どうか力を貸してもらいたいんです。あくまで予想に過ぎませんが、改めて大洗女子学園の存続を賭けた戦車道の試合が行われるんじゃないかと思ってます」
「その可能性は高いですわね。古来、この国では『おい、戦車道しろよ』という言葉で大体片付いてきましたから」
「ダージリン様、それ格言じゃないです」
そしてそんなとき頼りになるのは、大洗女子学園と関係のある人たちの中にたくさんいて、中でもダージリンさんはその筆頭だ。
当人の優秀さや行動力はもとより、何より特筆すべきはその戦略的な行動の全て。
全国大会の時は準決勝前にプラウダ高校を焚き付け、最近はあちこちタンカスロンの試合会場に赴いて暗躍しているとかなんとか。それだけの行動力と盤外戦術を厭わないダージリンさんなら、こういうタイミングで話を持ち掛けるのに最適だ。
「でも、少し意外でしたわ。あなたほどの人なら、みほさんたちの強さを誰より信じていると思いましたけど」
「……ええ、もちろん信じていますよ。でも、それとこれとは別の話です」
理由をお聞きしても?
そう問いかけてくるダージリンさんを前に、背筋がゾクリと冷えた。
ここだ。
ここからが、本番だ。
何が変わったわけでもなく、優雅にほほ笑むダージリンさん。だがふと雲が太陽の前をよぎったか、うっすらと差し込んだ影に覆われたダージリンさんの片目がドロリと濁った英国面を一瞬見せたような。
さっきまでの軽い雑談とは明らかに違う、交渉のテーブルに今まさについたと、そういうことだろう。
ダージリンさんほどの人が、合理的な利益だけで動くとは思えない。大洗女子学園が、そして話を持ち掛けた俺が信じて助力するに足るかどうかを見極めるための問いが始まったのだと確信する。
「……西住ちゃんは、おそらく現役の高校戦車道界屈指の指揮官で、戦術家です。そして大洗女子学園の戦車道チームはその指揮と願いに応えることができます。それは、全国大会でも証明されたことです」
「ええ、そうね。さすがみほさんだわ。さすみほ」
「ダージリン様、その言葉流行らせようとしないでくださいね?」
異論反論のない肯定は、続きを促す合図だろう。
よかった。ここは聖グロリアーナだけに、俺みたいなやつはいつ「無礼者!」とか言われて叩き出されるんじゃないかとひやひやしてるんだよね、うん。
「もし、もう一度黒森峰と全国大会の決勝を戦えと言われても、西住ちゃんたちはきっと勝ちます。仮にダージリンさん率いる聖グロリアーナの決勝編成が相手だとしても、今度こそ勝ってくれる。少なくとも大洗女子学園の関係者はみんなそう信じています」
「うふふ……」
紅茶を一口飲みながら、こっちを見つめるダージリンさん。笑い声をこぼしているが、その目は全く笑っていない。
だが、怯んでなどいられない。海千山千の英国面を相手にしたとしても、きっと杏ちゃんは今の俺以上に辛い交渉をしているし、西住ちゃんたちが明日をも知れぬ不安な夜を過ごすことを思えば、そっちの方が100倍辛い。
「でもそれなら、わざわざわたくしたちに話を通す必要もないのではなくて? みほさんなら、あなたの言う通り成し遂げるでしょう」
「ええ、そうです。……それが、戦車道であるならば、の話ですが」
だから、あるはずのない手札を切ろう。
「誤解のないようお願いします。もし仮にどこか強力な戦車道チームに勝つことが大洗女子学園の存続に掲げられたとしても、打倒するべきは対戦相手ではありません。……今回の廃校の糸を引いている、文科省の役人です」
「お役人……アッサム」
「データによると学園艦教育局長、辻廉太氏ですね」
「そうそう、その方だったわね」
さすが、というべきか。そのあたりの事情を背景にまで踏み込んで理解しているあたり、この話を持ってきた甲斐がある。
「結論から言いましょう。大洗女子学園の存続が戦車道の試合での勝利となった場合、大洗女子学園は絶対に勝てません」
「あら、言い切りますの」
言い切りますとも。
西住ちゃんたち大洗女子学園の戦車道チームがいてもなお、杏ちゃんが必死の交渉をしてもなお、俺なんかが動かなきゃいけない理由はそこにあるんだから。
「断言できます。西住ちゃんたちなら黒森峰だろうが聖グロリアーナだろうが大学選抜チームにだろうが、勝てる可能性はあります。でも、本当に戦うべき相手の役人は大人で、大人の武器は『ルール』です。……考えてみてください。黒森峰なり聖グロリアーナなりの決勝編成を相手に、もしも殲滅戦のルールを提示されたら。大洗女子学園に、勝ちの目はありますか?」
「……ありませんわね。フラッグ戦なら戦力差はあっても逆転の可能性はありますが、殲滅戦なら数の差はそう埋められません。いくらみほさんでも、我が校のチームの全戦力を倒しきることはさすがにできないでしょう」
そう、何より重要視するべきは本当の敵。
誰より大洗女子学園を廃校にしたがっている、学園艦教育局長。その人物がこの一件に関わってくるとするならば、ルールに対して干渉するのが一番手っ取り早い。
ぶっちゃけとんでもない卑怯千万な所業だが、生徒のみならず学園艦上の住民にまで即退艦を通達するような手合いが、いまさらその程度のことで躊躇するとはどう考えても思えない。
そういう意味では、あいつにはやると言ったらやる「スゴ味」がある。
「なるほど、そこでわたくしたちに助力を、と」
「その通りです。……まあ、そういう話になるかどうか、今の段階では何とも言えないんですが」
そして、それならそれでこっちも手段を選ばないだけのこと。
大洗女子学園に戦力が足りないというのなら、別のところから持ってくればいい。
「ちなみに、大洗女子学園の校長先生には話を付けてありますんで、いざとなったら皆さんに短期転校してもらって一時的に大洗女子学園の生徒ってことになってもらうと思います。その方が、諸々都合がいいでしょう?」
「あら、気が利きますわね。……いいですわ。もしもの時は、その提案お受けしましょう」
「本当ですか……! ありがとうございます!」
聖グロリアーナに来たのと、これから他の学園艦も巡る予定なのはそれが目的だ。
俺はあくまで一部外者。戦車道の試合が始まってしまえば応援以外にできることもないのなら、始まる前にできることは全部やる。やらねばならないんだ。
「……ですが、短期とはいえ転校となるからには当然我が校の校長先生ともお話しをしていただく必要がありますね。アポイントメントは取ってありますので、どうぞ行ってきてください」
「えっ」
「ご案内します。こちらです」
「えっ。……えっ」
……やらねばならないんだ!
たとえそれが、なんか金髪褐色メガネで葉巻咥えた、女帝みたいな声の校長先生との交渉をする羽目になったとしても!
「ほう、戦車道で力を貸してほしい、と」
「アッハイ。まだ確定ってわけじゃないんですが……」
「構わんよ。我が校の戦車道は騎士道精神を重んじているからな。ダージリンたちは騎士道大原則の通り困っている者は見捨てんさ。それに、私自身戦車道には縁がある。中学校の生徒会長をしていたころの話だが、奴らは今どうしているか……」
目を細めて、青春時代の思い出に心を飛ばす聖グロリアーナの校長先生。
あの、そろそろ現実に帰ってきてくれないでしょうか。校長先生の後ろに控えてる赤いコートのお兄さんがめっちゃくちゃ怖いんですが!
◇◆◇
そんなこんなで、聖グロリアーナとの交渉は何とかなった。
いや、中々にタフなネゴシエーションだったんだけどね? 聖グロリアーナは大洗女子学園の状況に対して同情的な立場から協力を惜しまないことを約束してくれたんだけど……それこそ、いざとなったら戦車道チームのメンバーを丸ごと聖グロリアーナで受け入れるとまで言ってくれた。どう見ても戦力増強のヘッドハンティングです本当にありがとうございましたこの英国面め!
そんなわけで、ひとまずその辺の話は抜きにして直近の動きのことだけを相談させていただいて、何とか面倒な言質を取られる前に聖グロリアーナをあとにすることに成功した。途中から逃げる算段ばかり付けてた気がするのはなぜだろう……。
ともあれ、これだけで終わるわけにはいかない。
聖グロリアーナの協力を取り付けられたのはとても心強いことだけど、それだけで十分だとは残念ながら言えないのだ。戦力として見ればその助力は百人力でも、あくまで数ある学園艦の中の1校。
状況を覆すために必要なのは勝利だけではなく、その勝利を二度と反故にできないようにするだけの、多くの人の声が必要になる。
一昨日のエキシビジョンでミカが言った言葉の通り。「戦車道は数」なのだから。
◇◆◇
「というわけで、知波単学園の皆さん、大洗女子学園をよろしくおねがいします! あいさつ代わりにお米持ってきたんでどうぞ! 茨城県産の美味しいお米ですよ!」
「ふおおおおおお!? 隊長殿、銀シャリ、銀シャリであります!」
「くうぅ!? こ、これは……逆らえない! 元々大洗女子学園のためなら助力を惜しまないつもりでしたが、これはああああ!」
聖グロリアーナ女学院を出たその足で知波単学園に米俵をお土産にして向かったり。
「ペパロニ、オリーブオイル取ってくれ」
「はいッス! くーっ、急に兄貴が来たときは何かと思ったけど、久々にアニキのパスタ食えるなんて嬉しいッス! ねえドゥーチェ!」
「ああ、店長の作るパスタの腕はペパロニ並みだからな。ワクワクもんだー!」
「ドゥーチェ、それ多分どちらかというと私が言った方がいいセリフです」
アンツィオ高校に乗り込んで、なんか以前使ってた屋台が残ってたんでそれを引っ張り出してきてアンツィオの生徒たちにパスタを振る舞いつつ話をつけたり。
「ついにやってきたわに! 戦車道の名門、黒森峰女学園!」
「いきなり何言ってるのよこの人は……はっ倒すわよ!?」
「おや、エリカさんお久しぶりです。これはここに来る途中に寄ったバナナワニ園で買ってきたおみやげのバナナワニぬいぐるみです、どうぞ。……ところで、隊長さんいません?」
「隊長は今帰省中よ……! あなたも帰省させてあげようかしら、地獄の底まで……!」
黒森峰につくなり、偶然出くわしたエリカさんにめっちゃキレられたり。
「なるほど、大洗女子学園の存続のための助力を求めている、と。いいだろう、我が校は協力を惜しまない」
「えっ、そんなあっさり、いいんですか? もちろんこちらでも可能な限りの支援はさせていただきますが、いろいろ難しいのでは」
「任せたまえ。私ならばできる。なぜなら私は、サンダース大付属高校校長だからだ!」
サンダース大付属の校長先生がテンション高く協力を快諾してくれたり。
「探したぞ、ミカ。ほら、うちの店で扱ってる干しいも。よかったらみんなで食べてくれ」
「わざわざ私たちを探しに来る意味はあるのかい?」
「わーい、店長さんありがとうございます!」
「おっ、美味いじゃんこれ! 日持ちもしそうだし、こりゃいいや」
「……聞いてくれないかな?」
どことも知れぬ山の中で野宿していたミカたちのところに、先日再会したときは渡せなかったうちの店自慢の干しいもを持って行って餌付けしたり。
「よく来たわね店長! 我が校の校長がお待ちよ! 失礼があるとカチューシャでさえタイ辺りのめちゃくちゃ怖い港町に放り出されるから気をつけなさい。マジで」
「大丈夫です。同志バララ……げふんげふん、校長先生は赤いスーツと軍用コートを羽織った姿が似合う、葉巻の香りがする素敵なお方です」
「今すぐ回れ右して帰りたい……!」
プラウダ高校で、シベリア以上の寒気に襲われたり。
なんだかんだで大洗から時計回りに日本列島をほとんど一周するような旅路。
忙しく、それぞれの学園艦の滞在時間なんてほんの僅か。もっと余裕があれば各校の戦車道を見学させてもらいたいくらいだったんだけど、今は大洗女子学園の存続が掛かっていてそれどころじゃなかったのが辛い所だ。
『――そんなわけで、大洗女子学園が廃校になるかどうかは今度こそ戦車道の試合で決めることになったよ』
「相手は大学選抜……厳しい戦いだね」
それでも、事態は少しずつ進展している。
杏ちゃんが戦車道連盟や西住流まで巻き込んで文部科学省を動かし、最後のチャンスを勝ち取った。相手の大学選抜はちょっとアレな試合だったとはいえ社会人チームにさえ勝ったことのある猛者。
見方によっては黒森峰との全国大会決勝以上に厳しい戦いで、しかも相手の隊長は島田流後継者、島田愛里寿。戦車道関係で聞かれる噂だけでもとんでもない強さだというメンバーだ。
『しかも、相手は30輌だからねえ。……それでも、何とかしてみるよ。それより店長今どこ? 試合は北海道だけど、来るよね?』
「もちろん。必ず応援に行くよ。……ちょっと今はやることがあって試合会場への到着はギリギリになるかもしれないけど、絶対に駆け付けるから。じゃあ、また試合のときに」
杏ちゃんからの電話を切って、息を吐く。
試合会場は北海道。日本の最果てで、行くだけでも大変だ。
しかも試合開始までの時間的猶予はほとんどなく、これからやるべきこと、差配するべきあれこれを思うだけで眩暈がしてくる。
だが、それでも俺は笑っている。牙をむくように唇を釣り上げて、北の空を睨む。
戦車道を行く少女たちの神聖な試合、決して無粋な邪魔など入れさせはしない。それこそが、俺の戦いなのだから。
大洗女子学園の興廃を賭けた最後の試合。
その試合に至るまでの俺の戦いもまた、ついに最後の時を迎えようとしていた。
「もしもし、ダージリンさん。大洗女子学園の試合が決まりました。場所は北海道。詳しい情報はメールで送ります」
『ありがとうございます、店長さん。こちらからの連絡は届いていて?』
「……あの、なんで制服のサイズ情報がこんなに? 大洗女子の制服用意しろってことだと思いますけど、どうやって調べたんですか」
『みんな着てみたかったんだって』
だから、今日も一日がんばるぞい。
たとえ、この期に及んで数十名の女子制服の用意なんて余計な仕事が増えたとしても!
くそう、何があっても試合前にはきっちり眠ってしっかりばっちり観戦してやるからな!