ハイスクールD×D 内戦地帯のクリムゾン・デビル 作:出張L
「お帰りなさいませ、お嬢様」
グレイフィアが無言で門を潜り、ドアを開け「ただいま」とも言わずに屋敷に入ると、侍女のエルアナが花の咲くような笑顔で出迎えてくる。
転移魔方陣という便利なものがありながら、内乱という戦争の中でも特に非生産的なもののせいで、かれこれ三か月以上戻っていない我が家…………というのは嘘で実はつい三十分ほど前に一度帰ってきている。ニシリナ・レヴィアタンに謁見する前に、サーゼクスに敗れ破れた服を着替えるために。
三か月ぶりの我が家と三十分ぶりの我が家。こうして単位を変えれば近いように見える二つも、時間にすれば2184時間と0.5時間となり差は明白となる。
だが2184時間ぶりに戻った時も、0.5時間ぶりに戻った時も、エルアナ・ロノウェというメイドはプロとしての役割上だとか、仕事上仕方なくだとか、義務に準じているだとか、そういったまどろっこしい裏などなく、ごくごく当たり前に花咲く笑みで出迎えてくれた。
きっと0.5時間が0.05時間になろうと、2184時間が21840時間になろうと。彼女は花咲く笑みで自分を迎えてくれるだろう。お帰りなさいませ、と。
だからグレイフィア・ルキフグスも氷のようなクールさを溶かして、春風のように微笑みながら言うのだ。
――――ただいま、と。
ニシリナ・レヴィアタンの秘密主義のせいで、ほんのりと淀んだ心も、自分専属のメイドとの心温まる何気ないやり取りで薄れた。
グレイフィアは不必要なほど多い部屋を素通りして、自分の部屋へと直行する。
屋敷に帰ったのは三十分ぶりだが、こうして自分の部屋に戻ったのは三か月ぶりだ。
自分の部屋というのは自分の心を映し出す鏡だと云う。ただこれには頷ける部分がないでもないが、必ずしも正解であるとは言えないだろう。
部屋が心を映し出す鏡だというのならば、家に自分の部屋がない人間はどうなるのだろうか。部屋がない、つまり極論すれば心が無いということになりかねない。そもそもの前提として自分の家すら持たぬ根無し草であれば、その人間には心どころか、心をすっぽりと覆う肉体すら存在しないということになってしまう。
だからこの言葉は誤りだ。
部屋は断じて心を映し出す鏡などではない。
故にグレイフィア・ルキフグスの部屋がテーブル、ソファ、ベッドを除けば調度品も何もない有様だったとしても、それはグレイフィア・ルキフグスの心がからっぽのガランドウということにはならないのだ。
まるで引っ越してきたばかりのように、生活の気配が感じられない部屋。
ここまで部屋が空虚なのは、そもそも部屋にいる時間が、屋敷の外にいる時間よりも短いということが原因である。
三大勢力との戦争が停戦という形で終わって、その直後に休む暇などなく起きた内乱。
魔王ルシファーの懐刀というべきルキフグス家は争いの渦中にいるわけで、ゆっくりと部屋で寛ぐ時間など滅多になかった。自分の部屋を彩ることに精を出さなかったのも必然といえるだろう。毎日寝泊りする場所ならばいざしれず、ただの数か月に一度か二度戻るだけの場所に飾りなどする必要はないのだから。
けれどやはり自分の部屋というのは何かが違う。
今年に入って数える程しか入っていない自室。未だに見慣れていない天井。なのにグレイフィアの胸には確かな安心感が宿っている。
意識を抜けば今すぐにでも煩わしい服など脱ぎ捨て、思いっきりふかふかベッドにダイブしてしまいそうだ。
上級悪魔御用達の職人が丹精込めてつくったベッド。そこで両手両足をジタバタさせれば、きっと母の胎内にいるような心地よさを得ることができるだろう。
一瞬本気で行動に移したいという願望にかられるが、仮にそうした場合の絵面がどのようなものになるかを想像して自粛した。
これが自室というプライベートルームの魔力だとしたら恐ろしいものである。よもや魔王級の悪魔すら虜にするほどのものだとは。
これを論文で発表すれば学会で名を馳せることができるだろうか、なんていうどうでもいいことに思考を巡らせていると、喉が渇いてきたのでエルアナに飲み物を持って来て貰うことにした。
「お嬢様、紅茶をお持ち致しました。御菓子も良ければどうぞ」
紅茶を頼んだらプラスして御菓子もあるという、グレイフィア・ルキフグスの思考と嗜好を読み切った対応。それがルキフグス家の気の利くメイド、エルアナ・ロノウェの真骨頂だった。
湯気を立てながら、ほんのりとした香りを運ぶ紅茶。その横には甘い甘い蜂蜜をぬったスコーン。
先ず紅茶を口に運び、次にスコーンを摘む。
サクッとした食感と共に口内にチーズの風味と蜂蜜の甘味が広がっていき、それが紅茶の余韻に絡みついて絶妙なハーモニーを奏でる。
「……美味しい」
ほおっと息を漏らす。
自分の部屋で紅茶を堪能し、菓子を摘む。ただそれだけのことなのに、心が静まり、落ち着き満たされる。毎日戦争という非日常に身を置いているせいだろう。こんな何事もない平和な日常の一風景が、とても素晴らしいものに思える。
それにしても紅茶といいスコーンといい絶品だ。
悪魔の中には人間を下等と見下す連中もいるが、こういった食事を堪能していると彼等の論理の稚拙さが良く分かる。
現在悪魔が当たり前のように享受している食文化。その大半を生み出したのは人間だ。要するに彼等は人間の生み出した食事に舌鼓をうちながら、人間のことを下等と見下しているのである。これほど滑稽なこともないだろう。
永遠にも等しい寿命と強力な魔力をもつ悪魔だが、未知のものを生み出す創造性にかけては、人間に著しく劣るのかもしれない。
紅茶を楽しみながら、グレイフィアはふとそんなことを考えた。
「そういえばエルアナ。私が留守にしている間に変わったことはあったかしら?」
一人で黙って食事をするのもなんなので、気になった話題をエルアナに振る。
「特にそのようなことは…………ああ、そういえば。お嬢様が留守にされている時、一度だけユーグリット様がお帰りになられました」
「ユーグリットが?」
ユーグリット・ルキフグス、グレイフィアにとっては血を分けた実の弟である。
若干シスコン気味なのが困ったところだが、実力においてはグレイフィアにも負けず劣らずの実力者。魔王にも迫る上級悪魔だ。
「まさかリリン様を、リゼヴィム様を見つけたの?」
リリンという名で聖書に刻まれている魔王ルシファーの息子、リゼヴィム・リヴァン・ルシファー。その名前は悪魔社会にとって多くの意味で特別だった。
一つには言うまでもなく魔王ルシファーの息子としてである。幾ら平等対等を謳おうと、盟主であるルシファーの権威は他の魔王を上回る。ルシファーの息子であるリゼヴィムはこれ以上ないほどの魔王派の旗頭となりうるだろう。
第二には家柄とは関係のないリゼヴィム・リヴァン・ルシファーという悪魔個人のもつ実力だ。
〝超越者〟
悪魔を超えて、越えてしまった存在。他の悪魔とは余りにも別格で異質過ぎる能力故に、悪魔の枠に当て嵌めていいのかすら定かではない別格の魔人。
それが超越者と呼ばれる悪魔ならざる悪魔であり、リゼヴィム・リヴァン・ルシファーはそんな超越者の一人だと云う。超越者だと囁かれるサーゼクス・グレモリー、アジュカ・アスタロトの両名が反魔王派に所属してしまっている現状、魔王派としては、リゼヴィムは彼等に対抗するための貴重な戦力となるだろう。
そんな彼が忽然と行方を晦ましたのは一年以上も前のことだ。魔王派にとっては旗頭の一つと最大戦力を失い、ルキフグス家にとっては主君をなくしたも同然の形である。
ルシファーが懐刀がルキフグス家としては、兎にも角にもリゼヴィムの所在と安否を確かめなければならない。かといってリゼヴィムが姿を消した状況で、更にエースであるグレイフィアまでもが戦線を離脱することは魔王派にとって許容できないことだった。
そこでグレイフィアは魔王派に残り、弟のユーグリットがルキフグスを代表して、リゼヴィムの捜索に当たることとなったのだ。
「いえ。ただ捜索中に偶々近くを通りがかったので寄っただけと仰っていました。なにやらお疲れの様子でしたが」
「そう」
捜索と一口に言っても相手はあのリゼヴィム・リヴァン・ルシファーだ。明けの明星と呼ばれた魔王の息子である。才気に溢れたユーグリッドでも見つけるのは困難だろう。
「他になにか変わったことといえば、私事で申し訳ないのですが……」
私事という単語に形の良いグレイフィアの眉が動く。
四六時中ルキフグス家で仕事に励んでいるエルアナ。一応しっかりと休みは与えているはずなのだが、主人に休む姿を見せるのは非礼であると考えているのか、グレイフィアは彼女が休憩をとっている所を一度も見ていない。
そんなエルアナの私事である。弟には申し訳ないが、ユーグリッドのことよりも興味があった。
「まさか貴女にも春がきたのかしら?」
「いえいえ。私はグレイフィア様に素晴らしい殿方が見つかるまでは、誰にも嫁ぐつもりはございません。私事というのは私の〝
神器とは聖書の神が作り出したシステムの一つで、人間の血を宿した者のみに宿る異能の力だ。
伝説や歴史で名を馳せた英雄も多くが神器保有者であったとされ、特に神仏をも滅ぼすとされる十三種の『
それでどうして人間のみに宿る能力が悪魔のエルアナに宿るかというと、そのトリックは単純明快。エルアナが悪魔ではないからだ。より正確には頭に『純粋の』とつくが。
エルアナ・ロノウェ。彼女は人間と悪魔、両方の血を継ぐハーフなのである。
半分悪魔の血が混ざっていようと、半分に人間の血が流れていれば、神器はその半分の『人間』に宿る。
聖書の神が作り出した〝システム〟の一つであるところの神器が、悪魔の血を宿した『人間』に宿るという点には、一人の悪魔として神様の奇蹟とやらも随分といい加減なものであると感じざるを得ない。
「〝神器〟がどうかしたの?」
「実は訓練の甲斐あって少々パワーアップしまして」
「まさか禁手化に――――」
「御期待に添えず申し訳ないのですが、流石に〝禁手〟の領域までは……。しかし効果範囲が広まったと言いますか、ともかく実戦でもそれなりに使える程度には成長いたしました。これで有事の際はお嬢様の御役にたてそうです」
「そんな。いいのよ、別にそんなこと気にしないでも。貴女はメイドとして十分に役目を果たしているのだから」
「いいえ。そんなわけには参りません。凡百のメイドならばいざしれず、私はルキフグス家の――――それもお嬢様専属のメイドです。冥界では力が全て。私が神器を碌に使いこなせない弱者のままであったら、主であるお嬢様までもが低く見られてしまいます。
私が悪く言われるのは兎も角、お嬢様が私のせいで悪く言われるのは耐えられません。私のような半端者を拾って下さったお嬢様の御恩に報いるためにも、自分の神器の一つくらい満足に扱えるようにならねば……」
神器保有者が必ずしも英雄偉人のように華々しい活躍をしたわけではない。中には異能の力を持つが故に社会から弾き出され、迫害を受けた者もいる。
エルアナ・ロノウェもそんな中の一人。神器は彼女が冥界で迫害される元凶というべきものだ。
グレイフィアの記憶がボケていないのであれば、出逢った当初、彼女は神器という存在を呪っていたはずである。……いや恐らくは今でも自分の神器を好意的に受け止めてはいないだろう。ファーストインパクトというのは重要なものなのだ。
なのに彼女は自分のトラウマと向かい合い、忌むべき神器の力を高めようとしている。
止めさせるのは簡単だ。
グレイフィアが命令すればいい。彼女の主人として、ルキフグス家を継ぐ者として唯一言命じればいいのだ。神器の修行をやめろ、と。
そうすればグレイフィアのメイドであるエルアナは従うしかない。それが主人と下僕というものだからだ。
だがそれはエルアナ・ロノウェを裏切る行為に等しい。グレイフィアがその命令を下した途端、彼女の頑張り、彼女の努力、彼女の夢、彼女の決意。それらを諸々全て踏み躙ることとなるのだ。
グレイフィアにはそんな残酷な命令を下すことはできない。
なのでエルアナ・ロノウェの努力に対して、グレイフィアが言う言葉は決まっていた。
「いつもありがとう、エルアナ」
「お嬢様のメイドとして当然のことでございます」
本当に自分なんかには勿体ない、素晴らしいメイドだ。
グレイフィアは改めてそう思った。