It's impossible to love and be wise.   作:蒼鋼

6 / 26
/変わらぬ帰りを出迎えて

 

「お帰りなさいませ、お母様」

「ただいま、深雪。今日の挨拶は立派だったわよ」

 

 台所での作業を終わらせた深雪が玄関にやって来て、深夜に丁寧な挨拶をする。

 挨拶をした後に深雪は、深夜の付き人である桜井穂波から大きめのビニール袋を受け取って台所へと向かう。袋の中身は帰りがけに寄ったスーパーで買った生鮮品だった。

 

「深夜さん、お帰りなさい」

「ただいま、衛兵くん。衛兵くんも大分、この家での暮らしに慣れてくれたわね」

「お陰様で、もうすっかり」

 

 階段を降って出迎えた衛人は、制服の上着だけ脱いでその上に作業服を着ていた。

 

「あら、今日はCADのメンテナンスの日ではないわよね?」

 

 コクリと首を傾げて深夜が衛兵に問いかける。

 

「はい。ただ、七g……。真由美さんがCADの操作に違和感を感じたらしいので、臨時メンテナンスをしていました」

「あらあら、大変だわ」

「いえ、ご心配には及びません。次回の定期メンテナンスで交換予定だったパーツの摩耗が、少し激しかったみたいです。夕食の後に交換を行って、今晩中には終わらせられます」

「そう。それを聞いて安心したわ」

 

 衛兵と深夜の遣り取りが終わり、彼の後ろから真由美がヒョコッと顔を覗かせた。

 

「深夜さん、お帰りなさい♪」

「ただいま、真由美ちゃん。今日の歓迎の挨拶、深雪に劣らず立派だったわ」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 深夜に褒められた真由美が、嬉しそうに頬を緩める。

 その一連の様子を見ていた穂波が、深夜の後ろから話しかける。

 

「深夜様、立ち話ではお身体に障ります。居間へ参りましょう」

「それもそうね。穂波さん、悪いけれど肩を貸していただけるかしら?」

(かしこ)まりました」

 

 穂波が恭しく一礼する。深夜が真由美に杖を預けた後に彼女の片手をそっと握り、もう片方の手で深夜の反対側の肩を支える。

 深夜は握られていない方の手で壁に取り付けられた手すりを掴みゆっくりと廊下を歩く。

 その二人より先行していた衛兵がリビングのドアを開け、達也が引いていた椅子に深夜は静かに腰かけた。それに続いて達也と真由美と衛兵が椅子に座り、穂波は台所で深雪の手伝いをした。

 深夜が浅く長く息を吐いた後、人数分の紅茶をお盆に載せた深雪とお茶請けを持った穂波が戻ってくる。

 

「皆、ありがとう。まさか予定外の会議があるだなんて聞いていなかったわ。おかげでこのザマよ、自分で情けなく思うわ」

「申し訳ありません、深夜様。私の責任です」

「そんなことないわよ、穂波さん。悪いのは、つまらない利権争いに興じているご老夫たちよ」

 

 自分のスケジュール管理ミスだと、責任を感じて萎縮してしまった穂波の頭を撫でて励ます深夜。

 

「深夜様……。お心遣い、ありがとうございます」

 

 座ったままではあるが、穂波が恭しく一礼する。

 それに満足した様子の深夜が壁掛け時計を一瞥する。

 

「さて、そろそろ水波(みなみ)ちゃんが帰ってくる時間かしらね」

 

 言うが早いか、軽快なチャイムの音が響いた。

 穂波や深雪が立つより早く、衛兵が席を立っていた。

 

「CADの整備に戻りますんで、そのついでにドアも開けていきますね」

「なら、深雪もついて行きます」

 

 衛兵が背もたれに引っ掛けていた作業服に袖を通す間に、深雪が彼の後ろを歩いていた。

 それを咎める人物も居らず、居間に残った四人は二人を暖かく見送った。

 

 

「お帰りなさい、水波ちゃん」

「深雪様、衛兵様。ただいま戻りました」

 

 玄関のドアを開けると、そこに立っていた少女は深夜の予想に違わず桜井水波だった。

 

「使用人であるにも関わらず最も遅い帰宅となり、誠に申し訳ありません」

 

 玄関に入った水波は、ドアの鍵を掛けると靴を脱ぐよりも先に深刻そうな表情で二人に頭を下げる。

 

「大丈夫よ、水波ちゃん。今日は貴女の帰りが一番遅くなることは皆が分かっていたのだから。それに、ちょっとくらい寄り道してもお母様もお兄様も、誰も責めたりしないわ。ねぇ、衛兵?」

 

 見ていて安心するような笑顔で水波の肩に手を添える深雪。問いかけられた衛兵も首肯する。

 

「年頃の女の子が家と学校を往復するだけ、っていうのも勿体ないな。と言っても、こんな可愛い子が一人で出歩くのも危ないか」

「あっ、衛兵様。それ以上はいけまs……」

 

 衛兵に注意を促そうとした水波だったが、時既に遅しだった。

 三人の周囲の空気が一気に冷え込んだと感じた時には、バタンと独りでにドアが閉まり玄関に掛けてある風景写真の表面を覆うガラスが凍り始めた。

 物理的な寒さで背筋が凍てつく衛兵が後ろを見ると、そこにはアルカイック・スマイルの深雪がいた。表情は満面の笑みで目が一ナノも笑っていない笑顔だったが。

 

「あらあら、衛兵ったら。わたくしのことは全然褒めないのに、水波ちゃんのことになるとそんなに簡単に褒め言葉が出てくるんですね」

 

 右手は頬に当てているが、左手には彼女のCADが握られている。衛兵と水波が恐怖で固まる……かと言われればそんなこともなく。

 優しい笑みを浮かべた衛兵が完全に振り返って深雪の左手を右手でそっと包み、左手で優しく彼女の頭を撫でる。

 

「やっぱり、ヤキモチ妬きの深雪も可愛いな」

「もっ、衛t……!? っ、っふ……んぐっ……」

 

 耳元で衛兵に囁かれた深雪が顔を真っ赤にする。その隙を逃さないと言わんばかりに衛兵は彼女の唇を奪った。しかも、舌を滑り込ませるオマケ付きで、だ。

 

「や、衛兵。水波ちゃんが見てま、アレ?」

 

 衛兵の力が弱くなった一瞬で彼を少しばかり引き剥がした深雪は、先ほどまで立っていた水波がいなくなっていたことに気付いた。

 

「流石によくある光景として慣れてくれたみたいでな。深雪が玄関を冷やし始めた段階で耳栓を詰めて靴を脱いでいたぞ」

「そ、そんな……」

「すまない、深雪」

 

 深雪の顔の紅潮は引かぬままで、衛兵が申し訳なさそうに視線を逸らす。

 

「深雪が可愛いのは表面的な部分だけじゃなくて、内面的な部分も含めた全部なんだ。そして、俺はそんな深雪がただ隣にいてくれるだけでも十分幸せなんだよ」

「衛兵……」

 

 彼女の顔の赤が、段々と頬の一ヶ所に集まる。

 

「でも、時々それだけじゃ満足できなくなるんだ。深雪の色んな喜怒哀楽を見たい。あ、でも『哀』はいらないな。深雪の泣き顔は()()勘弁だ」

「やだ、衛兵ったら」

「だから、こうして深雪が俺のために嫉妬してくれる姿も見たくなってしまうんだ。どうしようもない欲深で申し訳ない」

「衛兵、もう謝らなくていいです」

 

 今度は深雪から、普段の彼女からは想像できそうにない貪るようなキスをした。

 

「深雪は今、とても嬉しいです。だって、衛兵の本心を聞けたんですから」

 

 今更になって恥ずかしくなったのか、紅潮した頬を見られないように深雪が衛兵の胸に顔を沈める。

 

 西日の差し込む玄関にはもう凍結の痕跡は残っておらず、ただ重なる2人分の影ばかりが残っていた。

 

 

 翌朝、空が白み始めた程度の街を達也と衛兵は走っていた。それも二人とも自己加速術式を発動しながらのランニングなので、普通の速度で走る他のランニング中の人間が彼らの会話を聞き取ることは出来なかった。

 

「なぁ、達也」

「なんだ」

 

 お互いにペースを落とすことのないまま、衛兵が話しかけた。

 

「昨日言っていた七草先輩のCADのパーツ摩耗なんだが、サイオン吸引機構が疲労しているところに大幅な過負荷を掛けたように消耗していたんだ。何か心当たりないか?」

 

 衛兵にとっては単なる疑問だったが、思い当たる節のある達也は全力で視線を衛兵と反対の方向へ逸らした。

 

「あの人がサイオンを過剰に流し込むことなんて滅多に無いから、不思議に思ってな。達也、なんで明後日の方を向くんだ?」

「……一昨日の夜」

 

 観念した達也がポツリポツリと自白する。

 

「真由美と地下で撃ち合いになってな。大分荒れた様子だったから、多分その時だろう」

「珍しいな、話し合いで解決しなかったなんて」

「ああ。俺が早々に謝っておけばよかったんだと、今更ながらに後悔している」

「……ご愁傷様」

 

 やや虚ろ気味なその瞳だけで、何があったのかをそれとなく察してしまった衛兵はその話をそこで打ち切った。

 そうこうしている内に二人は目的地である寺の石段まで辿り着いていた。

 勢いそのままに石段を登りきった先にて、二人は。

 前置きなく、二十人程度の修行僧に飛び掛られた。

 

 

 達也も衛兵も慌てる様子はなく、斜め前に出た衛兵に隠れるように達也が斜め後ろに跳ぶ。

 飛び掛られたと言っても全員同時ではなく、最初は二人だった。

 二段蹴り、正拳突き、鳩尾狙いの掌底。修行僧から繰り出される技はどれも本職の格闘家顔負けだったが、衛兵はその一切を両腕で受け止め、あるいはいなしていく。

 

「達也」

「ああ」

 

 二対一の衛兵に不利な防戦に見えたが、連撃の一瞬の隙間で斜め後方に跳んだ衛兵と入れ替わるように達也が前に出た。

 達也は対照的に積極的に攻撃に出て、同時ではなく一人ずつ順番に地面に落としていく。

 

「衛兵」

「任せろ」

 

 今度は三人がやって来たが、二人は短い遣り取りだけで再び位置を入れ替える。

 そこからはずっと、衛兵が全ての攻撃を受けきって達也が倒す工程を繰り替えしていった。

 

 

 修行僧はどうやら丁度二十人だったようで、一回ごとに一人増えた組手は五回目にしてようやく終わった。一度も膝をつかなかった二人は額に浮かぶ汗も少なかった。

 

「やぁ、達也くんに衛兵くん。おはよう」

 

 涼しげな顔で寺──名を九重寺という──の本堂から男が出てきた。

 

「「おはようございます、師匠」」

 

 達也と衛兵が同時に挨拶したその男は、名を九重八雲と言う。名字に『九』を冠するが数字付き(ナンバーズ)とは無関係で、どこか似非坊主の風合いがあるが、この寺の歴とした住職である。

 

「さて、今度は僕が相手すればいいのかな?」

 

 目は殆ど開いていないままだが、鋭さが増していく。

 二人掛かりでも未だに一勝もしたことがない相手に、達也と衛兵は先ほどよりも感覚を鋭敏にする。八雲は自身を『忍び』と称しており、体術もさることながら古式魔法での幻術を得意とするためだ。

 じわじわと距離が詰まっていく。そんな中、衛兵は本能的に八雲よりも近くに危険が迫っていると感じて咄嗟に腕を正面で交差させた。

 その勘は外れることなく、腕が折れるのではというほどの衝撃が走った。先ほどの修行僧たちとの組手では不動だった防御だというのに、一気に石段の縁まで飛ばされ、そこで何とか踏ん張って静止した。

 回し蹴りで衛兵を飛ばした男は次に達也に接近し、左アッパーで達也の顎を狙う。

 その一撃を紙一重で躱した達也はお返しとばかりに速度重視の拳撃を三連撃で繰り出す。男はその攻撃を予想していたかのように、初撃の右を肘で弾き落とした。

 次の左を右手で受け止められたが、フィニッシュの右は男の腹部に直撃した。しかし速度重視で威力の低い拳撃に男は動じることなく、左手で達也の服の襟を掴み右手で手首を握り直して背負い投げた。

 綺麗な一本背負の後には、達也が受身によって石畳を叩いた音ばかりが響いた。

 

「──と思ったけれど、師匠の僕より先に兄弟子の彼を相手取らなければならなかったか」

 

 したり顔の八雲の視線の先に立っていたのは、達也と衛兵を圧倒した男もとい少年──前髪で顔の半分ほどが隠れていて、口元をやや不満そうに尖らす少年だった。

 言わずもがな、晶である。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。