ハイスクールD×D 内戦地帯のクリムゾン・デビル 作:出張L
味方からの魔力弾を邪剣で弾いたヴィシュナは、ゆっくりと妨害してきた人物――――グレイフィアへ振り返る。
少女を斬り殺した時にも変化のなかった面貌には、明らかな驚きが張り付いていた。それほどグレイフィアの行動はヴィシュナにとって予想外で、驚きに値することだったのだろう。
「なんのつもりだ、グレイフィア?」
語気を強めてヴィシュナが言う。
「さぁ。私も……なにをしたつもりなのか分からなかったわ」
「ふざけているのか?」
「いいえ。本心よ」
これは本当の本当に嘘偽りないグレイフィアの本音だった。
魔力弾を放つことでヴィシュナがラインを殺害するのを止めたグレイフィアだが、そこになにか深い考えがあったわけではない。ただ気付けば脳味噌とは無関係に、体が勝手に動いていたのだ。
自分がヴィシュナを妨害したことだって『やって』初めて気づいたくらいである。
「誰かに操られていたとでも?」
「いいえ。生憎と私は他の誰かに心をいいように利用されるほど軟な鍛え方はしていないわ。……きっと限界がきたんでしょうね」
「限界?」
積りに積もった魔王派への不満、義侠心、己の信じる正しさ、上級悪魔としての矜持、そしてサーゼクスの語った夢への憧憬。
それらがもう『義務感』という蓋では抑えきれないほどに溢れて、ヴィシュナが少女を殺害したことで遂に蓋が弾き飛ばされてしまった。
「『双璧』の片割れである貴方に手を出したんだもの。ルキフグスにも戻れないかもしれないわ。だけど不思議と悪くない気分よ」
グレイフィアが生まれながらに背負い、縛られていた宿命。
それを捨ててしまったグレイフィアには、もう何も残っていない。魔王派の英雄としての名誉も、ルキフグスの財産も、全てルキフグス故に得たものだからだ。ルキフグスの責務を捨てた者に、それを持っている資格はない。
今のグレイフィアに残っているのは、プライドや正義や夢などという形のないちっぽけなものばかり。しかしそれで十分だ。生きていくのにはなんの支障もない。
「ヴィシュナ。悪いけど私は……『グレイフィア』は、民間人を虐殺するような魔王派には着いていけないわ。私は私の道を行かせて貰う」
我ながら遅すぎる決意である。どうせ覚悟を決めるのならば、作戦が始まる前にしていれば犠牲者をもっと減らせたかもしれないというのに。自分でもそう思わずにはいられなかった。
だが今からでもやれることはある。先ずは目の前で殺されそうになっている男を――――ライン・ダンタリオンを守り通すことだ。
「下らん」
グレイフィアの覚悟をヴィシュナは冷たく嘲る。
「そんな下らん理由で離反を決めたのか、グレイフィア。失望したぞ」
「なら貴方は、戦争とは無関係の一般市民の虐殺を命じることが正しいと言うの?」
「まさか。どんな理由があれ虐殺は悪行であるし、殺戮は悪徳だ。私が下らんと言っているのは、たかが虐殺一つで魔王派を離反する覚悟を固めたことだよ」
ヴィシュナは邪剣を地面に突き刺すと、昏い絶望に染まった双眸をグレイフィアへと向ける。まるで地獄のように深い瞳だ、グレイフィアはふとそう感じた。
剣より発せられる邪気が、大気に混ざり、冷たい風をグレイフィアに運んでくる。
「魔王派の掲げた大義を忘れたのか? 魔王の血族こそが新たな冥界の指導者となり、天使と堕天使を滅ぼす。それが魔王派の目的」
わざわざ説明されるまでもない。そのようなことは子供でも知っていることである。グレイフィアが知らない筈がない。
「それが、どうしたというの?」
「戦争になれば死ぬぞ。戦争とは無関係な者が大勢死ぬ。戦争関係者だけしか犠牲の出ない戦争なぞ存在しない。戦争が起きればどれだけ気を付けても、必ず無関係な者達も犠牲になる。
無辜の民草を直接殺めれば咎人か、命令で間接的に殺めれば上等か、知らない間に踏み殺すのは許容範囲内か。――――否だ。直接殺そうと、命令で殺そうと、知らずに殺そうと、それは全て『殺し』だ。違いなどありはしない」
ヴィシュナが静かな口調で紡ぐのは、戦争という行為の孕んだ一つの真実。
戦争と無関係な人間が死なない戦争など存在しない――――その意見に対しての反論をグレイフィアは持たない。反論するだけの実証が、歴史上に一つも存在しないが故に。
「なにより天使と堕天使を滅ぼす以上、その過程で必ず全ての天使と堕天使の虐殺が含まれるだろう。魔王派の……いいや冥界に住む悪魔の殆どが天使と堕天使をまるで異なる怪物として認識しているが、私に言わせれば天使・堕天使・悪魔に然程の違いはない。天使も堕天使も悪魔も友の死に嘆き、友の幸を祈り、そして人界に戦いを振り撒く生き物だ。
そんな彼等を皆殺しにしようとする勢力に肩入れしておいて、今更目の前で虐殺が起きたから裏切るなどとは。私が下らんと言ったのはこれだよ」
一通り言い終えたヴィシュナは邪剣を地面より引き抜く。鋭利な殺意がグレイフィアを貫いた。
「…………他の者ならば問答無用で切り捨てるところだが、お前は魔王派の英雄だ。もし気が変わったのならば、今回のことは見なかったことにする。どうか?」
魔剣聖ヴィシュナは嘘を吐かない。嘘を嫌っているというよりは、ただ単に嘘を吐くのが苦手なのだろう。
だからきっとグレイフィアが離反するのを止めれば、ヴィシュナは言葉通りこの事を秘密にしてくれるだろう。
しかしそれは選べぬ道だ。グレイフィアはもう己の道を決めている。戻ることは出来ない。
「ごめんなさい。貴方の精一杯の好意は嬉しいけれど、それに甘えてしまったら私は私を許せなくなる」
ヴィシュナの言う通り自分の決断は『下らない』ものなのかもしれない。
しかしどれほど『下らな』かったとしても自分の決断が過ちではないと信じている。ならば後に退くことは出来ない。例え立ち塞がるのが魔剣聖であってもだ。
ヴィシュナは一瞬だけ目を瞑り、そして邪剣の切っ先をグレイフィアへ向けた。
「是非もなし」
共に戦場を駆け抜けた日々は、儚く過去に呑まれて消え。ここに銀髪の殲滅者は、蒼い悪魔と相対する。
魔王派において『双璧』として並び称された両者。互いの実力は伯仲しているといっていい。このまま戦えば熾烈な凌ぎ合いが行われるのは必定。
だが魔剣聖はこのまま戦う気などありはしなかった。
「丁度ここは『アポカルス』からも離れている……。連続して使うようなものでもないが、お前相手ならば不足はない。――――魔剣聖の真の力を見せてやる」
「――――っ!」
ヴィシュナの肉体内部に、途轍もない量の魔力と闘気が集まり凝縮されていく。
魔剣聖ヴィシュナ。その真の力を解放した時の強さは〝超越者〟にも等しいという。だが『真の姿』を解放すると否応なく周囲の環境に悪影響を与えてしまうため、ヴィシュナがこれまで『解放』を行うところを、グレイフィアは一度も見ていなかった。
その解放を今正にヴィシュナは行おうとしている。
ヴィシュナを中心に魔力と闘気が爆ぜた。
巻き起こる竜巻。消し飛ぶ地面。
『――――ゆくぞ』
次にグレイフィアがヴィシュナを見た時、そこに自分の知る魔剣聖はいなくなっていた。
時間にすればほんの数分の差だっただろう。サーゼクスが転移魔方陣で転移しようとした時、既にルシファードに転移妨害の結界が張り終えられた後だった。
しかし数分といえど遅れは遅れ。幾らサーゼクスが『超越者』といえど転移妨害の結界が張られている場所に、転移を行うことはできない。
そのためサーゼクスは転移魔方陣でルシファードに一番近い都市に飛び、そこから自分の脚と羽でルシファードへ向かうことを強いられた。
結果としてサーゼクスがルシファードに到着したのは、報告を受けてから一時間が経った頃だった。そしてルシファードに到着したサーゼクスは、一目で自分が間に合わなかったことを悟る。
破壊し尽くされた廃墟、街に住んでいた市民は姿をけし、代わりに魔王派の悪魔たちが我が物顔で闊歩している。旧都ルシファードは完全に陥落していた。
だがルシファードの陥落を知ったサーゼクスは、次の瞬間それ以上の衝撃を味わうことになる。
ルシファード内部から立ち昇る闘気の奔流。まるで大自然そのものが個人に呑まれていくような気配。それはサーゼクスのような『超越者』が本気を解放する時と非常に似通ったものだった。
迷っている時間などはない。サーゼクスは直ぐに気配のした場所へ急ぎ、目の当たりにすることになった。壁を背に倒れている愛すべき後輩と、魔剣聖の首を掴まれ持ち上げられているグレイフィアを。全てが終わってしまった惨状を。
「――――な」
一瞬で余りにも多くの情報が流れ込んできたことに、サーゼクスは硬直する。
ラインは夥しい血で地面を赤く染めながら、壁を背に倒れている。気絶しているのか、二つの瞳は閉じられたまま動かない。彼の体に奔っているのは刀傷。傷痕に残る呪いからみて、それが〝異形殺し〟の邪剣によるものなのは明白だった。気絶しながらも繰り返される荒い呼吸が、一分一秒を争う容態であることを如実に表している。
そしてグレイフィア・ルキフグス。彼女も重傷を負っていた。ラインと違い刀傷こそないが、全身から血を流し体には痛々しいまでの痣がある。
この中で無傷なのはグレイフィアの首を掴んでいるヴィシュナだけだ。
サーゼクスには何が何だか分からない。どうしてラインが傷ついているのか、どうして味方同士であるはずのヴィシュナとグレイフィアがこんなことになっているのか。
そんな時、サーゼクスに気付いたグレイフィアがか細く声を漏らした。
「……サー、ゼク…ス……。おとう……とを……連れて、逃げ」
「黙れ」
容赦なくヴィシュナは首を掴む手を強める。半死半生のグレイフィアは抵抗すらできず、その意識を暗闇へ落とす。
未だに事情は分からない。だがヴィシュナの凶行によりグレイフィアが意識を失った瞬間、サーゼクスの中でなにかが切れた。