――其処は昏かった。
昏く深く、遥かに広がる闇の中。
何も見えぬはずの漆黒の世界の中で、何かが見えた。何かが聞こえた。
見えたそれは、小さくうずくまる影。
聞こえたそれは、聞かせぬように殺し啜る泣き声。
その背を抱いてあげたかった。
その悲しみを止めたかった。
そんな思いと共に一歩踏み出したとき、
――現実に、引き戻された。
ゆっくり開いた目に差し込まれる光。白熱灯の輝きには幾度となく見覚えがあるものの、今見える光景にあまり馴染みは感じられなかった。
「…ここは…?」
「メディカルルームよ。おはよう、翼」
聞こえた声とともに寝ころんだまま頭を左右に動かし周囲を眺める。そこで初めて此処がメディカルルームであると認識した。
そう言えば、自分が定期メディカルチェック以外でこうしてここで身体を横たわせることなどなかったなと、風鳴翼は思い返した。
隣のベッドには先に目が覚めていたのか、上体を起こして座っているマリアの姿が目に入る。記憶が上手く、浸透していかなかった。
「マリア…一体、何が…」
「あとで戦闘記録を確認すればいいから、端的に言うわね。
貴方とゼロは昨日の戦闘中にウルトラギアを起動。しかしその発動に失敗し、暴走した」
「暴、走…」
「標的だったスペースビースト、バグバズンブルードは暴走したウルトラマンゼロの攻撃により焼滅。ダークファウストは隙を見て離脱。
だがなおも暴走を止めぬウルトラマンゼロがその場に居合わせたウルトラマンネクサスと交戦。ネクサスの攻撃にて戦闘不能に陥り、変身が解除。意識不明のまま此方に搬送される…。
ここまでが、昨日のことよ」
努めて淡々と話すマリアの言葉に、翼の思考がようやくの理解を示し始める。自分と彼の身に起きた不測の事態と共に。
「…みんな心配していたわ。二人の容態もそうだけど、まさか貴方たちがウルトラギアの発動に失敗するなんて思いもしなかっただろうからね」
「…そうか。済まないことをした…。皆に心配をかけ、マリアにも止めてもらった…」
「殊勝ね。可愛らしくはあるけれど、貴方らしくもない」
「私らしく、か…。どうなのだろうな、それは…」
天井に目を向けたまま、ある程度平常にまで戻った思考で考え始めた。自分らしく…”自分”とは、一体どんな人間だったのかと。
”彼女”は言った。真面目が過ぎる、お堅いヤツ。だがそれ以上に、泣き虫で弱虫だと。
間違ってなどいない。元より真面目で愚直に或る事しか知らなかった我が身だ。それに泣き虫で弱虫なのも、否定出来る要素がこれっぽっちも存在しない。
悲しみを忘失れたくて戦いに身をやつした日々があった。遺した奇跡を継ぐ者を信じられず、ただ反発し、いたずらにその身を傷つけ血を吐きながら歌った日があった。
…何時しかその囚われた想いからも解放され、改めてこの身の研鑽を続けてきた。剣として、歌女として…。
そして何よりも、この背を預ける後進たちに恥じぬ先達で在るが為に。
駆け抜けた戦場の果てに、またこの背を預けられる者と繋がり、新たにこの背を追い見る後進と繋がった。
棄てかけた夢を心から追い求め、そこに向かって羽撃いて良いのだと理解らせてくれた。
どれだけ感謝してもし足りぬ、こんな自分と繋がってくれた人々。それを守護るために、この剣は奮われる。この翼は戦場を駆け抜ける。
泣き虫で弱虫な自分を、断ち切らんが為に――。
「――フッ、ははは…」
「翼…?」
嘲笑。思い出し嗤い。
何故昨日の戦いで、自分があれほどまでに鞘走ってしまったのか。
それは”怒り”だ。あまりにも真面目で、泣き虫で、弱虫な自分だから…。
仲間の涙を断ち切ることも出来ぬ弱い自分に憤慨するしかなかった。その激憤を敵にぶつける以外考えられなかった。
涙を生み出す元凶を両断せしめる事こそが、落涙を止める唯一無二の手段であると――。
「……夢現を抜かしていたのは、私だったのかもしれんな……」
零れた言葉は、あまりにも軽かった。
力無く抜け落ちて、宙を舞い落ちる羽根のように…。
一人メディカルルームを後にするマリア。扉から出た其処には、響と未来が立っていた。
「マリアさん! もう大丈夫なんですか!?」
「まだ寝てた方が…」
「ありがとう。でも大丈夫よ。私は、戦える」
優しく微笑み告げるマリアに、響と未来はまだ不安そうな顔で見ていた。またいつかの時のように、一人で無茶を背負い込んでいるのではないだろうかと。
それも不安ではあるが、その種はもう一つあった。その扉の向こう側にだ。
「マリアさん…。翼さんは…」
「…意識は取り戻したわ。でも…今はしばらく、一人にしてあげてくれないかしら」
「身体の傷、そんなに酷いんですか…?」
未来の問いに対し、首を横に振って答えるマリア。表面に傷はあったものの、致命的なダメージとなるモノは無かった。
だから、彼女が床に臥せっている理由はそこではない。
「…多分、向き合っているんだと思う」
「向き合う…ですか…? いったい何と…」
「…翼自身の、傷痕の奥底にあるものと…」
確証は無いが、何処かそう思えていた。マリア自身が不意に問うた言葉で、翼が思考の坩堝に入っていったのを見ていたのだから。
そんな彼女を思うが故に、一度距離を置く。その為にとマリアは、敢えて別の話題を切り出した。
「調と切歌、北斗さんは?」
「みんな、クリスちゃんと一緒に矢的先生のところへ…。クリスちゃんも、ちょっと今一人にさせられないと思って…」
「そう…。でも、無理ないかもね…」
三人で目を向ける。隣の集中治療室には、未だ処置中との赤いランプが点灯していた。
メディカルルーム隣の集中治療室。
件の彼女たちは、そこからジッと横になる矢的猛の姿を見つめていた。彼のその姿を誰よりも強く険しい顔で見つめていたのは、クリスだった。
「…………」
「クリスセンパイ…」
規則的に鳴り続ける計器の音。静寂と言っても差し支えない空間の中で、小さく切歌がクリスの名を発する。
だがそれに対して答えが返ってくるわけでもない。彼女もまた、思考の中に囚われてしまったが故に。
一向に答えの出せないクリスに声をかけたのは、星司だった。
「…クリス。君が何を思っているか、済まんが俺には理解らん。だが、この事態になったのは猛の勝手な独断専行があったからだ」
「………どういうことだよ」
「猛がちゃんと俺たちに声をかけていれば、こんな事にはならなかった。そう言っている」
「…じゃあなにか。センセイのやった事は、間違ってたって言うのか!?
学校の、生徒の、アタシらみんなの為に! 一人で戦ったセンセイを責めるって言うのかッ!!
みんなの楽しい思い出を、居場所を守護る為に戦ったセンセイを、アンタが責められるとでも言うのかよッ!!」
星司の胸倉を掴み上げるクリス。思わず慌てて駆け寄る調と切歌だったが、激昂するクリスに対し星司は努めて冷静な顔をしていた。
「ならば、俺たちみんなで自責すれば良いのか? 自分を責めて、更に勝手な行動をして…自分の身体を傷付け、最悪その命を散らすことが正しいとでも言うのかお前は」
「――……ッ!!」
星司らしくない冷たく静かな物言いに、クリスはもちろん調と切歌もやや困惑していた。
いつもはもっと熱く、激しく感情を露わにする男だ。冷徹などもっとも縁遠いはずなのだが…。
「確かに俺には、猛を責める資格など無い。警戒を怠ったのは事実だからだ。
だが、資格が無くても誰かが言わねば、諫めなければならん。そうしなければ、また誰かが同じ過ちを犯す。その”誰か”が、俺自身と言うことだってあるんだ…ッ!」
「…アンタ…」
血が滲むほどに強く握りしめられた星司の拳。それを見て、ようやくクリスも理解した。自責の思いを募らせているのは自分だけじゃない。
目の前の男もまた強すぎるほどに強く自分を責めていた。ただそれを、必死に押し殺していたのだ。
守護るべきものを守護るため…その決意をただひたすらに固めて。
それに気付いたクリスの手が、そっと星司の胸倉から外される。そしてスッと、一歩後ろに下がっていった。
「……すまねぇ。アタシ、どうかしてた…」
「…猛が起きたら、思いっきり文句を言ってやれ。お前は今、一人で戦ってるんじゃないんだぞ…ってな」
クリスの肩を優しく叩きながら、星司は集中治療室を後にする。すぐに調と切歌に呼び止められるが、「すぐ外の腰掛けに居る」とだけ言い残し、二人を残して外に出た。
誰もがやるせない気持ちに包まれたまま、ただ時間だけが過ぎていった…。
指令室。そのブリッジに据え付けられたモニターでは、再確認の意味も兼ねて昨日のメタフィールド…いや、ダークフィールド内での戦闘記録を再生していた。
映るものはウルトラギアを発動させ、暴走したウルトラマンゼロ。解析すべきはその詳細だ。その場にはいつものブリッジメンバーに加え、マリアと響、未来も同席していた。
「やっぱりこれ…暴走、ですよね…」
響の言葉に、誰もが声を噤むことで肯定する。
奇しくもこの場に立っている装者二人、立花響とマリア・カデンツァヴナ・イヴは共にその身を荒れ狂う負の感情の奔流に押し流された経験があった。
だから理解できた。この光景が、何を意味していたのかを。
『ユナイト数値180。ウルトラギアを外部展開する為に必要な量のフォニックゲインも観測はされている。ただ、翼とゼロ…二人の心象同化に異常波形を確認されていた』
「心象同化?」
「装者とウルトラマン…二つの心が文字通り同化することです。ユナイトが一定の閾値を超えることで、肉体だけでなく精神面でも癒合しあう。それが、心象同化です。
…ユナイト数値が最も高かった翼さんとゼロさんなので、それは心配はないものだと思い込んでしまいました。
ごめんなさい、ボクの失態です…」
エルフナインの説明で何となくは理解出来た。だが同時にそれは、この場の二人にはどう足掻いても理解し切れぬものでもあった。
響と一体化した、地球の意思の片鱗がウルトラマンの形を成した存在であるウルトラマンガイア。
マリアを適能者に選び宿った、光の巨神の欠片であるバラージの盾が形を変えたウルトラマンネクサス。
互いに個を持たぬ大いなる意志であるが故に、個を持つ者と一体化した他の装者のように精神面での癒合…心象同化は大きく起こり得ない。エルフナインからは既にそう言われていた。
彼女の語る解説の中で、”癒合”という言葉を聞いて未来があるものを思い出した。先日の、メフィラス星人の残した言葉だ。
「響、昨日のあの…メフィラス星人さんが伝えてほしいって言ってた言葉。どんなのだっけ…?」
「うぇ?え、えーっとその……ちょ、ちょーっと待ってね」
案の定、彼女は細かいところを忘れていたようだ。
だが支給されている通信端末には録音機能も備わっている。そこから再生すれば理解るはずだ。
少しの操作の後、その音声は端末から流れてきた。
【奇跡と呪詛を諸共に纏う歌巫女と、闇を照らし悪を討ち砕く光の戦士。だが如何程に身体と心を一つに繋ぐとも、正しきだけでは真の癒合には至らない。
君らが真の癒合を成すに足りぬもの。それは君らの道にあった路傍の石。君らが相対したものが擁した貴石。それは威力を以て撃ち放たれた言の霊。
傷無き絆など、戯れ睦み合いに過ぎぬということだ、とね】
「…やっぱり、聴き直してもよく分かりませんね…」
「”奇跡と呪詛を諸共に纏う歌巫女”は、恐らくイグナイトモジュールを用いたシンフォギア装者…」
『”闇を照らし悪を討ち砕く光の戦士”は、文字通り私たちウルトラマンの事だろうな』
「となると、あとの言葉は…」
と言いながら、推測と考察を繰り返すエルフナインとエックス。メフィラス星人の言った通り、彼の放った言葉は助言として機能しそうだ。
だがそういう頭脳労働は彼女らに任せるとし、実働部隊である装者たちには弦十郎が別の話を切り出す。状況は、決して停滞などしていないのだから。
「新たな第三者…地球を狙う異星人、メフィラス星人の介入か…」
「響と未来を名指しで狙い来るなんて、無謀なのか豪胆なのか…。直接話をした貴方たちは、どう感じたの?」
マリアの言葉に顔を見合わせて少し考えた後、一緒に首を傾げる響と未来。どう言葉にするか迷ったものの、なんにせよ感じたままに報告するしかないと結論付けた。
「…不思議というか、得体の知れない感じでした。地球が欲しいと言いながら、私たちがそれを拒否することも知ってましたし…。
かと言って力で訴えたりする訳でもなく…逆に争い事を頑なに避けているようにも見えました」
「でも何処か、嘘のない人だとも思いました。騙して陥れるんじゃなくて、真正面から踏み込んで勝ち取ろうとするような…。そんな感じを、私は受けました」
メフィラス星人の残した伝言。そして響と未来の抱いた感想を聞き、弦十郎が腕を組み大きく息を吐いた。
「なるほどな…こいつは予想以上に厄介な相手だ」
「そうなんですか師匠?確かに得体の知れない相手でしたが、戦わなくていいならそれに越したことは…」
「こういう手合いは、自分が”戦いたくない”んじゃない。自分が”戦う必要性を感じていない”んだ。
…自分の持つ力に絶対の自信を抱き、それ故に自ら大きく動く事をしない。どんな事態に発展しようとも、その全てを受け入れて冷静に次の手を試行する」
「まるでチェスのプレイヤー…。盤面の駒は私たちと言ったところかしら。確かに私たちは、そういう相手と相対することは無かったものね…」
思い返すとそうだ。櫻井了子ことフィーネ、Dr.ウェル、キャロル…。様々な思惑、信義を以て相対した者たちではあるが、そのいずれもが自らの目的に命を燃やし突き進んできた者たちだ。
先の戦いで相手取ったヤプールもまた、目的は絶対悪であろうとも全身全霊をかけて襲い掛かってきたことは事実。
話を聞く限りでは、エタルガーも恐らくはこれらと同様に力の総てを賭して戦いを仕掛けてくるのだろう。
だが、このメフィラス星人は違う。盤上から全てを見渡し、動く駒をただ眺めては悦に浸る。場合によっては口添えをすることで駒の動く場所を変えたりもする。
そんな普通でない目線を持った者が、わざわざ会話という形で此方に介入してきたのだ。何か、彼にしか持ちえない意図があるのは間違いない。
「…しかし、今メフィラス星人を敵性体と認識することも難しいだろうな。地球の譲渡なんてとんでもない要求をかましてきたが、なにか事を起こす気も無いと来た。
だったら此方としては、スペースビーストやエタルガーの脅威に専念するのが最優先だろう」
「その為にも、ちゃんと私たちがウルトラギアを使えるようにならなきゃ、ですね」
「ボクたちも頑張ります。再調整や見直すべきところ…翼さんとゼロさんの暴走を、ただの失敗として終わらせたりはしません!」
『みんなの為とは言え、生み出したのは私たちだ。必ず、みんなの為の正しい力と変えてみせる』
「ありがとうエルフナイン、エックス。イグナイトモジュールの時と同じ、私たちはみんな貴方たちを信じている。…あとの問題は、当の本人たちね…」
思う先はそれぞれ…自分へも向けられており、この場に居ない他の装者とウルトラマンらにも向けられていた。
これは一人一人に課せられた、言わば【命題】なのだ。
EPISODE15
【逆光の
「休暇、ですか…?」
メディカルルームのベッドの上。上体を起こし座る翼の隣に立つ緒川慎次が、いつもの穏やかな笑顔で告げた。
知らずまた一日ほどが経過しており、表面的には状態の回復も見えたので退室を言い渡されたところだ。
気持ちの切り替えも済ませ、再度鍛錬に勤しもうと考えていた矢先の休暇命令。どうにも出鼻を挫かれた気分だ。
「翼さんのことです、心が落ち着いたらすぐにでも現場に戻るだろうと思いましたので、もう一日分休息時間を用意させて貰いました」
「…周到ですね。ですが何故、そのような気遣いを…」
「心の整理、した方が良いと思いまして。翼さんだけでなく彼も、ね」
そういった慎次の目線の先は、翼の左腕に付けられたブレスレットに向けられていた。
考えてみれば、昨日から彼の声を聞いていない気がした。一体化している自分がこうして無事なのだ、彼になにか傷が遺っているとは思えない。
それだけに、今まで声をかけて来なかったことはやはり不思議だった。
「…ゼロ、聞こえているか?」
『……あぁ、聞こえてる。こうも休みっぱなしじゃ身体が鈍っちまうぜ』
返答の声はいつも通りの軽快さだった。
とりあえずは彼の声を聞けて少し安堵した。となると急に言い渡されたこの休暇、如何に使うか考えなければならない。
肉体面の鍛錬は勿論まだ必要だろう。健全な精神は健全な肉体にこそ宿る、その事を信じて止まない翼だからその考えに至るのは当然でもある。
ゼロにしても、身体を動かしていたいと言うのだから此方が誘えばいくらでも付き合ってくれるであろう。
だが、不思議と今はそれ以上にすべき事があるのではないかと考えた。慎次の言う、”心の整理”という奴だろうか。
一体化している以上いくらかの思考や感情は共有される。だが今はその共有が上手く機能していないようにも感じていた。漠然と…深い靄の中に在り、互いに存在は感じられるけど互いの姿は視えていない。そんな感覚だった。
自分や彼が無性に身体を動かしたくなったり任務に赴きたくなるのは、こういう靄を晴らしたいだけなのかもしれない。翼は初めて、そんな風に考えていた。
人の振り見て我が振り直せ、とはよく出来た言葉だ。そんな事を思いながら、小さく微笑みつつ慎次に声をかける。
「…緒川さんの言う通りかもしれませんね。今日は少し、思うがままに走ってきます。ゼロ、つきあってくれるな?」
『…っしゃーねーな』
それ以上の返答はなかったが、肯定と受け取って良いのだろう。そこからは慎次といくらか話を済ませ、彼がメディカルルームを出た後に早々に着替えと準備を済ませていった。
晴天の下、通りの少ないハイウェイをブルーのバイクが風を切り裂き疾走っている。
通りを眺め見えるのは立ち並ぶビル群。その向こうには剥き出しになった山肌と壊れた建物…東京番外地・特別指定封鎖区域と呼ばれている、旧リディアン音楽院敷地だ。
それを遠目に置きながら、ハイウェイから市街地に降りてまた走る。
行き交う車、視界の端に映る歩道を往く人々。やがてそれらも疎らになり、閑散とした小高い丘の麓の駐車場に自らの乗機を停める。
フルフェイスのヘルメットを外し、申し訳程度の変装を兼ねたサングラスと帽子を装備して、公園として整備されたその丘を上がっていった。
開いた場所からは海と街を一望できる展望場所となっていた。細い欄干に手をかけ、陽光に照らされ輝く街並みを見下ろす翼。
優しい風が吹き抜け、彼女の長い青髪を流すように揺らめかせていく。
『翼、ココは?』
「――戦いの向こう側。その先に、あるもの。…奏に言われたものであり、立花に教えてもらったものだ」
安らかな笑顔で呟く翼。
ただ自らを痛めつけることしかしなかった片翼が、自らの想いでその翼を開こうと決意した場所だった。
「昨日に私たちが戦ったから、今日に笑顔で暮らし生きる人たちがいる。防人もウルトラマンも、何も変わらない…これが、私たちが戦い歌う理由なのだと、私は思う」
『平和、ってヤツか…。そう思って見れば、此処の景色はエスメラルダやフューチャーアースの地球と、そう変わらねぇな』
「あぁ。…そんな当たり前のことに気付くのに、私は大きすぎる遠回りをしていたように思う。
…ゼロはきっと、私なんかよりもっと早く、強く、こういう物の大切さを知っていたのだろうな」
『……そうでもねぇよ』
きょとんとした翼の顔に気付いていたかは定かではないが、小さな溜め息の後にゼロがゆっくり語りだした。
『…なんでも一人で出来ると思ってた。孤独な身の上だろうとも…誰よりも、何よりも強い俺ならば、どんな強い力をも手に出来ると。
何が大切なものかも理解ろうとしないまま、ただ戦い続けた。戦いが、強さだけが、俺を”俺”と足らしめる唯一のモノなんだと。
…だが、本当はそうじゃなかった。みんなが俺を守護ろうとしていてくれたんだ。先輩も、師匠も、親父も…。
誰かに守護られて、そして俺自身も誰かを守護る為に戦って、やっと気付いたんだ。それが、本当のヒカリなんだってな』
彼の独白にいささか驚くものの、すぐに優しく笑い出す翼。とても不思議な、出来過ぎなまでに思い当たる節があったのだから。
『お、おい何笑ってんだよ翼!』
「いや…いや、済まない。ほんと、可笑しいな…。身の上話に興じただけだというのに、お前の話ほどこの心に刺さる話はなかったんだ」
思い返す。風鳴の血筋であるが故に、鬼子として生を為した我が身のことを。
「…私も、お父様に忌避されてきたと思ってきた。当然だ、私はお父様の嫡子では無かったのだから。
風鳴の血を色濃く遺す為の存在…それが私だった。偶然にも天羽々斬と出会い、適合を為したことで、防人としてこの身を剣と鍛え抜いた過去…。
だが私のその深い傷跡、埋めてくれたのも他でもないお父様だった。”歌いたい”という私の夢…それを一番に想ってくれていたからこそ、敢えて厳しく突き放すことで風鳴の呪縛から遠ざけてくれていたのだと。
…私はいつも、気付くのが遅かったんだ」
『…今は、親父さんとは?』
「互いに多忙の身、話すことはほとんど無い。…だが、お前に会ったあの日の前に、手紙を貰っていたんだ。
不器用に、『務めを果たせ』とだけ書かれた手紙をな」
『……どういう意味だ?』
「夢を為すために、己が身に課せた務めを果たせ…。そんな、不器用すぎる父娘の間柄なんだ、私たちは」
父のことを語る翼の顔は、どこか嬉しそうだった。彼女自身、こんな気持ちで父を語れるなど思いも寄らなかっただろう。
魔法少女事変…あの戦いがあったからこそ、自分は父の想いに気付き触れられて、また夢へ向かって羽撃く力を貰えたのだ。
清算した過去は、未来へ向かう大きな力となることを、彼女は知ったのだ。
「ゼロ、お前はどうなんだ?お前のお父上とは」
『不思議なことにな、そんなところまで翼と似たようなもんなんだ。
俺の親父は宇宙警備隊のスーパーエリートにして恒星観測員、数多の宇宙にその名を轟かせる正義の戦士、ウルトラセブン。そりゃ多忙も多忙さ、常に宇宙を飛び回ってるからな。
それに、俺自身もアナザースペースの宇宙警備隊…ウルティメイトフォースゼロの隊長として色々やってるからな、しばらくは直接会ってねぇ。
だが、親父はいつも俺を想ってくれている。俺も親父を想う。だから――』
「――離れていても、問題はない。だな?」
『ヘッ、先に言うなよ』
笑い合う。二人ともに、自然な気持ちで。
風に吹かれ、太陽の温もりを浴びて、互いに己を語るひと時は思った以上に思わぬ展開となっていた。
これ程までに似通う者になど、この先出会う事があるのだろうかとまで思うが程に。
仲間や友人、他愛のない話…咲き開いた会話の花々だったが、やがてそれも閉じ始めてきた。そのタイミングでゼロが、翼に尋ね聞く。言葉の端々に何度も出て来た、人物のことを。
『なぁ翼、聞いても良いか?』
「ああ。なんだ?」
『…奏って、どういうヤツなんだ?』
ゼロの言葉の直後、翼の表情が僅かに固まった。
一陣の風が彼女の髪を靡かせ、それが止んだ時、彼女の顔はどこか儚げな微笑みを浮かべていた。
「…そうだな。せっかくここまで話したんだ、奏の話もしなければいけないだろう」
『あー…いや、その…別に、話したくないことなら良いんだぜ?俺が軽率だっただけだ』
「そんな事はない。…もしかしたら、私も意図的に話を切り出さずにいたのかもしれない。お世辞にも、良い思い出とは言い難いからな…」
心を整えるように大きく深呼吸をする翼。そういえば、奏のことを一から誰かに話し聞かせることなど初めてのような気がするなと、今更なことを思った。
「…天羽奏。第3号聖遺物ガングニールの非正規適合者にして、数年前に人気を博したアーティストユニットであるツヴァイウィングのメンバーの一人。
約3年前、完全聖遺物であるネフシュタンの鎧を起動させる実験も兼ね併せたライブステージでの公演中、認定得意災害ノイズの大量発生に遭遇。
応戦するもノイズの侵攻に劣勢となり、窮地の際に絶唱を使用。バックファイアにその身が耐えられず、ノイズを殲滅した直後その場にて死亡。殉職する。
天羽奏のガングニールは偶然にも立花響へと渡り継がれ、彼女の肉体を特異生態である融合症例第一号へと変化。フロンティア事変においてそのシンフォギアの破片をすべて除去されることで、”天羽奏のガングニール”の全てはこの世界から喪失することとなった。
また天羽奏に使われていた適合係数補正薬物LiNKER model-Kは、Dr.ウェルの遺したチップ内に存在したデータによりマリア・カデンツァヴナ・イヴ、月読調、暁切歌の3名への専用調整、人体への負荷を抑えたものへと再生成。現在は同3名により用いられている。
…S.O.N.G.に遺されている中で、主なデータはそのぐらいだろうな」
抑揚を付けず、出来るだけ淡々と語る翼。それに対しゼロは何も答えることはなく、翼も理解っていたと言わんばかりに自嘲するかのように鼻を鳴らした。
「…そうだな、記録の読み上げなど、なんの意味も持たない」
息を吐き、蒼天の空に目をやる。まるで、何かを見つめているような姿勢。そのままでまた、言葉を重ねていった。
「――奏は、私の片翼だった。
アーティストユニット・ツヴァイウィングとしてのユニットパートナー。発足当初の特異災害対策機動部2課に属するシンフォギア装者としての相棒。
…そして、私の作り上げた認識の全てを砕いて見せた人でもあった。
絶望の中を生き残り、憤怒と共に剛槍を掴んだ者。強靭な意志を燃やし、傷だらけの羽根をはためかせ、血を吐きながら啼いて歌い…そして、燃えて尽きた」
言葉を区切り、思いを馳せる。共に在る者は何も答えなかった。
それが有り難かった。だから、またそっと語りだせる。
「奏は私に色んなことを教えてくれた。
さっきも言った、戦いの向こう側…その先にあるもの。血意を込めて歌うことの楽しさ。魂を燃やすほどの昂ぶり…。
私は奏となら、何処まででも羽撃いて行けると思っていた。奏も、私とならどんなものでも超えて行けると言ってくれた。
片翼同士が肩を寄せ合い生まれた歪な鵬翼…。だがそんなものでも、あの時の私にとってはそれが世界の全てだった。
自分が見たことのないものを見て、知らないものを知り、掴めないと一蹴されたものを掴み取る…。そんな奏を、ずっと見て、想い、焦がれてきたんだったな…私は…」
『…大切なヒトだったんだな。お前にとって、奏は』
「そうだな…。月並みの言葉だが、それ以上に語れる言葉が無い」
穏やかな顔でそう返す。
癒えぬ傷跡。消せぬ未練。だが、それこそが天羽奏を忘失れないただ一つの証だった。
誰かに埋めて貰うものではない。”代わり”などあってはならない。
でなければ、奏の遺したモノを受け継いだ者たちに顔向けができないからだ。この心に、仲間たちの中に、奏は今も息衝いている。見守ってくれている。それで十分だ。
あの日折れた片翼はもう癒えた。今はもう、自分の力で羽撃ける。奏に手を引いてもらわなくても、肩を貸してもらわなくても…この背を押してくれる者たちが出来たのだから。
(――だから、私は大丈夫だよ、奏…)
答える者は其処には居らず、蒼天に向けて思いを広げた。
そっと目を閉じて空に背を向ける。再度見開いた先に見えたのは、なんでもないただの公園だった。
「…久しぶりに、よく喋った。緒川さんの言った通り、時に心の整理は必要なんだな。ありがとうゼロ。黙って聴いてくれて」
『気にすんな、今は俺が相棒じゃねぇか。良い顔してるぜ、翼』
「お前も、声にハリが戻ってきたようだ」
『ガラにも無く語っちまったからかな、なんだか少しスッキリした気分だ。今だったら、ウルトラギアもちゃんと成功させられるかもな』
「そうだな。仲間を信じ、互いを信じ…さすればきっと、上手く行くだろう」
笑いながら話し合う二人。その心の距離は、間違いなく縮んでいた。だから、続く話も他愛ないものだった。
『そういえばよ、【ツヴァイウィング】ってユニット名は誰が考えたんだ?一番のヒット曲って聞いてる【逆光のフリューゲル】って曲名も、”翼”って意味があるんだよな確か』
「あぁ、それはどちらも奏が考えて付けたんだ。なんでも……」
翼の声が止まった。それは、先ほどまでとは違う不自然な止まり方だった。
まるで、”忘失れてしまっていた”かのような――
『…翼?』
「……嘘だ。思い、出せない…!?」
混乱を隠せない。どれだけ思考を掻き乱し、引き抜こうとしても出て来ない。
奏の顔は浮かぶ。嬉しそうに話している姿は克明に思い出せる。なのに…
「なのになぜ…あの時、奏が話していたことを思い出せないんだ…!?
あんな嬉しそうな奏の顔はハッキリと覚えているのに…!ツヴァイウィングの名前も、逆光のフリューゲルの意味も、全部教えてくれてたはずなのに…ッ!!」
『お、落ち着け翼!誰にだって、簡単に思い出せないってことはあるだろ!』
「簡単じゃないッ!これは、この記憶は、忘失れようのないモノだ!私と奏の、大事な思い出の一つなんだ!思い出せないなど、あってなるものかッ!!」
思わずゼロの言葉を跳ね除けて更に思考を続ける。
思い出せるはずだ。何度も助けられてきた、奏の声だ。奏の言葉だ。思い出せないはずがない。
…はずがない、のに。
脳裏から、そして心から聞こえてくる。奏の声に被せるように、押し流すように、雑音が。まるでそれは――
「――海鳴りの、音…?」
認識した瞬間、周囲の空間が歪む。
まるで飲み込まれるように、彼女はその場からいなくなった。
意識と視界が戻った先に立っていたのは、見覚えのある何処かの場所だった。
頬を撫でる冷たい空気、雲の先から月光がおぼろげに地を照らす夜。
呆然と立ち尽くす少女の目が、何かを映し出した。
燃えるような炎を思わせる赤橙色の髪が、羽を広げた鳥のように大きく開いている。
背筋は伸びているものの、凛と言うよりは憮然とした後ろ姿、佇まい…。
それ以外に、考えられなかった。
だから、その名を呼んでしまったのも必然なのだ。
「―――……奏…?」
…海鳴りの音は、未だその耳に鳴り続いていた。