瑠璃川春乃さんの誕生日が来た。来てしまった。
来てしまった、だなんて言い方が失礼な事は承知の上だ。春乃さんにはかなり世話になっているし、誕生日だからその分のお返しをしたいと思っている。
思っているのだが、そのハードルが高過ぎるのだ!
春乃さんは妹の秋穂ちゃんの事が好きだ、というのは周知の事実である。
そして、それ故に過激な言動が多いという事も。
そもそも瑠璃川さんではなく春乃さんと呼ぶのだって、彼女が
「秋穂と私の名を、お前が口にするな。秋穂と私の絆に一歩も踏み入るな。呼ぶなら、私の名前だけならたまには許す」
と、こんな調子だからだ。お世話になっているのは事実だが……それと同じぐらい手酷い言葉も受けている。
悪い人では……まぁ、あるのかもしれないが。それでも根っからの悪人ではないのだ。言葉はかなり酷いが、実際に酷い目にあわされた事はない。「妹に近づくな」とは言われるが、実際ちゃんと話せば分かってはくれる。
問題は、そんな彼女が素直に誕生日を祝わせてくれるか、と言う事で。
そう考えると祝いたい気持ちと同時に気分が重くなるのだった。
「お姉ちゃんの好きなものですか?」
と言う訳で、前日に時間を見つけて秋穂ちゃんに会いに行く事にしたのだ。
部活動に向かう途中だったというのに、彼女は快く足を止めてくれた。うーん、と頭を傾げて考えている。
考えている。
考えている。
……そして、数十秒後。
「ご、ごめんなさい……ちょっと分からないかも」
なんという事だ。あんなに仲のいい姉妹なのに、どうして好きなものの一つも分からないのだろう。
もしかして春乃さんは秋穂ちゃん相手に、僕には分からない壁があったりするのだろうか。
「お姉ちゃん、私が渡したものだとなんでも喜ぶから……」
真逆だった。
そうだ……春乃さんは秋穂ちゃんが鼻をかんだティッシュすら大切に保管しておくという噂がある変態もとい妹重い、でもなく妹想いのお姉さんだ。秋穂ちゃんに聞くとこうなるのは分かり切った事だった。
他に春乃さんと親しい人を考える。
報道部部長……遊佐鳴子さんは確か春乃さんの『事情』を知るうちの一人だ。でも彼女に頼るのは……なんというか、怖い。彼女も彼女で悪い人間ではないと思うのだが、付き合い方に癖があるのだ。こういう小さなことで貸しを作ると、後で大きな負債になりかねない。何かを手伝ってほしい、とかならいいんだけど変な噂を流されて「おあいこと言う事にしないかい?」とか言われかねない。
朝比奈龍季さん……は、僕と同じく何を渡そうか悩んでいる側だろうし。
他にも彼女の事情を知っている人間はぽつぽつと思い浮かぶが、プライベートで親しいイメージが湧かない。
僕自身も、春乃さんが好きなものなんて秋穂ちゃんしか思い浮かばない。
「あ、あの! 私、お姉ちゃんにお菓子作ろうと思ってるんです! よければ、一緒に……」
誘ってくれたが、ご一緒する訳にはいかない。「秋穂ちゃんからのプレゼント」に僕が混ざる訳にはいかないからだ。
何より、物理的に排除されるだろうしなぁ……。
その辺り、ぼかしながら断りの返事を入れる。
「そ、そっか……分かりました。それじゃあ私、部活に行きますね」
走り去っていく秋穂ちゃんの背を見送りながら、また頭を悩ませる僕なのだった。
「で、なんでウチんとこ来るのよー」
いや、女の子のスタンダートとして。
歳の近い友人である間宮千佳は教室で一人ぐだーっとしていた。野球部の男子と一緒に帰るから部活終わりを待つ、と言っていたのを聞いたので駄目元で戻ってみれば、やっぱりここにいた。
いつもは友人といるのだが、皆予定があるのだろう。暇そうに足をぶらつかせている。
「あんたといるトコみられて振られたらあんたのせいだからねっ!」
まだ野球部の彼とはそんな段階じゃないんだろうなぁ、なんて生ぬるい視線で流しておいて。
千佳は春乃さんとは逆にかなり話しやすい。ていうか、色々我侭も聞いているし……このぐらいの相談には乗ってもらっていいと思うのだ。
春乃さん個人に、とかじゃなく女の子にプレゼントなら何を渡せばいいか、と言う話。
「ま、そーね。別にあの人に男として点数稼ぎしたいとか、そんなのじゃないんでしょ?」
そんな恐ろしい事は出来る訳がない。ぶんぶん横に首を振る。
「だよねー。んじゃ、すぐ消える食べ物とかでいいと思うよ。小物とか化粧品はねー、形に残っちゃうからあの人だと受け取ってもらえないかもだし」
あぁ、それは確かに。
きっと部屋には秋穂ちゃん関係のモノ以外置かないだろうし、装飾品なら尚更だ。他にも色々と思いつきはするが、なんにせよ「あんたの臭いの付いたものを、秋穂に近づけられるか」とか言われちゃうともうどうしようもない。
だが、食べ物と言うのにも問題がある。秋穂ちゃんがお菓子を作るという事を僕は知っている。
「あー、被るのはちょっとあれかー」
それもそうだが、秋穂ちゃんのお菓子の後に僕のを食べてもらえそうにない。
それに軽くつまめるお菓子以外のモノは秋穂ちゃんと一緒に食べるだろう。となると、「あんたの臭いの付いたものを」問題がまた発生する。
考えて考えすぎと言う事はないはずだ、春乃さん相手には。なんとかして受け取ってもらえるものを用意しなければ。
「実用品でいいんじゃない? ほら、洗剤とか」
お中元か! 早くも面倒臭くなってる様子の千佳である。
だけど、その考えは悪くないのかもしれない。実用品で消耗品、そして出来れば無機質なもの。
これだ、というものは特に思いつかない。でも、そんなものは結局ない気がする。
千佳に礼を言い、とりあえず購買に行く事にする。
悩みに悩み。
明らかに誕生日プレゼントとして買うにはおかしなものを選んで、これでいいのかと悩み。
そしてまたどうして渡そうかと悩み。
そうして迎えた朝。結局は放課後に散歩部の所にいるのを渡すのが一番か、と結論付けた途端の事だった。
もあっとに、春乃さんからのメッセージが届く。
『噴水前で待つ。すぐに来い』
彼女はいつも文章が短く、素っ気ない。
とりあえず、なんだか出鼻を挫かれた感じがある。向こうから僕を呼ぶなんて滅多にない事だ。
用件はまず間違いなく誕生日関連だろう。それ以外には思いつかない。
あと少し待ってほしい旨を伝え、出来るだけ早く朝の準備を終える。
早朝、まだ生徒も少ない時間に彼女はそこに居た。妹に見せるのとは違う目つきの鋭い表情。スタイルが良いし美人なのに男は寄り付けない。
「遅い」
ぴしゃり、と拒絶するような響き。
だがそれもいつもの事。初めの内は物怖じしていたが今では慣れたものだ。軽い謝罪と共に駆け寄る。
「今日は秋穂が私の為にお菓子を作る。見逃すわけにはいかない。だから秋穂の寝顔タイムを少し削って来てやった……いや、来たんだ。手短に済ませる」
そして――春乃さんも僕に歩み寄る。
これは珍しい事だ。距離を詰め、こちらに向き合うというのは。彼女の興味の矢印は全て妹に向いているから。
怜悧な表情と、向き合う。
「秋穂に聞いた、あんたが私の誕生日を祝おうとしている、って。でも、それはいらないから」
先回りするように。事務的に、行動が潰される。
でも、と。そう返すより先に次の言葉が飛ぶ。
「それでも、そうだというなら。私が欲しいのは物じゃなく言葉だ」
この人がそう言うのは、なんとなく分かっていた気がする。
春乃さんは秋穂ちゃんがいればそれ以外には何もいらないから。ずっと一途に生きて来て、これからもそれは変わらない。
誰かに優しくしてしまったら、きっとそれは「秋穂に対する気持ち」を曲げる事になってしまうから。
春乃さんは表情を動かさない。冷静なのか、それを装っているだけなのか、そのまま言葉を紡ぐ。
「改めて誓え、どんな事があっても秋穂を裏切らないと。秋穂が泣いている時は、慰めるのを、お前に許すから」
「秋穂を守れ」だとか、「秋穂を助けろ」だとか、そんな事をこの人は言わない。自分がするべきことだと思っているからだ。
とてつもなく頑固で、真っ直ぐな意思。この人は、やって、やりきって、そしてどうしようもない時にしか人を頼らない。助けさせてくれない。
だからどれだけ傍若無人で口が悪くても、僕はこの人の事が嫌いになれないのだ。
誰もいない学校の一角で、誓う。恥ずかしいぐらいに真っ直ぐに、この人を相手に意思が伝わるように。
表情は動かない。それもいつもの事だ。彼女が喜ぶのは秋穂ちゃんの事だけだから。
「――秋穂が夢を……いや、いい。なんでもない。とにかく、分かった」
頷く彼女に頷き返す。
振り向き際に一言。聞こえるか聞こえないかの小さな声で告げられた。
「……信じてるから」
風に紛れた聞き間違いで、ただの気のせいだったのかもしれない。
でも、それだけでなんだか報われた気になってしまうのだった。
「あ? あいつに誕生日プレゼント? 普通に受け取られたけど」
後日、龍季さんとの雑談でふと出た真実に、脱力してしまう僕なのだった。
……秋穂ちゃん成長記録を付けてるから消費激しいと思って買ったSDカード、どうしよっかな。
ギリギリこれを間に合わせるために次の予定もないのに落とした的な所は多分にありまくリング