ハイスクールD×D 内戦地帯のクリムゾン・デビル 作:出張L
「神器を寄越せと言われて俺が素直に『はい、どうぞ』と言うとでも思っているのか?」
「まさかぁ。私、そこまで物事を都合よく考える女じゃなくてよ」
ニシリナがわざとらしく肩を竦める。
神器所有者にとって自分の神器というのは、比喩ぬきで自分の命そのものといっても過言でもない。魂を縛るように同化している神器。その『神器』が抜き取られるようなことがあれば、神器所有者は死を迎えることとなる。
念入りな下準備と、神器に関する深い知識、それと卓越した技量があれば所有者を殺さず抜き取ることも不可能ではないそうだが、このニシリナ・レヴィアタンがそんな手間をかけてくれる筈がない。
「だから、ねぇ。悪魔らしく……力ずくで奪おうかなぁって。ヴィシュナ、仕事よ」
パチンと指を鳴らすと、これまで沈黙を守っていたヴィシュナが動く。
亜空間より『異形殺し』の邪剣を取り出してラヴィリ・グラズノフへ向けた。ただその冷徹な双眸には、悪魔を殺す際には見られなかった哀憐があった。
『ふん。やはり貴様とはこうなる運命か、魔剣聖。どれ、ここで白黒はっきりつけるとしようか』
「黙っていろ、ドライグ。一文の得にもならんのに、あんな化け物と戦えるかよ。命懸けの喧嘩を好き好んでやるようなドラゴンと俺を一緒にするな。俺はこれでも平和主義者なんだ」
『だが相棒。相棒が非暴力主義を掲げようと、あちらさんはやる気満々のようだぞ』
「阿呆。昔の偉い人も言ってただろうが。にっちもさっちもいかなくなったら取り敢えず逃げろ。逃げればハッピーになれる、と。ユリウス・カエサルの言葉だ」
『本当にカエサルがそんなこと言ったのか?』
「勿論だ。勿論……嘘八百に決まっている。だが逃げるっていうのは本当だ。魔剣聖と白龍皇のコンビと戦うなんぞ、例え金塊の山を摘まれても御免…………いや、それくらいくれるなら引き受けても良いかもしれんが。兎も角、タダ働きは御免蒙る」
魔剣聖ヴィシュナ、そして素で魔王級の実力を持ち『白龍皇』の力まで持っているニシリナ・レヴィアタン。更にルシファード外部には魔王派の軍勢が、外敵の侵入を阻むため展開しているときた。
正に四面楚歌というべき状況。そんな非常時にも飄々とした態度を崩さぬラヴィリに、ニシリナは暗黒の微笑を浮かべながらコロコロと笑い声をあげた。
「悪魔相手に契約を持ち掛けるだけあって剛毅ねぇ、今代の赤龍帝はぁ。でも逃げられると思うの?」
「逃げるさ、逃走経路は用意してある」
自分の命を売り物にして商売する傭兵なんて職業についているが、ラヴィリ・グラズノフは極めて慎重な性格をしている。
悪魔は義理や人情ではなく利益と打算で動く種族であり、当然の如くラヴィリは『裏切り』を可能性の一つとして考慮していた。そもそも傭兵なんて職業はクライアントが裏切りを警戒するのと同じ程に、クライアントからの裏切りを警戒するものである。
故にラヴィリは冥界に入るに当たって何十通りもの逃げ道を事前に用意していた。
(とは言いつつも――――)
ラヴィリは大抵の危機から逃れる自信はあるが、流石に今度ばかりは分が悪かった。逃走経路はあるが、その経路に行く前に殺されるかもしれない。
だがラヴィリ・グラズノフにはまだ『奥の手』が残っている。神器に封印された『赤龍帝』の力を、一時的に全解放させれば、この場から脱出することくらいは出来るだろう。
「ドライグ、
『――――良かろう』
都市全体が地震でも起きたかのように大きく震動する。ラヴィリ・グラズノフを中心に、血のように赤いオーラが爆発的に広がっていった。
輝きは際限なく無限大に広がっていき、やがてそれは赤い太陽となってルシファード全体を照らし出す。
たった二体で神と魔王に挑み、そして神器へと封じられし天龍の力。呪いにも等しい暴力の具現がここに再現される。
『我、目覚めるは――』
<始まるよ><始まってしまうのね>
ラヴィリとドライグの声が重なり合い、次いで老若男女入り混じった不気味な声が宝玉より響く。それは宿主の命を犠牲に、地上に覇王を降臨させる呪詛だった。
嘗て二天龍討伐戦にも参加したヴィシュナとニシリナが、真の力を解き放った赤龍帝の強さを知らぬ筈がない。しかし二人は『覇龍』の発動を黙って観察するばかりで、なんのリアクションを起こすこともなかった。
『覇の理を神より奪いし二天龍なり――』
<いつだって、そうでした><そうじゃな、いつだってそうだった>
『無限を嗤い、夢幻を憂う――』
<世界が求めるのは――><世界が否定するのは――>
『我、赤き龍の覇王と成りて――』
<いつだって、力でした><いつだって、愛だった>
ラヴィリの纏っていた鎧が変質していく。人間型だったフォルムはより鋭利に、ドラゴンの形へと近づいていった。両足からは鋭利な爪が伸び、両手は前足へと変化していく。
最後の一押し。それでラヴィリ・グラズノフは完全な『赤い龍』と化すだろう。しかし、
「マーヴィン・アンブロジウス」
『!』
ニシリナがある人物の名を呟くと、ラヴィリの変化がピタリと停止した。
あれだけ爆発的に広がりつつあった赤い光は急速に静まっていく。ラヴィリの目は大きく見開かれニシリナに釘づけになっていた。
「魔術の祖、マーリン・アンブロジウスの末裔。若干七歳にして大魔導師の称号を得た天才……。初代にも迫ると言われた『神童』が、マーリンの名を継ぐこともなく、傭兵に身を窶していると知れば、世の魔術師たちはどう思うかしらねぇ」
「……どこで知った? その名を」
とうに捨て去った己の『本名』を言われたラヴィリは、焼き尽くすほどの殺意を剥き出しにした。
「悪魔の情報力を舐めないで頂戴。人一人の人生を暴き出すなんてその気になれば容易いことよ。まぁ名前どころか出生や経歴、それに顔まで変えていたものだから骨は折れたけれどねぇ。
一文の得にもならないのに態々そんな面倒かけて『自分』を捨てるだなんて、アンブロジウスの名が余程重かったのかしらぁ。それとも自分のことで弟に迷惑をかけないようにしたかったのぉ?」
ニシリナの魔力で空間に立体映像が投影される。
くすんだ金色の髪、死人のように生気のない肌、閉ざされた二つの目蓋、なにも通っていない左袖はぶらりと垂れ下がっていた。
他ならぬラヴィリ・グラズノフが見間違える筈もない。彼はメルヴイル・アンブロジウス、ラヴィリの……否、マーヴィン・アンブロジウスの唯一の肉親たる弟だった。
今度こそ抑えきれないほどの殺意がラヴィリより噴出する。余りにも濃密で噎せ返るほどの殺気は、黒い闘気という形で具現化しつつあった。
宿主の憤怒に呼応するように『覇龍』は完成へと近づいていき、
「あ~。やめだやめだ」
瞬間、覇龍どころか禁手化までもが解除された。神器を引っ込めたことで、ラヴィリの人間としての脆い肌が露わとなる。
「あらぁ。いきなり禁手化を解除してどうしたのぉ? 私は貴方の弟を立体映像で投影しただけよぉ」
「わざとらしくとぼけるな。どうせ『大人しく神器を渡さなければ、弟を殺す』だとか言って脅すんだろう。身元が割れている以上、ここでお前たちを殺しても無駄だろうからな。
それとも命乞いが必要か? なら要望に応じよう。俺の命はどうなっても構わんから、弟には手を出さないでくれ。平身低頭でお願いする」
偉そうに踏ん反り返り、まったくもって敗者らしからぬ態度でラヴィリは命乞いをする。
「貴方の神器さえ貰えれば、貴方の弟なんて眼中にないわよ。にしても思ったよりあっさりと降参しちゃうのねぇ。もっとごねるかと思ったわぁ」
「賭かっているのが安い俺の命だけなら、もっと足掻いたんだがな。弟の命まで天秤にのったなら止むを得んだろう。
酷いことを言うようだが、俺の弟は阿呆でな。魔法の才能もからっきし、身体にも生まれながらハンデを背負いまくってる癖して、馬鹿みたいに正義やら友情やら愛やらを信じてる。ま、才能に満ち溢れている俺とはなにかと対照的な奴なんだよ。
俺は正義や友情や愛には散々裏切られたから、そんな下らんもん信じるのを止めたが、あの馬鹿は俺以上にそれに裏切られてるってのに未だにソレを信じてやがる。ああいう大馬鹿野郎は、俺みたいな屑とは関係ない場所で勝手に生きて、勝手にハッピーになって、勝手に死んでればいい。
要するにあれだよ。俺は基本的に誰に対しても利己的で屑な傭兵だが、弟に対してはそこそこ甘かったという……よくある話なわけだ」
ラヴィリは火の魔法で葉巻に火をつけると、最期の一服とばかりに吹かし始める。咎める者は、いなかった。
「ヴィシュナ」
「……はっ」
ニシリナが命じると、ヴィシュナはラヴィリの正面へ来て邪剣を構える。
ありとあらゆる異形を殺したことで極大の呪詛を孕んだ邪剣。しかしヴィシュナが邪気を抑え込んでいるのか、邪剣からは禍々しさは失われ、代わりに慈しむような温かい光を放っていた。
「――――待て」
「あらぁ。この期に及んで命乞い」
「いいや金乞いだ。よくよく考えると俺はこれから俺自身の命と赤龍帝の神器をお前らに渡すわけだが、幾らなんでも無料でくれてやるのは癇に障る。
ちょっとはこんな騙し討ちみたいな形で人を殺すことに罪悪感を感じているなら、せめて御花料として金くらい寄越せ」
「これから死ぬ人間がどうやってお金を使うの?」
「馬鹿が。死人が金を使えるわけないだろう。金を使えるのは生きてる人間だけだ。だからまぁ……生きている俺の肉親、あの大馬鹿な弟にでもくれてやれって言っているんだ。
そうさな。あのダリオとかいう奴から受け取った報酬分くれれば十分だ。これから世界征服するっていうんだから、それくらい払ったって罰は当たらんだろう」
「了承した。その百倍を払おう」
「……へぇ」
あっさりと即答したのはニシリナではなくヴィシュナ。途轍もない気前の良さにラヴィリは口端を釣り上げた。
「ははははははははは! 百倍とはまた随分と太っ腹だなぁ! というより俺の命はそこまで高かったのか? 初めて知ったぞ」
金は命より重い。それがラヴィリ・グラズノフのスタンスだ。
テーブルを埋め尽くすほどの金塊の山、その百倍なんて巨額の金を提示されては、自分の命を売らない訳にはいかない。
「いいだろう。売ったぞ、俺の命! さぁ持っていけ! 直ぐ持っていけ! 返品には応じんから覚悟しろよ!」
ラヴィリは『死』を迎え入れるかのように、両手を大きく広げた。
「というわけだドライグ。これも金のためだ。俺の命のおまけに売られてくれ」
『…………それが相棒の判断なら俺も否はない。お前の人生だ、好きにすると良い』
「話が早くて助かる。次の宿主と楽しくやれよ」
死ぬのは覚悟したが、どうせなら痛いのは避けたい。ラヴィリは魔法を使って、自分自身の痛覚を一時的に麻痺させる。
これで本当に死ぬ準備は整った。こういう時のお約束に倣い、ラヴィリはすっと目蓋を閉ざす。
死ぬ直前になるとこれまでの生涯が走馬灯のように過ぎると聞いたことがあるが、生憎と自分の目蓋はそんな上等なものを映してはくれなかった。目蓋の裏に見えるのは暗闇だけである。
「――――すまない」
絞り出すようなヴィシュナの懺悔。痛覚や感覚の一切を遮断していたため、何が起こったのかはラヴィリにも分からない。
ただ恐らくは手で心臓を抉り取られたのだろう。剣ではなく敢えて自らの手を汚すのは、果たして何故か。気になるが残念ながら死にゆくラヴィリにもはや考える時間はなかった。
『じゃあな、相棒』
ドライグからの別れの言葉が脳裏に響く。それを最期に、ラヴィリ・グラズノフは永久に覚めぬ眠りについた。