瞼を開けると、まず目に入ったのは生前よく見た白い石材であった。
ムクリと身体をベッド起こし、現状の確認に努める。仕切りのあるベッド二組、机とセットになっている椅子には白衣が掛けてあった。
壁には少し違和感を覚える人体図に調合済みと書いてある薬の数々、それに白を基調としたこの造り、パッと見は生前に見た保健室である。知らず知らずの間に運び込まれたらしい。
ここはどこだろうか、ベッドから起き上がり散策しなくては......そう思いベッドから出よう動いた矢先、脇腹から鋭利な激痛が走った。耐えきれずに悶絶する。
今まで病院には無縁だったので気づかなかったのだが、彼の脇腹からそれぞれ背後の機械と真横のキャスター付き点滴に管が繋がっており、そこから液体の類が患部に入っていくのが確認出来る。
血の代わりに点滴で入れるのは生理食塩水だっただろうか、興味本位で服の下を覗くと白一色、見事なまでのぐるぐる巻き包帯に穴を開けて管を突き刺す様に管が繋がっている。
想像以上に重症らしい。下がどうなってるのかは想像に難しくない、グロは苦手なのだ。
ようやく痛みも落ち着いてきた為、杠は何故このような現状になったか記憶を探る事にした。
寝起きのせいか、はたまた血が足りないせいなのか、イマイチ夢と現実の線引きがハッキリしない。
覚えているのは転生して、家から落ちて、起きて、森で狼達と闘って、和解したと思ったら矢が飛んできて.........やはり全部夢ではないのだろうか? と思うのは正常だと信じたい。
そのように思案していると、突然ガチャリという音と共に白衣ボブヘアーの女性が中に入ってきた。
目と目が合い、何故か女性が3秒ほど身体の動きを停止させる。表情も固まったままで、まるで時が止まったかのように動こうとしない。
何故だ? 何故止まるのだ? 疑問もあるがそれより何より非常に気まずい。そんな気まずさに耐え切れず、いっそのこと此方から声をかけようと考え始めた時だった。
「ふぁぁああうぅ......」
謎の言葉を発しながら突如女性がその場に崩れ落ちてしまう。
......大丈夫なのだろうか? 真面目に助けに入ったほうがいい場面なのだろうか?
そう思い、女性のところまで行こうとするが、そこで再び激痛が走り抜ける。お陰でベッドの上でモザモザと暴れまわる奇怪な男を演じる事となった。
ぐぬぬ、と言いつつ何とかして身を起こすと、先程まで床にペタリと座っていた女性が復活したようで、スタタタっという音と共にベッドへ駆けてくる。
「だ、大丈夫なの?」
「え? ええ、大丈夫ですけど、そちらこそ大丈夫なんですか?」
「え? あ、ああ、大したことないわ。ちょっとホッとして気が抜けちゃっただけで、そっちこそ急に動こうとしたら......」
「いえいえ、本当に大丈夫なんです。貴方こそ貧血...」
互いに気を使い合い、大丈夫ですか? そちらこそ大丈夫ですか? などとオウム返しのように相手に連呼し続ける時間が数分ほど続いた。
◇◇◇◇◇
「オホン、どうやらその様子を見るに本当に大丈夫なようね」
オウム返しを始めてから3分経ち、やっと落ち着いた二人はマトモに会話を始めることが出来た。
「ええ、脇腹以外は至って健康みたいですよ」
......のだが、突如、ピシリッ、と、空間的な何か亀裂が走る音が響いた。
会話をが途切れる、ここまでなんとわずか5秒だ。3分かけて5秒しか会話できないとは考えていなかった。
勿論彼が変な能力を使ったという訳ではない。ちょっとした冗談で笑いを誘うつもりだった。そうなのだが、何故か先程とは比べ物にならない程重苦しい空気と化す。
ボブヘアーの女性もその場に俯いたまま動こうとしない。杠が原因を考えたところ、思い当たる節は一つほど、取り敢えずそれを聞いてみる事にする。
「もしかしなくても、自分の腹に矢を刺したのって貴女なんですか?」
ビクリッ!と女性の肩が震える。そして深々と、本当に深々と頭をさげる。
「......本当にごめんなさい」
下唇を千切らんばかりの強さで噛み、目尻に薄く涙を浮かべながらこう言う。
「偶然だったの、狼達を追っていて、それで逃げられそうだったから矢を放って、そしたら避けられて、その先に貴方がいて、それで......!」
どうやら彼女に責任を負わしてしまったようだ。悪い事をしてしまったと罪悪感が溢れ出すが、コレばかりは意識のなかった彼にはどうしようもない。...そう思うしか無い。
「あのー、別に故意に狙ったわけじゃないんですよね?なら事故ですよ事故」
「.....え?」
取り敢えずフォローの言葉を入れると、意外そうな目でこちらを見てくるボブヘアーの女性。
「そりゃ偶然でも矢が刺さって死ぬなんて事があったら化けて恨んじゃうかもしれないですけど、今はこうやって生きてるじゃないですか。それに治療してくれたのも貴女なんですよね? ならコレでおあいこですよ」
「でも...それでも貴方を......」
中々強情らしく、先程よりも強く篭った口調でこちらに語りかけてくる。それ程不安だったのだろう。いよいよ申し訳ない気持ちになる。そこで彼はこうする事にした。
「んじゃあこうしましょう、納得の行く取引で解決としませんか?」
「.......取....引...」
「そう取引。自分は貴女の事を赦します、矢なんて刺さってないと思い込みます。ですから代わりに......何とかして入院費をタダにしてくれませんかね?」
「へ.......?」
女性は間の抜けた顔で、間の抜けた声を発した。
「いやー、色々と理由がありましてお金を持ってないんですよ。ですから入院費とか言われちゃうと、もれなく牢獄行き......ああ......てなわけでそこら辺をなんとかして貰えませんかね...?」
「な、何を言ってるのよ! 元々こうなったのも私のせいなのにお金なんて取るわけないじゃない! 寧ろ私が貴方に貢がなきゃ赦されないくらいなのにっ!」
「貢ぐってアンタ......」
過激というか何というか、危ない不穏な発言が有ったがココまでは彼の計算の内、と言うよりも立場が逆だとしても同じ事をしていただろう。
彼は次なる作戦を実行した。
「あー聞こえないですねー、全く聞こえないや」
都合の悪い事は聞こえない作戦。
この作戦、子供っぽいと思われるかもしれないが馬鹿にしてはいけない。真面目な雰囲気の所に茶々を入れ、相手のあらゆる気を削ぐという作用を持っているのだ。真面目な雰囲気をぶち壊したい時に好んで使われる作戦である。
「取引の答えについてしか聞こえない病らしいですねー、新種の病気かなー?」
「......」
唖然、彼女の顔はそんな感じだ。信じられないものを見たかのように目を向けてくる。
「本当に、赦してくれるの?」
「何を言ってるのかよく聞こえませんが、まぁ次からは気をつけてくださいと言っておきます。尤も、気をつけようがないような気もしますがね、あんなとこにいた自分も悪いですし。それで、取引はどうです? 受けてもらえませんかね?」
それを聞き、ボブヘアーの女性は10秒ほど何かに躊躇った様子だったが...
「分かったわ、貴方が良いのならその取り引きに応じましょう。本当にごめんなさい.......それと有難う」
彼女はそうやって一回頭を上げてからまた頭を下げ直す。
「別にいいですって、この管が外れるまでお姉さんの顔を見られるんだから怪我して良かったです。しかも無料でなんて儲けもんですね」
ふふふ、何それ、と女性は漸く笑う。とても美しく、そしてとても可憐な笑みであった。
...これは本当に入院する価値もあるかも知れない。彼がこの不自由な入院生活も嫌ではないかなと思い始めた瞬間であった。
◇◇◇◇◇
「そういえば」
そう彼女が切り出したのはあの一連の出来事から暫く経った後だった。
あの後、彼女は席を外し空腹の杠にご飯を運んで来た。
胃にも少しダメージがあるらしい彼専用の離乳食のようなものであったが、それでも思ってた以上には美味しく頂けた。あくまで思ってた以上ではあるが。
「聞いとかなきゃいけないことがあるのよ。そうね、先ずは名前から聞いてもいいかしら?」
「あ、はい、杠 優斗と申します。どうぞよろしく」
杠は軽く自己紹介をする。この場合他人の名前を聞くならまず自分からと言うのは野暮だろう。
「優斗...いい名前じゃない。因みに知ってると思うけど私は八意永琳よ、よろしくね優斗君」
「.....................」
「......? どうしたの?」
(どうしたもこうしたも......ねぇ?)
確かに、ほんと少しだが彼もそうかなとは思っていた。矢にリボン、医学に精通している。共通点があったのは確かだ。
だが見た目が彼の知るソレとはまるで違う。黒髪にボブヘアー、更に言えば即殺様の異名を持つとは思えぬ態度、彼の想像とまるで違うのだ。
「いや、初めて聞く名前だなって思って」
ゲームの中でしか見かけたことありません、とはとてもじゃないが言える筈がない。適当にごまかす事にする。
「......それ本当?」
「ええ、本当」
杠は理由を付ける事にした。記憶喪失でいいだろうか。
「あなた本当に月都の人間? 自分で言うのもなんだけど私かなりの有名人よ?」
(だろうさ)「いや、気がついたらあの森の中にいたというか何というか......全く覚えてないんです。その月都って言うのもなんなのかさっぱり分からなくて......」
「うーん、記憶喪失なのかしらね......貴方の中にある一番古い記憶って何か分かる?」
「永琳さんに刺される日の前日に地べたに寝転がってたってのが多分一番古いです」
こうも平然に嘘をつく事に罪悪感を感じなくもないが致し方ないだろう。許して貰うしかない。
「そう、うーん、まだこの地点じゃ断定できないわね、様子見するしかないのかしら......というか森の中って、貴方自殺願望者か何かだったのかしら?」
「さぁ、そればっかりは今の私にもさっぱり。それより永琳さん、さっきの話について教えてくださいよ。貴女が有名人だとか月都だとか」
「ん? 良いわよ、まず月都についてだけど.......」
〜〜〜少女(?)説明中〜〜〜
「これくらいかしらね、分かったかしら?」
「ええ、なんとか」
十分程では有るが、杠は永琳から様々な知識を得る。
まず、ここは月都という都市らしい。二次小説でお馴染みの古代都市という奴なのだろう。
何でも月夜見様が治める都市で月都なんだとか。他にも天照大神の納める天都、素戔嗚尊の納める海都が有るのだという。
そして、そんな三神の内の一人、月夜見尊の治めるこの都市において永琳は月の頭脳と月の右腕の二冠を受け取るほどの天才、そして腕っ節を持つという。霊力と頭脳なら誰にも負けないという自負があるらしい。
「さて、なんかだいぶ遠回りしちゃったけどもう少し質問があるから答えて貰うわよ、良いかしら?」
「ノー問題」
「...? それじゃあ質問再開ね」
大神の時もそうだったであったが外来語は伝わらないのかも知れない。
現代で使われる日本語だって出来てから1,000年も経っていないはずなのだが、そこは深く考えない事にしよう。
「そうね、まずは.....この盾に見覚えないかしら?」
永琳は手元から銀の大盾の写真を取り出し彼に見せつける。言うまでもなくあの聖譜顕装である。
「ええ、見覚えがある何も自分が......」
しまった、そう思い喋っていた口を塞ぐが手遅れなのだろう。
白狼はこの盾に神力があると言っていた。コレが彼の持ち物だとバレるのは百害あって一利なし、下手をしたらイレギュラーとしてお縄につき、そのまま絞首台へ、なんて事だってあり得ないわけではない。
そんな最悪の未来を考えゾッとする杠、何とか誤魔化せないか試みる。
「自分が、使ってたものです」
「優斗君の持ち物ってことでいいのね?」
「いや、違います。森の中に落ちてたのを拾ったんです。自分のじゃありません」
「......そう、わかったわ。それじゃ次の質問」
誤魔化せただろうか、間が空いたのが気になるがそうも言ってる暇は無い。
質問は始まったばかり、ヘマを出さないよう気を遣わなければならないのだ。
そこからはひたすらに質問ラッシュだった。
どうやって森で生き延びてたのか、狼たちについて何か知らないか、妖怪に出会わなかったか、永琳はそんな事を根掘り葉掘り聞いてくる。
なるべく事実を言うようにし、時には嘘を吐かない程度に誤魔化し、そして漸く解放されたのは一時間ほど後、杠は疲れのあまりベッドに勢いよく倒れ込む。
「お疲れ様、悪いわね」
「ええまぁ.....病人にやることではないのは確かでしたね」
「わかって頂戴。これも月夜見様の命令なの」
「.........マジスカ、ちなみに具体的には何と?」
「別に大したことじゃないわ、気にしなくても大丈夫よ。それより疲れたでしょ、一眠りついたらどうかしら」
「むぅ」
はぐらかされた気もするが、ここで追及する訳にはいかない。
それに、そう言われると眠いも確かであった。怪我人は疲れ易いというのを彼は信じていなかったがどうやら本当らしい。
「そうですね、それじゃ遠慮なく寝かせてもらいます.......あ、寝る前につかぬ事をお聞きしていいですか?」
「ええ、どうぞ?」
「この脇腹の傷、知らず知らずの間に塞がってたとか、血を入れてないのに充分足りてたとか、そんな事なかったですか?」
「ええと......質問の意図がよく分からないけど、そんな事あり得ないわ。妖怪でもあるまいし」
「そうですか、有難うございます。おやすみなさい」
「ええ、お休みなさい」
深く考えるのを止め、とにかく身体を休めようと瞼を瞑りわずか五秒、のび太くんにも劣らぬスピードで杠は眠りについた。
◆◇◆◇◆
「......寝るの早いわね」
そう呟き、近くの椅子に腰をドサッとかけるのは月の頭脳こと八意永琳、ボブヘアーの似合う美しい女性だ。
質問攻めにされて彼も疲れたのだろうが、彼女とて慣れぬ質問攻めにしてるのだ、それなりに疲れる。
その上少年の意識がこんなに早く回復するとは思ってなかった為、未だ謝罪の意を固めていなかったのだ。
結果としては赦してもらえたものの、ここ数日彼女にとってはそこがとてもとてま大きな山だった部分もある。それを乗り越えてホッとする暇もなく色々な事に追われた為、今になって心身共に疲れが一気にきたのであろう
フゥ、と一息つきながらも、彼について現状分かった事を纏めた資料を見返す事にする。
・名は杠 優斗、年齢不明住所不明家族構成不明
・記憶喪失と思われる。憶えている内容に多少のバラつきが見えるので今の所は何とも言えない
・明らかに何かを隠そうとしている
・彼の証言によると、気が付いたら森の中に一人だけでおり、そこから近くにあった小屋らしきもので1日ほど生活していた。外に出ると妖怪の群れに襲われ、死に追いやられる直前の所で突然狼達が逃げ始める。その間に小屋へ退避しようとしたのだが、矢が刺さり意識を失う形でここに運び込まれた。 御免なさい
・件の神力の盾について、彼は森で拾ったと証言してるが間違いなく嘘
・かなり交友的で優しい
・霊力は人並み以下、妖力は当然皆無、妖怪に襲われたら太刀打ちできない。
こう見返してみるとかなり不明瞭な点が挙げられる。
まず、前提として記憶喪失というのが怪しい。
彼を疑うような真似はしたくないのだが、記憶喪失で不安定な精神の状態で初めて人に会う際には程度は違えどパニックは必ず起こる。だが、彼は余りにも冷静過ぎる。本当に記憶喪失なのか怪しくなってくる程だ。
記憶喪失の割には饒舌なのも気になった。記憶喪失で名前が言えるという症例も彼女にとっても初めてである。
そして次、何かを隠そうとしている点についてだかこれは確定、人の心理を彼女ほど知り尽くしている者はこの都市には居ない。
ほんの少しだけ、さり気なく気を他に向けさせようとする行動、アレは言いたくない事を隠す為の人間の癖のようなものだ。
意識して止めなければ無意識のうちに出てしまう。わざとやっていなければ確実に何かがある、と彼女は確信していた。
そして最後、盾の事についてだが、あれは嘘が下手にも程がある。私は嘘をついていますよ!と自慢している様なものだ。どんな嘘をついているかは分からないが、あの盾はただ拾っただけと言う訳では無いらしい。
こんな所だろうか、疑ってばかりだが、彼女には月夜見の『彼を監視し、正確に見極めよ』との命がある。その為仕方が無いと彼女自身も割り切る事にしていた。
「さてとっ」
立ち上がり、彼の寝るベッドに向かい点滴の替えを用意する。
間近で彼の寝顔を見ると純粋無垢な子供そのもので可愛らしい。この様な若い子供を疑う自分に若干の嫌悪感を感じつつ、慣れた手つきで点滴をテキパキと変えていく。
1分もしないうちに終了し、一通り彼に異変が無いかをチェックした所で彼女は先の資料を手に取り早足で部屋を後にした。まだ報告という作業が残っている。今日は早めに就寝したいのだ。
◇◇◇◇◇
「以上が、件の少年 杠 優斗に関する情報でした」
彼女は今、都市の中心部に位置する社の中にいた。その出来映えは現代における出雲大社にも引けを取らぬ程素晴らしい代物であり、信仰力という点においては絶大な力を誇っている。
彼女自身、正直な所早く帰っておきたかったのだが、作成した資料を月夜見様が直々に目を通しておきたいと言い出したが為、わざわざ彼女が社へと赴き説明を行っていた。
しかし、その面倒な作業も今し方やっと終わった所である。
「ご苦労様です。毎度ありがとうございますね」
「いえ、月夜見様のご命令とあらば」
「それはありがたいです。それにしても永琳、良かったじゃないですか」
先程の業務的な雰囲気とは打って変わり、唐突に良かったなと口にした。こう言われて驚かない人は居ないだろう。永琳も例に違わず喫驚の表情を浮かべている。
「と、申しますと?」
「だって貴女、ここ最近ずっと死にそうな顔してたんですもの。昨日会った時だって心ここに非ずって感じで本気で心配していたのですよ? ですが、その様子だと色々と吹っ切れた様ですね」
どうやら月夜見本人も彼女について多少の負い目を感じていたらしい。自分の出した任務であんな事になってしまったのが大きいのだろう。
「ええ、私が謝ったら、いや、きちんと謝る前に突然彼が事故だからにも気にしなくていいんじゃないかって言い出したんです。それでもケジメをつけさせてくれ。って私が言ったら彼何て返したと思います?
『だったら代わりに入院費を払ってくれ、そしたらコレで解決だ!』って、こう言うんです。本当に吃驚しましたよ」
本人は気づいているだろうか、自分の彼氏や旦那とのノロケ話をする様に、あるいは我が子の自慢をするかの様に、彼女は杠 優斗の事を語っていた。
「相当彼の事が気に入った様ですね。男の影が一つも見え無い貴女にしては珍しい」
「男の話とは違います。あれは私に釣り合う相手がいないだけですし、しかも私から言われせば彼はまだ子供みたいなものですから」
「アハハ、子供ですか。全くー、貴女はそんな事言ってるから何時まで経っても結婚出来ないんですよ。そろそろ焦った方がいいんじゃないですか?だってもうななせ.....」
パリィィィン!!
「............」
「............」
..................ニコッ
「ヒィ‼︎」
突如、近くに置いてあった安くない壺が真っ二つに割れた。しかもコレが二箇所同時、二つの壺が一瞬にして破片へと変わる。
「あら、危ないわよ月夜見、きちんと自室の物くらい確認しておかないと。年季がはいっていたのかしら?」
口調は変わり、顔は笑みを浮かべたまま。ただ、とても冷徹な顔であった。
怒気、恨み、憎悪、妬み、あらゆる負の感情が永琳を取り巻き、そしてそれら全てを纏い始めている。表現するなら阿修羅では生温い、あれの三倍は確実に恐ろしいレベルだ。
ここで忠告をしておこう。八意永琳という女性にとって年齢、そして結婚というテーマは決して触れてはいけない。絶対に絶対に絶対にだ。
読者の皆様も転生した際に命が欲しくばこの禁呪には触れないようにするといい。
「なっ、ななななんでも無いですっ‼︎ 片付けやりますよ!」
「あら、別に座っててもいいのに」
「いやいやいやいやいや、いいんです! やりたいんです!!」
何故か身分が上のはずの月夜見神でさえも怯え始め、機嫌を取ろうと椅子から飛び上がり片付けを始める。
実を言うとこの二人、身分としては月夜見が上なのだが、生まれは永琳の方が早かったりする。その為このような複雑な力関係となっているのだ。
そして何より、この状態になった永琳は何人で有ろうと手をつける事は出来ない。因みにコレが男の影が見えない理由の一つである。
月夜見の必死の媚売りによって機嫌を取り戻した永琳は、かの月夜見尊が破片を一つずつ拾い上げているのを余所目にそそくさと部屋から一礼して退出、そして帰路についた。もはや何に礼儀を払っているのか分からない状態であった。
彼女は歩きながら杠優斗という少年について考える。
月夜見の言う通り、確かに素敵な男ではある。見た目は至って普通だが、こちらの気持ちを配慮した上であんな取引という名のこじ付けをしてくれたのだ。
正直とても嬉しかったし、何よりも救われた。彼女自身、こういう人に自分の人生を預けたい。確かにそう思いはする。するのだが...
「あれは少し幼すぎるわよねぇ...」
幼いというより青いといったところだろうか。
植物などと違い、見た目では年齢を判断しにくい人間であれど、彼と接する時はどうしても甥っ子と接している様な感覚になってしまうのだ。
とてもではないがあの少年との恋仲は想像できない。やはり甥っ子、あるいは息子というのが一番しっくりくる。若い子を受け入れられないのは致命的なのかも知れない。
そんな己の恋愛事情に頭を悩ませつつも、かの月の頭脳は甥っ子擬きのいる自宅へと足を進めるのであった。
ちなみに社に残された月夜見はと言うと、神の威厳を微塵にも感じられるくらいグロッキーな状態で床に座り込んでいた。噂によると。そこから立て直すのに決して少なく無い時間を要したらしい。
即頃様と呼ばれる彼女も理由も無く命を粗末にはしません。しているなら家系とは言えお薬屋さんなんてやらないでしょう。......してませんよね?
あと月夜見より永琳の方が年上というのは原作設定です。その為職場とプライベートな所で接し方が変わってたりしてます。