マリア様がみてる――1年生たちのセンチメンタル・ジャーニー   作:くーたん局長

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 マリア様の庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門をくぐり抜けていく。けがれを知らない心身を包むのは深い色の制服。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーターカラーはひるがえさないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。私立リリアン女学園。ここは乙女の園――――。


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 近づいてよく見てみると樹皮は人肌のような色をしていた。幹に寄りかかりながら見上げると巨大なマリーゴールドのように無数の黄色い葉をつけている何本もの枝が風によってカサカサと揺れ、その間から青空と、流れていく白い雲が見えた。そしてひらりひらりと一枚一枚、蝶が舞うように銀杏もみじは木から落ちていき、道を覆い尽くしていった。そして祐巳の頭の上にも一枚乗っかった。

「またタヌキって言われちゃう……」

 祐巳は右手を頭にやって銀杏の葉をとると葉脈の一つ一つを見分けるかのようにまじまじと眺めてから、なぜか捨てるのが惜しく感じて右ポケットのなかに押し込んだ。彼女は左手首につけている腕時計を確認する。待ち合わせまではあと三十分もある。早く来すぎてしまったようだ。昨日は興奮しすぎて午前三時ごろまでベッドのなかで寝返りばかりして眠れなかったほどである。寝不足のはずだが、アドレナリンのような物質が分泌されているのか、不思議と少しも眠気を感じない。ちらっと周りを一瞥しようと首を伸ばすと銀杏の匂いがする風が祐巳の髪の房を一方に揺れさせた。風が吹き去るとまた房はもとのように垂れた。

「やっぱりちょっと早過ぎたかな……」

 今日は寒いと天気予報でいっていたので、祐巳は白とピンクの毛糸を使ってひとりで編んだ紐つき手袋をしてきていた。しかしここですでに一時間待っているので少しかじかんで指先の感覚がなくなり動かしにくくなっている。

「ふぅー、寒い寒いっ!」

 祐巳は両手をこすりハーハーと白い息を吹きかけるが、毛糸をこすりあわせているだけで暖かくなったように感じなかった。やはり早く来すぎたのだ。一度家に戻ろうか。いやそれは遠すぎる。やはりこのままここで待っているのが一番よいようだ。

 背中を執拗に撫でるゾクゾクとした寒気に身体が震え鳥肌が立っていた。奥歯がガタガタと鳴る。四方八方から不規則に吹きつける秋風もまた痛く感じる。さきほどから鼻がずっとムズムズと痛かったのでティッシュを取り出して鼻をすすったちょうどそのとき待ちわびた声がどこからか聞こえてきた。

「祐巳さ〜ん!」

 一度帰るべきか逡巡していた祐巳は聞き覚えのある声を聞いて我に返り、慌ててあたりを見回した。祐巳が歩いてきた方向の逆から二人は並木道を走ってきた。由乃は紺色のジーパンと、袖が白く青い胴に『Remember Pearl Harbor』と赤い糸で刺繍された奇抜なスカジャンを着ていたので、祐巳は唖然として眼を丸くした。志摩子は普通のファーつきの白いコートを着ていたのでこちらは安心した。由乃が志摩子の手をつかんで強引に引っ張ってきたようで志摩子は背を折り曲げ頬を真っ赤にして涙目で口を押さえてゴホゴホと咳をしていた。

「ごきげんよう、由乃さん」祐巳は由乃に笑顔で軽く会釈したが、志摩子が心配なのでさっと志摩子に近づき背をさすった。志摩子のコートはざらざらしていた。志摩子に近づくと祐巳は眉がハの字になって苦笑しているような表情になった。「大丈夫? 志摩子さん」

 志摩子はコホコホと咳をして頷きながら次第にスースーと呼吸を整えた。「ええ。あ、ありがとう……」志摩子は顔をあげると微笑んだ。

「だらしないなー、志摩子さん」その声を聞き祐巳は少し責めるような笑うような表情で由乃のほうを振り向く。由乃は首を振り両手を呆れたようにあげてニヤニヤ笑いホッとため息をついた。「これぐらいでくたばってちゃ、コホッ」

 由乃も右手の拳を口に当てて乾いた空咳をした。無理やり走らせた由乃がどう考えても悪いのにまるで志摩子が悪いとでも言いたげである。令さまにでも少し懲らしめてもらったほうがいいようだ。だいたい令さまは由乃を甘やかし過ぎである。

「由乃さんが悪いと思うよ!」

 祐巳は声を大にしていった。

「は〜い」

 由乃は全然反省していないようで右手を口にあてて大きくあくびをした。由乃のあくびしている、大きく口をだらしなく開いた顔があまりにも変顔だったので、祐巳と志摩子は思わず顔を見合わせて口に手をあててクスッと笑った。

 そして祐巳はパチパチと瞬きして由乃にニコッと笑った。

「ちゃんと来てくれてよかった。来ないかと思って……」

 由乃はえっへんと誇らしげに腰に手をあて肘を張り、あごを突き出した。

「失礼しちゃうなあ、祐巳さん。祐巳さんが早く来すぎなんでしょ。」由乃は志摩子を横目で見てニヤリと笑った。「だけど志摩子さんまでちゃんと来てくれるなんて思わなかったよ。てっきり来ないものだと思って。それはちょっと意外だったんだよねー」

 由乃は志摩子を肘で二三度軽く小突いた。志摩子は由乃の言葉を受けて恥ずかしそうにぽおっと頬を赤らめてうつむいている。志摩子の反応が可愛らしかったので祐巳も面白く思い、右指で志摩子の左肩をツンツンとつついた。

「本当だね。だってあの真面目な志摩子さんがズル休みだなんて!」

 すると志摩子はさらに頬を赤らめて脇を締めた状態で両手を膝の前でぎゅっと組んで縮こまった。これ以上縮こまると豆粒にでもなってしまいそうだった。

「だ……だって……」

 志摩子は挙動不審なほど視線を右往左往させて膝の前の手を絡ませたり解いたりする動作を繰り返した。

「だって?」

 由乃はバレリーナのように上半身をそって志摩子の顔を下から覗いて意地悪げにほくそ笑み追い打ちをかけた。生徒の悪事の動機を問い詰めるのが楽しくてたまらない意地悪な教師のように。もちろん答えはわかっているのだ。わかっていて訊くのである。

「だって……」志摩子は頬を林檎のように真っ赤にして消え入るような小さな声でいった。「私だってロサ・ギガンティア……いえ……聖さまに……喜んでほしかったから……」

 祐巳と由乃はくるりとお互いに顔を見合わせてニコッと微笑んだ。言わずともわかる。ここにいる三人の、妹としての共通の願い……それは自らのお姉様に喜んでいただくことだ。

 さかのぼること、先週の金曜日の放課後のことである。祐巳と志摩子と由乃が一緒に山百合会の部屋に入ったとき、ロサ・ギガンティアである佐藤聖が座って何かの雑誌を熱心に見ていた。後ろから薔薇さまたちが面白そうにニヤニヤ笑いながらその雑誌を覗き見ていて、近くの席に座っている令さまも興味深そうに首を伸ばしてその雑誌を覗き見ていたのだった。ただ祥子さまだけは我関せずといった態度でひとりだけ紅茶をすすりつつ谷崎潤一郎の源氏物語の豪華本を読んでいた。祐巳ら三人も首を伸ばして雑誌を覗いてみるとハロウィン特集だった。ハロウィンは来週に迫っている。山百合会でもハロウィンは全校をまきこんだイベントを実施する予定で準備を進めている。由乃が令に尋ねる。

「令ちゃん、薔薇さまたちは何見てるの?」

 答えようと口を開いた令をさえぎって、雑誌を読んでいる聖さまが雑誌をテーブルの上に開いて立て、祐巳たちに見せつけて由乃の質問に代わりに答えた。

「いやね、由乃ちゃん。このお店のクッキーを見てたんだな」

 聖さまが細い人差し指で雑誌のページの真ん中あたりをポンポンと叩いた。カボチャやゴーストやドクロの形をしたカラフルな、ハロウィンのクッキーである。

「おいしそうですね……」

 雑誌を覗きこんで志摩子が控えめに微笑んだ。聖はキラリと白く輝く歯を見せて笑う。

「おいしそうだろ? 志摩子。蓉子も江利子もずっとこの季節になると食べてみたい、食べてみたいっていつもいうんだけどね。あーあ私も食べたいなー」

 と言いながら聖は上半身をそらせて蓉子と江利子をニヤニヤ笑いながら見上げた。蓉子さまは首を傾げてニコッと笑い、隣に立つ江利子をからかうように一瞥してから聖に、女優のように芝居がかった大げささでいった。

「だって、パリの最高峰っていう品評会で金賞をとってる人なのよ。美味しいに決まってるじゃない」

 蓉子のからかうような一瞥を受けて、珍しく眼をキラキラ輝かせていた江利子はまた、急にぶすっとして不機嫌そうな、死んだ魚のような眼をした表情に戻って、自分の席にスタスタと歩いて戻り、ガタンと乱暴に音を立てながら座り、投げやりにいった。

「別に私はそんな食べたい、食べたいなんて言ったことないけど。ねえ令?」

 急に話を振られた令は、ビクッと背を震わせて江利子を振り向いた。戸惑っているようで、眼をパチパチさせて愛想笑いを浮かべた。

「あっ……えっと……どうでしたっけ……私には覚えが……」

 令は控えめな口調で、そっと江利子のご機嫌を伺うように慎重に答えた。

「フン!」しかし江利子はすねたように鼻を鳴らして、令から眼をそらした。「覚えてないのね」

 令は申し訳なさそうに肩をすくめた。

「まあまあ、江利子」聖が笑いながら身を乗り出して腕を伸ばし、江利子の肩をポンポンと叩いた。江利子は嫌そうな表情をして「触らないで」と聖の手をパンっと叩いた。叩かれた聖はニヤニヤ笑っていた。

「ひどいよぉ〜江利子〜」

 聖がテーブルの上に置いた雑誌を由乃は取り上げた。祐巳と志摩子は横から雑誌を覗きこんだ。由乃は不可思議そうに首を傾げる。

「そんなに美味しいなら、買いにいけばいいのに。そんな高いんですか?」

 嫌がる江利子の肩を執拗に触ってからかいながら聖が答える。

「全然。箱詰めで三百円ぐらいかな」

「激安ですね!」祐巳が仰天して思わず叫ぶ。「ワンコインで買えるんだ!」

 祐巳が叫ぶと、黙って源氏物語を読み耽っていた祥子がバンっと大きな音を立てて本を置き、すくっと席から立ち上がった。祥子は険悪な表情で、祐巳のほうに向き直るとキッと祐巳を睨みつけた。

「祐巳!」

 祐巳はその瞬間ビクッと震え凍りついた。そして祥子は祐巳を人さし指で指差すと烈火のように怒鳴りだしたのだった。

「『激安』だなんてさもしいことを言うのはやめなさい! はしたない! あなたはそれでも私のスールなのかしら!」

 怒られる直前、テンションが上がって右腕を天に突き上げていた祐巳は、歓喜の叫びを発した表情のまま固まっていた。そして祥子が怒りを爆発させた数秒後、右腕を静かに下ろし、俯いて、シュンと意気消沈した様子で小声で「はい……」と答えて、コクリと頷いたのだった。

「祐巳ちゃん……」

 と令は苦笑いを浮かべる。

「あー、祥子が祐巳ちゃんのこといじめてる〜」

 と聖は幼稚園児が同級生のことを先生に告げ口するような口調で言い、ニヤニヤ笑いながら祥子を指差した。

 祥子は聖のほうを振り向き、睨みつける。

「ロサ・ギガンティア。私は祐巳をいじめたりしていませんわ。教育しているんです。私の妹のことにいちいち口出ししないでくださる?」

「まあまあ、落ち着きなさい。祥子」

 蓉子は激している祥子の肩を押さえると、そのまま座らせた。祥子は不満そうに蓉子を仰ぎみて睨みつけた。

「蓉子お姉様……」

 蓉子は首を傾げて微笑み、一年生たちのほうを振り向いた。

「祐巳ちゃん、由乃ちゃん、志摩子ちゃんも座りなさい。いい加減に」

「はい」

 祐巳たち一年生らはおとなしく席に着いた。

「祥子お姉様……ごめんなさい……」

 祐巳は反省して頭を下げた。妹ならば姉の理想に叶うように。姉ならば妹の理想に叶うようにあるべきだ。ありのままの姿を受け入れるというのは聞こえがいいけれど、裏を返せばそれは相手になんの期待も抱いていないということである。愛しているからこそ相手に期待し、愛しているからこそ相手の期待に応えようとする。それこそスールのあるべき姿だ。祥子お姉様が祐巳の理想に応えようとしてくれているならば、祐巳もまた祥子お姉様の理想に応えようとしなければフェアでない。そう考えると祥子お姉様に怒られるのもかえって嬉しいぐらいである。

 祥子は祐巳を一瞥した。

「本当に反省しているのかしら?」

「はい……」

 祐巳は頷く。

「ならいいわ」

 と祥子は素っ気なく言い、テーブルの上に置いた谷崎源氏のページをぱらぱらとめくり、さきほどまで読んでいたページを探し当てるとまた肘をついて涼しい顔で読み始めた。機嫌を直してくださったようである。

「ふ〜、祥子お嬢様がご機嫌をお直しくださりありがたいね〜」

 聖は椅子に座ってそって、眼を閉じうんっと呻きながら腕を上に伸ばした。

「聖!」

 蓉子がたしなめる。

「よかったね。祐巳さん」

 隣に座る由乃が祐巳に耳打ちした。祐巳は黙ってコクリと頷く。

「まあさ、とにかくさ。このクッキー去年もみんなで食べてみたいなぁ〜って言ってたわけだよ」と、聖は首を傾げて気だるそうに言った。「言ったよな、祥子」聖は祥子のほうを一瞥する。

「さあ、覚えていませんわ」

 祥子は谷崎源氏のページをめくりながら素っ気なく答えた。

「覚えてないの? 令も祥子も覚えてないって……」

「聖お姉様が食べたいとおっしゃるなら私……買ってきますが……」

 志摩子が遠慮がちに申し出る。

「ありがたいね〜。志摩子。やっぱ私に優しいのは志摩子と祐巳ちゃんだけだね〜。だけどいいよ」

「なんでですか? 一パック三百円なんでしょ?」

 一年生組で仲間はずれにされた由乃がふてくされたように質問した。

「えっ? だってこのクッキー、リリアン女学園の学生には買えないだもん、絶対」

 聖はケラケラと笑いながら答えた。

「絶対買えない? どういうことですか?」

 祐巳が首を傾げると、祥子はまた不機嫌そうに谷崎源氏から顔をあげ、祐巳をみて言った。

「祐巳、そんなことどうでもいいでしょう。ほら、みなさん。一年生たちもそろったことだし……」

「祐巳ちゃーん。それはさー期間限定の発売だからなんだよー」

 聖がぐでっとテーブルの上にうつ伏せになる。

「期間限定?」

 由乃が眼をパチパチさせて瞬きした。

 聖が少し顔を上げて由乃にいう。

「そーなんだよ、由乃ちゃん。これさ、ハロウィンの前の日にしか売ってないんだけどさ。去年も今年も平日なんだなー、これが」

「平日……」

 残念そうに志摩子は俯く。聖は志摩子を見上げて笑う。

「志摩子……優しいなー。買ってきてくれようとか思ってくれてたんだよな」

 志摩子はコクリと頷く。聖は眼をうるうるさせた。

「そっか……いい妹を持って幸せだなー私は」

「はいはい、もういいかしら」見かねて蓉子が口を挟んだ。「もーうそんな期間限定のクッキーなんてどうでもいいでしょう? それより私達にはもっと大事な仕事があるんだから」

「はーい」

 聖はまた、ぐでっと額がくっつくとテーブルの上にうつ伏せになった。

「令ちゃん!」

 由乃が唐突に令にいった。ぼうっとしていた令はビクリと身体を震えさせ、由乃のほうを驚いたように見た。

「な、なに? 由乃?」

「令ちゃんも食べたいかなって……」

「いや、別に私はそんなものに興味は……」

 すると急に聖はガバッと起き上がって、生き生きとした表情と口調でいった。

「いや! 令も祥子も去年すごく食べたがってたじゃないか! 祥子なんてあれだよ、人まで雇って横浜まで買いにいかせたんじゃん」

「あっ、それもそうね。思い出した」

 江利子は肘を突いてぼうっと天井を見ながら呟くようにいった。

 全員が一斉に祥子を見る。祥子は谷崎源氏から顔を上げると全員を順に見渡して睨みつけた。特に聖のことを長い時間睨んでいた。怒りに震えているのか、肩が小刻みに震えている。

「何なのかしら。みなさん」

 祥子は最後に祐巳を睨みつけた。祐巳は遠慮がちに口を開いた。

「いえ……あの……結局クッキーは買えたんですか?」祥子がふうーっとため息をついた。「いいえ。あの店には変なルールがあるの。一番大切な人に贈るのを、自分で買いに来る人にしか売らないっていう……意味がわからないわ」

「ロマンチックじゃないか。祥子」聖がニヤニヤ笑う。「今年も買いに行かせたらいいじゃん。蓉子も祐巳ちゃんもいるし……どっちのために買うかは知らないけどさ」

「今年は買いに行かせたりしません。そんなクッキーどうでも構いませんので」

「またまたー、そんなこと言ってさー」

「だけど……確かにロマンチックですよね! うん!」

 祐巳はうんうんと頷く。

 一番大切な人のためにしか買えないクッキー……祥子お姉様だったらどなたのためにお買いになるだろう。

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