しゃがれた笑い声が響いた。暗く、異臭が立ち込める空間だ。光が届かない、地下の世界。そこは下水道だった。その空間を包む闇に溶け込む様な、漆黒をした姿はバーサーカーである。
「は、はは、ははは。はははははははははははは!!!!!」
どす黒い筋繊維が剥き出しになった見た目は、グロテスク極まりない。黒い霧を蒸気の様に立ち上らせ、狂戦士は叫んだ。
「ようやく、ようやく力が手に入った!! ここまで喰らえばもう構わぬ。我はもはや”思念”に在らず。人々から英雄と賞賛され、名声に酔う醜き者共よ! 我の、我らの憎悪を知るがいい!!!」
いつもの様に、刀を持っているのは右手だ。反対の手には何やら大きな袋の様なものを持っている。バーサーカーは、その”袋の様なもの”に向かって語りかけた。
「お前のおかげだ。ただ殺すだけのつもりが、こんなにも魔力を持っていたとはな。さては先祖が優秀な魔術師だったりするか?」
袋の様に見えたのは、人間の死体だった。碓氷 燈の親友、桜田 正義である。
「…さて」
笑顔はプツリと消え、バーサーカーは壁に目をやった。暗いが微かに見ることができる。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン。彼のクラスであるバーサーカーを除いた6つが、壁に彫られているのだ。さすがに動くことはないだろうが、まるでルーレットの盤面のようだった。
「最初は誰にしようか…」
目を瞑る。袋----死体をぐるぐると振り回し始めた。
「ははははは!! 誰にしようか----」
回転の勢いが、四肢の飛ばない限界まで高まる。それはもはや、人間の遺体としての扱いを受けていなかった。
「--な!!」
同時に。桜田 正義の遺体がバーサーカーの手を離れる。否、彼が手を離したのだった。
遺体は回転の勢いを乗せ、壁に激突する。響く轟音。バーサーカーは笑い続けている。
「は、ははは、はは、はははははは!!!」
遺体がぶつかった先は、”キャスター”と彫られた壁のちょうど真ん中だった。桜田の体は壁にめり込んでしまっている。バーサーカーはそれすらも可笑しくてたまらないと、足踏みしながら笑った。
「キャスターか!! 最弱じゃないか!! 残念だったなあ、お前。すぐまた壁に嵌まることになりそうだぞ」
返事をしない死体へ向かってニタニタと笑いながら話しかけるその姿は、まさに狂気そのものだ。その狂気の矛先は、どうやらキャスターへ向けられたようだった。
*
ライダーは知っていた。目の前のサーヴァントには敵意がないということを。しかし、今の自分にはそれを伝える手段がないのだ。おそらく相手は、こちらが戦闘の意欲を持っていないことに気がついていない。それ故の呪符乱れ打ちだろう。
大した威力はないこと、狙いが定まっていないことから、牽制であることは理解できた。だが、迂闊に両手を挙げるなどして対話を持ちかけても、流れ弾が当たることは必至だ。
「どうするかな」
こちらが気がつくのが遅かったのだ。マスターの放心した理由がわからない不安で気が立っていたのかもしれない。
「ライダー…何やってるの」
「--ッ!?」
背後から、聞き覚えのある口調で、聞いたことの無い低い声が話しかけてきた。幾つもの修羅場を潜り抜けてきたライダーでも身震いする、殺意に満ちた声。
「あら、やだ」
キャスターが軽く悲鳴を上げる。ライダーが振り向いた先----魔力のこもった呪符が近づいてきていた。ライダーは思わず舌打ちをする。
「めったなぁ……」
直撃。世界が回る。後頭部に衝撃が走った。やはり牽制の様で大した威力は無かった。が、痛いものは痛い。
ライダーが吹き飛ばされたことで、初めて"敵"の存在に気がついた者がいる。燈だ。燈はふらふらしながらキャスターと春へ視線を向けた。長髪の間から覗くその目は、明らかな敵意を持っている。キャスターは思わず身を固くしてしまう。
「あ、燈さん! 私たち敵じゃないの、ただ助けようと思って…」
燈の変貌に気が付かぬ者がただ一人、必死に弁解をしようと試みる。恋は盲目。キャスターはそんな言葉を思い出していた。
「誰かと思ったら春ちゃんかぁ。君も聖杯戦争に参加していたんだったね。そっか。あの時助けてくれたのは作戦のうち、ってわけかな」
春が春なら、燈も燈だ。相手の言葉には聞く耳持たず、ただ己の敵意を向け続ける。
「一瞬でも信じた僕が馬鹿だったんだ」
「そ、そんな。燈さん……」
春の言葉は届かない。親友を失ったショックで、彼の精神は壊れかけていた。
「殺せよ。ライダー」
「は?」
「殺せって言ってるんだ。どうせ聖杯戦争なんだからいずれ戦う。殺られる前に殺らなきゃいけないんだ…」
最後の方はもはや独り言に等しい。眉間に皺を寄せ、ブツブツと何事かを呟くその姿に、いつもの碓氷 燈の面影はなかった。おいそれと従うわけにもいかないライダーは悩む。何はともあれ、まずはこのマスターを落ち着かせなければならない。ライダーはこっそりと、キャスターへ向けて目配せをした。
*
「もう一度言っていただけますか?」
「ええ、何度でも言いましょう。”あなたがランサーのマスターだ”と」
張り詰めた空気が漂っている。シェイと相対した時か、それ以上。琴音はいつもの慈愛に満ちた目ではなく、かつての”代行者”としての険しい視線で相良を睨んでいた。
「その考えの是非はともかくとして。根拠はどこに」
いずれ正体が露見することは想定内だった。だが、こんなにも早く。あの日、あの場にはいなかったはずのものが何故。あらゆる事態を想定し、根を張っていた琴音にとっても、流石に予想の範疇を超えたアクシデントである。
「実はあの場を監視していまして……」
「そんなはずは--」
口を滑らせてようやく気がつく。この人物は、”あの時”もう大学内にいたのだ。アーチャーが燈を襲った時には、すでに事態を認識していたのである。
「大学関係者……」
昨日人払いをかけたのは琴音だった。事態を思うがままに操るが為、そして何より事態を収束させる口実とする為。だがいくら強力な人払い、暗示行為と言えど、起こってしまった出来事を”無かった”ことにはできない。あらかじめその出来事を認識していた人間まで払うには、直接強力な暗示をかけなければならない。しかし、もう気づかれてしまったことはしょうがない。ただどこまで見られていたのか、琴音はそれだけが気がかりだった。その疑問は相良も察したのか、聞く間もなく彼は説明を始める。
「私自身が見ていたのは、私のサーヴァントとアーチャーが戦闘を始めるまでです。その時はもう人払いをかけていましたね? 双眼鏡で監視していなければ私も引っかかるところでしたかね」
いやあ、危ない危ない。そう言って相良はくつくつと笑った。琴音は唇を噛む。
「私はあの時はまだ教会にいました…」
もう認めているのとそう変わらない。形式上、反論を重ねているようなものだった。相良も、もういいと言うように手を振りながらめんどくさそうに言う。
「もう私は知っているんですよ。魔術というのは、棒でちょいと呪文を言えば成立するようなものではないと。入念な準備と時間がいる。故に、何かのきっかけで誘発して魔術を起動させることも可能なのでしょう。そのくらいは想像がつきます」
逃げ道はなかった。なんだというのだ、この男は。見かけは一般人。しかしその洞察力、推理力は魔術師のそれを上回る。ランサーがいれば、すぐにでも始末しただろう。だが今はバーサーカーの討伐を命じたため、ここにはいない。
もちろん琴音であれば、人間一人を屠ることは容易だ。しかし相手は聖杯戦争のマスターである。密かにマスターとして参加する監督役、という怪しい存在に真っ向から切り込んでくるからには、自らのサーヴァントを侍らせているに違いなかった。
「そうですか…… では、私がランサーのマスターとして、あなたは何の用でこちらにいらっしゃったのですか」
平静を保つ努力はする。心臓が激しく跳ねるのを感じた。ここまで勘の鋭い男だ。何を要求されるかわからない。自分の命と引き換えにしてでも、この男を始末しなければならないかもしれない。
あくまで優先すべきは計画の遂行だ、と琴音は自分に言い聞かせた。逸る気持ちは押さえ込んで、相良の返事を待つ。返答次第では、本当に目の前の男は処分対象だ。
相良が口を開く。琴音は愛用の黒鍵をこっそりと握りしめ----
「あなたの企みがなんだかは知りませんが、興味を持ちました。ですから、同盟を申し立てようと思いまして」
しばしの沈黙。相手の言葉を頭の中で反芻する。そして理解した。なんだ、そんなことか。黒鍵をしまう。
琴音は口の端を歪めて卑しく笑った。得体の知れない存在であることに変わりは無い。だが、これ以上の"駒"はいないだろう。彼女の返答はもちろん、相良を快く迎えるものだった。
来年はちゃんと定期的に更新できるように頑張ろうと思います