It's impossible to love and be wise. 作:蒼鋼
/桜の木の下
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2095年、4月。桜の花びらが散ることもなく綺麗な満開で咲き誇る、ある日。
魔法が新たな学問として確立されたこの世界で、日本国内に九つだけ設立された魔法使い、否、魔法師を育成する国立大学附属高校。その一つである附属第一高校、通称一高の入学式が行われる日だ。
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その一高の敷地内の一画で、一人の少年がベンチに腰掛けていた。背もたれを使うことなく背筋を伸ばしたまま、立体映像に映し出される文章を黙読している。
入学式であるこの日に登校する在校生は殆どいないので彼も入学生なのだろうが、入学式までまだ時間はかなりあった。
「おい、見ろよアイツ。
「ハッ。スペアのくせに熱心だな」
彼の座るベンチの前を行き交う数人の生徒が声を潜めて喋り合う。
明確に自分に向けられた陰口だと彼は理解しているが、それを気にする様子もなく彼は黙読し続ける。
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暫く読みふけっている彼だったが、聞き慣れたリズムの足音が目の前でしたので意識を浮上させて顔を上げる。
彼の視線の先に居た人物は彼の予想通り、よく見慣れた人物だった。
「達也。隣、いいか」
「勿論だ、衛兵」
ただの確認事項だったために、短い遣り取りだけで終わる。
達也と呼ばれた少年──司波達也もそれなり以上に背は高いが、衛兵──
衛兵も背筋を正してベンチに座ると、口角を少し上げながら右手を拳にして達也に突き出した。
「まずは、お互いに入学できて良かった」
「そうだな。お互いに、入学おめでとう」
達也も、それまでの無表情を少しばかり崩し右手を拳にして差し出す。
ゴツ、とゆっくりめに合わせた拳を開いて握手をする。どちらの掌もゴツゴツしているのは積み上げた鍛錬の証なので、何も言わずに堅く握り合う。
「衛兵の合格が手堅いのはいいとして、俺は合格できたこと自体が奇蹟だな」
「おいおい、洒落た冗談は止してくれ。筆記で主席か次席の成績を取っておいて落ちるなど、前代未聞だろう」
「その通りよ、達也」
「……」
「何よ達也、その『馬鹿な、何故ここが分かったんだ?』みたいな表情は」
二人の前に現れた少女が頬をむくれさせる。腕に『生徒会本部』の腕章を着けているから在校生の、それも生徒会役員であることは当然だが、二人にとって彼女はそれ以上によく知った人物である。
「……馬鹿な。何故ここが分かったんだ、真由美?」
目を大きく開いて、お望み通り(?)の驚いた表情で達也が答える。
「わざわざ言わなくていいのよ!」
少女、改め七草真由美が頬を少し赤らめつつ達也の期待通りにツッコむ。そのツッコミで達也の表情が先ほどよりも綻ぶ。
そんな二人の遣り取りを見ていた衛兵の口元も緩む。
「二人とも気付いてる? もうすぐ開式の時間なのだけれど」
「そうだな。そろそろ行くか」
「ああ」
達也に合わせて衛兵も立ち上がり、三人で入学式の式場になっている講堂へと向かう。
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「それにしても、珍しいわね」
達也の右隣を歩く真由美が達也の顔を見上げる。
「何がだ?」
「達也が時間も忘れて本を読みふけっていたことよ。達也が約束の時間とか忘れたことって、今まで一度もなかったじゃない?」
「……そう、だな」
「真y……、七草会長。それは、本気で言ってるんですか?」
下の名前で呼ぼうとした衛兵を達也が僅かに睨んだので、名字に言い換えて尋ねる。
「へ、何が?」
「いやだから──」
「衛兵。お前、最前列の席を取るんじゃなかったのか?」
(独占欲強いな、相変わらず)
ジト目で睨む達也に「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦めると同時に懐から端末を取り出す。
「ん、メールが来てる。達也、スマンが先に行っててくれ」
「わかった」
「衛兵くん、場所は分かってるわよね?」
「大丈夫ですよ。サボリじゃありませんから」
衛兵はそう答えると手の中の端末を操作し始めたので、達也と真由美の二人は頷いて先に歩き出した。
衛兵が後ろから見守る二人は腕組みでもしそうなほどに距離を詰めているが、そんな光景もとうに見慣れた衛兵はメールボックスをチェックする。
「探すとすれ違いになるから座って大人しく待ってたんだろうけど、ま、敢えて本人に言う必要もないか」
他人に聞こえないように呟く衛兵の端末には、新着メールは入っていなかった。それは彼の勘違いではなく二人に気を利かすための口上だったからだ。
適当に端末を操作して画面を消そうとしたタイミングで、今度は本当に新着メールが届いた。
『衛兵へ
今、手許に風が吹いて演説用の原稿が落ちてしまいました。
もしかしてとは思いますが、お兄様とお義姉様がご迷惑をかけてしまったのでしょうか?
衛兵は深雪にもお兄様にもお義姉様に対しても甘いところがありますので、こうして離れているだけで心配です。
嫌でしたら、ちゃんと言ってくださいね?
深雪
追伸:
演説の席は、無理にお兄様の隣を取ろうとしなくてもいいですからね。
例えどの席だろうと、衛兵とお兄様は必ず見つけます』
「エスパーか」
文面を読みきった衛兵は思わずツッコミを入れてしまった。無理もないだろう。
原稿が落ちただけでそこまで予想するとは、相変わらず直感が冴えている。一人関心した彼はマナー違反とは分かりつつ、達也たちを追うようにして歩きながら返信の文面を打ち込んだ。
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「おや、もう返信が届いていますね」
講堂で新入生総代として演説を行うにあたってのリハーサルを行っていた少女──司波深雪は出番が回るまで待機になったので、再び端末を操作していた。
メールチェックをしていると新着メールが一件届いていることを発見し、すぐに開いた。
『深雪へ
迷惑はかけられていないから安心してほしい。
というより、俺が勝手に気を利かせただけだ。
あと、深雪が言うほどに俺は三人に甘いのか? よくわからん
俺がやりたいからそうしているだけだぞ
衛兵』
「まぁ、衛兵ったら……」
右手を頬に当てて溜息こそ
だが、そのうっとりした表情を一旦仕舞い込んで咎めるような表情に変えた。
「しかし、いけませんね。きっと、歩きながら文面を打ったのでしょう。注意しなければ」
早速返信に取りかかろうとしたが、それより前にスタッフの在校生に声を掛けられてしまった。
「司波さん、もうすぐ式が始まります。舞台袖に移動してください」
「わかりました」
仕方ない、と内心では思っていてもそれを表情に出すことはなく席を立った。
(そうですね。態々メールで言わずとも、衛人に直接言えばいいことです)
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「これはこれは。自虐のつもりか?」
講堂の中に入った衛兵は思わず呟いてしまった。
席の大部分は既に埋まっていたが、まさかここまで新入生が自主的に線引きをしているとは彼は予想していなかった。
舞台に近い前半分の席に座っている生徒は全員、両肩にある黒い枠に校章の花が刺繍されている。一方、舞台から遠い後ろ半分の席の生徒の制服にはその刺繍が無かった。
魔法の研究が活発になったとはいえ教員の不足などから、入試成績で教師のつく『一科生』とつかない『二科生』に振り分けされるが、それでもここまで明確な差別意識を持つことになるとは。
口に出さずに思った内心で呟いた衛兵はキョロキョロと何かを探すように周囲を見舞わし、上着を脱いで目的の人物の元まで歩いた。
「達也。隣、いいか?」
「俺は構わないが、他の奴が構うんじゃないのか」
幸いにも達也の席の隣が空いていたので、達也に了承を取って席に着いた。
「だから上着を脱いだんだろ」
「成程」
達也も一科生と二科生の云々については興味が少ないらしく、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、衛兵とは反対側の席に座っていた少女が興味津々とばかりに衛人に声を掛けた。
「やっほー、初めまして。アタシは千葉エリカ。それでコッチが──」
「し、柴田美月です」
「千葉さんに柴田さん、だな。初めまして、外島衛兵だ」
「どもども。ところで衛兵くんや、上着を着ていないと目立つよ?」
「そうしたいのは山々だが、恐らくその方が目立ちそうでな」
達也ごしに、エリカにだけ見えるようにブレザーの肩口を見せる。そこにあった枠内には、綺麗な花の刺繍が施されていた。
それを確認したエリカの表情が好戦的になる。
「ふぅん……。それは、アタシたちへの当てつけかな?」
「冗談がキツイぞ。俺は、そうやってイチイチ差別意識を持たないとやってられないような阿呆どもより、コイツの隣を抑える方が気楽だって判断したからだ」
それを聞いたエリカが意外そうな顔をする。エリカのみならず、美月までもが同じような表情をしていた。
「珍しいね」
「そうか?」
衛兵に答えようとエリカが口を開けたところで開会のブザーが鳴ったので、二人は黙して正面に向き直した。
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「次に、現生徒会長である七草真由美より新入生の皆さんへ挨拶です」
名前を呼ばれ壇上に上がった真由美は新入生全員を見るように視線を左から右へと流していたが、ある一点で一瞬だけ止まった。
「達也」
「言うな」
衛兵が正面を見たまま達也に声を掛けたが、彼はそれを一言で一蹴したのみだった。
仕方なく彼はそのまま言葉を続ける。
「今しがた止まった一瞬、視線がどこで固定されたんだろうな」
「態々言う必要があるか?」
「ご尤も」
演台の前で一礼し、挨拶を読み上げる。十師族の一角を担う『七草』の、その子女らしい堂々とした立ち振る舞いで演説する彼女は文面を暗記しているらしく、殆ど下に視線を落とすことなく進めていく。
その際、新入生の方々に笑顔を振りまく彼女だが、ある一点に向けてだけ回数が極端に多いことに新入生がチラホラ気付き始めた。
「ねぇねぇ達也くん」
「エリカ、何も言わないでくれ」
「?」
エリカが多少人の悪い笑みで達也を小突く。一方、事態を上手く飲み込めない美月はその様子を不思議そうに眺めていた。
だが、エリカの攻撃は直ぐに停止することとなった。
「!!?」
ゾゾゾ、と背中にとてつもない悪寒が走ったエリカが少しばかり大ぶりに正面を見ると、真由美が素晴らしい笑顔でエリカを、彼女だけを見ていた。
だが、その目が笑っていない。まるで絶対零度の瞳のようにエリカには感じられた。
コクコクコク、と小刻みに頷くエリカを見て満足そうに真由美はその僅か横に視線を逸らした。
達也は一度小さく頷いただけだったが、それだけで真由美には意図が通じたようで瞳が常温に戻っていった。
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「達也……。生きろよ」
「ああ」
衛兵が若干の哀れみを込めた応援を掛けた。
一方、エリカは額に冷や汗をかいていた。
「ヤバイ。ヤバイヤバイ」
「エリカちゃん、どうしたんですか?」
やはり事態を理解していない美月はコクリと小首を傾げた。
「美月、達也くんにチョッカイ出すのは止めよう」
「そうですか? 確かに、悪戯はあまり良くないですからね」
キョトンとした様子の美月が首肯する。
そんな遣り取りをしている内に挨拶が終わったようで、四人も拍手を贈った。
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「続きまして、新入生総代の挨拶です。新入生総代、司波深雪さん」
「はい」
深雪が壇上に現れると、会場全体がどよめいた。彼女の類を見ない美貌に女子も見とれ、中にはウットリしすぎて呼吸を忘れてしまうほど見つめる者もいた。
「「まぁ、無理もないな」」
「おぉ、奇蹟のハモりだ」
先ほどの真由美と同じように演台の前で一礼した深雪は、ある一点を見つめ、それでいながら全体に向けていると思わせる満面の笑みを浮かべた。
彼女の視線の先にいる少年も、笑みで答えた。(因みに、達也も表情を綻ばせてはいるが笑みとまではいっていない)
深雪はその嬉しさで舞い上がりそうになる自分に気づいて、内心だけ慌てて文面を読み上げる。
「ほほぅ、中々にいいモノ見れたかも」
身を乗り出すことはせず、自席でニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるエリカ。盗み見るように向ける視線の向こうで、衛兵はいつの間にかブレザーを着て穏やかな笑みで深雪の挨拶に聞き入っていた。
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