<ふうせんかずら>が部室を去った後もしばらく呆然としていたが、未だに俺の下敷きになっていた雪ノ下の「比企谷くん…そろそろどいてくれないかしら」という抗議の声で我に返った。
「す、すまん」
俺が慌てて退いて謝罪の言葉を口にすると、雪ノ下は疲れた様子で呟いた。
「…仕方ないわ。投げ飛ばされたのは私の過失だし、私も少し、呆然としてしまったし…」
雪ノ下から罵倒が飛んでこない。
それだけではない。過程はどうあれ俺が「雪ノ下に俺がのし掛かっていた」なんて状況だったのに、いつもなら「キモい!」と罵倒してくる由比ヶ浜も、蔑んだ目で見てくる一色もただ俯いている。
…当たり前か。
「あんなこと」があった直後。
誰も半狂乱になっていないのが不思議な位なのだ。
全員が一度<人格入れ替わり>を体験しているが故に、ギリギリの所で踏みとどまっていられているんだろう。
目の前で起こった事が「現実」だと理解せざるを得ないのだ。…もちろん混乱はしているだろうが。
だが、いつまでもこうしてはいられない。
奴…<ふうせんかずら>が言うには、次の<入れ替わり>がいつ起こるかも分からないのだ。
とにかく状況を整理して…
その時、由比ヶ浜がぽつりと呟いた。
「平塚先生は」
ーーー!!
そうだ、<ふうせんかずら>は平塚先生の身体を使っていたのだ。
その間、平塚先生の『人格』はーーー?
そこに思考が到達した時、俺は部室を飛び出し、駆け出していた。
「ちょ、ヒッキー!」「せんぱい!」「比企谷君、待ちなさい!」
後ろから声が聞こえるが、それを無視して走る。
なんでこんな簡単な事に気づかなかったんだ…!
後悔の念に駆られながら全力で走る。
職員室の扉の前に、見慣れた白衣が見えた。
「先生!」
一切の躊躇なく呼びかける。
「ん?比企谷か。どうしたんだそんなに急いで…廊下は走るなよ」
「…え?」
そこには、「いつも通り」の平塚静が立っていた。
「平塚先生はここ数十分の事をなにも覚えていなかった。
先生に『人格入れ替わり』が起こった様子もない。多分、<ふうせんかずら>の奴は入れ替わったんじゃなくて『憑依』したんだ。」
「ひょーい…?」
部室に戻ってきた俺の説明に由比ヶ浜は首を傾げる。
平仮名表記なのがありありと伝わってくるぜ…
「つまり身体を交換したんじゃなくて、一方的に乗っ取ったってことね。本当に馬鹿げた話だわ…
それで、平塚先生は無事だったのね?」
ユキペディアが補足してくれた。流石。
「ああ、あくまで今の所は、だけどな。いつも通りすぎてさっきまでのは夢かなんかだったんじゃないかって思うレベル」
廊下走ってるからって拳骨飛ばしてくる教師とか他にいねえよ…
とりあえず、平塚先生が無事だった事で全員ほっとしているようだ。
「でも、夢じゃないんですよね…」
一色の言葉でまた全員が静まり返る。
…仕方ない事だが、今はだんまりしている場合じゃ無い。
「で、なんだが…今後どうするかを決めなきゃいけない。
それも今すぐ。」
「どうするか…?」
由比ヶ浜が疑問の声を上げる。
「<ふうせんかずら>が言うには、『いつ』『どこで』『誰と』入れ替わるかが完全なランダムらしい。つまり、今この瞬間、誰かと誰かが入れ替わるかもしれない訳だ」
「…そうね。つまり、私達が『入れ替わった』時具体的にどうするか。そして、<ふうせんかずら>にどう対抗していくか、を決めなければならない…ということね?」
俺がああ、と頷くと一色が不安を隠せない、といった様子で口を開いた。
「でも、対抗するって…どうすれば…」
「…現状、対抗する手段はないわ。<ふうせんかずら>がまたノコノコと出てくるようなら話は別かもしれないけれど、それをしない事は最後の比企谷君の質問ではっきりしたし…」
「そうだな、今はただ受け入れるしかない。奴の言葉を信じるなら、それほど遠くない未来には終わるわけだし、その時を待つ。もちろん、思いつくだけの手は打つけどな」
少しの間を置いてから、由比ヶ浜が呟いた。
「いつかって、いつなんだろうね…」
「………それは分からん。奴は『そこそこ面白い感じ』になったら終わりだと言ってたが…その基準も分からないしな。」
一色と由比ヶ浜がまた俯いてしまった。
まずいな…突破口も見えない、いつ終わるかも分からない、じゃなぁ…
「…とにかく具体的な事を決めましょう。まずは入れ替わった時の基本方針だけれど、入れ替わった時は『可能な限り連絡を取り合って状況をお互いに確認する』『なるべく人目を避けて大人しくしている』『他人に相対する時にはできるだけ本人になりきる』『余計な事はしない』…こんな所でいいかしら」
「そうだな。それを守っていれば、とりあえず大きい問題は起こらないんじゃないかと思う。後は細かい所なんだが…」
その後『異性に入れ替わった時にトイレに行く時は性別を間違えない様に気をつける』『平塚先生の動向に気を配る』『他人に<人格入れ替わり>の事を漏らさない』等、いくつかの事柄を決定、及び確認した後に解散した。
疲れた…
家に着いて、すぐさま自分の部屋のベッドに倒れこんだ。
これからの事を考えると憂鬱になるが、小町の前では態度に出さないようにしないと…
その時、意識が途切れた。
…………また入れ替わりか。暗いな…電気消えてるのか。ベッドの上…か?これは誰の体だ…?
体を起こした時、胸にかなりの重みを感じる。
このメロンは由比ヶ浜か。
我ながら下衆な思考だなーなんて思ったりしていたら、さっきまで下敷きされていたであろう枕の違和感に気が付いた。
「濡れてる…?」
これは…
その瞬間、再び意識が途切れた。
「…………」
元の身体に戻った。
俺の頬は濡れている。
由比ヶ浜は…泣いていた。
当たり前といえば当たり前だ。
男の俺だって泣きそうな状況だ。
普通の女子高生である所の由比ヶ浜結衣がこの状況を嘆いて泣いているのは、普通の事だ。
心がざわついた。
ああ、やっぱり「あいつら」が傷付けられるのは我慢ならない。
奉仕部はそれだけ、俺にとって大事な存在になってしまっている。
「早くこの現象を終わらせて、<ふうせんかずら>を一発ぶん殴らなくちゃな」
決意を新たにし、俺は瞼を閉じた。
今回で一区切りつきました。
これから暫くは3-4日に1回位のペースで投稿していく予定です。ご了承下さい
ではでは、今回もお読みいただき、ありがとうございました!