砕蜂のお兄ちゃんに転生したから、ほのぼのと生き残る。 作:ぽよぽよ太郎
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「――つまり、俺の記憶がないのは……」
「は、はい……私が、その……」
俺の視線から逃れるように、砕蜂は身体を縮こませながら口をもごもごと動かした。夜一さんは別室にて待機しており、現在はこうして二人だけでの家族会議を行っているところだ。
喜助のお祝いとしての飲み会を終えた翌日。忘ようとした惨状は、結局俺が再び目を覚ましても何も変わらなかった。裸の夜一さんと砕蜂に挟まれ、血の付いたベッドで横になっている自分。二度寝のおかげか冷静になった俺は、そんな状況をやっと理解して飛び起きたのだ。
そして、俺はすぐさま二人を起こした。昨夜の事情を聞くためである。俺は今まで酒を飲んで記憶を飛ばしたことなどなかったということもあり、この記憶がないという感覚に酷い違和感があった。
そういうわけで、一刻も早くその欠落を埋めたいのと、なによりも自身が妹を襲ってしまったのかもしれないという罪悪感から事情を聞こうと思ったのだ。
夜一さんは結構な量の酒を飲んだためよく覚えていないと言ったが、砕蜂は違った。目が覚めて現状を認識した砕蜂は、俺の顔を見てすぐに謝ってきたのだ。そして、昨夜起こったことを素直に白状した。罪悪感からなのか、泣き出しそうな顔をして。
その結果わかったことは、正直、俺の予想の斜め上のものだった。
なんでも、俺の記憶が混濁しているのは砕蜂がとある薬を盛ったからだとか。
俺の記憶が確かなのは二軒目に行ったところまでで、鉄斎さんが合流した後くらいからは曖昧になり、家に帰る頃のことはほとんど覚えていないのだ。砕蜂の言では、薬の副作用で冷静ではいられなくなったからだろう、と。
その薬というのが――
「媚薬、ねぇ……」
媚薬。それも、卯ノ花さんが特別に調合したらしいものみたいだ。それを服用したせいで、俺は極度の興奮状態になったそうだ。そして夜一さんと砕蜂を担いで帰宅し、そのまま明け方まで連戦。
なぜ砕蜂が兄である俺に媚薬を、とか、なぜ卯ノ花さんが協力したのか、とか色々と聞きたいことはあったが、俺が一番気にしていたのは別のことだった。
いくら薬で冷静ではなかったとはいえ、俺は実の妹に手を出したのかもしれないのだ。
「結局、俺は砕蜂に――」
「い、いえ! 兄様は私には手を出しておりません!」
罪悪感で押しつぶされそうな俺の声に、砕蜂は慌てたように顔を上げた。
「だが、布団には血があんなにも……」
「あ、あれはその……は、恥ずかしながら、間近で行われたお二人の情事に、その、興奮してしまって……」
鼻血を吹き出してしまったのだと、砕蜂は顔を真っ赤にしてそう言う。俺は最後まで砕蜂に手を出そうとはせず、夜一さんと二人でくんずほぐれずしていたようだ。砕蜂の言葉が正しいならば、だが。
もちろん俺は砕蜂が俺をかばっているだけなのではないかとも思ったが、砕蜂のその必死さから嘘をついているようには見えなかった。
そういうわけで、俺は一先ず砕蜂の言葉を信じることにした。俺自身については信用なんぞできないが、妹を信用せずして何が兄だろうか。
「でも、どうしてこんなことをしたんだ?」
「そ、それは……」
砕蜂は俯く。否、こう聞いてはいるが、今回の砕蜂の行動の意味なんぞひとつしかない。それは俺にもわかっていた。
砕蜂は俯いてこそいるが、それは真っ赤に染まった己の顔を隠すためなのだろう。赤くなった耳は隠せていないが。
「――砕蜂。俺はお前が好きだ」
「……っ!?」
俺の言葉で、砕蜂は俯いていた顔をがばっと上げた。その赤い顔には、堪えきれない喜色が浮かんでいる。
「だが、あくまでそれは”兄妹”としての感情だ」
しかし、続く俺の言葉でしぼんでいってしまう。
やはり、俺と砕蜂の愛情は違うものなのだ。砕蜂のこの反応で、俺はそれを確信した。
砕蜂は俺に、兄として以上の情を抱いているようだった。もちろん、それ自体は男として嬉しいに決まっている。こんなにも可愛らしい少女から愛情を向けられるなど、男冥利に尽きるだろう。
だが、今の俺にとって砕蜂はあくまで”妹”なのだ。砕蜂が生まれた時からずっと、俺は彼女の兄としてともに成長してきた。そして、今の俺には夜一さんという最高のパートナーだっている。
砕蜂の想いを受け取るのは至極簡単なことだ。だがそれは、一方通行でしかないだろう。その齟齬はきっと、お互いの幸せを破壊し、不幸にする。だからこそ、俺は砕蜂を拒絶しなければならない。自身がどう思っていようと、それだけは正さなければならないのだ。
「だから砕蜂。お前の――」
俺は砕蜂を諦めさせるため、言葉を続けようとした。だがそこで、俺の言葉を遮るように砕蜂が口を開く。
「に、兄様――!」
想いのほか強いその口調に俺は驚き、言葉を詰まらせる。砕蜂は照れながらも、何かを覚悟したように真剣な目をしていた。
「――私は、兄様をお慕いしております!」
「……っ!」
「もちろん、妹としてではなく、一人の女としてです!」
俺が砕蜂の想いを断るのは、わかっているのだろう。涙をこらえるようにしながらも、砕蜂はそう言って俺を見つめてくる。そして、懺悔するかのように続けた。
「兄様は私を妹として愛してくれていることはわかっていました。私が乞うても、応えてくれないだろうと。だからこそ、せめて一晩……一時でも良いから、そう、思って……」
砕蜂は感情が昂ぶったのか、嗚咽を漏らして泣き出してしまう。溢れてくる涙を何度も拭いながら、幼子のように泣きじゃくった。
正直、砕蜂の行動は褒められたものじゃない。媚薬を使って既成事実を作ろうとしたのだ。その罪悪感もあって、こうして泣き出してしまったのだろう。
だが不覚にも、俺は砕蜂の姿に心を揺さぶられてもいた。真剣に俺へと想いを伝えてきた砕蜂の、懸命な姿に。普段見たことのない、女性としての砕蜂の姿に。
「――砕蜂」
俺が名前を呼ぶと、砕蜂はビクリと肩を震わせた。それに構わず、俺は言葉を続ける。
「俺は砕蜂のことを、妹として好きなんだ」
真剣に想いを伝えられたのだ。俺も、真剣に返事をするべきだろう。
「だから今は、その想いに応えることはできない」
俺は未だ涙を流す砕蜂に、きっぱりとそう告げた。その言葉を聞いて、砕蜂は静かにコクリと頷く。俺の答えがわかっていたという風に、ただ静かに、感情を押し隠すようにして。そして、次から次へと溢れる涙を懸命に拭い続けていた。
砕蜂が落ち着くまでに、しばらくかかった。その間、二人ともなにも話すことはなく時間だけが過ぎていた。
だが、重苦しい空気になるかと思いきや、俺も砕蜂もどこか晴れやかな気持ちになっていた。あの涙で、それらが全て流されていってしまったかのようにだ。
「――ふふふ……」
不意に、砕蜂が笑った。未だに目元は赤いが、いつもの砕蜂だ。……いや、いつもよりももっと自然体でいるような気がする。……これが素顔の砕蜂なのかもしれないな。
「……?」
そんな彼女の屈託のない笑顔を見て、俺は首をかしげる。
「――”
「……!?」
砕蜂はからかうようにそう言った。先ほどの砕蜂への返事は、半ば無意識に発していたものだ。胸に浮かんだ感情そのままに、ただただ真剣に自分の想いを紡いだもの。ということはつまり、砕蜂の言うとおりなのかもしれないが……。それは認めてはいけないだろう。
「いや、でもそれは――」
慌てる俺を見て、砕蜂はいたずらっぽく口角を上げる。
「いつか絶対に、振り向かせてみせます!」
そう言って笑った砕蜂は、ドキリとするほど魅力的だった。
家族会議の後、別室にいた夜一も呼んでお茶をすることになった。龍蜂はとりあえず茶や茶菓子を用意するためここを離れており、部屋にいるのは砕蜂と夜一の二人だけだ。
夜一にも龍蜂が昨夜の件を全て話しており、砕蜂はどうしようもなく気まずい思いを抱えていた。
見ようによっては――いや、実際に砕蜂は龍蜂と夜一の間に割り込もうとしていたのだ。責められるのは当然ことだと、砕蜂は覚悟を決めていた。
「のう、砕蜂」
「は、はい! なんでしょうか、よ、夜一様……」
戦々恐々としていた砕蜂は、横に座る夜一に声をかけられ冷や汗をかきつつも返事をする。いくら覚悟を決めたとはいえ、怖いものは怖いのだ。砕蜂のその震えた声音に苦笑いをしながら、夜一は口を開いた。
「そんなに畏まらなくて良いと言っておるじゃろうが。おぬしは儂の未来の
「う、ぐぬぬ……」
あからさまな夜一の挑発に、砕蜂は複雑そうな顔をする。もちろん、夜一は砕蜂を貶めるつもりなどなく、単純に面白そうだからとからかっているだけだ。砕蜂もそれがわかっているのだが、如何せん感情がそれを許さない。
そんな悔しそうに呻く砕蜂を眺めつつ、夜一は尋ねる。
「あやつは――龍蜂は、良い男じゃろう?」
しみじみと、なにかを思い出すようにしながら夜一はそう言葉を紡いだ。
そんな夜一の親愛のこもった言葉を受け、砕蜂は首肯して答える。小さな手をお腹に当てて、ゆっくりと撫でながら。
「まぁ、なんじゃ。正直儂はおぬしと龍蜂を取り合おうなんぞ思ってなかったんじゃが――」
夜一はそう言うと、獰猛な獣のような目で砕蜂を射抜く。
「――おぬしがその気なら、負けるわけにはいかんのう」
ふざけたような調子は変わらず、だがその中に本気が垣間見える夜一の声に、砕蜂は小さく息を呑んだ。
同時に、砕蜂はそれが少し嬉しくも感じた。自身を対等な恋敵として認識してくれたこともそうだが、なによりも、至上の存在だと思っていた夜一とこうして他愛もなく話せているということに、だ。
彼女も同じ"人"なのだと感じられたことで、今までの自分の盲信ぶりを改めて突き付けられた形になり恥ずかしくもあった。それでも、こうした時間はなにものにも変えがたいといえるだろう。
「あの、夜一様……」
「うん、なんじゃ?」
砕蜂は恥ずかしそうにもじもじと身体を揺するが、
「私は、夜一様のことも敬愛しております!」
砕蜂の言葉を聞き、夜一は驚きつつもニヤリと笑みを浮かべた。
「全く、可愛いやつじゃのう」
夜一はそう言って、乱暴に砕蜂の頭を撫でる。龍蜂のものとはまた違ったその感触に目を細めながら、砕蜂は心地良さを胸一杯に感じていた。
「――お待たせでーす……っと夜一さん。俺の妹、盗らないでくださいよ」
「ぬふふ……嫉妬しておるのか?」
「はいはいそうですねー」
「ぬ、なんじゃその適当な対応は!?」
戻ってきた龍蜂と夜一のやり取りを見ながら、砕蜂は幸せを噛み締める。
そして、その幸せがこれからもずっと続いていくのだと、なんの疑いも持たずにそう思っていた。
龍蜂「あ、卯ノ花隊長!砕蜂に渡した媚薬の件なんですけど――」
卯ノ花「なんのことでしょうか?」
龍蜂「あ、いや、だから媚薬の――」
卯ノ花「なんのことでしょうか?」
龍蜂「え、あ、あの――」
卯ノ花「なんのことでしょうか?」
龍蜂「だから――」
卯ノ花「なんのことでしょうか?」
龍蜂「……な、なんでもないです」
卯ノ花「そうですか。では、失礼しますね(にっこり)」
龍蜂「」