マサラタウンノ・サトシ。レッドは昔、その名を幼い頃に聞いたことがあった。
それは彼が五歳ぐらいの頃だったろうか。いつか母親が読み聞かせてくれた本の中に、全く同じ名前の人物が登場したことがあったのだ。
その本のタイトルは「目指せポケモンマスター!」。最初は十歳の男の子がポケモンマスターを目指す、王道的な冒険物語だった気がする。
そう、最初は、である。
実はその本、全部で100巻以上もある超大作なのだ。
特に印象的だったのは物語の終盤である。冒険を始めてから十年以上経過しているにも関わらず、いつまで経っても自分の年齢が十歳のままなことに違和感を感じた主人公「マサラタウンノ・サトシ」が、人知れず時間を停止させ、人類の成長を阻害することで世界征服を謀っていた物語のラスボス「時間の神」の存在にたどり着いた――という話だった。
今にして思えば、五歳児に読み聞かせる本にしては随分怖かったなぁと思う。
後で知ったことだが、これらは全て空想上の話ではなく、太古の時代に起こった実話を基にして作られた物語らしい。
これからレッドが会いに行く人物は、まさしくその主人公「マサラタウンノ・サトシ」その人であろう。
相手は本に名を遺すほどの偉人である。いかに「生きる伝説」と称されたレッドと言えど、その対面の瞬間には緊張を禁じ得ないだろう――と思ったが、そんなことはなかった。彼はいつも通り飄々とした態度をしており、呆れるほどの図太さだった。
――マサラタウン、西の森――。
密林に覆われたその場所は、事前情報通り人間もポケモンも存在していなかった。
噂通り、多くの謎に包まれた森のようだ。レッドは観光気分で辺りを見回しながら、「神の森」とも言われているこの森にそんな感想を抱いた。
「そう言えば、森のどこに眠っているのか聞いてなかったなぁ」
―― そのまま真っ直ぐに行けば良い。それだけで英雄は目覚める。 ――
「お、ナイスなタイミング。ありがとうございます」
英雄の封印を解くと言えば、その場所に何らかの特別なアイテムを持ち込んだり、神聖な儀式を行うだとかを連想するが、この神のお告げによればそんなものは必要無いらしい。
封印を解くには、ただレッドがその場所に行くだけで良い。拍子抜けするほど簡単な方法だった。
そしてレッドが森の中に入ってから数十分後、彼は無事にそれらしい場所にたどり着いた。
そこは、一目でわかる場所だった。
周囲を隙間なく木々が囲んでいる中で、そこだけは何も無い広間になっている。平坦な地面には、直径五メートルに及ぶモンスターボールの絵画が描かれていた。
レッドがその正面まで移動した瞬間、絵画は突如として目映い光を放った。
神秘的な光に包まれたその場所に、先まで居なかった人影が出現する。レッドはその光景を、瞬き一つせず眺めていた。
程なくして光が消えていくと、その人影の姿をはっきりと視認することが出来た。
思っていたよりも、随分小さい。身長は百四十センチ程度で、姿は十歳の少年のように見える。
レッドの被っている物によく似た赤い帽子を被っており、特徴的なヘアースタイルが左右に伸びている。
その右肩には今のレッドと同じように、一匹のピカチュウを乗せていた。
地面に描かれたモンスターボールの絵画の上に佇む彼は、ゆっくりと目を開ける。
「俺、マサラタウンノ・サトシ」
開口一番、レッドの姿を目にした彼が自らの名を名乗った。
やがて訪れる世界の危機の為に封印されていた「四英雄」の一人――マサラタウンノ・サトシ。この少年こそが、その人物だった。
レッドは今まで、数々の人間を見てきた。その経験から、レッドは一目見ただけでその者の力量をある程度見極めることが出来た。
その目が、即座に確信を持って見極める。
この少年は、レッドが今まで見てきた人間の中で、誰よりも強い力を持っていると。
「マサラタウンノ・サトシさん。僕はピクシヴ・レッドと申します。神様からお告げを受け、あなた方四人の封印を解きに参りました」
「おお、ありがとう。ってことは、やっとこの時が来たってことかぁ……長かったなあ、ピカチュウ」
「ぴかぴか」
見た目は十歳の少年だが、実年齢はレッドとは比較にならないほど高齢の可能性がある。故にレッドは似合わない敬語を使って話したが、別段彼は言葉遣いに関しては気にしていないようだった。
「レッド君だっけ? 普通に話していいよ。俺も俺以外の三人も、あんまりかたっ苦しいのは苦手なんだ」
「そうですか。じゃあマサラタウンノさん、目覚めて早々ですみませんが、一つ頼んでも良いですか?」
「ん、なに?」
その腕に抱いたピカチュウと戯れながら、マサラタウンノはレッドの言葉に耳を傾ける。
レッドの頼み――それは、神から四英雄の話を聞かされた時からずっと考えていたことだった。
ふっと口元を緩め、マサラタウンノの目を見据える。そしてレッドは、言った。
「バトルしようぜ!!」
「OK!!」
彼のたった一つの頼みに、マサラタウンノが脊髄反射の如く刹那に応じる。この瞬間、レッドのテンションは一瞬にして最高潮に達した。
「よっしゃあ! みんな出てこーいっ!」
興奮して、レッドは懐にある全てのモンスターボールを解き放った。
エーフィ。
ラプラス。
フシギバナ。
カメックス。
リザードン。
その五匹に元々出していたピカチュウを加え、計六体。これが、現在のレッドの手持ちポケモンだった。
そうそうたる顔ぶれに並々ならぬ実力を感じ取ったのか、マサラタウンノの唇が喜悦に歪む。
そして彼もまた、レッドに対抗するように五個のモンスターボールを繰り出した。
「ポケモン、君達に決めた!」
カビゴン。
リザードン。
ジュカイン。
ゴウカザル。
キングラー。
そして、ピカチュウ。これがマサラタウンノ・サトシの手持ちポケモンである。
英雄のポケモンという肩書きに相応しく、その姿から感じるエナジーは凄まじい。
かつてない戦いが始まることを確信し、レッドは武者震いした。
お互いに六体のポケモンを繰り出した二人は、身構えた体勢のまましばし睨み合う。
そして二十秒後、二人は動いた。
「ちゃっ!!」
ガッ――という重い衝撃音を鳴り響かせ、それによって発生した衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒す。
他の視点からは、この時何が起こったのかわからなかっただろう。マサラタウンノの姿が幽霊のように掻き消えたと思えば、次の瞬間、彼の拳がレッドの左腕に叩き込まれていたのだ。
「うおらっ!」
その拳を受けたレッドはお返しとばかりに左足を横薙ぎに払い、マサラタウンノの腹部を狙う。
それに対しマサラタウンノは素早い反応で左手と右膝を立て、レッドの蹴りを防いでみせる。
攻撃を防いだ次は反撃と流れるような動作でマサラタウンノが左足を振るうが、レッドには通用しなかった。レッドはその足を掴むと、相手の力を利用するようにして彼の身体を思い切り投げ飛ばした。
しかし、マサラタウンノの背中に土がつくことはない。投げ飛ばされた彼は空中でクルッと一回転するとこともなげに着地し、すかさず反撃に出てきた。
マサラタウンノが地を蹴り、拳を突き出してくる。それを回避すべく、レッドは空高々く跳躍した。拳を避けられたマサラタウンノだが、彼もまた同じ高さまで跳躍し、レッドを追いかけてきた。
「あたたたたたたたたたたたたたたたっっ!!」
「おらおらおらおらおらおらおらおらっっ!!」
戦いの舞台を空中に移した二人はそれぞれ殴る蹴るのラッシュを浴びせ合うと、幾度も凄まじい衝撃音を響かせては大気を揺らしていった。
その空中戦はどちらも譲らず、やがて二人は重力に従って降下していく。
着地は、レッドの方が早かった。レッドは「とう!」と声を上げると、その身体を
「影分身かっ!!」
八人のレッドに囲まれたマサラタウンノが、即座にその奇怪な現象を見破る。
「そこだぁっ!!」
マサラタウンノは素早く後方を振り向くと、一片の迷いもなく背後のレッドを蹴り飛ばした。
吹っ飛ばされたレッドが、二人の戦いを見守っていたギャラリーの一匹であるカメックスに受け止められる。
口元から垂れてきた鮮血を袖で拭いながら、レッドは笑った。
「なるほど……貴方も波動の使い手だったか」
「君もか!」
生物の誰もが持つ「波動」を感じることで、視覚に頼ることなく敵の動きを掴むことが出来る。そんな芸当が可能な「波動の使い手」には、影分身などもはや目くらましにもならないのだ。
レッドは改めてマサラタウンノのことを強敵として認識する。そして、その瞬間こそが最高に嬉しかった。
改めて彼になら、シロガネ山での修行の成果を試すことが出来ると確信したのだ。
「強い! でも、この上を期待しても良いよね?」
「もちろんです。まだ僕は、実力の半分も出していません」
彼もレッドも、まだ全力ではない。本当の戦いはこれからだった。
「な、なに!? なら俺はその倍強いぜ!」
「うぬ!? ……間違えた。10%ぐらいでしたね!」
「ははははは! 言っとくけど俺は、身体に反動が来るけど飛躍的にパワーアップする術を使えるぜ?」
「ぼ、僕だって使えますよ!」
「俺は追い詰められると秘められた力が覚醒する!」
「僕も特殊な種族の血を引いていて、ピンチになるとその血が力をもたらします!」
「この覚悟で過去を断ち切ることで、無意識に押さえ込んでいた力が解放される!」
「愛する人の想いが僕を何度でも立ち上がらせます!」
「ぐぬぬ……!」
「むむむ……!」
OSRポイント・チャージ完了。
レッドとマサラタウンノは、遂に真の力を解放する!
「来い! ピカチュウッ!!」
二人の戦いを見守っていたポケモン達の方へ目を向けると、レッドはその中から長年のパートナーであるピカチュウを呼び寄せた。
四足歩行で走ってくるそのピカチュウに向かって、レッドは猛スピードで突っ込んでいく。
「BURST!!」
それは、暗黒の歴史として葬られた禁断の秘術だった。
レッドとピカチュウが交錯した瞬間、黄金色の光の爆発が、瞬間的にこの森を支配した。
そして、その光の中から、新たな戦士が誕生した!
「古代サンデー地方の黒秘術、バーストか。久しぶりに聞いたな、その名前」
マサラタウンノはその戦士の姿を、感心げに見つめる。
愛くるしいつぶらな瞳に、ウサギのような細く長い耳。頬の色は赤く、その顔は愛玩動物のようにとても可愛らしかった。
――ただし、八頭身である。
二の腕は元のレッドの三倍はあろうかという太さであり、上半身では八段に割れた猛々しい筋肉が、ボディービルダーも真っ青な肉体美を披露している。
下半身も露出が激しく海水パンツのような黒い布に覆われているだけであり、ムッキムキな生足がどっしりと大地を踏みしめていた。
全身の色は、真っ黄色――それは、ピカチュウとゴーリキーを無理矢理合体させたような、見るもおぞましい姿だった。
「コイツがオレの本気……
獣が唸るような低い声で、ゴリチュウ(仮)が名乗る。
変わり果てたその姿が、誰がレッドだと理解出来ようか。普通の人間ならこれを見た途端に目の前が真っ白になり、地を這ってでも全力で逃げ出していたところである。
だが、マサラタウンノは普通ではなかった。寧ろ今のレッドの姿を見て、彼はさらに嬉しそうにしていた。
「来い! レッドォ!!」
「うおおおおおおおおおおおおっっ!!」
かくして、第二ラウンドが始まった。
ツッコミ不在の恐怖は、まだまだ続く。
続くったら、続く――。