その男が向かったのは死の国。あの世とこの世をつなぐ境目、黄泉比良坂。
そこで、最愛の妻と再会する。
いや、違う。
かつて”妻だったもの”だ。
その男は、女の美しさに惚れていただけだった。
----真実の愛など
*
「大丈夫ですか」
その声で、琴音はやっと意識を取り戻した。
「う….」
起き上がろうとするが、地面に突っ伏してしまう。鋭い痛みとともに、腕から力が抜けていくのだ。琴音の様子に春は慌てて手を添える。
「無理はしないでください。あのセイバーに殴られたんですから」
「そうなのですか、私は--痛っ」
傷口が開いたのか、急な痛みに思わず声を上げてしまう。
「あっ、ごめんなさい!」
慣れない動作であたふたする春を見かねたのか、キャスターが横から割り込んできた。
「もう、できないならやめておきなさい。監督者さんが可哀想よ」
手馴れた様子で琴音を抱きかかえ、治癒魔術を展開する。どちらかというと加持祈祷のようなものに近いだろう。それでも、琴音は全身の痛みが和らいでいくのを感じた。防御寄りの呪術師といったところか。琴音はキャスターの見た目からそう分析した。
「あの、こんな時に悪いんですけど、ここ大丈夫なんでしょうか….」
「ここ? 大丈夫とはどういった意味でしょうか」
「マスターから聞いたけど、ここって人がたくさん集まる場所なんでしょ。それをあんなに、ねえ」
春の質問をキャスターが補足する。キャスターは、呆れたようにセイバーとアーチャー達の戦闘を眺めている。琴音は質問の意味を理解すると共に、柔らかく笑った。
「それについては心配及びません。この戦いはじき終わりますよ。どなたかが強力な人払いもかけているようですし、一般の人間に神秘が漏れることもないでしょう」
「いや、壁とか穴ボコだらけになっちゃっているけど」
「爆発事故か何かで済ませます。これでも監督役ですから」
「それより、じき終わるって….とてもそうは見えませんけど」
春の視線の先では、セイバーとシェイが殴り合っている。後方からはアーチャーが援護射撃をしている。セイバーは言うまでもないが、シェイはただの人間だ。執行者で英霊の援護付きとはいえ、並以上のサーヴァントと拳を交えるのは、どう考えても普通ではない。彼の能力の高さを垣間見ることができるだろう。
問題はセイバーの方だ。先ほどまでの殺気立った様子は失せ、心ここに在らずといった様子である。アーチャーとシェイとの戦いも、どこか作業じみたものを感じるのだ。だからこそ、シェイが互角に戦えているとも言えた。
「セイバーのマスターを見てください。彼は一般人です。にも関わらず、先ほどからセイバーは宝具を連発しています。魔力が底をつくのも近いでしょう。今ああして立っているだけでも大したものですよ」
琴音の言葉からは、セイバーのマスターに対する嘲笑のようなものが感じられる。春は、琴音がセイバーのマスターから「黙れ」と言い放たれていたことを思い出した。きっと根に持つタイプなのだろう。琴音の顔は「ざまあみろ」とでも言いたげなものだった。
「なるほど、じゃあ心配いらなそうね。帰りましょうか」
「なっ!」
言うが早いか、立ち上がって歩き始めたキャスターを春が急いで制止した。
「何帰ろうとしてんの!」
「だって、もう私達の役目は終わりでしょ。あんな脳筋対決に混ざっても返り討ちにあうだけよ。今は魔力を貯めないと」
「それはそうだけど、あの人を助けに来たのに…」
不服そうな春に、キャスターはゆったりした足取りで近づいていく。琴音はその様子を眺めている。痛みはだいぶ和らいできた。もうすぐ立ち上がれそうだ。目の前では、春にキャスターが何やら耳打ちをしている。
「--------」
「えっ、嘘、いつの間に!?」
驚いたような声を上げる春。その視線はチラチラと琴音の方へと向けられている。春は、やがて何かを納得したように言った。
「わかった。バレないように、こっそりね」
バレないように、とはランサーのことだろう。今、彼女はセイバーたちの戦闘に釘付けだが、春たちに気がつけば即座に襲ってくるに違いなかった。こそこそと歩き始めた二人を琴音はただ、眺めている。
*
『ちょっと、あいつら逃げるわよ。止めなくていいの?』
『心配いりません。この場での彼女たちの役割はもう、ありませんから』
『ふーん…』
『何か文句でも?』
『いや、ないけど』
不穏な会話。ランサーと、そのマスターとの間でなされる念話だ。聞く者は、もちろんいない。
*
「
何度目かの拳がセイバーの身に打ち込まれる。シェイの「死を刻む戦神の剣」は、相手の身に癒えることのない傷をつけ、文字通り一歩ずつ死へ導いていく纏装式の宝具である。どんな強敵であっても、その相手が命持つ生命である限り、そしてシェイ自身が倒れない限り「いつか勝つ」というわけだ。
しかし。
(何なんだこいつは…)
本来ならば、癒えない傷を与えるというのは想像以上に強力なアドバンテージだ。だが、セイバーにはまるで通用していないように見えた。アーチャーには美しく見えた武芸の動きも、シェイにとってみれば隙だらけだ。攻撃をかい潜り、殴打する。それを続けていればやがて勝利が訪れる。
そのはずが、全くゴールが見えない。殴っても、殴っても、殴っても。セイバーは倒れることなく、常に反撃を繰り返してくる。それどころか、だんだんと攻撃が早くなっているようにも見えた。
「キリがないな….」
「なんだお前、威勢よく出てきた割にはたいしたことないな」
隣でアーチャーが茶化してくる。さっきまで戦意喪失していたやつが何を偉そうに。シェイは思い切り睨みつけた。
「黙れ」
「まあ、そう釣れないことを言うな。いい考えがあるんだが、聞きたいか?」
「何?」
むかつく相手の言葉だ。普段であれば無視を決め込むところだが、今回ばかりは状況が状況である。仕方なしに、シェイはアーチャーに近づいた。
「お前さんのソレ、その手袋以外にも使えるのか?」
「ん、ああ、
シェイの言葉に、アーチャーはにんまりと笑う。これはこいつだけがいい考えだと思っているパターンだな、とシェイは一人落胆した。
「それ、貸せ」
「----何?」
シェイは耳を疑った。自分のサーヴァントは一体、何を考えているのか。
*
戦い続ける一人と一組。それを眺める青年と槍使いの少女。それをさらに俯瞰する影が一つ。
アサシンである。
彼は戦いに参加する気は毛頭なかった。アサシンの本分は「マスター殺し」である。
どんな強力なサーヴァントでも、マスターなしには現界できない。ゆえに彼は見るのだ。
敵の動きを、パターンを、思考を。
正面から対峙することになっても、彼は絶対に無謀な戦いを挑まない。ただ一直線に、マスターを殺す。そのための観察。僅かな癖、動きの型を見切ることが、効率的な”任務遂行”には不可欠なのである。
最強たちの背中を刺すナイフが今、ゆっくりと研ぎ澄まされているのだ。