校舎南館。逆さまに倒れ、地面にその頭部らしき部位をめりこませているモールモッド。
「C級のトリガーで殆ど一撃。正隊員だって、なかなかここまではできないぞ」
と、まさに英雄となった三雲修を褒めちぎる嵐山准に、
「どうだ? 木虎、おまえならできるか?」
そう尋ねられた嵐山隊隊員、木虎藍はその冷ややかな表情を一切変えることなく、スコーピオンを手にすると、ほんの一瞬でモールモッドを切り刻んでしまった。
「できますけど。でも私ならC級のトリガーで闘うなんて、馬鹿な真似はしません!」
そしてそう言うや、再び修を一瞥する。
「そもそもC級は訓練生。訓練以外でのトリガー使用は認められていません。彼のやったことは明確な隊務規定違反です。違反者を褒めるようなことは、やめてください」
木虎の言い分は至極正論だ。正論の前では、人の命を救った英雄も違反者になってしまう。
「相変わらず堅物だな。木虎」
しかし正論だけでは、この現場を犠牲者ゼロに抑えることは困難だっただろう。ここからが神凪陽平の出番だった。ちなみに姉の朋香は、
「あたしだって、できますけど……」
と、呟いて頬を膨らませていたりするのだが……。
「あら、神凪くん。そう、元はと言えばあなたの指図だったのよね? 訓練生にトリガーを使わせた挙げ句、モールモッドの相手をさせるなんて、あなた彼を殺す気だったの?」
木虎の目に宿る冷ややかさが、更に強くなる。
「確かに普段なら俺だって、実働で訓練生をアテにしたりはしない。けど今回の場合、彼……三雲の働きがなかったら十名以上の死傷者が出ていただろう。もちろん三雲をみすみす殺すつもりはなかったし、本館に現れた三体を倒したら、すぐに援護に向かうつもりだった。けど、結果的に俺たちが戻ってくる前に、三雲が二体とも倒してしまったんだ。正直、俺たちも驚いてるんだよ。まさか訓練生にここまでやるやつがいたなんてな」
陽平は大仰に手を振り、少々わざとらしく肩をすくめてみせた。
陽平の言葉は、あながち偽りではない。ただし、援護に戻るつもりだったのは陽平ではなく和堂朝美であり、ここまでやるやつというのは訓練生の修ではなくネイバーの空閑遊真のことではあるが……。
「人命を救ったのは確かに評価に値するわ。けどね、違反者を見逃すと、それに続く違反者が出てくるの。中には実力もないのにヒーロー気取りで現場に出る訓練生が出てくるかもしれない。そうなったら深刻なトラブルを招くことにだってなるの。彼はボーダーの規則に則って処罰されるべきだわ」
「へえ~、そうかい。なら三雲に指示を出した俺も同罪、いや俺のほうが重罪だよな。いいぜ、それなら三雲の分も俺が処分を受けてやる」
「なっ!? そ、そうね。勝手にそうすればいいわ。減点かしら? それとも降格? そういえば以前にも、隊員の不始末でB級に降格した部隊の前例もあったわね」
「木虎!」
「な、何よ!?」
そこで息を「すぅ~」と小さく吐き、今度は意識的に静かな口調で陽平は言葉を続けた。
「おまえが本当にそれを正しいと思えるなら、それでいいさ」
陽平は真っ直ぐ木虎の目を見る。木虎も負けじと、それを見返した。
「なあ、何でアイツは遅れてきて何もしてないくせに偉そうなんだ?」
なおも膠着状態が続く二人を見ながら、遊真がそう疑問を口にする。
「あいつは木虎藍といって、中学生でA級隊員になったエリートなんだ。もともとこの嵐山隊は、ボーダーの任務に加えて広報活動も担当している、いわばボーダーの顔、有名人なわけで、つまりはそれだけ優秀だってことだ。それに木虎の言い分は間違ってない」
「あら、修は木虎ちゃんの肩を持つんだ? ちょっと意外」
遊真の問いに修はそう答えたが、朋香はそれが納得できないようだった。
「べつに肩を持つわけじゃ……。ぼくはただ客観的に……」
「客観的にって、自分のことでしょ」
「それは、まあ……」
「陽平はアンタのためにやってんだよ」
「はい。それは、わかってます。だから、ぼくも……」
我慢しています……修はすんでのところで、そう言いそうになるのを飲み込んだ。今の自分にそれを言う資格はない、と。
「なあ、こっちの世界じゃ、人を救けるのにも誰かの許可がいるのか?」
今度は朋香に、遊真は尋ねる。
「そんなわけないでしょ。人救けは個人の自由よ。ただしトリガーを使わないならね」
「トリガーを使うなら、ボーダーの許可がいるのか?」
「そうよ。トリガーはボーダーのものだもの」
「何言ってんだ? トリガーはネイバーのものだぞ。なら、おまえたちボーダーはいちいちネイバーに許可をとってるのか?」
「んなわけないでしょ! トリガーはね、確かにもともとはネイバーのものよ。でもね、ネイバーフッドではともかく、こっちの世界ではそのネイバーのトリガーを解析して新たなトリガーを作ったボーダーが、その所有権を有しているの。だからボーダー隊員しかトリガーの使用は認められていないし、そのボーダーの規定で訓練生は基地以外でトリガーを使用することを禁じられているの」
「ふむ……、なるほど。けどあのえらそうなやつ、あいつはたんに修がほめられるのが気にくわないだけだぞ」
そう言って遊真は木虎を見る。
「あいつ、つまんないウソついてる」
そして、そう言葉を続けた。
今までとは声のトーンも、口調も、雰囲気も、ガラリと変わったように感じ、思わず朋香は遊真の顔に目をやる。意識的にだろう、少し口角の上がったその顔は、しかし決して笑ってはおらず、半分閉じた瞳はその奥で鈍く輝いていた。それはまるで、木虎の表情を……いや、感情を、心の奥のそのまた奥、普段は絶対に見せることのない、もしかしたら自分自身ですら気づかないような奥底に眠る本当の感情を、探るように、えぐるように、暴き出すように。そんな視線に、朋香は一瞬背筋に冷たいものが走ったような感覚に襲われ、身震いするのを抑えられなかった。
「はいはい! そこまでだよ。現場調査は終わった。回収班を呼んで撤収するよ」
そんな緊張した空気の中、パンパンと手を叩きながら、時枝充はそう告げる。
「けっ、けど……、時枝先輩……」
「木虎の言い分はわかる。確かに正論だ。でもね、陽平や三雲くんを裁くのは僕たちじゃなく、上のおエラいさんの仕事だよ」
「そ、それは……」
「そうですよね? 嵐山さん!」
木虎の言い分は正論だ。しかしそれ以上の正論を口にする時枝に、木虎はただそれを受け入れる他なかった。
「確かに! 充の言うとおりだ!」
そしてそれに嵐山も同調する。
「嵐山さん、これからどうします?」
「ひとまず基地に帰って、今回のことを報告するよ」
陽平に尋ねられ、嵐山はそう答えると、修の手を握り、
「大丈夫だ。きみには弟と妹を救けてもらった恩もあるし、処罰が重くならないよう尽力する。本当にありがとう!」
そう言って、その手を強く握りしめた。
「じゃあ、嵐山さん。俺も一緒に行きますよ」
「そうだな。経過説明のためにも、陽平には同行してもらったほうがいいだろう。他のメンバーはどうするんだ?」
「姉ちゃんとあーちゃんは、現場保存のために回収班がくるまでモールモッドの見張りをしてもらいます。で、三雲には今日中に基地にくるようにさせます。それでいいですか?」
「よし、わかった!」
一応の段取りをつけ、陽平は嵐山隊とともに学校を後にした。
「空閑、あんまり波風を立てないでくれよ。さっきみたいなこと、木虎の耳に入ったら余計面倒なことになるだろ」
さも疲れ気味に嘆息しながら、修は遊真にそう諭す。
「いや、あの女の態度があまりにもエラそうだったから、つい。おれは何にもしてないくせにエラそうなやつが大っ嫌いなんだ」
だが、遊真にとってそれは納得できかねることだったのだろう。ボーダーの内部事情を知らない遊真にとって、それもしかたのないことではあるのだが。
正論をとおせば正義が否定される。組織という大きな集団において、その中には必ず規律というものがある。しかしその規律が必ずしも現場の状況と合致しているかといえば、そうともいえない現実があり、そこに生じる矛盾は時として意見の対立を招くものだ。
「けど……、ぼくだってけっきょく何かできたわけじゃない。実際みんなを救けたのは空閑で、ぼくは死にかけただけなんだから……」
修の目が悲しく陰る。無力……それが今の自分。犠牲者が出ることがわかっていて、自分の無力を言い訳にそこから逃げる。きっとそれが正しい選択だったのかもしれない。しかし、できなかった。自分がそうするべきだと思ったことから、逃げ出すことなど自分にはできない。それは修にとって、ポリシーだとか流儀だとかそんなカッコの良いものではない。ただ命を落とす危険を覚悟してでも、立ち向かう他できなかった。それだけなのだ。そして結果、そのとおりになった。遊真に救けられるまでは……。
「ちょっと、修……」
力なく項垂れる修に、朋香はかける言葉を見つけられず、少し困ったような表情でそれでも背中をポンッと叩く。それが今の朋香にできる精一杯の励ましとでも言わんばかりに。
「何だ、そりゃ?」
しかしその修の言葉を、遊真は心底不思議そうにそう否定した。
「みんなを救けたのはオサムじゃないか。オサムが逃げ遅れたみんなを救けて死にそうになった。で、死にそうになったオサムをおれが救けた。おれはオサムひとりしか救けた覚えはないぞ。まったく……。オサムは自分の手柄も人に勘定してもらわないとダメなのか? めんどくさいやつだな」
と。
きょとんとする修に、朋香はまるで不意を突かれたかのように思わず吹き出す。
「アンタ面白いね~」
そしてそう言うと、笑いながら遊真の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「アンタじゃないぞ。空閑遊真だぞ」
「おっと、そうだったね。空閑遊真……遊真ね、遊真。今度は覚えたわ。そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったよね。あたしは神凪朋香。で、さっき嵐山さんと行っちゃったのが弟の陽平。それで、あっちの校舎の前で嵐山さんの妹さんと喋ってるのが和堂朝美。あたしと陽平は“あーちゃん”って呼んでる。みんな同じチームなんだ」
撫でる手は止めたが、表情は笑顔のままだ。
「そっか。良いチームなんだな」
「うん。サイコーの仲間だよ」
朋香の笑顔が、どれだけ仲間を大切に想っているか物語っている。そして遊真も、修も、そんな朋香に釣られたかのように、つい頬が緩むのを抑えられなかった。
また次回もよろしくお願いします。