今のセイバーに意識はない。あるのは本能だけ。マスターを守るということと、相手を完全に破壊することだけ。
いわば痛みを感じない兵士のようなものだ。自分の命など顧みず、ただ淡々と相手を襲う。何度殴られようとも、何度斬られようとも。その歩みが決して止まることはない。ロボットのように、ゾンビのように、彼は何度でも立ち上がる。
だがしかし、それはただ、痛みを”感じない”だけのこと。傷によるダメージは、確実に彼の身に刻まれていく。
「--!?」
ガク、と視界が落ちる。最強が膝をついたのは、シェイとアーチャーが話し合ってから3分後。アーチャーが40本目の矢をセイバーに打ち込んだ瞬間だった。彼は再び立ち上がろうとするが、その隙に音速の拳が叩き込まれる。
「--------」
何度目かの空中浮遊。セイバーは地面に叩きつけられた。反撃をしようと、何度立ち上がろうとしても同じことだ。膝の先に力が入らず、顔から地面に突き刺さる。
二人の声が聞こえた。
「どうだ。やはり俺の言うことを聞いて間違いなかっただろう」
「癪だが認めてやる。俺のフラガラックを矢先に纏わせるとはな。ただの脳筋ではないようだな」
「なに! のうきんとはなんだ」
「…お前みたいな奴のことだよ」
今、セイバーの脳内では二つの言葉しか浮かんでいなかった。
目の前の相手を殺す、マスターを守る、目の前の相手を殺す、マスターを守る、目の前の相手を殺す、マスターを守る、目の前の相手を殺す、マスターを守る、目の前の相手を殺す、マスターを守る………。
そのどちらもが、実行できる状態にないのだ。理性の働かないセイバーは、壊れた玩具のようにただ、地面に這いつくばるしかない。
「さて、こいつをどうするかな。もう使い物にならんのだし、ここに這い蹲らせたままでもいいんだが」
「おい、それはさすがに無礼が過ぎるぞ。惨めな状態ではなく、最後は清く散らしてやるが武士の情けよ」
「お前、そういうタイプのやつじゃないだろ。変なところで、Bu-shiを出してくるのやめろ」
勝利の確信。余裕に満ち溢れた会話をしながらこちらに歩み寄ってくるシェイとアーチャーを前にして、セイバーは-----
*
将悟は、生まれて初めての屈辱感を味合わされていた。満を持して挑んだはずの聖杯戦争。手にしたのは最強の力。約束されていたはずの勝利。
待っていたのは形容しがたい敗北感と、苦汁の味。産まれて初めての感覚に、彼の心はパニックだった。
「く、く、ききぃ…」
喉から絞り出すような、今まで出したこともないような声を発する。頭に浮かぶのは疑問符ばかり。
なぜ、今自分のサーヴァントは地面に倒れているのか。なぜ、人間ごときが我が最強の力を圧倒しているのか。なぜ、相手ではなく自分が屈辱を感じているのか。
--実は、己は無力なのか。
「--そんなはずはないぃ!!!!」
思わずよぎった不吉な考えを打ち消すかのように将悟は叫んだ。その大声に、燈はおろかシェイとアーチャーも思わず怯む。
「そんなはずはない、そんなはずはない、そんなはずはない!!!」
血走った目で、バタバタとズボンのポケットを探る。目当てのものはすぐ見つかるサイズだ。その焦りが、動作をもたつかせる。
「俺は常に幸運なんだ!」
右のポケット。思い切り引き出したのは一丁の自動式拳銃。大企業の重役である将悟だ。趣味に銃の一丁や二丁、持っていても不思議ではない。
「優秀なんだ!!」
問答無用で引き金を下す。が、安全装置が働き銃弾が放たれることはない。将悟はイラついたように何度も引き金を下ろし続け、ようやく安全装置の違いに気がついた。
拳銃。平和な島国日本に、本来ならば一丁あっただけでも騒ぎになるだろう。しかしここは異空間。過去を生きた、万夫不当の英霊たちが集う場所だ。そんな所に拳銃一つを出したところで、恐れる者は誰もいない。
燈すら、喚きながら拳銃を取り出す将悟の姿には滑稽さを感じていた。空気を切り裂き、地を割る英雄たちの戦いの後に出てきた一丁の銃は、とてもチンケなものに映る。
安全装置を外し、銃口をシェイの方へ向けた。構えもなにもあったものではない。ただ怒りに任せて、銃を突きつける。
シェイは、ただその様子を眺めている。先ほどまで銃より早く動き、銃より致命的な攻撃を与えてくる敵を相手していたのだ。銃弾の一発や二発、造作もない。
その余裕じみた態度が、将悟の敗北感を加速させた。
「お、俺は……」
呟く。まるで自分に言い聞かせるかのように。非常に情けない表情で、彼は叫んだ。
「俺は選ばれてんだよ!!!!」
銃弾が放たれる。速さは秒速でおよそ400m。この異常な空間ではあまりに遅い。シェイがわずかな動きで交わそうとした銃弾を、何かが弾いた。
「あ?」
思わずシェイは顔を顰める。弾いた物の正体は、あまりにも見慣れた兵装だったから。
「代行者ァ…」
将悟との間に割って入ってきた監督役、神内 琴音をシェイは睨みつける。彼女の手に握られているのは、3本の黒鍵。執行者の彼にはあまりにも見慣れた、見飽きたと言ってもいい”概念武装”。極端に短い柄に、聖書の頁で精製された刃を持つ投擲剣である。
何が起きたのかも理解が及ばないまま、魔力切れと精神的な崩壊を起こしてぶっ倒れた将悟を尻目に、琴音はシェイへ向かって黒鍵の刃を向けた。その姿に、疲弊した様子は一切見受けられない。キャスターの治癒魔術のおかげか、はたまた彼女自身の強靭さ故か。
「シェイ・フラガ・フィッツジェラルドさん。どうかこの場は、これで終わりということで」
「なんだと?」
横で聞いていたアーチャーが思わず前に出る。シェイが制止し、言葉をつないだ。
「ふん……なあ、監督者よ。それはさすがに権限を逸脱しすぎていないか。俺たちは正々堂々、まあ二対一って意味では正々堂々ではないが戦ったんだ。それで勝った。聖杯戦争のルールになんら違反はしていない。むしろこれが聖杯戦争だ」
そうだろう、とまでは言わなかった。それは彼女も理解しているはずだ。それを踏まえた上でなお、ここで止める理由があるのだったら言ってみろ、というわけである。
予想通り、琴音は言葉に詰まるがすぐに落ち着いた表情を取り戻した。
「それは重々承知の上です。思い出してください。ここは日本の大学の構内、神秘の秘匿も何もあったものではありません。先ほどまでは誰かが強力な人払いをかけていました。しかし今は----」
その話で、シェイはようやく現在の状況を理解した。人払いが効果を成していないのだ。どれだけ強力な人払いであっても、音まで隠蔽できるわけではない。先ほどまでの爆音に好奇心をくすぐられた一般人が押し寄せてくるのは、もはや時間の問題と言える。
「アーチャー、いますぐ霊体化しろ」
「なに?」
「早くしろ」
有無を言わせぬシェイの雰囲気に気圧され、アーチャーは渋々霊体化する。サーヴァントが姿を隠すと同時に、シェイアは構えを解いてこう言った。
「いいだろう。どうせ其奴がどうにかなるわけでも無いからな。ただ、明日教会に行って直々に息の根を止めてやる。こっちはお前の言うことを聞いた。この後に及んで教会は不可侵とか言い出したら、お前ごと殺してやる」
セイバーとの戦闘時以上の殺気を全身から撒き散らし、言い捨てる。もはや一刻も早くこの場を立ち去りたいのか、琴音の返答など聞きもせずに身を翻した。腹いせに、帰路の途中に呆然と突っ立っていた燈に思い切りぶつかり、去っていった。
残ったのは焼け焦げた大学の庭と、聖杯戦争の監督者、セイバー、そのマスター、ランサー、そして燈。辺りは、先ほどまでの激闘が嘘だったかのような静けさが支配している。
*
人間は、あまりに衝撃的なことが連続すると脳の働きが停止する。燈は今日、そのことを知った。アーチャーのマスターから帰り際に肩を当てられるまで、はっきりとした意識がなかったのだ。正確には肩パンでぶっ飛んで地面に体を打ち付けるまでは。
「大丈夫ですか?」
女性の声がする。それが琴音のものだと気がつくのに、そう時間はかからなかった。
「あ、琴音さん…」
ぼーっとした頭で返事をする。死の恐怖に晒されてから、わずか2時間ほどではないだろうか。脳内の処理が、この状況に全く追いついていなかった。
「申し訳ありませんでした。まさか英霊を召喚していない状態で襲われるとは」
「あ、いや、別に琴音さんのせいでは…」
意識が徐々にはっきりしてくる。ゆっくりと起き上がり、辺りを見回すと、もう誰もいない。遠くからはサイレンの音が近づいてきている。
「終わったんですか」
戦いは終わった。なのに自分はまだ生きている。そのことを実感すると共に、燈の目からは涙が溢れ出てきた。
「あ、あれ? あれ、なんだ、涙が止まんない--」
「緊張が解けたのでしょう。今日はもう家に帰ってはどうでしょうか。あとのことは、私にお任せください」
涙を拭いながら、琴音の提案に甘えることにした。フラフラと立ち上がる。腰が抜けていなかったのは幸いだ。雫で霞む視界で、燈も舞台から退場する。
その姿を見送った後、琴音はただ一人呟く。
「さて、ここまでは想定内ですが……」
【名前】シェイ・フラガ・フィッツジェラルド
【能力】
『死を刻む戦神の剣』
「不滅なる呪を残す者(アンサラー)」の詠唱と共に、シェイの拳に纏装される液体金属上の宝具。
拳に纏っていない間は集結して球体となり、シェイの周囲を漂う形となる。流動体のため、基本どんなものにも纏わせることは可能であるが、本人曰く「これが一番性に合っている」らしいので拳に纏わせている。
その能力は、相手の身に治癒することのない傷をつける呪い。正確に言えば相手の「魂」自体に破壊の蓄積を行っていくというもの。
シェイ自身の能力ではないため、自力で呪いは解除不可。一応、その時の所有者が死ねば呪いは解けるというが、死んだことがないので実際のところは不明である。