クリスマスから正月と、イベントごとは原作ではけっこうがっつり省かれてますね。五部隊ずつの三交代制なのでクリスマスはイヴと当日で三十部隊がシフトに入る計算……ほぼすべての部隊が入るんですね~。計算上は。
ドガシッ!
ラウンジでまったりとアイスコーヒーを飲む神凪陽平の頭に、突然手刀が振り下ろされる。その手は更に、頭の上で前後にガシガシとこすられた。何事かと視線を上げた陽平の目が捉えた顔は……。
「熊谷先輩!?」
B級12位、那須隊のアタッカー、熊谷友子だった。熊谷の所属する那須隊のメンバーは、陽平とは同期入隊ということもあり、また陽平の姉の神凪朋香と熊谷は高校の同級生ということもあって、普段からお互い何かと縁のある間柄だといえる。
「呑気なものね」
熊谷は嘆息混じりにそう言うと、陽平の向かいの席へと腰を下ろした。
「と、言いますと?」
当然、何の前触れもなくそう言われ、陽平は首を傾げる。
「今日、ウチの部隊は非番だったんだよ」
熊谷はそう言うが、陽平はそれと先ほどの手刀が繋がらず、ただ「はあ」と気の抜けた言葉のみを返した。
「今、B級部隊ではランク戦が行われているでしょ」
「そうですね。ウチも前の前のシーズンまでは参加してましたし」
「おととい、ウチは海老名隊や茶野隊に勝って、何とか中位までランクを戻すことができた」
「それはおめでとうございます」
「で、今日は終業式で学校は午前中で終わりな上、防衛任務も非番で当たっていない」
「はあ……」
「だから今日は、午後から玲の家に行く予定だったし、実際、茜も今頃は玲の部屋にいるはず」
「それで……?」
「にもかかわらず、何で今、私はここにいるのかってこと」
B級ランク戦……年間で三シーズン開催される、B級部隊を対象としたチーム対抗の模擬戦で、この結果によってチーム得点が加算され、順位の入れ替えが行われる。そして特典として、1位と2位にはA級へ挑戦できる権利が与えられ、陽平たち榊隊も前々シーズン時にB級2位から現在のA級9位へと昇格を果たしていた。
熊谷の所属する那須隊は、前シーズンではB級8位まで順位を上げたものの、その後は低迷し、一時は下位グループにまで順位を下げている。しかし今シーズン終盤において、何とか中位グループまで戦績を立て直していた。
「ソロで模擬戦をしにきた……とか?」
陽平はそう予測してみたが、しかし内心ではそれが的を得ていないことはわかっている。
那須隊の隊長を務める那須玲は、病身のため日常生活のほとんどを自宅のベッドで過ごしていた。そのため那須隊のミーティングなどは那須の部屋で行われることが多く、熊谷やチームメイトの日浦茜がボーダー基地本部に足を向けるのは、訓練やランク戦のときなどにかぎられていると言っても過言ではない。というよりむしろ、プライベートでも熊谷や日浦が那須の家を訪れることは、基地本部に顔を出すことより多いと言えるだろう。故に、学校が午前中で終わり、防衛任務も入ってないこんな日に、熊谷が那須の家を訪れない理由などない。にもかかわらず、熊谷が基地本部に足を運んだ。そんな理由など、陽平に思いつくわけなどなかった。
「しにきたんじゃなくて、連れてこられたの」
陽平の答えに、熊谷はそう訂正を加える。本日二度目の嘆息とともに。
「連れてこられた? 誰に……って、もしかして?」
そこまで聴いて、陽平は思い当たるフシに辿り着く。『連れてこられた』ということは、その相手は同じ学校の生徒と考えるのが自然だろう。そして、熊谷は三門市立第一高校の二年生、つまりは陽平の姉である朋香とは同級生だ。その朋香は、今日は午後から絶賛
「そう、朋香だよ」
「それはそれは、災難でしたね」
「まあ、私自身の訓練にもなったし、一概に災難だとは言わないけどね」
★
「熊ちゃん! ランク戦やろう!」
三門市立第一高校……ボーダーと提携している普通校で、故にボーダー隊員も多く通うこの学校は、この日、十二月二十三日、二学期の終業式を終えた。
二年E組、熊谷が所属するこのクラスでは、すでにホームルームも終わり、みなが帰り支度を始めている。熊谷のクラスメイトで同じB級にランクされている諏訪隊の小佐野瑠衣や香取隊の若村麓郎も、もう姿はない。
熊谷も、形ばかりの手荷物を抱え、教室を出ようとしたまさにそのとき、朋香が先述の言葉をかけながら二年E組の教室へと入ってきた。
「ランク戦って……。私、今ランク戦の真っ最中なんだけど」
「それはチームのランク戦でしょ。あっ、熊ちゃんのチームはおととい勝ったんだよね?」
「まあ、なんとかね」
「またまた~。生存点の二点を取って、ついに中位グループに返り咲いたんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「だから今日は個人戦やろうよ~」
「私、今日は玲の家に行くから」
「じゃあ、一回だけ! ねっ!」
「ねって言われても。同じクラスの米屋くんたちを誘えば?」
「陽介は昨日散々闘ったもん」
「三輪くんや三浦くんは?」
「二人とも、もう帰っちゃってたし」
「だからって、何で私が……」
「ねえ~、いいでしょ~。一回だけだから、ねっ!」
熊谷は知っている。こうなったときの朋香は、かなりしつこいと。となれば、ここで朋香と押し問答をするよりは、さっさと模擬戦をすませたほうが結果的に時間の短縮、ひいては建設的かつ合理的な解決となるのではないか。そう考えてしまったのだ。そしてその判断が過ちだったことを、熊谷は数時間後、今度はその身を以って知ることとなった。
★
「で、この時間ってことは、一回じゃすまなかったんですね?」
熊谷の話の流れから、陽平はそう予測した。といっても、ここまで聴けばそんな予測は容易く立てられる。
「五回」
熊谷は、右手の平を開いて見せながら短くそう答えた。
通常、特にアタッカー同士の模擬戦においては、一回勝負とは言いつつも本当に一回で終わることは少ない。だいたいが“十本勝負”を通例としており、故に熊谷が『五回』と答えたのも、陽平にとってはさほど多いという印象ではなかった。
「まあ、五本ならそんなに珍しいわけじゃあ……」
「違う!」
「違うって?」
「五回ってのは、十本を五回なの」
「あ~、ってことは……」
「そう。五十連戦!」
「五十……」
確かにそれは多い……と、陽平は言葉を
「しかも今は駿くんとランク戦してるよ」
「駿と?」
「私のあと黒江ちゃんと三十戦やって、駿くんとはさっき十二戦目だった。あれは二十戦いくね」
「トータルで百戦ですか……」
それではまるで極真空手の百人組手ではないか。陽平は話を聴くだけで、ついうんざりとした表情を浮かべてしまった。
「まあ、朋香のタフさは今に始まったことじゃないけど、闘ってるときの顔はちょっと狂気じみててさ。何か思いつめてるんじゃないかって」
「それは……」
思い当たるフシはある。それは四日前の玉狛での一件が原因だろう。とはいえ一件というと少し大仰で、迅に模擬戦を断られた朋香が、迅に再度模擬戦を挑むべく、他のアタッカーたちと模擬戦を繰り返しているというのが現状だ。だがしかし、陽平はそれをどこまで喋っていいものかと言い澱む。そんな陽平の心中を察したのか、熊谷はすかさず、
「ああ、べつに理由を聞こうってんじゃないよ。ただ陽平くんが何か知ってるなら、少し気にしてあげたほうがいいかなって思っただけで」
と、フォローを入れた。
「ご忠告、ありがとうございます。そうですね。俺もちょっと気にしておいたほうがいいみたいですね」
「まあ、朋香のことは陽平くんに任せるのが一番だろうし」
そう言って、熊谷は意識的に頬を緩める。そんな熊谷の心遣いに、陽平も倣って口角を上げた。
「ところで五十戦もやって、結果はどうだったんですか?」
今度は陽平のほうが、あえて話題を変えてみる。が、熊谷はそれを聴くと、
「それ聴くの? 私と朋香じゃ五千
と、わざとらしく睥睨してみせた。
「はは……。心中、お察しします」
「ほんと、察してほしいわ。せっかくチームのランクが上がってテンションが上がっていたのに。だいたい私に勝ったところで、朋香のポイントなんてそんなに増えないでしょうに」
「まあ、姉ちゃんの場合は自分のランクを上げること自体が目的じゃないですからね~」
「どういうこと?」
「たとえばカゲさんみたいな例もあるし」
「隊務規定違反で降格と減点だっけ?」
「はい。つまりランクの上下だけが強さを計る物差しじゃないってことで」
「ふ~ん、そんなもんかな。じゃあ、その強さを計る物差しって何?」
「それは……、人それぞれじゃないですか?」
「人それぞれ……ねえ」
熊谷のポイントは七千を少し上回る程度だ。これは当然、八千
那須隊は大きく二つのチーム戦術を持つ。ひとつは熊谷の攻撃を日浦が狙撃で援護する、または逆に熊谷が接近戦で隙を作り日浦がそこを狙撃する。つまりはアタッカーの熊谷と、スナイパーの日浦の連携による闘い方だ。そしてもうひとつは、隊長兼エースの那須の機動力をふんだんに使った闘い方。このときの熊谷は、日浦を援護に回し自分は那須の防護に徹する。中距離戦を得意とするチームではわりと見られる戦法で、特に熊谷はこの防御寄りの剣捌きや返し技に定評があった。
「だって熊谷先輩だって、べつにマスター・クラスになることを第一義とはしていないでしょ?」
「どういうこと?」
「本来、アタッカーはトリオンのほとんどを威力に費やせるから、ポイント・ゲッターが多い。だからポイントも必然的に取りやすい。けど熊谷先輩は自分でポイントを取ることを重要視していないでしょ」
「それはウチのチーム戦術が……」
「考えたことありませんか?」
「何を?」
「日浦ちゃんはもちろん那須先輩にも援護してもらって、熊谷先輩が近接戦闘でポイントを取る」
「ちょっと! 陽平くん。私たちのチームはね……」
「那須先輩の機動力を最大限に生かす」
「そ、そうよ……」
「そのために熊谷先輩は、那須先輩を防護する」
「何が言いたいの?」
「いえ。その気持ちはわかりますよ。俺も戦闘にはバイパーを使いますけど、残念ながら俺のトリオン量だと相手に致命傷を与えるには至らない。だからスパイダーを絡めて使うんですけど、那須先輩の“鳥籠”は相手のトリオンを一撃で削り取りますからね。生かさない手はない」
「そうね。あれは才能よ」
バイパー……それは変化弾とも呼ばれる射撃トリガーで、遮蔽物を避ける、相手の虚を突く攻撃を仕掛けるなど、弾道を自由に設定できる特性がある。しかしその弾道設定は、他のどの射撃トリガーより緻密かつ複雑なものだ。陽平はバイパーのリアルタイム・コントロールを得意としていたが、陽平の他にそれを体現できるのは、陽平に射撃トリガーを教えた言わば師匠である出水公平を除けば、那須しかいない。しかも出水はもちろんのこと、那須のバイパー制御も陽平のそれより格段に高いレベルのものだった。故に“才能”と、熊谷はそれを称したのだろう。陽平自身、那須の戦闘を見てその“才能”を羨んだこともないわけではなかった。
「才能……ですか?」
そう反芻したものの、だから陽平にも熊谷のその気持ちは理解できる。けっきょく自分にはそれができない故に、近距離を姉の朋香に、そして中距離を和堂朝美に頼り、自分はオールラウンダーとしてその間で、戦況に合わせて戦闘スタイルを変える闘い方を選んだのだから。
「だから私は、玲がいかに闘いやすい状況を作れるか、そのために自分ができることを考えてそれを実践しているだけ」
そう言った熊谷の目に嘘はない。
「ほら、やっぱり。熊谷先輩は、自分でポイントを取ることを重要視していない」
「そうね。ウチの戦術がそういうことになるのだとしたら、そうなのかもね」
「けど……」
「けど?」
「それで熊谷先輩のポイントがマスター・クラスに届かなかったとしても、そのランクが必ずしも熊谷先輩の強さを表す物差しになるわけじゃない。じゃないと……」
「じゃないと……?」
「姉ちゃんが模擬戦を申し込むわけがない」
「陽平くん?」
朋香は、A級1位部隊隊長にして攻撃手ランク及び個人総合ランクで共に1位を誇る太刀川慶の打倒を目標としている。そのため迅悠一に模擬戦を申し込み断られるや、強豪とされるアタッカーに軒並み模擬戦を挑んでいた。それもただ、強くなるために。当然、熊谷もそのひとり――自らの戦力、戦術を高めることができると、朋香自身が『強い』と認めた相手。しかし陽平は、認められなかった。同じチームだから、弟だから、戦闘スタイルがシューター寄りのオールラウンダーだからと、理由を上げればいろいろとあるだろう。だが、陽平自身それを自覚していた。つまりは自分はまだ、朋香にとって『強い』とは認められていないということを……。
「俺は姉ちゃんの今の努力の方向性が、必ずしも姉ちゃん自身の真の目的達成に通じるとは思ってないんです。けどそれとは違う意味で、その努力は形こそ変わっちゃうけど、きっと姉ちゃんにとって必要なものになると思うんですよね。だから俺は姉ちゃんには何でも協力してあげたいと思うし、その反面、俺では力不足なんだってことも自覚しちゃうんです」
正直、熊谷に陽平の言葉の真意はわからない。それはこの姉弟の抱える事情の一端すら、熊谷には知るところではないからだ。しかし陽平の気持ちは、熊谷にも覚えのある感情だった。だからだろう。熊谷もまた、陽平のように「私もね……」と、問わず語りを始めた。
★
高校入学を間近に控えた一月、那須は突如ボーダー入隊を決めた。
熊谷にとって、子供の頃からの友だちだった那須とは、それこそ世間では『子供らしい』と言われるような遊びを一緒にした記憶はない。それは那須が体が弱く、床に伏せることも珍しくはなかったからだ。学校も休みがちだった那須にとって、幼友だちの熊谷とは、だから自室で語らうことを一緒にいるほとんどの時間に充てていた。そんな那須は、故に熊谷には守るべき存在であり、実際その覚悟もあった。
そんな那須は小学六年生のとき、星輪女学院の受験を決めた。理由はいろいろとあるのだろう。将来を見据えて偏差値の高い学校を選んだ、風紀を重んじて規律の厳しい学校を選んだ、自分の資質や素養を高めるため伝統と格式を重んじる学校を選んだ……などなど。だが一番の理由はやはり、病身の那須にとって普段の生活態度や学業の成績しだいで、出席日数の少なさ、病欠の多さを補うことができる学校の仕組みなのだと、子ども心に熊谷にも察することはできた。むろん熊谷は、しかし那須の後を追って受験をすることはしていない。その頃の二人は、たとえ学校は分かれても、それが友情を分かつ要因となるなど微塵にも思っていなかったし、その気持ちは現在も変わってなどいないからだ。だが、熊谷にはその受験以上に心配な事象が起きた。それが那須のボーダー入隊だった。
『トリオン体と健康』をテーマにした研究のため、那須はボーダー本部開発室から直々にスカウトを受けた。そしてその研究に協力する形で、那須はボーダー入隊を決めたのだ。当然、それを熊谷が手放しで認めるはずはない。しかし熊谷自身、那須が健康な体を手に入れることができるかもしれないという未来に、一縷の望みを寄せていたのも事実だった。いや、本心を言えば、熊谷もまた那須の病気が治ることを期待していた。治る可能性がほんの僅かでもあるのなら、それに賭けてみたい。そう考えてしまった。だからボーダーに入隊する那須を、これからも守っていく。それができるのは自分しかいない。そのために自分ができること……それが、熊谷のボーダー入隊の動機となった。
半年後……。
そこにはトリオン体で元気に飛び回る那須の姿があった。
陽平や熊谷、那須の期は、今振り返ってみても、かなり豊作の年だったのではないだろうか。陽平の好敵手、米屋陽介。狙撃手ランク1位と2位の当真勇と奈良坂透。陽介と奈良坂のチームメイトの古寺章平。A級3位風間隊の歌川遼と菊地原士郎。奈良坂や歌川とトップ争いをした照屋文香に、ボーダーでは唯一の小学生隊員だった巴虎太郎。その他にも香取隊や荒船隊の面々など、その顔触れはまさに今、A級、B級で活躍している者たちばかりだ。
そしてその中にあって、那須もまたとても優秀な隊員だった。人並み以上の恵まれたトリオン量と、全方位または一点集中など、熟練したシューターでも難しいとされるバイパーのリアルタイム・コントロールを実現する高い技術力。そしてそれを活用できる機動力。それは熊谷ですら知り得なかった、那須の“才能”そのものだった。
『玲は私が守る』
それが熊谷の、永久不変の覚悟。しかし那須を見て、熊谷はこうも思った。
『玲に私は必要ないのではないか』
那須の“才能”の前に、自分の剣はあまりにも非力なのではないか……と。
★
熊谷の話を聴いて、陽平は何かを言おうとし、それでも何も言えなかった。
陽平は知らなかった。あの頃の熊谷が、そんな悩みを抱えていたことを。
「けどね。そんな私に玲は言ってくれた。私の力が必要だって。それは玲の優しさからかもしれないし、私に対して少なからず気にかけていることがあったのかもしれない。玲の本心はわからないけど、私は玲を信頼してるから。他の誰よりも、それが玲の言葉なら私は信じることができるから。だから玲が私を必要だって言ってくれるなら、私はその言葉を信じる。もしも私の剣に、誰かを守る力があるのだとしたら、私はそれを玲のために使いたい。それは私自身が望んでいることだから」
言い終わると、陽平は何かを考えているかのように、険しい表情となっていた。だがそんな陽平に、熊谷はふと笑みをこぼす。自分の話が今の陽平の救いとなるかはわからない。だけどきっと、その答えは陽平自身が見つけるしかないのだと、そしてきっと、陽平ならその答えに辿り着くことができるだろうと、熊谷の笑みにはそんな想いがこめられていたのかもしれない。
「俺は姉ちゃんに……」
しばしの沈黙が、二人の間を流れていった。そのあとで、そっとそう陽平は呟く。が、それでもそこから言葉は続かなかった。
熊谷は優しい笑みのまま、陽平の頭に『ぽん』っと右手を乗せると、立ち上がり、
「まあ、気が向いたらいつでも声をかけてよ。模擬戦くらいなら付き合うよ」
そう言って、ただ真っ直ぐに陽平の目を見つめた。
「熊谷先輩……」
「と言っても、朋香みたいに五十連戦とかはカンベンだけどね」
熊谷の笑みが、更に大きく開く。その顔に陽平もまた、思わず釣られたように口角を上げた。
★
十二月二十四日。夕暮れ時。
沈む夕日を遠く見ながら、朋香と陽平は並んで立っていた。
「クリスマス・イヴだね~」
朋香が呟く。
「クリスマス・イヴだね~」
陽平が、それに倣ってそう返す。
「明日はクリスマスだね~」
朋香が更にそう呟くと、
「明日はクリスマスだね~」
と、やはり陽平はそれに倣うように、そう返した。
「そんな日に何でウチの隊は防衛任務なのかね~?」
「そんなの年明けの二日を非番にするためでしょ」
「そりゃー、そうだけどさ~」
一月二日。それは榊隊専属エンジニア、司城成の誕生日だった。榊隊結成に尽力し、今もなお開発の面で榊隊をサポートしている司城は、だから榊隊の面々からは“六人目のメンバー”という意識を持たれるほど、信頼されている。故に司城の誕生日である一月二日は、隊を上げて彼女の生誕を祝うことを定例としていた。日頃の感謝と慰労を込めて。
「あと、真由美さんとカナさんにかぎって言えば、三日も非番だし」
「そこはあたしたちとは関係なくない?」
そして一月三日は、B級6位東隊の隊長、東春秋の誕生日だ。東もまた現ボーダー設立時から組織を支える古参メンバーであり、彼の知識や技能、戦術、手腕などを慕い、今もなお多くの弟子を抱えている。
ボーダーの正隊員スナイパーのほとんどは彼の弟子、もしくはその系譜に連なっていると言われ、またスナイパー以外にも戦術面でその師事を仰ぐ者も少なくない。そんな“東一門”は、彼の誕生日である一月三日にその感謝をこめて催しを開くことを定例としていた。“東会”と銘打たれたそれには彼の弟子たちがみな集うため、その日の防衛任務は各隊混成のチームが編成されることとなっており、その混成チームがどのような面子で編成されるかということも、防衛任務に当たる側にとっても、ひとつの風物詩となっていた。
榊隊の隊長である榊真由美は東にスナイパーとしての教えを受け、オペレーターの春瀬奏恵もまた、戦術面で直接師事している。そのため、残った朋香、陽平、朝美の三人は、この風習に則って他部隊の隊員と混成で任に就くことになっていた。
「でも、来年は誰と組むか。ちょっと楽しみじゃない?」
「まあ、それはそうだけど……」
「あーちゃんにも良い経験になると思うし」
「ああ、そうか。あーちゃんは来年が初参加だね~」
朝美は今年の一月入隊であり、正隊員となった三月に榊隊に加入している。よって、来年一月の二日、三日のこの行事は初参加だった。
「ところで陽平」
「ん?」
「明日はクリスマスだね~」
「またその話題?」
見上げると、空はすでに黒ずんで、ちらほらと星が光り始めている。
「クリスマスといえば……だよ」
「ああ、加古さんの誕生日か」
A級6位加古隊の隊長、加古望は明日で、
「まあ、それはおいといて。何か欲しいものない?」
「欲しいもの?」
「いや、たまには姉らしくさ。クリスマス・プレゼントだよ~」
「クリスマス・プレゼント……ねえ」
しばし考える……いや、考えているような素振りを見せた陽平だったが、けっきょくは首を左右に振った。
「ないの!?」
「ないよ。だいたい……」
「だいたい?」
「いや、なんでも……」
だいたい……本当に欲しいものは、今の朋香からは貰うことはできない。陽平はそのことを知っている。なぜならそれは、今の朋香を救うためにこそ必要なものなのだから。
「ん~。なんだか煮えきらないな~」
納得できない。朋香はそんな表情を浮かべるが、陽平はあえて意に介さない表情を作ってみせた。
「姉ちゃんこそ、何か欲しいものはないの?」
そして逆に陽平はそう問いかけてみる。今度は朋香が考える素振りをしてみせる。いや、朋香の場合は本当に熟考しているようだった。
「だったらさ」
「何?」
「私と模擬戦してくれない?」
「えっ!?」
朋香は笑う。無垢に、屈託なく。その顔に嘘はない。それは陽平にもわかる。故に驚いた。なぜこのタイミングで、朋香はそれを口にしたのだろうか……と。
「何? 相手があたしじゃ不服?」
「そういうわけじゃないけど。誰かに何か言われたの?」
「何それ? あたしが誰に何を言われたら、アンタと模擬戦することになるのよ?」
陽平はふと、昨日の熊谷との会話を思い出していたのだが、どうやらその熊谷から何かを聞いたというわけではないらしい。であれば、まったくの偶然なのか。
「姉ちゃんが俺と模擬戦なんて、初めてのことだから」
「そう言えば……そうかな?」
「そうだよ」
「そっか。でも、だったら尚更いいんじゃない? 最近、あたしはかなり強くなったと思うし、今ならアンタにも敗けないと思うんだよね」
「えっ!?」
聴き間違いか……と、今度は陽平はそう思った。朋香が自分に対して『敗けるかも』などと考えていたなど、それこそ予想外のことだったからだ。
「いや~、いくら何でも弟に敗け越したりなんてしたら、姉の威厳にかかわってくるじゃん! でも今のあたしなら、強いよ」
その言葉に陽平の表情は一気に緩む。
『ああ、だからこの姉は……』と。
『だから姉にはかなわないな』などと。
今まで抱えていたコンプレックスも、不思議なくらいバカらしいことのように感じた。
「だったらその前に、俺も模擬戦やって鍛えておかなくちゃ」
「陽平も?」
「うん。まずは……」
『熊谷先輩に申し込んでみようかな』と陽平は、だけどそれは口には出さなかった。
「なんか怪しいな~。もしかして、あたしのいないところで何かあった?」
「何もないよ。うん、やろう。模擬戦!」
「おお! 陽平、一気にやる気だね~」
「けど……」
「けど……?」
「五十連戦だけはカンベンだけどね」
「やっぱり、あたしのいないところで何かあったでしょ~?」
朋香はわざと、ふくれてみせる。そんな朋香を見て、陽平の表情に笑みがこぼれた。それは自分でも驚くほどに、屈託のない笑みだった……。
次回は年が明けます。