向日葵荘。かつてのファングたちの拠点。ここに戻ってくるのは久しぶり────いや初めてだ。全てがゼロになった今では仲間と築き上げたこの宿屋での思い出も無かったものになった。何一つ変わらないようで全てが違う向日葵荘にファングは寂しい気持ちになる。今でも皆の部屋に向かえば彼らがいるのではないか、そんな錯覚をファングは覚えた。
「よお、ファング。遅かったな」
件の巧は向日葵荘の食堂にいた。雑誌を片手にコーヒーを必死になって冷ます彼は間違いなくファングの知る乾巧であった。こっちが必死になって戦っていたというのに呑気なものだ。といってもこの時間の彼はファングに何があったのかなんて知らないのだから呑気なのも仕方ないのだけど。あくまでこの時間の巧なら、だが。
「お前こそ今まで何やってたんだよ」
ティアラが出会う前から巧はファングと一緒に行動していた。妖聖を除けば彼は唯一ティアラよりもファングと付き合いが長い。本来なら二人で旅をしているうちにティアラと出会い向日葵荘が拠点になったはずなのに一足先に彼がここにいることが不思議で仕方がない。
「情報収集だ」
「ただ雑誌見てるだけで情報収集もへったくれもないだろ」
「こういうのが案外参考になんだよ。ガルドたちとも連絡つかねーしな」
巧はファイズフォンを開いてメールの更新を押した。エフォール、ハーラー、ガルドとメールアドレスを持っている三人に連絡を試みたが残念ながら誰の返信もない。彼はため息を吐き雑誌に視線を戻した。
「・・・・・・待て、今何て言った?」
サラッと言った言葉にファングは目を丸くする。
「何って・・・・・・ガルドたちとも連絡つかねーって言ったんだよ」
「ガルド、だと?」
見知った名、だがこの時はまだファングたちと知り合っていないはずのガルドの登場に彼は眉をひそめる。
「・・・・・・な、なあ。巧、まさかお前は」
「ああ、そうだよ」
驚愕で身体が震えるファングに巧はふっと笑う。
「お前と一緒に戻ってきたんだよ、過去にな」
「はあああああああああ!?」
ファングの絶叫が向日葵荘に響き渡った。
◇
「つまり私と旅人さんたちはかつて一緒に行動していたということですか?」
「ああ。アリンの力が発動したせいで俺たちは一からやり直すことになっちまった」
「ですが私はどういう訳か置いていかれてしまった、と」
ファングは自分が過去に戻った経緯を説明した。もちろんティアラが殺されたということだけは省いて。本来の彼女ならともかく今のティアラが誰かに殺されたなんて知れば不安で押し潰されてしまうからだ。
「・・・・・・信じられません。そんな荒唐無稽な話し、バカげていますわ」
ティアラは困惑半分呆れ半分でそれを否定した。無理もない。初対面の人間にそんなことを言われて信じる方がどうかしている。
「だよなあ。俺だって自分の立場ならそう思うよ」
「急に信じろって言われても無理だよね」
『だが事実だ。現に我らはティアラを知っている。名もパートナー妖聖もな』
ティアラはブレイズに視線を移す。
「何故でしょう? お二方と違ってそこの妖聖さんだけ妙に説得力がある気がします・・・・・・。彼が言うと不思議と納得してしまいそうです」
「おい、俺たち胡散臭く思われてるぞ」
「やっぱり根底的にはあたしたちを見下してるのよ、前と変わらず」
嫌なところばかり前と変わらないな、アリンはがっかりした。
「信じられないというならこの俺様の澄んだ目を見ろ。真実だと分かるだろ?」
「充血していますわ」
「・・・・・・苦労したからな」
涙を流したばかりなのをファングは忘れていた。目元に触れる。ティアラが触れた指の感触が今でも残っている気がした。ファングは力なく笑う。
「いずれにせよ証拠がなければ信じる訳にはいきません」
「証拠ならあるぞ」
アルバムを片手に巧が食堂に戻ってきた。
「あなたも旅人さんの仲間なのですか?」
「まあな。お前の仲間でもある」
「私はあなたと会った記憶はありません」
疑いの視線を向けるティアラに巧はアルバムを見せた。過去に戻る前に彼が残した写真の記録だ。
「これは・・・・・・!」
「な、少なくとも仲間ではあったろ?」
ティアラはパラパラとアルバムを捲る。ダンジョンや宿屋、街中などあらゆる場所で撮った写真が貼られていた。その中にはティアラがファングたちと一緒に写っているものもある。
「・・・・・・まだ怪しいところはありますけど。とりあえず信用しますわ」
「とりあえずかよ。まっ、良いけどよ」
ひとまずは信用されたようで良かった。ファングは笑みを浮かべる。
「旅人さんが本当に未来から来たのならこれから起こることが分かるはず。例えばフューリーのある場所とか。何かそういうのはありませんか」
「俺たちが最初にフューリーを手に入れたところと言えば」
「クラヴィーセ洞窟、だね」
「ああ。あそこは暗いから今度はお前らもライトを持ってけよ」
ティアラは賢いな、とファングは思った。彼らが本当に未来から来たのか試しているのだろう。
「ではクラヴィーセ洞窟に向かいましょう」
◇
「でも巧、お前はどうやって過去に戻ってきたんだ」
クラヴィーセ洞窟に向かうための準備をするファングたち。男女に分かれて買い物をしていた。
「お前が過去に戻った後で俺たちも『アレ』を見つけた」
アレが何なのか、言われなくても分かった。刺されたティアラ、彼らもそれを見つけたのだろう。苦々しげな表情の巧が物語っていた。
「わりいな、俺がティアラを守れていればお前らを辛い目に合わせずに済んだのに」
「・・・・・・謝んなよ。一番辛いのはお前だろ、ファング」
ファングがティアラにどういう思いを抱いていたか巧は知っている。そもそもファングはマリアノと戦っていた。あの状況ではティアラの傍にいる余裕はないのだ。だから彼の責任ではない。にも関わらずファングが自責の念に囚われるのはやはりティアラを守るという強い使命感が彼にあったからだ。
「それで、お前はどうやって過去に?」
「時間が巻き戻る前にこれを天道ってヤツからもらった。コイツを持ってれば過去に戻れるって言われてな」
巧は懐から赤い宝石の指輪を取り出す。どういう原理か分からないがこれのおかげで彼の記憶は残っていた。この指輪の持ち主には感謝しなければならないな、天道の言葉を思い出した巧はそう思った。
『ふむ、微かだがこの指輪からは魔力を感じるな』
『それもわたしたちとおなじほのおのちからだね』
「へえ、じゃあこれは魔法の指輪なのか」
ファングは興味深そうに指輪を眺める。玩具のような形状のそれはまるで仮面のようだ。どうやって作ったのか非常に気になる。
「しかしティアラ一人納得させんのにも苦労したし、お前の記憶が消えないで済んで良かったな」
「ああ」
とは言いつつも巧たちに少なからず疑いの目を持っているファングとしては一概に良かったとも言い切れないのだが。まあフェンサーではない巧は一番ティアラを刺した犯人である可能性が低いから素直に記憶があることを喜んで良いだろう。
「そうだ、巧。お前傷薬とか今どれくらい持ってる?」
「あんまり持ってないな。こっちに戻る前にかなり使っちまった。北崎と戦っちまったからな」
「じゃあアイツらと合流する前に店寄ってくか」
ファングは最寄りの雑貨屋の扉を開けた。
「エフォール、とっても似合ってますよ」
「・・・・・・本当?」
「ええ、これでファングさんもイチコロです。あ、ちょうどファングさんがそ『バタンッ!』」
無言で閉めた。
「おい、巧。念を押して聞くが過去に戻ってきたのはお前だけだよな」
「は、何を言ってる? 皆で戻ってきたに決まってんだろ。シャルマンだけわかんねーけど。ま、多分アイツも戻って来てるだろ」
ティアラもろともシャルマンが何者かに殺されてなければ恐らく彼も一緒に戻ってきてるだろう。あの天道が誰か一人を欠けさせるなんて失態をするとは思えない。
「おい、計画が早くも全部ぶっ壊れたぞ」
『流石にこれは予想外だ。全員が過去に戻ってくるとは。剣崎一真や天道という男の出現、過去の変化から考えるに女神レベルの『超越した』何者かが関与しているのだろうか?』
『それ、きっとかめんらいだーだよ! かいとうがいってた!』
「先生や真司も自分のことを仮面ライダーって名乗ってたな。何か関係があるのか?」
だとしたら仮面ライダーとは一体なんなのだろうか。謎は深まるばかりだ。腕を組んでファングが考えていると背後の扉が開いた。
「ファング!」
店から飛び出したエフォールがファングに抱きついた。飼い主を見つけた子犬のようだ。
「うわっ!」
倒れまいとファングは両手で受け止める。が、思いの外勢いがあったのかそのまま後ろに倒れてしまう。
「いてて」
「もう、ファングさん。いきなり逃げるなんて酷いじゃ・・・・・・あ」
ドアから顔だけ出した果林は巧と視線が合い固まった。
「巧さん!」
「・・・・・・よう、果林」
パアっと明るい顔で喜ぶ果林に巧は照れ臭そうに笑みを浮かべる。思いの外早い再会となった。
「そっか。お前たちは今日戻って来たんだな」
「ええ。ガルドさんたちと一緒に。巧さんは?」
「俺は二日前だ」
ファングに抱きついて離れないエフォールを尻目に巧と果林は近くのベンチに座る。どういう訳かそれぞれ過去に戻ってきたタイミングにラグがあるようだ。連絡がつかない理由が分かった。
「ガルドは何処にいるんだ?」
「ガルドさんはザンクさんの所に行きました。ザンクはんに呼び出されたって言ってましたよ」
「あー・・・・・・あいつこの頃はまだザンクの部下だったか」
どうやって合流するか、巧は頭の後ろを掻いた。
「ファング。ずっと、会いたかった。ティアラが、ティアラが。私、何も出来なかった」
「・・・・・・そうか。お前も見ちまったか。悪い、怖い思いさせちまったな」
「うん・・・・・・」
あの時の光景が頭から離れないのだろう。エフォールは震えていた。ファングは彼女を優しく抱き締めると頭と背中を撫でた。震える彼女を安心させるように。元が暗殺者だったエフォールでも子どもなのには変わらない。人間らしくなった彼女は昔のように人の死に何の感情も抱かない、なんてことはない。むしろ初めて知った誰かを失う深い悲しみに誰よりもショックを受けたのはエフォールだ。それを察したファングは耳元で大丈夫だ、俺が傍にいると囁く。兄のように。父のように。氷のように冷たくなったエフォールの心がファングの優しさによって少しずつ温かくなっていく。彼女は穏やかに目を細めた。
「過去に戻ってからもエフォールはずっとティアラさんの死を引きずっていて。あの娘は二手に分かれるまで一緒に行動していましたから。自分のせいでと自責の念に囚われていました。私も気分転換に買い物に行きましたけどあまり効果がなくて」
「それであの格好か・・・・・・。仕方ねえよ。お前たちは戻ったばかりだろ。俺もそうだったよ」
巧はあれから二日経っているから心身共に整理出来たがエフォールたちはつい数時間前にティアラが死んだばかりだ。まだまだショックは抜けていないだろう。
「それよりお前は大丈夫か?」
「だいじょう『無理するな』・・・・・・実はまだちょっと」
果林は強がって巧に笑みを浮かべる。だが彼の真剣な目付きに果林は観念した。
「本当は私も怖かったんです。でも怯えるあの娘を守らないとって思うと弱音なんて吐けなくて・・・・・・ごめんなさい」
「謝らなくていい。偉いよ、お前は」
巧はファングに習って果林の頭を撫でた。ぎこちない動きのそれが不思議と心地よい。彼女は巧の肩に頭を乗せた。
「手を握っても、良いですか?」
無言で差し出されたその手を果林は握った。
「旅人さんは私を愛しているのではないのですか? なのに、どうしてあんな露出の多い服を着た可愛い女の子と抱き合っているんですか・・・・・・? あの言葉は嘘でしたの?」
「あんたを愛してるかは知らないわ。でも・・・・・・ああ、もうムカつくう! 何よ、あたしにもあれくらい優しくしてくれても良いでしょう!?」
『おちついて、ふたりとも。すごくこわいかおしてるよ』
「キュィィ・・・・・・」
ファングは背筋に寒気を感じた。
◇
「さて、クラヴィーセ洞窟に着いた訳だが・・・・・・どうしたもんか」
「えっと。ど、どうしましょう?」
巧と果林が困ったように洞窟の前で立ち往生する。このままではとてもじゃないが先に進めそうにない。
「旅人さん、これはどういうことですか?」
「ファング。あとで分かってるわよ、ね?」
「ファング♪」
「はは、すげえ疲れた。もう帰りてえ・・・・・・」
巧と果林の先には疲れた顔で女性陣に囲まれているファングがいた。それも全く楽しいものではない。まず疑惑の視線を向けるティアラ。次に怒りと嫉妬の炎を燃やすアリン。最後に彼の腕にしがみついて離れないエフォール。こんな混沌とした状況ではとてもじゃないがモンスターの巣窟と化したクラヴィーセには入れそうもない。二人はため息を吐いた。
「なあエフォール。ファングから離れろよ。流石にこれから洞窟に入るのにコイツが戦えないと困る」
「そうですよ、エフォールさん。殿方の腕に抱きつくのははしたないですわ」
「俺も腕が疲れたからさ、頼むよ」
「やだ」
巧とティアラに言われてもエフォールはファングから離れようとしない。むしろ逆効果だ。彼女はファングの腕をより強く握る。
「じゃあティアラも、一緒」
「・・・・・・え? あの、それはちょっと」
「もう、いなくならないで」
エフォールは更にティアラと手を繋ぐ。振りほどこうとした彼女は寂しげに微笑むエフォールに胸を締め付けられる。なんだか彼女にとても悲しい思いをさせてしまった、そんな気がした。
「な、なんですかこの娘は? と、とても可愛いです。なんだか妹が出来たみたい!」
「ね、可愛い娘でしょう? そう思いますよね!」
「やべえ余計めんどくせえことになった」
「おい、どうすんだ? 巧、なんとかしろ」
「じゃあブレイズがなんとかしろ」
果林までこの混沌に加わったことにより巧は孤立した。泣く泣く彼は妖聖に助けを求める。
『お前らいい加減にしろ。早くしないと夜になるだろう』
『わたしたちフューリーをとりにきたんだよ。これぼうけんだよ? そういうらぶこめはいらないってば・・・・・・』
「そうよ! 早くファングから離れなさい!」
アリンがエフォールを引き剥がした。
「あ・・・・・・残念」
「残念じゃない! ファングの手はあたしを、剣を握るためにあるの! 例えエフォールでもここは譲らないわ!」
「ごめんね、アリン」
パートナーであるアリンがこう言ってしまえばエフォールは引き下がるしかない。彼女もアリンがファングにどういう思いを抱いているかある程度理解しているので素直に引き下がった。
「あー、やっと解放された。よし行くぞ、お前ら!」
ファングたちはようやくクラヴィーセ洞窟の内部に入った。
「やっぱり中は暗いな」
ライトを片手にファングと巧が前を歩く。すぐ後ろにエフォールが続き、ティアラが一番後ろを歩く。ティアラと違いこの洞窟の構造を構造をある程度覚えていた彼らが自然な形で先導していた。
「エフォールはライトなしで大丈夫か?」
事前に準備をしていたファング一行は皆ライトを持っているがエフォールは持っていない。にも関わらず彼女はすいすいと洞窟を進んでいた。
「うん、暗いの平気」
「私がエフォールに選んだ眼帯は暗闇も見通せるんですよ」
「へえ、便利だな」
エフォールは以前の青いパーカーから露出の多い服装に変わった。今は眼帯にウサ耳フードと随分奇抜な格好になっている。単なるイメチェンと思っていたが眼帯にそんな機能があったとは。巧は感心する。もしかしたらこのウサギの耳のようなフードにも何かそういう便利な機能があるのだろうか。
「可愛いでしょう。エフォールにはこういう普通の女の子らしい物が似合いますよね」
果林はよほどこの服の選択に自信があるのか笑顔で言った。
『普通、なのだろうか?』
「俺は着るのに勇気いると思うんだけどな。自己主張が強いつーか、なんというか。俺は金を積まれても着たくねえな」
「ファング、ストレートすぎよ。まああたしも着たくはないけど」
「っ!」
ファングたちの反応が著しくない。果林は目を見開いた。いや、何故驚くのだろうか。まさかこのコスプレのような謎のファッションに本気で自信があったのか。ファングは少し引く。相変わらず果林も普通の女の子というものにずれた感覚を持っているようだ。
「俺は、悪くないと思うぞ。似合ってはいるからな」
「乾さん、苦笑いしながら言ってもあまり説得力がありませんわ」
『えー、エフォールかわいいよー』
巧たちもファングたちに比べれば優しい反応を示す。だがそれでもやはりこの格好が普通の美的感覚には見えなかった。果林は肩をがっくりと落とす。
「果林、元気出して」
「ありがとう、エフォール。・・・・・・ケモ耳可愛いのに、残念です」
問題なのはケモ耳だけではない。全体的にだ。全員が内心で突っ込んだ。
「今度買い物に行きましょう。エフォールさんも果林さんも可愛らしい顔をしてるのですから。きっととても似合うお洋服がありますよ」
「私も、ですか?」
「ええ、もちろん。乾さんのハートもイチコロですわ」
そういうのじゃねえよ、と巧は慌てて否定した。こういう所も前と変わってないようだ。
「お、なんだ。やけに仲良さそうだな。もう仲間になる気になったのか?」
ティアラは無言で頷く。
「・・・・・・あなたたちが未来から来たのかはまだ分かりません。でも良い人たちだというのは分かりました。だから一緒にフューリーを集めるのも悪くないと思って。でも私によって旅人さんたちが危険な目に合うことになったら直ぐに切り捨ててしまって構いませんわ」
この期に及んでまだこちらの心配をするティアラにファングはため息を吐いた。
「お前なあ。俺たちが仲間を切り捨てる訳ないだろ」
「ですが、またあの怪物に襲われたら・・・・・・」
「何度だって言うぞ。俺はお前を、仲間を守る。危険? だからどうした。そんなもん一つ一つこの手で打ちのめしてやるよ」
力強く笑うファングだがティアラはそれでも不安の色を隠せていない。この世界の彼女に一体何があったのだろう。
「なあティアラとファングの言ってる怪物ってなんのことだ?」
「初めてティアラと会った時に戦ったチンピラフェンサーを覚えているわよね。それがこの間戦った灰色の怪人と同じようなヤツになったのよ」
「あのチンピラがオルフェノクに!?」
巧は目を見開いた。記憶が正しければチンピラはただの人間でオルフェノクになったりはしない。そもそも巧がこの世界で初めてオルフェノクと遭遇するのはまだまだ先のはずだ。こんな早い段階でオルフェノクが出現するなどありえない。一体過去に何があったのだろうか。彼は変化し始めている過去に言い様のない不安を覚えた。
「何が起きてるんだ・・・・・・?」
間もなく巧もどれだけこの過去がネジ曲がってしまったか知ることになる。
「この先にフューリーがあるぞ」
「今回はあの時と違ってスムーズだったな」
「エフォールが仲間だからね。あの時は敵だったし」
しばらく歩いているとフューリーがある最奥部までたどり着いた。一度来たことがあるだけあって前回よりもかなり早い。迷うことなく確実な道を選んだファングにティアラは未来から来たことを少しは信じても良いかな、と思った。
「よし、とっととフューリーを手に入れて帰ろうぜ」
突き当たりを曲がろうとしたファングの背中をエフォールが掴んだ。
「待って、ファング」
「ん? どうした、エフォール?」
「誰か、いる」
その言葉にファングは顔色を変える。意識を集中させるとこの先、フューリーがある場所に誰かがいることに気づく。
「俺も今気づいた。・・・・・・何人だ?」
「強い気配が二つ」
「・・・・・・確かに二人ヤバイのがいるな」
「よし、見てみるか」
「気をつけろよ、巧」
ファングと巧は恐る恐る顔だけ出した。
「北崎さん、諦めて戻ってきなさい。『過去』は変わった。我々、オルフェノクの勝利は近いでしょう。一人で抵抗しても無意味ですよ」
「やだね。世界中がオルフェノクになる? マリアノさんや子どもたち、それにエミリちゃんも? 冗談じゃない。久しぶりに会ったと思ったらそんな下らないことを言いに来たの?」
「あなたに会いに来た訳ではありませんよ。・・・・・・やれやれ、強情ですね。私も手荒なことはしたくないのですが」
ファングは強い気配の正体であった二人に己の目を疑う。北崎。この時にはまだ存在すら知らなかった少年。このタイミングの登場に驚愕するしかない。だがそれよりももう一人の男の方が問題だ。
「あれは北崎・・・・・・それに村上、か?」
「あの野郎! この過去の変化について何か知ってやがる・・・・・・!」
「待て、ファング!」
村上峡児。過去の世界で巧に倒されたはずの男がそこにいた。彼の意味深な言動が引っかかる。ファングは今すぐ飛び出したい衝動に駆られるがそれをグッと抑えた。
「巧、ティアラたちのことは頼んだ。俺のことは良いから逃げろ」
「おい、まさかお前・・・・・・!?」
ファングは剣を握る。巧は彼が何をしようとしてるのか察した。
「話しは聞いてたよな。ティアラ、ここは引くぞ」
「ですがファングさんは・・・・・・?」
「俺のことは心配するな。フューリーを持って帰ってくるからさ」
「・・・・・・なら約束してください。私の傍にいるという誓いを忘れないで。絶対に生きて帰ってきてくださいまし」
ティアラの願いにファングは力強く頷く。彼女は儚げに微笑むと巧に連れられ、洞窟の外に向かって行った。
『ファング、約束したからには帰ってこれる保証はあるのだろうな』
『おんなのこをなかしちゃいけないんだよ』
「俺がアイツを傷つけることをすると思うか? ・・・・・・いくぞ、アリン! 『フェアリンク』!」
『やってやろうじゃないの! あんたとあたしなら負けるはずがないわ!』
ファングは勢いよく飛び出す。狙いは村上。一直線で彼は村上に接近する。不意討ち。背後からいきなり放たれた斬撃に村上はゆっくりと振り返り────
「────お待ちしておりましたよ、ファングさん」
「っ!」
────ニヤリと笑った。嫌な予感がしたファングは咄嗟に後ろへ跳んだ。次の瞬間、彼の目と鼻の先を無数の薔薇の花弁が襲った。もしも回避していなかったらこの攻撃の餌食になっていただろう。ファングは冷や汗を流した。
「流石は上の上のフェンサーだけありますね。冴子さんが北崎さんや乾巧よりも警戒するだけのことはある」
「ち、てめえも巧たちを追い詰めただけのことはあるな」
ファングは剣の切っ先を村上に向ける。
「えっ、何これ? どういう状況?」
すっかり蚊帳の外になってしまった北崎は二人を前に首を傾げた。
「てめえ、どこで俺のことを知った? いや、何を知っている!?」
「それは僕も気になるなあ」
「そうですねえ、あなたが今気になっていることなら全て答えられるでしょう」
やはりこの男は過去の変化に関わっている。ファングは剣を握る手に力を込めた。
『とりあえず私の攻撃を回避したあなたには一つ良いことを教えてあげましょう』
村上はローズオルフェノクに変貌を遂げた。
『私は『囮』です。今日あなたがこの場所に来ることは分かっていた。今頃優秀な私の兵隊があなたの大切な人を回収しに向かっていますよ。新たな世界の礎となる少女────ティアラ・ティリス・ティアーズをね』
「ティアラを、だと」
ティアラに危機が迫っている。ファングは目の色を変えた。どういうことだ。何故彼女が狙われている。オルフェノクというヤツラとティアラに何の関係がある。そういえば以前の世界でバーナードも彼女を狙っていた。邪神の血族であるバーナードが、だ。そして剣崎が語っていたティアラは世界に大きな影響を与えるという言葉。まさか・・・・・・。だが今重要なのはそんなことではない。
「『フェアライズ!』」
速攻でローズオルフェノクを倒す。そしてティアラを助けに行く。ファングは紅炎真紅の戦士に変身した。
「・・・・・・しょうがないなあ。これで貸し一つだからね、ファングくん」
◇
ライオトルーパー。騒乱の騎兵。量産化された脅威の兵士。彼らの恐怖をファイズはあらためて実感した。
「くそ、数が多すぎる!?」
ファングと分かれてから直ぐに巧たちは強襲された。それは一瞬のことだ。四方八方。ぞろぞろと現れた無数のライオトルーパーに彼らは囲まれた。数にしておよそ十。それだけの数の敵と戦った経験はファイズにもエフォールにもない。危機的状況に彼らは追い込まれていた。
『巧さん、後ろです!』
「ちっ!」
背後から放たれたアクセレイガンの一撃をファイズは屈んで避ける。瞬時にそのライオトルーパーをハイキックで蹴り飛ばすと接近してきた複数のライオトルーパーをフォンブラスターで牽制した。
「ティアラ、俺から離れるなよ」
「は、はい」
ファイズはティアラを庇うように前に立つ。どういう訳かコイツらは執拗に彼女を狙ってくる。ファイズやエフォールを倒すよりもティアラを連れ去ることを優先しているようだ。ファングから頼まれた巧は彼女を何としてでも守るために気を引き締める。もうあんな悲劇は二度と見たくはない。絶対にティアラを守る、その気持ちは巧もエフォールも同じだ。
「お前ら、殺!」
『attack effect フリーズミーティア』
エフォールの弓矢がライオトルーパーズを貫いていく。暗闇に紛れようと彼女の目から逃れることは出来ない。氷結したライオトルーパーズにファイズは追撃を放つ。彼はその手にファイズショットを装着した。
────exceed charge
必殺のグランインパクトがライオトルーパーズを打ち砕いた。一瞬にして彼らは灰と化す。半数ほど数の減ったライオトルーパーズは後退する。
「乾さん、エフォールさん。お怪我はありませんか?」
「頼む」
「これくらい、かすり傷」
「女の子が無理をするものではありません。『レジヒール』」
ダメージを負った巧とエフォールの身体をティアラが癒す。レジヒール、複数の人間を同時に癒す回復魔法だ。
「サンキュー。・・・・・・ち、次から次へと沸いて出やがる」
ファイズの複眼。アルティメットファインダーが洞窟の外と中から追加で現れたライオトルーパーズを捉える。数は先ほどより増えて二十はいた。これは詰みかもしれない。十人でもギリギリの戦いだったのにその二倍となれば勝機は限りなくゼロに近いだろう。
「私を切り捨ててください。彼らの狙いは私みたいです・・・・・・」
「何を言っている?」
「良いんです。私は本当は生きていてはいけないのですから」
儚く笑うティアラに巧はため息を吐いた。
「・・・・・・仕方ねえな。ティアラ、エフォール。俺が道を作るからお前ら逃げろ」
ファイズはライオトルーパーに向かって走り出す。ティアラを捕らえるよりも先にファイズを始末した方が早いと判断したライオトルーパーズは彼を取り囲んだ。
「な、何を言ってるんですか!?」
「分かった」
「エフォールさんまで!?」
ファイズを助けに向かおうとするティアラをエフォールは引っ張る。彼女を守る。
「何故、何故あなたたちは私をそこまで守ろうとするのですか? 私はそんなに守る価値があるのですか?」
「価値とか、関係ない。ファングも巧も誰かを守る時にそんなこと考えない。例え自分を殺そうとした人でも助ける。そういう人たち」
『私やエフォールもそうやってあのお二人に守ってもらいました。裏稼業でこの手を汚してきた私たちを。きっとあの人たちは誰であろうと手を差し伸べます。自分が伸ばして繋いだその手が間違いではないと、そう信じているから』
エフォールはティアラに手を伸ばした。彼女は少し悩んだ後、その手を掴もうと────
『ハァァァァ!』
「っ!? まだ、いた!?」
伸ばした瞬間、二人に隙が出来たのを見計らったかのようにライオトルーパーは飛び出した。エフォールは繋ごうとした手を弓に戻す。間に合うか。
『その手は繋いで起きなよ』
『あ、あ、あ』
だがエフォールが得物に手を掛けるよりも早く何者かがライオトルーパーの背中を貫いた。灰色の爪。それがライオトルーパーの硬い装甲を貫いていた。
『あなたは!?』
「北崎・・・・・・?」
ドラゴンオルフェノク。北崎。エフォールとティアラの窮地を救ったのは幾度となく敵対していたはずの彼だった。
『不思議なもんだねえ。前の世界で初めて会った時はキミたちを殺そうとしたのに、今度の世界では初めて会うキミたちを救うことになるなんて。かなり世界は変わったみたいだ』
言われてみれば本当に不思議だ。ティアラも果林も北崎と初対面した時は殺されそうになった。なのに今回はその二人の命を守るのだから。それは本当に過去の変化なのだろうか。もしかしたら過去ではなく北崎自身の変化なのかもしれない。
「あなたは、いったい?」
ティアラはドラゴンオルフェノク、怪物が自分たちを助けたことに首を傾げる。当たり前だ。彼女からすれば自分を襲う恐怖の象徴であるオルフェノクが敵である人間の味方をすることが信じられなかった。
『あれ、キミは記憶がないの? ま、いいや。人間で、オルフェノクで、サイガ。それが僕だよ』
そう言うと北崎はファイズを助けに向かった。
「あの人、人間なのですか?」
「人間、だと思う」
『子どもや大切な女の子を守るために戦う人が怪物だと思いますか? 少なくとも心は人間ですよ』
「心は、人間」
ティアラはポツリと呟く。心は人間、その言葉は彼女の闇を少しだけ晴らした気がした。
『やあ乾巧。奇遇だね』
「っ! お前は!?」
ファイズを押し潰していたライオトルーパーズをドラゴンオルフェノクの青い火球が吹き飛ばした。
「何のつもりだ」
『別に。誰かが管理する世界に未来はない、って言葉の意味が分かっただけさ』
「どういうことだ」
『直に分かるよ。それよりもコイツらを倒さないと、ね』
四方八方から飛びかかったライオトルーパーズをドラゴンオルフェノクは竜巻ではね飛ばす。北崎の登場に事態を重く感じたライオトルーパーズは総力を結集させて彼らを取り囲む。的が一ヶ所に集まってラッキーだ、北崎は不気味に笑う。
『一気にケリをつけよう』
「ああ」
────complete
ファイズはアクセルフォームにフォームチェンジした。洞窟の暗闇を紅い光が照らし上げる。それを確認するとドラゴンオルフェノクも魔人態から龍人態に変貌を遂げた。圧倒的な数の差。それを難なく覆す二人の高速戦士の共闘が何もかもがネジ曲がったこの世界で実現した。
『僕が打ち上げるからトドメは頼んだよ』
ドラゴンオルフェノクはライオトルーパーズを宙に打ち上げる。拳で、蹴りで。時間にして僅か二秒。それこそ瞬きをする一瞬の間に全てのライオトルーパーズが宙に浮いた。
────start-up
無数のライオトルーパーを紅い三角錐が拘束した。ファイズは手首をスナップすると飛び上がった。
「ヤァァァァァァ!」
貫く。貫く。貫く────。圧倒的な速さのアクセルクリムゾンスマッシュが無数にいたライオトルーパーを一瞬にして貫いた。真っ暗だった洞窟を青い炎が照らした。
────reformation
ライオトルーパーズを打ち倒したファイズは変身を解除した。
「ふぅ」
アクセルフォームを使った疲労から巧は小さくため息を吐いた。この力を使うと異常に疲れる。普通にファイズとして戦う時とは比べものにならない疲労だ。巧は額の汗を拭った。
「巧さん、やりましたね!」
「巧、北崎。お疲れさま」
「お二人ともお見事でしたわ」
ティアラたちが巧と北崎に駆け寄る。
「助かった、北崎。まさかお前にまで記憶があるとはな」
「うん。多分、木場勇治からもらったベルトのおかげだね」
もし北崎が敵だったらと考えるとゾッとする。また木場に助けられたな。巧は彼に感謝した。
「このご恩はいつか必ずお返しします。優しい怪物さん、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。・・・・・・って、あれ? キミ、そんなキャラだっけ?」
ティアラに記憶がないのは分かっていた。だがそれにしても以前の彼女とはあまりに違う言動だ。あの北崎ですらティアラの異変に首を傾げる。
「巧、ティアラ。早くファングの所に行こう」
「ファングさんを迎えに行きましょう」
巧とティアラの袖を引っ張るエフォールに二人は頷いた。
「じゃあな、北崎」
「うん。あっ、僕が助けに来る前に何人アイツら倒した」
「・・・・・・? 5人だ」
「ありがとう」
ファングの元へと向かう巧たちに北崎は手を振った。
「・・・・・・残り9975、か」
◇
「まさか、これ程の強さとは・・・・・・!」
本気になったファングを前にローズオルフェノクは劣勢に追い込まれていた。薔薇の花弁は炎に焼き払われ、特殊能力の念力も効果がない。三ライダーを圧倒した体術もブレイドの剣に匹敵する強さになったファングの剣を前には通用しない。彼は上の上であるはずのローズオルフェノクを完全に圧倒していた。彼は膝をつく。既にローズオルフェノクのその白い身体からは所々灰が零れていた。
「もう終わりか?」
ファングは大剣をローズオルフェノクの首に向ける。
「いいえ、私は終わりませんよ」
生殺与奪を握られているにも関わらずローズオルフェノクは余裕を崩すことはない。死ぬのが怖くないのか。ファングは首を傾げる。
『・・・・・・何が言いたい? 貴様はここで終わりだ。逃がしはしない』
『あたしたちを敵に回したのが運の尽きね!』
『そーだそーだ。ほんきのファングはつよいんだよ!』
「死にたくなければ話せ。この世界に何があった?」
観念したのかローズオルフェノクは人間態に戻った。
「・・・・・・あなたがこの世界に違和感を感じるのは未来から来たからですね?」
「ああ、この世界は何もかもがおかしい。誰かの性格が変わっていて、誰かが怪物になっていて、その時いないはずの誰かがそこにいる。時を戻したはずの俺が知らない所で、だ。その原因はなんだ?」
「私とて全容を把握している訳ではありませんよ。だが強いて言うなら・・・・・・」
村上はしばし考え込んだ後、こう言った。
「本来生き残るはずの『誰か』が死んだことによってこの異変は起きたのです。だから静かに暗躍するはずだったオルフェノクは力をつけ、ドルファに負けず劣らず強力な戦力を手に入れてしまった」
「その誰かはティアラなのか?」
「・・・・・・」
返事はない。だが間違いないだろう。そうでなければ彼らがティアラを狙う理由はない。なるほど。ティアラは本来死ぬはずがなかった。ファングが彼女の死によって女神の力で時を戻した影響で過去がネジ曲がったのだ。そしてこの事態が起きた、と。
村上の言っていることは筋が通っている。全てを信じる訳ではないがおおよそ間違いはなさそうだ。
「さて、私はそろそろ消えますか」
『待て、我らが貴様を逃がすと思うか』
「そうだ。まだ聞きたいことは山ほどある。逃がさねえよ」
立ち上がった村上にファングは再び剣を向けた。
「逃げる? 何を言っているのですか」
ファングは目を見開く。村上の身体からは青い炎が噴き出したからだ。オルフェノクが死ぬ間際に起きる現象。これまで倒して来た彼らからファングはそれを知っていた。だが、どういうことだ。致命傷になるような傷は負わせていない。まだ話しを聞き出さなければならないのだ。だから死ぬはずは、ない。
「消えるんですよ」
村上は灰と化した。跡形もなく。それはまぎれもなく彼の死を意味していた。
『あいつ、死んだの?』
呆然としたようにアリンが呟く。
「だと良いんだけどな」
私は終わりませんよ。首に剣を向けられているにも関わらず余裕を崩さなかった村上がどうにも引っかかる。あれは何かを隠している顔だ。ファングは何とも言えない表情で風に飛ばされる灰を見送った。
◇
「ご無事でしたか、旅人さん?」
ファングはあれから程なくして巧たちと合流した。疲労困憊の巧の様子から村上の兵隊の襲撃を受けたのだろう。ティアラを守ってくれた彼にファングは感謝した。
「ああ。言ったろ、フューリーを持って帰ってくるって」
戦利品であるフューリーを掲げるとティアラは笑顔を浮かべた。
「旅人さんはお強いんですね」
「まあな。・・・・・・それとよ。いい加減、旅人さんは止めろよ。俺たちは仲間だろ?」
それは巧たちも気になっていた。ティアラはずっとファングを旅人さんと呼んでいる。他の皆はきちんと名前か名字で呼んでいるのに。何故ファングだけ旅人さんと呼ぶのだろう。彼は不思議に思う。
「それは、あの・・・・・・」
ティアラは困ったような笑みを浮かべる。
「私、もしかしたら皆さんのことを覚えているのかもしれません」
『え!?』
ファングたちは目を見開く。
「皆さんを見ていると不思議な感情が沸いてくるんです。友人や家族のような感情。きっと心の何処かであなたたちを覚えているのでしょう」
衝撃的な事実だ。ティアラはファングのように女神の力で時を戻した訳でも、巧たちのように特殊なアイテムの力によって記憶が残っている訳でもない。なのに彼女は朧気ながらファングたちのことを覚えているという。もしかしたら天道がティアラにも特別な何かをしたのだろうか。それとも彼女自身が特別なのか。謎だ。
「それがどうしてファングだけ旅人さんって呼ぶことに繋がるんだ?」
ファングとティアラの仲は相当に親密だった、と巧は認識している。彼女の朧気な記憶の中に彼との日々が少しでも残っているのなら直ぐにでも名前くらい呼びそうなものなのだが。
「旅人さんの顔を見ていると暖かい気持ちになるんです。声を聞くと安心します」
「なら『でも・・・・・・』」
「でも少しでも旅人さんに近づこうとすると、触れようとすると胸が締め付けられるような痛みを感じてしまうのです。あなたと親しくなればなるほどに言い様のない悲しみがこの心を埋め尽くします」
ティアラが俯く。
『恐らくはあの別れの影響だろうな』
ファングの腕に抱かれてティアラは絶命した。彼女はファングに特別な想いを抱いている。もし自分の好きな人が、大切な人が自分の死に目で涙を流していたなら人はどんな想いになるのだろうか。恐らくは深い悲しみを抱くことになるだろう。その時の切ない想いがティアラの心をきっと締め付けている。
それはファングも同じだ。ティアラの顔を見ているだけで彼は彼女を守れなかった自責の念に包まれ悲痛な表情を浮かべる。その悲しみはティアラよりも更に深いはずだ。彼女はそれに気づいていた。辛くなるくらいなら互いに近づかない。そうすればこれ以上傷つかないで済むだろう。
「だから、私は旅人さんに近づかないんです。あなたも私もこれ以上悲しまないで済みます」
巧は無言になる。ティアラのために時を戻したファングにとってあまりに残酷な仕打ちだ。いや、ティアラにとってもそれは同じだ。かつて大切に思っていた人とその悲劇的な別れのせいで今は触れあうことも出来ないなんて、残酷すぎる。
「・・・・・・何言ってんのよ。ティアラが心を閉じてるだけでしょ」
だがアリンは違う。パートナーである彼女はファングがどのような思いをティアラに抱いているのか分かっている。悲しみだけではない。彼がティアラに抱いている気持ちは悲しみだけではない。勇気。何が起きようと、例え世界そのものを敵に回そうと絶対に彼女を守るという勇気。ティアラの死からファングの心に刻まれたのは悲しみだけではない。その強い覚悟と意思も確かに心に刻まれたのだ。
「どういう、ことです?」
「あんたがファングを失うのを恐がっているだけよ」
「・・・・・・だって、私を守ると言ってくれた優しい人をあんな怪物と戦わせるなんて出来る訳ないじゃないですか!」
ティアラは更に俯く。アリンの言葉は確信をついていた。オルフェノク、ライオトルーパー。そして彼女に『憎悪』を抱く人間。彼女に近づくということはそれらのティアラを狙う脅威と戦うことになる。ファングが彼女を失うのを恐れるように、ティアラもまた彼を失うのを恐れているのだ。ファングを世界と戦わせるなんて出来ない。自分だけが犠牲になれば良い、それもまた強い勇気だ。
「ティアラ、大丈夫。ファングは何時だってティアラの手を繋いでくれるよ。絶対にいなくなったりしない。絶対に負けたりしない」
「エフォールさん」
エフォールが震えるティアラの手を握った。
「俺だって誰かと親しくなるのが怖いさ。裏切られるのが怖いんじゃなくて、俺が裏切るのが怖い。ずっとそう思っていた。でも、ファングといるとそんな気持ちが不思議とバカらしくなっちまう。・・・・・・俺がお前みたいに離れようとすればコイツは無理やり引っ張るだろうな。そういうヤツだ」
「無理やり引っ張る・・・・・・」
その手を巧が包み込む。
「ティアラさんが抱えている不安や恐怖がどんなものなのかは分かりません。でも皆で支え合って、笑い合うことは出来ます」
「支え合って、笑い合う」
果林がその手をファングに伸ばした。
「俺はファング。世界中の人が自由にぐうたら生きられることを夢見たフェンサーだ。よろしくな、ティアラ」
巧たちが手を離し、ファングがティアラに手を伸ばす。
「・・・・・・私はティアラ・ティリス・ティアーズ。世界中の人が悲しまない世界を夢見るフェンサーです。よろしくお願いします、ファングさん」
二人の手が繋がった。あれだけ触れるのを怖がっていたはずなのに普通に触れ合えたことにティアラは驚く。
「ね、簡単でしょ? 名前を呼ぶのも、触れあうのも」
アリンは満面の笑みで自分もファングとティアラの手を握った。
「俺一人では無理かもしれないけど世界は変えられる。こうやってお前の世界は変わった、だろ?」
「・・・・・・はい!」
ティアラは笑顔で頷く。その姿はかつての彼女と変わらない、心から笑っている時の姿だ。少しだけ前進した。ファングもフッと笑う。
「運命も、未来も、世界も俺の、俺たちの手で変えていくんだ」
世界が変わりだそうとしている。だが、それは暗く闇に向かっている訳ではない。皆で笑い合える
ハッピーエンドフラグをファングたちが立てる一方で北崎さんがバッドエンドフラグを建てました。量産化される脅威って本当に恐ろしいですね