◆◇◆◇◆◇
跳ね上げられた剣を見ることもせず、ノリタカは即座に横へと攻撃を回避した。釧夜が跳ね上げたその剣は、切るはずのなかった空を切る。
「あー、くそ、やっぱ届かないか」
動き、攻撃、共に単純すぎたか、と、手早く釧夜はそれを反省し、次の攻撃へと移る前に、ふと、相手のステータスを思い出していた。
(…そうだ、忘れてたわ)
釧夜が忘れていたこと、それは…
「ここは闘技場、得物は剣のみ。だから…!」
考える暇などないと言うかのように、ノリタカは釧夜へと踏み込み、互いに肉薄する距離まで詰めると剣の切っ先を釧夜の首へと向け、突き立てるように押し込もうとした。
「剣術スキルの、レベル差があるっ!」
実は、ノリタカの本来の武器は剣ではないのだ。
彼はゲーム時代、常に大鎌を使って戦っていた。剣は使うどころか、そのスキルすら持っていない。それとは違い、釧夜の剣術スキルは上位スキル、《聖剣》にまで育っている。技術面では、圧倒的に釧夜の方が上であるはずなのだ。闘技場でしばらく戦わされてはいたようだが、それでもそう簡単に追いつけるほど、スキルのレベル上げというのは容易ではないのだ。
釧夜は剣の側面を腕でいなして、振り上げていた剣を引き戻すように、ノリタカの後頭部を剣の柄で殴りつける。
しかし、その一撃では身体能力が高く、魔人族でも物理寄りな鬼人であるノリタカを、完全に戦闘不能に陥らせることは出来ず、体制を崩すに留まった。
それでいい。時間さえ稼げれば。
釧夜は笑う。
自身の種族である狼族が鬼人族に勝っているところ、それはスピードだ。敏捷というステータスで表されるそれは、狼族が全ての種族のトップクラスに有るステータスだ。それを、釧夜は更に、《俊足》、その上位の《天速》という、敏捷ステータスに上昇補正の大きいスキルで底上げているのだ。開幕は確かに遅れをとっただろう。しかし、自身から攻勢に出るとなれば話は別だ。持ち前のスピードを、技術を全て利用して、目の前の大切な人に一撃を、救いとなるはずの剣を届かせる。
「救ってやる…!俺が、この手でっ!もうあんたのそんな顔、見てらんねえんだよおぉぉっ!!」
悲痛そうに叫んだその瞬間から、釧夜がそれまで以上の速度での戦闘を始めた。周りの全てを置き去りにするほど、疾く、速く。
相手より有利なものがあるのなら、それを最大限に活かせと。
たとえ相手が知り合いでも、愛しい者でも、相手が苦しんでいるのなら、救う為ならば手加減をするなと。
そう釧夜に教えたのは、ノリタカだった。
「行きますよ、師範っ!」
自身が笑っていることにも気付かないまま、しかし頭は冷静に相手を救うことだけを考えて。ちぐはぐな状態の釧夜は、ノリタカへと迫っていった。
◇◆◇◆◇◆
「さて、と…粗方片付け終わったし、もっと奥にベネット居るんだよね?」
既に辺境伯への敬称すら付けていない和玖は、地獄絵図かと見まごう周囲を見渡して、能天気にフレイルの方を向く。
当然フレイルは先程の行為…人を飲み込んでしまう竜を見ていたため一瞬肩を跳ね上げるが、すぐに咳払いで誤魔化し、頷いた。
「じゃあ、行こ!早くしないと、釧夜たちの試合か終わるかもしれないし、奇襲が無意味に…」
「ならねぇよ!?そもそもここ、正面の門だからね!?気付かれてるから、絶対!断言できるわ!」
そんなフレイルの心のこもった有難いようで特に有り難くもない忠告染みた言葉を聞き流し、黎々と和玖はさらに奥へと移動していく。
流石に、ここで置いていかれるのは不味いだろうと判断したフレイルは、当然もう戻ることも出来ないので、仕方ないとでも言うようにため息を吐いて2人を追いかけていく。
「おーい!ベネットぉー!どこにいるー!?天罰を与えに来てやったぞー!」
「おかしい…このノリは絶対におかしい…!!」
「ぐちぐちいってんじゃないわよ。ほらあんたも煽りなさいよ」
「私を前にしてその余裕とは、良い度胸だな…!?」
「「大変、もう着いてた」」
「唐突すぎるだろ!?うわぁ、ベネット辺境伯様、鬼のような形相じゃねーかっ!?」
そんなこんなで、いつの間にか自分たちの目の前に居た丸い肉塊と言えるほどに肥え太ったベネット辺境伯とその護衛隊と、3人は対峙するように武器を構えた。
しかし、そんな3人とは対照的に、ベネットは余裕そうに、隣に居た魔法使いのような男に声をかけている。
「全く、最近の亜人は反抗的でならん…この前の鬼も、珍しい種族だから買ったとはいえ、最初は反抗的だった…まあ、調教を施した今では、夜伽すら従順にこなすようになったがなぁ?」
「えぇ、全くです。ベネット辺境伯様の物となれただけ、奴は有難がっていることでしょう!所詮は亜人、犬のように従順にその機嫌を取ることでしか生きれない者共なのですから!」
それを聞いた和玖と黎々は、とりあえず二人とも怒りより先に出てきた感情があった。
「良かったね」
「うん、ほんと良かった。ここに釧夜連れてきてなくて」
鬼と言うのが釧夜の師範であるノリタカのことであると思い至った2人は、そんな彼が、自分らの前にいる豚と形容するのも烏滸がましいような悪徳代官ならぬ悪徳貴族にその身を汚されていたと聞いて、ある種の戦慄を覚えたのだった。
釧夜は本気でノリタカを崇拝レベルで尊敬しているのだ、そんな彼女がこの事実を聞いてしまったら…と顔を見合わせる。とりあえず、二人の口からは言わないことを目線だけで合意し、
「…苛付く」
「フレイル以下」
「俺基準か!?なあ、レイレイのそれって俺が基準なのか!?」
フレイルを軽く貶してから辺境伯を睨みつけた。
「ふむ、貴様らも見目は良いな…どうだ?そこの亜人2人、今降伏するのなら舞闘奴隷にはしないでおいてやるぞ?その一生を私の玩具として過ごせるのだ、光栄だろう?」
それまでの和玖と黎々の態度を見ていなかったかのように、ベネットの目は、和玖と黎々を舐めるように眺めていた。下卑たことを考えていることが、その辺の気配に疎い和玖と黎々でも分かってしまうくらいに堂々とだ。自分がそれを手に入れられると信じて疑っていないのだろう。
「ふざけんな」
「誰が降伏なんかするか!!」
「チッ、面倒な奴らめ…お前達、奴らを捕らえよ!舞闘奴隷にして、奴ら2人で殺し合わせてやる!!傷くらいつけても構わん、ポーション等いくらでもあるっ!」
その声と共に、騎士のような格好の男が10人、その後ろに魔法使いのような男が4人、和玖と黎々に向けて攻撃を仕掛けてきた。
「身の程を思い知るのはそっちだクズ男共めええええ!!」
「黎々が怒ってるぅー!やばいこわいんだけど!?まあいいや、フレイル、黎々に続けぇー!」
「なんで俺まで突撃しなきゃなんねーんだよぉぉ!!ほんっとお前ら自由奔放過ぎだぁぁぁぁっ!!!」
とりあえずフレイルをまともに扱う気のない2人ではあった。
◆◇◆◇◆◇
「ぜぁあっ!!」
金属同士が擦れる音ではなく、カン、カンと、一瞬打ち合って直ぐに離れていく、そんな軽い音が何度も何度も、数えるのも億劫な程繰り返されていた。
「こ、こっ」
小さな声で、釧夜が呟いた。それは自分にしか聞こえず、対峙している灰銀の鬼人もその声には反応を示さなかった。元より釧夜の声は、彼には届いていないようであったが。
しかし、それは一瞬だった。
釧夜が、自身の最高速度で踏み込み、一気にその距離を詰める。構えた剣は振り抜けるような位置になく、突きを繰り出そうとしているのは傍目でも分かるだろう。…その姿を目で追えていればの話だが。
「終わりだァっ…!」
狙いは、首。その中心を見据えて放たれた、音速に近いその突きは、救うはずの剣にほんの僅かな狂気と明確な殺意を乗せて、繰り出された。
「っ…」
ギィン!
今まででも相当に重い金属音が響いた。軽く当てるなんてそんな軽い音ではない。
そして、その音よりも些か遅れて、自身ではない人間が倒れる音が、やけに鮮明に釧夜へと届いた。
「っ、あ…!」
そこで漸く、釧夜は気付く。自身が相手を殺そうとしていたことに。救うなどという考えをいつの間にか捨て、相手を殺すために剣を振るっていたことに。敬愛していたその人を自身で手に掛けようとして、笑っていたことに。
「しは、ん…師範、しはぁぁんっ!!」
あの一瞬と金属音の間に何があったのか。金属音がしたということは、ノリタカは釧夜の突きを防御という形で避けたはずだ。釧夜にも、人を斬った感覚はなかった。だから、間違っても殺してはいないはず、と、半ば希望的観測にして事実に近いそれを確かにするために、釧夜は突如として意識を失い倒れたノリタカへと駆け寄って行く。
「…!よ、かっ、たあ…」
近寄って見えたのは、釧夜の最高速度の突きが僅かに逸らされ、しかし完璧に回避することも叶わず、ノリタカのその首にある、奴隷である証拠としての首輪の左側が裂けて外れていたという偶然だった。
偶然でも、目的は果たせた。無意識に釧夜は涙を流していた。涙を流しながら、敬愛する人の体に傷が付いていないかを確認しようとし、すぐに目を細めた。
「…あぁ、これ…」
ノリタカの首に巻かれているネクタイだ。奴隷には、主人の趣味で首輪以外の装飾を付けられる場合があるという。特に、この闘技場で戦わせられている舞闘奴隷や、所有者からペットのような扱い(よく言えば寵愛)を受ける鑑賞奴隷にはそれが多く見られ、通常の装飾品となんら変わりないような物が多い…らしい。釧夜の奴隷歴は浅いので、何がわかるわけでもなかった。ただそれも、首輪と同じく、人間としての尊厳を奪うようなものだということくらいしか。
「こんなもん、俺の師範に要るか」
ネクタイに手をかけると、少し拒絶するかのように電流が走った。しかし釧夜はそれをものともせず、両手で引き裂いて投げ捨てる。
ここまで完全に無視してきたのだが、当然ここは闘技場。周囲には観客の目があり、彼らは動揺していた。敗者には死を。それがこの闘技場のルールであって、敗者の首輪を外して良いなんて権利は勝者にはない。奴隷はただこの場所で死闘を繰り広げるだけの道具で、玩具に過ぎないのだという常識が崩壊しているこの場面で、動揺しないはずが無かった。
「…ギャラリーが煩くなってきたな…」
釧夜はそう言い、自身に付けられた首輪も難なく外す。そして、いざ脱出しようとノリタカを担いだ時、そう遠くない場所から爆発音が響いた。
「は!?和玖と黎々か!?アイツらなんて派手に暴れてんの!?闘技場の客もびびって恐慌状態だし!?…あ、逃げれんじゃん」
これ幸い、と言うように釧夜は入場口へと駆け出す。しかし、それを黙って見ているほど闘技場の警備もザルではない。すぐに、釧夜の前には数人の警備と思わしき兵士が立ち塞がった。
「チッ…そうだ、やってみっか」
速度を緩めずに走る釧夜は、1度息を大きく吸い込んだ。
「真なる槍よ、神足る槍よ!
担い手の敵を屠るその槍よ!
担い手足るは、我なるぞっ!
我が前に、我が意志に応え顕現せよ!
《神槍》《スピーラクス》っ!」
釧夜がそう叫ぶと、走る釧夜の横に現れたのは、1本の槍だった。
魔法で形作られたような不定形の形ではない。槍頭は金属である証拠というように光を銀色に返し、柄は美しい柄が彫られた鈍い金色を微かに輝かせて、釧夜と並走するように浮いていた。
「なんだアレは!?」
「槍が浮いてる…!?」
兵士達が驚くが、もう遅い。
「邪魔、すんなぁぁぁあっ!!」
「うわぁぁぁっ!?」
「ぐぁあっ!?」
ノリタカを担ぎ、両手が塞がったままの釧夜に代わり、スピーラクスと呼ばれた槍は兵士達を薙ぎ払う。まるで槍自体が意志を持っているかのように。
このスキルは、釧夜が持っている《槍術》スキルの上位スキルのそのまた上、超位スキルである《神槍》を習得することで使えるスキルだ。ゲームでは、自動で追撃、迎撃を行ってくれるスキルであった。
「中々、使えるな!?も少し…出してても、MPは問題なさそうだな」
勝手に攻撃をしてくれる槍を信頼し、信用し、釧夜は走って騒ぎの元になっている、現在大炎上中のベネット辺境伯の城へと向かって行った。
◇◆◇◆◇◆
少し時を遡った辺りで。
ベネット辺境伯の戦力である騎士たちと和玖、黎々とそのおまけのフレイルは、城の中でもそこそこの広さがある通路で戦闘を繰り広げていた。
「はぁあっ、《ラッシュウィップ》!!」
和玖は先程の戦闘で龍化を使用し、MPが無い。それを補う為にMP消費のない下位スキルを使用し、手数を増やして応戦していた。元がレベル90台のステータスであるために、下位等と馬鹿にはできない威力となっている。
「召喚、《グレイハウンド》!
そして降りてこい
炎で悲鳴を奏でし者
《アモン》っ!!」
黎々は灰色の狼を召喚し、すぐに更なる魔法をかけた。
黎々がかざした手から禍々しい赤黒い光の玉が出現する。それはグレイハウンドへと吸い込まれるように入っていくと、グレイハウンドは唸りだし、その姿を変化させていった。牙はより凶暴に伸び、口からは火の粉を散らせ、その尾は蛇の姿をとっていく。
これは黎々が持つ、《召喚魔術》と《降魔術》の重複使用であった。
召喚した狼に、それに近い姿の悪魔を憑依させることで、戦闘能力を上げる効果が望める。だが…
「うーん、流石に、器が弱すぎたのね。アモン本来の力は無いわ…ま、そこは今度で良いわよね!」
どうやら、本来のアモンよりもグレイハウンドは相当弱い魔物だったらしく、思うような力を引き出せてはいないらしい。
ちなみに、釧夜が奴隷になる前にかけてもらっていたのは相当弱い悪魔を呼び出し、人に憑依させることで洗脳や呪いなどを悪魔に肩代わりさせるという、身代わりのような悪魔の使い方であった。弱い悪魔なら、憑依させようとも人格などに影響はないのだ。
「じゃ、グレイハウンド…あ、違うか。アモン、あいつらやっちゃいなさいっ!!」
そんな適当な指示にも、アモンは一声吠えて従う。
『GURUuu!!』
アモンは手近に居た1人の騎士へと飛び掛り、口から溢れる炎により高温に熱されている牙を突き立てる。
鎧を簡単に溶かして突き刺さる牙は、人間の肉を焼いた、嫌な臭いを周囲へと広げていく。
「う、臭」
「誰だよこれやってんの!?」
「あ、ごめんうちのアモンちゃん。確かに臭いわよね〜…嗅ぎなれない臭いがこんなに臭いとは思わなかった」
和玖とフレイルからの苦情に黎々は少し考え、そしてすぐに良いことを思い付いたような、無邪気な笑みを浮かべた。
「アモン、命じるわ。グレイハウンドの存在を全て使って、貴方の一番得意な方法で敵を消しなさい!」
『GYAOOOO!!!』
黎々の言葉を聞き届けたアモンは、一際大きく吠えると、その身を震わせ、炎を口からだけではなく、自身を焼くように纏い始めた。
「なんか黎々、ヤバイ命令出してない!?フレイル、下がるよ!」
「お?お、おうっ!てか味方のことすら考えねーで指示だすなやぁぁぁ!?!?」
和玖とフレイルは二人とも後方へと下がり、それと入れ替わるようにしてアモンが敵のど真ん中へと突っ込んでいく
『GYAOOOooou!!!』
狼のものではないとはすぐに分かる、その絶叫に似た叫びを聞いたその場の人間は戦慄し、声の主を恐れた。悪魔と呼ばれるものを、半ば本能的に。
そして、誰もが動けなかったその瞬間、アモンはそれ以上を一言たりとも発する事はせずに、その身を業火へと変えた。
「ぎゃぁぁあぁっ!?」
「あつ、熱いっ、熱いいぃ!!!」
当然それは、周囲に居た騎士も魔法使いも、ベネットまでもを巻き込むほどに大きくなるが、黎々達には熱さの欠片も感じられない。
3人が呆然としながらその炎を見ていると、それは一瞬にして一際大きく燃え上がり、そのまま城の上階を吹き飛ばすように爆発して消えてしまった。
「…おわー…」
「こんなことして、俺大丈夫なのか…?」
「どっちにせよ、多分ここには居られないわよ?」
「…俺に家族が居なくて良かったわ…」
「居ないの?まだ若いのに大変だねぇ」
「そういうの言われると逆に気持ちわりぃからやめてくれ…」
人の命が奪われたというのに、それを全く気にしていないかのような3人の楽天的態度。
フレイルは元より冒険者という職に就いていて、それは魔物を倒すだけでなく盗賊などの犯罪者を手にかけることもある職業であるために、人の死に慣れるとまでは行かないまでも自身の敵であるならばその死には同情も無くせる。しかし、つい先日まで単なる高校生だった和玖と黎々まで同じように、それよりも率先的に殺しをしてしまっているというこの事態を、疑問に思う者は誰1人として居なかった。
爆風と共に飛んできた砂埃を軽く払い、3人はその場を後にしようとした時、聞こえるはずのない方向から物音がした。3人は揃って武器を構えると、アモンが放った業火のあった場所へと視線を動かす。
「ぐ、うぅっ…!なんだ…何なんだ貴様らっ…!!」
それはベネット辺境伯が立ち上がろうとしている音だった。アモンの業火で焼かれたはずの彼は、その身を煤まみれにはしているものの、目立った外傷はない。
「無傷…!?なんで」
「多分、魔道具だ…貴族は、1度だけ自身の身代わりとして使える魔道具を持っていることが多いらしいからな。それで、さっきの炎からは傷を受けなかったんだろう」
フレイルの解説に、あぁ、と2人は頷く。ゲームではそこそこメジャーなアイテムで同じ効果のものがあったので、そのアイテムを思い出しているのだろう。しかし思い出したところで、更にいえばベネット辺境伯はここで無傷だったところで、もうどうする事も出来ないのだ。
実は、ベネット辺境伯の手勢は先程ので全てだった。余りにも少ないと思われるが、ベネット辺境伯は、その浮いた分の金を自身の贅沢の為に使っていた。手が足りないところは冒険者ギルドに依頼し、それで領地の守護をしていたのだ。
「1回だけって事は、もう次は無いんだよね?ならここはやるしか無いよね!?」
「いや!?殺したら大惨事じゃねぇ!?」
フレイルの正論に、和玖と黎々はそういえば、と顔を見合わせ、そして今度はベネット辺境伯の扱いについて考え出す。
「このまま逃走っつー案は…?」
「「無い」」
「だろーなぁ…」
「貴様ら!私抜きで私の話を進めるでないっ!!そもそも、こんなことをして、許されると思っているのかぁっ!?」
「許されはしねーだろうなあ。そりゃさ、マトモなことしてねぇし。でも、それよりも、そんなことよりも、お前は許されてはいけないと思うんだよ」
「っ!?」
ベネット辺境伯に返事をしながら、また1人、この場に人が増える。和玖達の後ろから現れた銀髪の狼族は、そのただでさえ寒色の青い瞳で、冷やかな視線をベネットへと向けていた。
「あ、釧夜、終わったの…って、愚問だったみたいだね?」
「あぁ、当然。師範は無事、俺の元に来たよ…あー、ふつくしいわぁ。マジ師範ふつくしい。こんな人と殺し合いとかゾクゾクしちゃった」
「変態め。んで、そこに元御主人様が居るんだけど、どうする?」
「うわ、なにそれ辺境伯!?豚かと思った!!」
釧夜のその一言で、ベネット辺境伯は顔を真っ赤にして釧夜を睨みつけた。
「貴様ぁっ!!無礼にも程があるぞ!私を誰だと思っておる!?」
しかし、叫ばれた釧夜といえば、そんなベネット辺境伯を意にも介さないようで、
「うーるせ。豚なんだからブヒブヒ鳴いとけよ。辺境伯様だろ?っつっても、辺境にあるこの街で、よくもまぁあんだけの戦力でやってけたわな…外は冒険者に格安で任せて、自分は呑気に内側で酒と女に溺れてんのか?いーご身分だな」
「わ、私はこの領の領主であるぞ!?貴族だ!下の者を働かせ、命じるのは当然であろうっ!」
「これだから特権階級嫌なんだよっ!!人間以下の豚が!人間を従えるだァ!?ふざけんな!!俺様何様貴族様が一番むかつくわ!何!?誇れんの血だけじゃん!血液で決まってるだけじゃん!自分の功績でもねーのに権力振り回すな鬱陶しい!!ただし普通の俺様なら許す!あれは自分自身に自信を持ってっからなっ!」
「そうよ、ふざけないでよ。あんたに仕える?吐き気がするわね。どうせまともに政治なんて出来ないのでしょう?そうね、焼けちゃったけど、あの魔法使いのうち誰かが代わりに治めてたんじゃない?てか釧夜、それは趣味じゃないの」
「まあ、噂じゃそうだったなあ。自分じゃ政治はしてないとかなんとか…って、はっ!!俺こいつらに加担したら絶対指名手配なんだけど!?やめやめ、今の取り消し!」
「フレイル、もう遅いよ、どんまい!」
「うわすっげぇ笑顔!!ムカつく!!」
彼女らの調子は崩れない。それどころか三人揃って絶好調である。当然、ベネット辺境伯は先程よりも顔を真っ赤にし、そのふんだんに付いている肉をぶるぶると震わせていた。
「貴様ら…貴様ら貴様ら貴様ら貴様らっ!!許さん、許さんぞぉぉお!!!鬼、おいそこの鬼っ!!何を寝ているのだ!?早くそいつらを殺せ!!」
それでも自身で向かうという選択肢を取らず、釧夜の肩に担がれているノリタカに命令するベネット辺境伯に、和玖と黎々はある種尊敬を抱いていた。完全に自分で戦う気ねぇなこいつ、と。
しかし、やはりと言うべきか、その言葉にノリタカは反応してしまう。声が脳に届いた瞬間に、彼の体は罰を受けまいと命令を遂行しようとしてしまう。
「ん、ひぃっ…!は、い…ころ、さなきゃ…」
微かに怯えたような震えた声で、ノリタカは命令に対して返事をする。とても小さな声ではあったが、それを釧夜が聞き逃すはずもない。
「師範っ!?えっ、起きたんですか!?ベネットの声で…!?俺の声でも起きなかったのに!?許せん、ふざけんなこのクソ豚やろおおおおお!!!!」
「へ…?」
「あっ、すみません師範放っておいちゃって!豚なんかに構ってる暇ねぇわ!!ごめん和玖、黎々!そっちで処理しといて!俺師範とイチャイチャしてる!!」
「何言ってんのこの子!?」
「まあイイけどね…目を覚ましたんなら良かった」
「じゃ、黎々、私アレ殴ってきていい?ちょっとやりたいことあるし」
「ええ、いいわよ。ウチは…事後処理でもしようかな…よし、決めた。
降りてこい
首を、命を求める炎の者
《アウナス》!」
黎々の目の前に、青い炎が浮かぶ。
「依代はウチでいいわよ。使い魔を量産して、ここの街をめちゃくちゃにした対象をウチらからすり替えて。得意でしょう?流言飛語」
頷くように、アウナスと呼ばれた炎は震えた。それを愛おしそうに見る黎々に、和玖は一瞬引いたのだが…まあ、何も言うまい。
「うわぁ…じゃなかった。じゃあ私も、とりまノリタカさんのはじ…あっ、違う違う。えーと、まあノリタカさんの敵ーっ!でりゃぁぁあっ!!」
行動を起こした和玖は気合の入った掛け声と共に、和玖はベネット辺境伯まで一気に駆け寄り…その股間を蹴りあげた。思いっ切り。見ていたフレイルも、思わず顔を顰める。
「ぐぉぉぉあぁっ!?!?!?」
「うぅっ…!!ワク、そりゃねぇよ…!」
「再起不能くらいのダメージは与えたはず!はー、すごいスッキリ♪」
そして一方、釧夜の方ではと言うと。
釧夜はノリタカを下ろし、座らせて向き合っていた。
「師範…今度こそ、俺が分かりますか?」
「…ん、と…ぎん、いろ…?師範…?ん…どっかで…」
「忘れちゃい、ました…?」
まだぼんやりとしていて虚ろな瞳を、釧夜は必死にのぞき込む。そうしているうちに、ノリタカはなにかに気付いたように瞳を丸くさせた。
「あ…」
そして、ノリタカは不意に笑顔を浮かべ、釧夜の頭を恐る恐る撫で始める。
「っ、しは、…ん…?えっ、ちょ、あのっ!?」
「釧夜っち?そー、だよね?…本物?幻覚じゃ、ないよねぇ?」
名前を呼ばれた瞬間に、釧夜はそれまで心配そうに曇らせていた表情を一変させ、嬉しさをこらえ切れない、というように明るく笑った。
「そうっ、そうです、師範っ!俺です、釧夜ですっ…!!良かった、覚えててもらえたっ…!師範、もう、大丈夫ですからね、命令に従う必要も、殺す必要もありません。俺が、助け出しましたからっ…!もう、貴方は自由ですっ!」
「うん…そっか。首輪、外してくれたんだね。ありがとう、ごめんね。ごめんっ…ほんとに、ごめんね…おれは君に、剣を向けた…!一歩間違えれば、あれがもし鎌だったらって、そう、思うと、おれっ…!」
段々と、釧夜を撫でるノリタカの手が震え始めた。命令されていたとはいえ、ノリタカからして見ても釧夜は己の弟子なのだ。自分が守らねばならないのに剣を向け、あまつさえ殺し合いまで演じてしまった。そんな後悔が、彼の涙となって表に見えるように出てきてしまう。
「俺が生きてるから、いーじゃないですか、そんなの。正直、怖かったですけど、でもそれ以上に、俺は師範が好きですから。だから、師範があんな苦しそうな顔してるのが、耐えられなかっただけですから。」
「…そっか…そーか。あはは、全く、君はほんと、いつもそうだよ…おれの何が良いんだか…」
「とーぜん、全部ですっ!全部全部、そんけーしてますよ、師範っ!」
困ったように苦笑いするノリタカと、子供のように無邪気に笑う釧夜。そんなふうに一年半の間共に笑い戦った2人は漸く初めて顔を合わせたのだった。
「んぁ、そーだ。多分宝物庫辺りにさ、おれの服と鎌、入ってると思うんだよね」
「よし、和玖、黎々、フレイルっ!師範の荷物回収して撤退すんぞおお!」
「お前、ほんと師範一筋っつか、師範居ると周り省みなくなるね!?」
…とまあ、そんな感じに、ノリタカの装備品である大鎌と、群青色の袴、そしてちょいちょいとお金になりそうな宝石なんかを奪い取り、更に黎々の《降魔術》で呼び出した悪魔でベネットを乗っ取り、外に流した流言飛語の類の辻褄合わせを行うよう命じてから、5人に増えた彼女らはカールライルをものすごい速さで後にした。
一応、彼女らにも後ろめたさというものがあったのだった。
そして今後しばらくカールライルには『中に魔物が住み着いている』や、『人に変身する、しかも爆発する魔物が近くにいる』、『魔物は亜人奴隷が好物』等の噂が流れることとなった。何故か風評被害にあった亜人の奴隷達はすぐに開放され、カールライルから姿を消したというのは、また別の話である。
「なんて噂流してんの、黎々…」
「いや、亜人差別って、むかつくじゃん?」
「あー、お前ら、これからベネット領から出てくからなー、ちゃんと着いてこいよー」
「師範師範っ、あっちに森がありますよ!?久しぶりに、一緒に狩りしません!?」
「ねえ俺の話聞いてた!?」
「釧夜っち、だめでしょ、案内してくれてるのに」
「分かりました、師範っ!」
「こんなわんこ見たことないんだけど!?」
…道中も平和そうに、まだまだまだ、彼女らの旅は続きそうである。
今度は、亜人差別のない人間国領に向かって。