ハイスクールD×D 内戦地帯のクリムゾン・デビル 作:出張L
魔剣聖、天龍殺し、蒼の悪魔、冥界の鬼神。
数々の仰々しい異名で畏怖されるようになったヴィシュナだが、生まれた当初はとるに足らない一介の下級悪魔に過ぎなかった。
遥か遠い過去。自分という存在が、この世に生を受けた原初の記憶。それは時の河の上流に置き去りにされてしまっていて、もはや思い出すことはできない。
己を生んだ母親や、己を育てた父の顔すら朧気だ。ただ一応両親の記憶があるということは、自分が生まれた時には両親はまだ生きていたのだろう。
鮮明に思い出せる一番古い記憶は――――戦場で天使と堕天使を相手に剣を振るっていた過去だ。
切っ掛けがなんだったのかは覚えていない。当時下級悪魔だった自分にとっては、冥界の覇権や魔王への忠義も酷く遠いものだった。明日の食事も儘ならない下級悪魔にとって、大切なのは戦いでの誉れよりも、明日の食い扶持だったのである。故に自分から態々危ない戦場に赴く理由など何一つとしてない。
だが時代が時代である。下級悪魔は須く上級悪魔の奴隷に等しく、確固たる権利などまるで与えられていなかった。下級悪魔は住んでいる土地の領主が号令をかければ、どれだけ嫌がろうと問答無用で兵隊として最前線に駆り出された。
だからきっと自分もそうやって戦う理由すら与えられぬままに戦場へ放り出されたのだろう。もしくは出兵することで得られる給金を目当てに、両親に売られたかだ。どちらにせよ碌な理由ではあるまい。
しかしヴィシュナという悪魔は生まれつき才能が乏しかった。
悪魔ならば誰でも使える『魔力』を碌に扱うこともできず、最初は悪魔にとって初歩の初歩たる魔方陣を使っての転移にすら手古摺る有様だった。自慢にもならないことだが、自分ほど才能のない悪魔もそうはいまい。ヴィシュナにあったのは精々が五体満足の肉体だけだった。
そんな自分を見兼ねたのか、戦場から戻った自分に恐らく父親であったろう男は一振りの剣を与えた。
叩き斬るという『作業』を追及し、さる名工によって鍛え上げられた無骨な大剣。一切の装飾を削ぎ落としたそれは、煌びやかな儀礼用の剣とは真逆の機能美に満ちていた。
――――これを使えば多少はお前でも役に立てるだろう。
父の顔も思い出せない自分だが、その言葉だけは今でも覚えている。思い起こせばそれは父親が自分にくれた最初で最期のプレゼントだったのだろう。
出兵した父が討ち死にしたのは、それから直ぐのことだった。
父が死んでも戦争は終わらない。ヴィシュナは父から譲られた剣だけを武器に、最前線で戦い続けた。
天使の光槍が雨と降り注ぐこともあったし、堕天使に組する神器所有者が牙を剥いたことも一度や二度ではない。味方の上級悪魔に敵諸共吹っ飛ばされそうになったこともあった。
上級悪魔が一睨みするだけで消し飛んでしまうような自分が、その激戦の中で死ななかったのは奇跡にも等しい幸運だったのだろう。現に自分より才に溢れた同僚は、全員が長きに渡る戦乱で討ち死にしていった。
思い起こせばあの頃の自分は一番純粋だったといえるかもしれない。戦場という極限状態へ放り出され『生きたい』という生存欲に突き動かされ、何の迷いもなく死なないため我武者羅に剣を振るっていた。きっと世界平和やら愛やら他のことを考えている余裕はなかったのだろう。脆弱な下級悪魔にとって、戦場は刹那の油断が死に直結する地獄。生きること一つが難行だった。
どれだけの年月を戦い続けたのかは覚えていない。
死にたくない、生きていたい、生きる理由など知らないが生きたい。
剥き出しの本能ほど生きる活力となるものはなかった。愛も、正義も、友情も。それら一切を心から弾きだして、ただ生きたいという本能だけでヴィシュナは戦い続けた。
――――戦いに『余裕』が生まれ始めたのはいつだっただろう。
いつの頃からか、自分を見た敵が戦わずに逃げるようになった。あれだけ恐ろしかった上級天使や堕天使が、剣を一薙ぎするだけで殺せるようになった。世界が遅く動いているように感じられ、相手の動きが手に取るように分かるようになった。
自分が強くなったと自覚したのはあの時だっただろう。
手に持っている大剣は、数千の異形共の血を啜ったことで邪剣に変異し、それと同量の返り血を浴びたヴィシュナ自身も徐々に悪魔という種から逸脱しつつあった。
〝下級悪魔でありながら、上級悪魔をも凌ぐ実力をもつ男〟
とるにたらない一介の悪魔に過ぎなかったヴィシュナは、気付けば冥界でも知らぬ者がいない『英雄』となっていた。
そんなヴィシュナに目を付けたのが当時の魔王レヴィアタンである。魔王レヴィアタンは周囲の反対を押し切り、ヴィシュナを上級悪魔に取り立てると、その恩義をもって魔剣聖を己の配下として縛り付けた。
レヴィアタンに取り立てられた時の心境は饒舌に尽くしがたい。
感動、感激、感涙、感激。これまでの生涯で一度も味わうことのなかった感情、それらが濁流となって押し寄せて、心を決壊させた――――とでも表現するべきだろうか。
もしも情動に心を揺れ動かすことが『生の証』だというのならば、ヴィシュナという悪魔はあの日に誕生したのだろう。
少なくともそれまでの自分は生きているとは言えなかった。死にたくないという原始の欲求に体を操られ、死なない為に生きてきただけだった。それがレヴィアタンに認められ、感動を与えられたことで、生きる為に生きるようになったのである。
それからのヴィシュナは魔王レヴィアタンの恩義に応えるため、これまで以上に戦った。
戦って、戦って。立ち塞がる天使と堕天使を斬り屠り続け――――――段々と生まれたばかりの心をすり減らしていった。
心が芽生え、感情を育むと、どうしてもこれまで見えなかったものが見えてしまう。
悪魔が種族の敵と叫び、滅ぼそうとする天使と堕天使。彼等のことを悪魔は邪悪の権化のように語るが、決してそうではなかった。彼等にも自分達と同じように心があり、悪魔となんら変わりのない一つの『生命』だったのだ。
彼等にもなにか大切なものがあり、そのために命を懸けていた。中には以前のヴィシュナと同じように、なにも分からないまま我武者羅に戦っている者もいた。
そんな彼等を自分は殺したのである。殺してきたのだ。何人も何十人も……否、何百人も何千人も。或は何万人も。
ヴィシュナの精神は異常をきたし、それは戦場で動きを鈍らせる結果を生んだ。
心の均衡を崩したヴィシュナに、魔王レヴィアタンが暫く前線から遠ざかるよう命じたのは自然なことだっただろう。
生まれて初めて戦場から離れることになったヴィシュナは、暫く『契約』業務に従事することになった。
魔方陣を描いた人間に召喚され、召喚者の願いを叶える代償に相応の対価を貰う。悪魔が欲望の化身たる所以であり、悪魔本来の務めである。
魔力も嘗てとは比べ物にならないほどに増大し、幾つかの魔法を修めていたヴィシュナにとって、人間との契約はそう難しい仕事ではなかった。というより戦場で剣を振るうより幾段か楽だったといえるだろう。
不作で困っているから助けてくれと望まれれば、冥界の食料を分けてやり。
病気の我が子を救いたいと望む母親がいれば、悪魔の治療技術で病を治し。
家族を養う金がないと嘆く父親がいれば、金を稼ぐ術を教えてやった。
戦乱の時代だったこともあって、中には『敵軍を皆殺しにせよ』なんて望みを言う者もいたが、そういう連中の殆どは提示された対価の大きさに尻込みして、実際に契約した者は皆無に等しい。…………それでも契約を強行しようとする人間も極僅かにいたが、それはヴィシュナの独断で契約を反故にした。殺しという悪行に耐え切れず心の均衡を崩し、療養のために契約稼業に従事しているのに、そこで殺しをして状態が悪化しては元も子もない。
丁度三大勢力の戦争が膠着状態にあったこともあって、ヴィシュナの契約稼業はそれから数年以上続けられた。
そしてその契約稼業の中でヴィシュナは一人の少女と出逢う。
『――――力が欲しい』
小麦のような金色の髪に、湖の水面にも似た蒼い瞳。まだ十歳にも満たぬ素朴な少女の第一声は、そんな余りにも似合わぬものだった。
当然ヴィシュナは疑問を抱く。なにせ少女は本当にただの少女だったのだ。王家の血筋でもなければ、貴族階級でもない。騎士でもなければ賊でもない。極普通の村に生まれ、極普通に育ったただの少女だった。
故に直ぐに対価を提示せず『何故、力が欲しいのだ?』という質問をしたヴィシュナの行動はそう咎められたものではないだろう。
『守りたい国があります。救いたい人達がいます。けれど私は弱すぎます。これでは何もできません。だから力を欲するのです』
迷いなく言い放った少女に、ヴィシュナは尚も質問する。
『私は悪魔だ。即ち君達の信仰する神の敵対者に当たる存在だ。そんな私の力を借りるのは、君達の神に対しての裏切りではないのか? 君は神を信じていないのか?』
それはこれまでヴィシュナが形式的に行ってきた確認だった。
こう言われた人間は大抵が罰の悪そうな顔になるか、神に対して呪いを吐くか、もしくは神などいないと言うものだったのだが、彼女の反応はそのどれでもなかった。
少女は真っ直ぐとヴィシュナの顔を見詰め、断固たる決意をもって口を開いた
『はい。私は神を信じています。これが神に対する裏切りであることも知っています』
『ならば何故?』
『だって神に祈っても、私の助けたい人達は救われないじゃないですか』
『――!』
『だから私は悪魔に望んで、力を得ます。そして神には頼らず、私は自分で私の守りたいものを守ります。私の救いたい人達を救います。
守りたいものを守って、救いたいものを救って。やることをやったら神を裏切り悪魔に縋った魔女として死のうと思います。やっぱり悪いことをしたら罰を受けなくてはなりませんから』
これまでヴィシュナは力で圧倒されたことは数えきれぬほどあった。まだ下級悪魔の力しか持っていなかった時代、戦場には自分の格上の強者が溢れていたのだから。しかし力ではなく心で圧倒されたのは初めての経験だった。
自分の膝ほどの背丈の少女。上級悪魔を超える実力を身に着けたヴィシュナにとっては、吹けば消し飛ぶ弱い生き物。
だが望みを口にした少女の瞳は、これまで見たどんな異形の強者たちより気高さに満ちていた。四大魔王と神を束にしても、この意志力を折ることはできまい。
気付けばヴィシュナは膝をついていた。視線を少女と合わせ、自分達が対等であると示すように。
『その願い、確かに聞き届けた。私が刻み込んだ能力の全てを、君の願いの成就のため使うことを約束しよう』
そうしてヴィシュナは少女に力を与えた。
力といっても単純な暴力だけではない。剣術、兵法、魔法、人心掌握術――――ヴィシュナが少女に教えた分野は多岐に渡る。幸い少女は『神器』所有者であったので、最も分かり易い力である武力を与えるのは比較的容易だった。
それからの一年をヴィシュナは、少女の願いのために費やし。少女もそれに応える様に、ヴィシュナの教えを吸収していった。
けれど別れは突然に訪れる。戦争の形勢が悪魔不利に傾いてきたことで、ヴィシュナは再び戦場に戻ることになったのだ。
だがもはやヴィシュナの心に迷いはない。契約の最中、少女が教えてくれた。
守りたいものを守るため。
救いたいものを救うため。
自らの夢を叶えるため。
必要となるのは力ではない。かといって神への信仰でも、魔王への忠誠でもない。
無限の罪過を背負い、無間の罰を受ける覚悟だ。
契約稼業の最中、その目で見てきた人間達。彼等は弱い。悪魔からしたら酷く脆く脆弱な生き物だ。
しかし死という絶望が溢れた世界でも、彼等は必死に生きている。些細な切っ掛けで悪に堕ちる人間がいる一方で、熾天使すら堕天するような環境でも、光を信じ続けられる強さを持つ人間がいた。
平和と戦争を延々と繰り返しているようでいて、ほんの少しずつだが人間は進歩を続けていっている。神という導がなければ夜道を歩くことすら出来なかった人々は、もう自分で明かりをつけ、導となることが出来るようになっていた。
『嗚呼、人間とはなんて素晴らしい』
人類がこの星に誕生してより幾星霜。人間は文化を生み、文化を育み、文明を築き上げる。この歴史こそが人間の財産であり、人類成長の証明だ。
『なのにどうして我々はこうも度し難い』
だがそれに対して天使・堕天使・悪魔の三大勢力はどうだろうか。延々と戦争を繰り返し、なんの進歩もせずに、人間に寄生しているだけではないか。進歩するでもなく、停滞するでもなく、ただ延々と戦争ばかりを続ける三大勢力。進歩もせずに延々と戦争を続けるような種族に、歴史を紡ぐ資格はない。
『ならば――――』
もう一度、あの少女を思い出す。
神を信じながら悪魔に力を求め、〝神の声〟を聴いたと言って、一つの国を救うに至った少女のことを。
彼女が本当に神の声を聴いたのかは分からない。もしかしたら彼女の意志力と神器に目を付けた天界が『神託』を発信したのかもしれないし、単なる彼女の出任せかもしれない。
だがそんなことはヴィシュナにとってはどうでも良いことである。
風の噂によれば少女はその手段を選ばぬ苛烈さ故に国から見捨てられ、魔女として火刑に処されたそうだ。彼女を知る多くの者は、それを悲劇だと嘆き悲しむだろう。しかしヴィシュナは彼女の死に同情もしないし悲劇とも思わない。
彼女は信仰を守ることの大切さと、信仰を破る恐怖を知っていた。
けれど信仰を守っても、大切なモノ全てを守れなかったから、彼女は其の身に悪鬼を入れた。地獄の業火に永久に焼かれる覚悟で、自ら魔女に成り果てたのだ。
そして彼女は守ったのである。守りたいと思い、救いたいと思った全てを。
であればその最期は無残なものだったとしても、彼女は満ち足りて逝ったはずだ。
故に彼女の生涯は断じて悲劇などではない。
彼女は綺麗で清廉な聖人ではなかったが、誰よりも気高く尊い魔女だった。
例え万民が彼女をただの悪辣な魔女と嘲笑おうと、例え万民が彼女を悲劇の聖女と持て囃そうと。
己だけは死ぬまで覚えていよう。気高き魔女の真実を。
そして己も彼女に倣おう。
そう、守りたいものを守るため、救いたいものを救うため――――必要となるのは無限の罪過を背負い、無間の罰を受ける覚悟だ。
故にヴィシュナは守りたいものを守るため、救いたいものを救うため悪鬼となる。