岩融は眠るのが嫌いだ。
そこにあるのはいつも悪夢だから。
真っ白な空間で、無数の武者が身動き一つせず岩融をただ見つめている。岩融が殺してきた彼らは、ぐしゃぐしゃと墨でぬり潰されたようで、表情は分からない。
あまりに恐ろしくて逃げたくて、がむしゃらに薙刀をふるう。武者たちは抵抗すらせず、ぺちょぺちょと折り重なっていく。
一薙ぎするたびにのしかかる武者の苦しみを、その魂に積み上げながら、岩融は進み続けなければならない。とうとう数え切れないほど薙ぎ払い、それでもまだ終わらない地獄に、もはやここまでか、と思ったところで目が覚める。
経過すること、短いときは十年、長いときは数百年。
青い空の下、新しい主は時に微笑み、時に吼え、時に泣きながら、岩融の鞘を抜く。この繰り返し。
それが岩融の、人切りの道具の定めだ。
しかし、今回の目覚めは今までとは何かが違った。
普通なら岩融は主の手に収まっているために、化現して初めて目にするのは下から見た主の顔。
今は壁にでも立てかけられているのか、主の頭を遥か下に眺めていた。
「おいでませ我が本丸へ。私はモモ。待ちくたびれたよ、岩融」
岩融を見上げ、手を差し伸べてきたのは、かつてないほどのほほんとした雰囲気の女だった。
いや、胸も尻もないから少女か、などと思っていると、モモは頬をぷくっとふくらませ、岩融をつかんだ。その小さな手には、荒々しい武者にはない、柔らかさと温かさがあった。
「ほら、握手。早くその身体に慣れて?」
その身体。
言われて初めて、岩融は自分の姿が人間のそれであることに気付いた。ありし日の弁慶のようなナリのせいで、モモを見下ろす形になっているらしい。試しに主を握る手に力を込めてみると、女らしからぬ叫び声が上がった。
「いたいいたいいたい!つぶれたらどうすんのよ!?」
「すまぬな、人の身体は力加減が難しい」
「ったくもう、動物園の熊かっての。うっかり壊したりしたらシャレにならない……ってなに笑ってんの」
顔に触れてみると、主の言う通り口元が上がっている。これが人か。これが笑うということか。
どうして自分が人になったのかと尋ねると、モモは何やら小難しいことを言ったが、やはり役目は変わらず戦うことだという
しかし目の前のモモには戦闘経験はない。これは断言できる。今まで女武人を何人か見てきたが、モモのように身綺麗で長い髪を結いもせず、また柔らかな身体つきをした者は誰一人いなかった。
かといって義経公が連れていた白拍子のような女の匂いもしない。つまり全く苦労していない。のほほんと見えたのはそういう訳だろう。内面は大して穏やかではないようだが。
育ちの良い子どもとはこんなものか、と物珍しく思いながらその頭を撫でると、モモはきっと岩融を睨んだ。怒るというより小動物の威嚇のようだ。
「なに?だから、時間遮行軍がね」
「がはは、主は小さいなあ。こんなに小さい主は初めて見たぞ」
「ねえ君、ひとの話聞いてる?」
「無論だ。目覚めるというのはやはり良いものだな」
モモは岩融に向かって手を伸ばし、頬を力いっぱいつねった。勿論痛みなどほとんどなく、岩融よりも爪先立ちでぷるぷるしているモモの方が辛そうだ。
「まだ寝ぼけてるなら起こすけど」
「もうつねっておろうが」
岩融がまた笑うとモモは「もういい」と言ってそっぽを向いた。身のこなしもまるで隙だらけだ。
久しぶりの現世は平和なのだろうか。自分を武器ではなく人の姿で使う世は。
「分かった、そう拗ねるな主よ。俺が悪かった。人の身体を得て浮かれていたのだ。許してくれるか?」
「……次は無いからね」
「ありがたい。これからよろしく頼むぞ、わが主よ」
次にあの地獄へ戻るまで、なかなか楽しくなりそうだ、と岩融はそっとほくそ笑んだ。