ハイスクールD×D 内戦地帯のクリムゾン・デビル 作:出張L
脳天から全身へと反響する鈍痛。まるで巨大な金槌で殴りつけられたかのようだった。
ぐらり、と体が揺れる。今にも意識が飛んでいきそうだった。
それはいけない。こんな所で意識を喪えば一貫の終わりだ。自分の胸を見られ怒り心頭のグレイフィアは、鬱憤を晴らすように意識なき自分を殺すだろう。
サーゼクスは領地で帰りを待つ両親の顔、ルシファードの後輩や市民たち、そして先程目の当りにした『至宝』を思い出して、どうにかして意識を繋ぎとめることに成功する。
危ないところだった。危うく最期の言葉が『ああ。見た! 素敵な胸だったよ。一生忘れない思い出をありがとう!』になるところだった。
「いつ、つ。殴られるのは覚悟していたが、せめてビンタにして欲しかった……。いや命を懸けるに値するモノを見たのだ。これくらいの痛みなど」
あれだけ見事なものを見せて貰ったのである。このくらいのリスクは覚悟の上だった。それにサーゼクスの見た『絶景』はあの衝撃を受けても、しっかりと海馬に焼き付いている。
サーゼクスが健在なのを見ると、グレイフィアが露骨に苦々しい顔をした。まだ羞恥は消えていないのか、頬にはまだほんのりとした赤みが差している。
「安心しなさい。無抵抗でいれば痛みを感じる間もなく殺してあげます。その脳味噌を記憶ごと消し飛ばして」
「……もしかしてかなり怒っているかい?」
「逆に聞きますが、怒らないとでも?」
にっこりとほほ笑むグレイフィア。なんとも魅力的な微笑みであったが、何故か寒気しか感じない。
心臓がバグバグと脈打つ。生存本能が逃げろと絶叫していた。それでも悲しいことに理性の方は逃げるのは戦術的に間違っていると諫言する。サーゼクスは理知的な自分を始めて呪った。
胸を隠しながらグレイフィアが近づいて来る。美しい銀色のオーラは、彼女の怒りを反映して暗くなっていた。
美人を怒らせると恐い。母のことで身に染みて理解しているつもりだったが、サーゼクスは今日改めてそのことを思い知らされた。
(ま、不味いな、これは。どうにかしなければ)
実力では拮抗している筈なのだが、今のグレイフィアと戦って勝てるビジョンがまるで浮かばない。数秒後には記憶ごと脳味噌を吹き飛ばされる光景ばかりが浮かぶ。まるで世界の流れ、運命的なものがサーゼクス・グレモリーに天罰を望んでいるかのようだった。
どうにかして空気を変えなければ、数秒後のビジョンは現実のものとなるだろう。かといって自分の力ではこの空気を変える自信がない。
なのでサーゼクスがとれる行動は一つだけだった。
「セラフォルー! すまない、手を貸してくれ」
自分一人ではどうにも出来ないのならば、助けを呼ぶしかない。サーゼクスは信頼できる友人であり戦友に助けを求めた。
「もう仕方ないんだから、サーゼクスちゃんは♪」
果たして友は答えてくれた。
サーゼクスとグレイフィアのいる半径500mをすっぽり覆うように巨大な結界が展開される。結界の効果により内側と外側が遮断され、更に周囲の気温が一気に氷点下にまで下がっていった。
外界との遮断はグレイフィアを逃さないため、気温が下がったのは〝彼女〟の力を高めるためだろう。
一つの結界に二つの効能を内包させるとは、彼女もやってくれるものだ。サーゼクスは心の中でそう呟いた。
「これは――――!」
「ごめんね、グレイフィアちゃん。私も女の子だし気持ちは分かるけど、ここで捕まって貰うよ」
空気をも凍り付かせるオーラを放ちながら、セラフォルー・シトリーが退路を塞ぐようにグレイフィアの背後に現れた。
前方のサーゼクスに後門のセラフォルー。図らずも挟み撃ちする形となる。グレイフィアは転移してこの場を脱出しようとするが、それは失敗に終わる。
セラフォルーの結界は強力だ。例え魔王クラスといえど脱出は困難である。ここから脱出するには結界を破壊するか、術者を殺害するなどをして『結界』を解除しなければならない。
「魔蒼騎士団は……」
「あの人達なら全員氷漬けにしておいたよ。大丈夫、誰一人として殺してはいないから。捕虜にはさせて貰うけどね」
全員が上級悪魔クラスの騎士団を、一人残らず殺さずに確保するなど並大抵のことではない。けれどそれをあっさりとやってのけてこそエースだ。
魔蒼騎士団をあっさり撃破したセラフォルーは、サーゼクスとグレイフィアが戦っている間に強力な結界術式を構築。準備が整ったタイミングで結界を発動させたのだ。
魔王派のエースであるグレイフィア・ルキフグスを、確実に撃破もしくは捕縛するために。
「成程。つまり私の胸元を切り裂いて、露出させたのも私の頭に血を昇らせるための策略だったというわけですか。以外に強かなのですね、サーゼクス・グレモリー……!」
「いや、それは本当にただの偶然だよ。ただ私の目的が時間稼ぎにあったのは確かだね」
エースとはただ単に強いからエースと呼ばれるのではない。エースと呼ばれる者達は、味方にとっては憧れの象徴。敵にとっては畏怖の対象だ。エースが戦場に駆け付けるだけで、味方は大いに士気を上げ、敵は大いに士気を低下させる。逆にエースが死ぬようなことがあれば、味方は士気を低下させ敵は高揚することになるだろう。
グレイフィア・ルキフグスは正真正銘のエース。魔王派の双璧の一人である。彼女の捕縛に成功すれば戦術的にも戦略的にも、魔王派に大きな打撃を与えられるだろう。
それはもしかしたら戦いの早期終結にも繋がるかもしれない。同種族同士による無意味な殺し合いは一刻も早く終わらせなければならないのだ。
そんなシリアスなことに思考を巡らしつつ、サーゼクスは先程の空気が流れたことにほっと胸を撫で下ろしていたが、それは誰にも言えないことだった。
「形勢逆転ね、グレイフィアちゃん」
「二対一など私も卑怯ではあると思うが、それもお互い様というものだ。ここで捕まって貰う」
そう、ここに正しく形勢は逆転したのだ。
魔蒼騎士団と共にセラフォルーに奇襲を仕掛け、彼女を討ち取ろうとしたグレイフィア。だが魔蒼騎士団は既に氷漬けにされ、彼女の味方はこの場には一人もいない。いるのはサーゼクスとセラフォルー、魔王クラスの敵が二人だ。しかも周囲を覆う結界が退路を塞いでしまっている。そのことを踏まえれば、状況はセラフォルーのそれよりも悪いと言えるだろう。
立場を逆転させた絶体絶命の窮地の再演。
『ならばもう一度、形勢を引っくり返すとしよう』
だが再演というのならば、セラフォルーの危機にサーゼクスが駆け付けたように、グレイフィアの危機に駆け付ける者がいるのも必然というものだろう。
鳴り響いた声に対して三人の反応は様々だった。
「この声は……彼かっ!」
声の主と交戦したこともあるサーゼクスは警戒し、
「サーゼクスちゃんがこんなに驚くということは、まさか」
セラフォルーはサーゼクスの様子から声の主の正体を推測し、
「助かり、ましたね」
声の主の戦友であるグレイフィアは安堵の吐息を漏らす。
グオン、という衝撃音。外部よりの鋭い一撃が結界に直撃する。
結界全体に皹が奔っていく。数瞬後、窓ガラスの割れる音が大音響で響き渡った。
魔王級のグレイフィアを閉じ込めていた結界、それがバラバラに砕け散る。結界の破片がキラキラと光を反射しながら輝き、紙吹雪のように空を舞う。
この日、雲のない冥界の天空にて鏡の雨が降った。
結界を破壊したものの正体、夥しいほどの呪いを孕んだ邪剣がブーメランのように回転しながらサーゼクスに飛来する。
「――――っ!」
サーゼクスが左に飛びのくと、空を切った邪剣はそのまま弧を描きながら、持ち主の手に吸い込まれるように戻っていく。
舞い吹雪く鏡に歓待されるように、剣の持ち主は――――〝蒼の悪魔〟は戦場に姿を現した。
纏うのは黒を基調としたコート。闇に映える黄色い双眸は戦場全体を俯瞰するように見据えられ、肌は氷のように白かった。蒼穹を流し込んだような蒼髪は後ろで一本に結われている。サーゼクスに貴公子然とした華やかさがあるのならば、その男は東洋のサムライにも似た雅さをもっていた。
そしてなによりも目を引くのが、彼が右手に持っている剣。元々は魔蒼騎士団の装備していたものと然程変わらなかっただろうに、多くの異形の血と呪いを浴びたことで、毒々しく禍々しく変貌していた。
竜殺しならぬ異形殺し。あれは人ならざる異形全てを呪う邪剣だ。あんなもの掴むだけで異形の者は呪いを受けることを免れないだろう。しかしそんな剣を掴みながら、蒼い悪魔はまるぜ平然としている。
この剣の持ち主は、冥界広しといえど唯一人しか有り得ない。
「ごきげんよう〝魔剣聖〟ヴィシュナ。三か月前のサマエリアの戦い以来だな」
「――――サーゼクスか。それにそちらはセラフォルー・シトリー。どうやらダリオの策は失敗に終わったらしいな」
魔剣聖ヴィシュナ。他にも天龍殺し、蒼の悪魔など数多くの異名で魔王派に畏怖される冥界最強の剣士だ。グレイフィアと並んで魔王派の双璧とされるエースでもある。
グレイフィアと並び称されるだけあって、そのオーラはサーゼクスやセラフォルーとまったく劣るところがない。
サーゼクスは周囲に滅びの魔力を凝縮した球体を展開し、いつどんな攻撃が迫っても対処できるよう気を張らせた。
しかしサーゼクスの警戒を裏切るように、ヴィシュナは邪剣を降ろす。
「退くぞ、グレイフィア」
「しかし――――」
「氷漬けにされていた魔蒼騎士団は解放済みだ。失敗した策に拘る必要はない」
グレイフィアは暫し躊躇していたが、ヴィシュナの言の正しさを認めたのだろう。コクリと頷く。
「そうね。分かったわ」
逃げるのを遮る結界は既にない。グレイフィアとヴィシュナは撤退しようとする。だがセラフォルーが逃げる二人を妨害するように飛び出した。
「逃がさないわよ。ここで二人とも――――」
「待つんだ、セラフォルー」
サーゼクスは撤退を阻止しようとするセラフォルーを制した。それを見てヴィシュナは構えかけた剣を再び降ろす。
「サーゼクスちゃん?」
「こちらもかなり消耗している。こんな状態で万全の魔剣聖を相手にするのは危険だ」
魔剣聖の邪剣に斬られた傷は、最高の回復アイテムとして名高い『フェニックスの涙』すら受け付けない。
サーゼクスも余り戦いたくはない相手だ。消耗しているのならば尚更である。
「良い判断だ。また会おう、サーゼクス」
「ああ。出来れば戦場でない場所で」
「無茶を言う」
確かに無茶だ。反魔王派のサーゼクスと、魔王派のヴィシュナが戦場以外で会う場所などはない。それこそ両勢力の間で和議でも結ばれない限りは。
グレイフィアとヴィシュナの二人が戦場を離脱していく。そんな二人の後ろ姿を、サーゼクスは寂しげな瞳で見送った。