『綺麗だったから憧れた。』
――――――――――エミヤシロウ
半分の月がのぼる空に愛を誓った少年と少女がいた。
少女は生まれた時から心の臓が弱く、生きることを諦めていた。
肝炎を患って入院した少年は、退屈な入院生活に耐えかねて夜な夜な病院を抜け出しては、看護師に怒られる日々を送っていた。
そんなある日、少年は抜け出しの黙認と引き換えに、同じ病院に入院していた少女の話し相手になる約束を看護師と結ぶ。日が経つにつれて二人の距離は少しずつ近づいてゆき、少女はほとんど誰にも見せなかった笑顔を少年に見せるようになる。
ある日、少女は「自分が心の臓の病にあり、もうすぐ死ぬ運命にあること」を少年に告げる。少年は戸惑いながらも、自分が少女のことを意識し始めていることに気づく。
少女と二人で病院を脱走して訪れた「少女の思い出の地」で少年は知る。少女は、もはや生きる希望を失っている事を。そして少女もまた、知る事になる。少年の想いを。その愛を。その想いを知った時、少女は再び生きる希望を取り戻す。「命を懸けて、君の物になろう」。たとえ一分でも、たとえ一秒でも長く少年と共に生きるために。
母の死を切っ掛けに自分の音を失ったピアニストの少年と、自由気ままなヴァイオリニストの少女がいた。
少年は自分の音とともに、自分の世界の色も失っていた。そんなある日、幼馴染を紹介する友人Aとして、少年は少女と出会い、少年の世界はカラフルに輝きだす。「君がいたんだ」。少女にせがまれて出場したコンクールで、少年は演奏する。「届くかな、届くといいな」。この思いよ君に届け、と。ありったけの自分で演奏する。
ある日、少年は少女が倒れたことを知る。少女に死んだ母を重ね、また自分の大切な人がいなくなると思う少年。そんな少年に少女は持ちかける、私と心中しないか、と。少女は自分の命がもう長くはないことを知っていたのだ。
少年は少女に語る。今まで君の後ろ姿ばかり見てきた。これでは心中ではなく後追いだ。だから、もう一度、自分と一緒に舞台に立って欲しい、自分を君の隣に立たせて欲しい、と。そして少女は再び生きる希望を取り戻す。少年とまた、同じ舞台に立つために。
そんな、儚いからこそ美しい
尾張の国にうつけ者と呼ばれた少年と、そんな少年を愛した巫女の少女がいた。
少女にとって、少年は世界のすべてだった。
美濃の
『王』だ。この少年は神殺しの『王』だ。自分が仕えるべき『王』だ。
少女の母は神祖であった。神祖とは、かつて神の座から追われた大地母神の一部が人の姿をとったもの。まつろわぬ神や神殺しの魔王には遠く及ばぬが、人知を超えた異能を持ち、その系譜は生まれつき身体が弱い代わりに巫女としての才能に優れたものが多く、少女もそのひとりであった。
生まれつき身体が弱い代わりに人間離れした美しさと高い霊視の能力を持っていた少女は、少年が神殺しの偉業を成し遂げた魔王であることを見抜いていた。その瞬間から、少女にとって、少年が世界のすべてになった。
少女は、少年のことを誰よりも愛していた。愛していたがゆえに少年の唯我を欲する求道の性質を誰よりも理解し、受け入れていた。だから、少年と枕を交わすことなど求めなかった。ただ少年の側にいて、少年に仕えることさえできればそれで十分幸せだった。病に侵されながらも、その愛の輝きが失われることはなかった。短い生涯ではあったが、十分に幸せだった。
少年にとって、少女は理解できない存在であった。
美濃の
そんな絶世の美少女が嫁いできてから、一度も枕を交わすことなく過ごしてきたのだ。さぞかし少女の自尊心を傷つけただろうと思った少年は、少女に不満はないかと何度も尋ねた。少女が正史にない行動をとることを恐れたゆえである。が、少女はいつも決まって「御身のお側にいられることこそが、私の至上の喜びであります。」と返してくる。
しかし、他人を信じることが欠落した、壊れた求道者であることが少年の本質だ。少女ほど自尊心溢れる美少女が、自分のようなうつけ者を好きになるはずがないと勝手に決めつけ、霧の権能と陽炎の権能を組み合わせて、誰にもばれないように少女が正史にない行動をとらないか監視を行ってきた。
そして、生まれつき身体の弱かった少女は病に侵され死んだ。
こうして
◆ ◆ ◆
―――ニュクス。
ギリシア神話に登場する原初の神で、夜の女神である。ニュクスとはギリシア語で夜を意味し、かの女神は夜の神格化である。
「我が下に来たれ勝利のために。不死なる太陽よ。我が敵を憎悪の焔で焼き尽くせ!」
『弱い自分への憎悪を絶やすことなく燃やし続ける』という渇望に染られた、メタトロンから簒奪した太陽の焔を操る権能。天空に疑似太陽が昇り、そこからニュクスに向かって日輪の槍が照射される。
「無駄じゃよ神殺し。妾に太陽の焔など効かぬ。」
「嘘だろっ!!」
日輪の槍がニュクスの纏う闇に触れた瞬間、焔がすべて吸収されてしまう。
天空に属する光、すなわち太陽の焔は、大地に属する冥府の闇の属性に優位性をもち、本来であればニュクスに大ダメージを与えることができたであろう。
ヘシオドスの『神統記』によれば、ニュクスは原初神カオスの娘で、エレボス(幽冥)の妹であり、兄であるエレボスとの間に昼を神格化した昼の女神ヘーメラー、上天の清明な大気を神格化した天空神アイテール、地獄の渡し守カローンをもうけた。
昼という光を生み落とした彼女にとって、太陽の光とは自分より生まれし存在。故に信長の放った日輪の槍も吸収されてしまったのである。
「日輪の槍が効かないなら、物理で殴るだけだ!」
むしろ自分はそっちの方が得意だ。そう思った信長は、すぐさま灼熱の槍を生み出してニュクスに特攻する。新たに簒奪した常時発動型の権能を簒奪したせいで、『進化する神の肉体』の身体能力をフルに発揮することができなくなった信長は、呪力で身体能力を強化して神速で接敵し、軍神でないニュクスには見切ることなど不可能な一撃を放つ。ニュクスの闇に触れた瞬間、槍の纏っていた太陽の焔は吸収されてしまったが、槍そのものが消えてしまうことはなく、信長の槍は正確にニュクスの首を切り落とす。
「無駄じゃよ。」
しかし、斬首されたはずのニュクスは、何事もなかったかのように信長の背後に出現する。それに驚きつつも、すぐさま信長は、振り向きざまに再びニュクスの首を跳ね飛ばす。
「全く、話を聞かん奴じゃのう。」
やはりというべきか、斬首されたはずのニュクスは再び完全な状態で出現する。
「妾は『夜』じゃ。故に決まった形など存在せぬ。妾を殺すことなど不可能だと知るがいい。」
そう、ニュクスは夜が神格化された神だ。もしも地上に顕現していたのなら、夜の場所ならどこであろうと偏在し、夜の場所ならばどこへだろうと転移が可能であっただろう。また、夜の闇は決まった形など持たないことから、物理攻撃の一切を無効化する。信長に斬首されてもいまだ健在なのは、彼女にとって人型であることなど意味を持たないからであろう。信長も、自身の持つ霧の権能によって、自分の身体を霧へと顕身することで物理攻撃を無効化できることから、ニュクスに物理攻撃が効かないことを悟った。
「それよりも神殺しよ。お主の身体から死の呪力を感じるぞ。それも喰らい尽くしてくれよう。」
ニュクスが生み出したのは昼の女神ヘーメラー達だけではない。忌まわしい死の定業であるモロス、死の運命であるケール、死の神タナトス。次いで眠りの神ヒュプノスと夢の神オネイロスの一族を生み出し、更に多くの神々を生み出している。
死を生み出す夜の闇であるニュクスにかかれば、太陽の呪力もそうだが死の呪力さえも吸収できてしまう。
そして、信長が纏っている死の呪力、これが信長が『進化する神の肉体』の身体能力をフルに発揮することができなくなった原因となる常時発動型の権能。閻魔大王から簒奪した、『全てを殺す死の漆黒でありたい』という渇望に染まった権能。東方風に言えば、『老いることも死ぬことも疲れることもない程度の能力』。
その理は、自身の存在基盤を肉体ではなく魂にすること。肉体が滅んでも、魂を存在の主体として即座に好きな場所に肉体を作り直し、生き返る事が出来るようになる。単なる自己再生能力の極限化といった類の能力ではなく、生と死の境界が曖昧になっている生きた死者になる。
例えどれほどの傷を負おうと、身体そのものをゼロから再構築出来るので、即時に再生する事など容易い。首から上を失おうと、肉体を木端微塵に吹き飛ばされようとも即座に再生する。常時発動なので、不意討ちによる即死が発生しない。そして、生きる死者故にすべての肉体的・精神的疲労から解放され、どんなに戦おうと一切疲弊しなくなる。
この権能の本来の強みは、肉体の蘇生に呪力を必要としないことだ。自身の存在基盤はあくまで魂の方であり、肉体は世界に干渉するための出力機関のようなもの。肉の体はあくまで自分の付随物でしかないのだ。これにより、死の呪力の効果をある程度緩和することができ、魂に干渉してくる権能以外では、実質ダメージを受けない。しかし、神槍の加護によって不死を獲得している信長にとっては、常時発動型の権能など自身の全力を邪魔するものでしかなかった。
信長をニュクスの死の闇が物質的な重さを持ちながら包み込む。信長はそれを何とか振り払おうとするが、一向に振り払うことができない。それどころか、闇のもつ死の呪力が信長の魂を蝕んでいき、少しずつ信長の身体が腐っていく。
「ロンギヌス!!」
信長の呼びかけに答えて神槍が信長が受けた魂へのダメージを回復させる。回復させたのはいいものの、依然として死の闇に包まれた状況は変わらない。とりあえず自分に纏わりついた、うっとうしい闇を消し去るべく信長は聖句を唱える。
「さらばヴァルハラ。光輝に満ちた世界。聳え立つその城も微塵となって砕けるがいい。さらば栄華を誇る神々の栄光、神々の一族も歓びのうちに滅ぶがいい。我はただ、総てを置き去る最速の凶獣。皆、滅びるがいい!」
それは信長が北欧神話に登場する魔狼フェンリルから簒奪した権能。霧の権能と同じく、『何者にも束縛されたくない』という渇望に染められた権能。その余技のひとつ。ラグナロクにおいて主神オーディンを呑み込んだ、神喰らいの魔狼としての能力。自身を中心とした領域において、問答無用で呪力や生命力、体力、精気、魂などを奪いとり自身に還元する。防御するのが非常に困難な能力で、敵の弱化と自分の強化を超効率で行い、時間が経てば経つほど有利になっていくという凄まじい性能を誇る。
これを利用して、自身に纏わりついた闇を喰らい尽くし、自身の呪力へと還元する。
「なんと! 妾の闇を逆に喰らい尽くすか!」
「ごちそうさま。なかなか美味しい呪力だったよ。それにぼくは暴食でね。こんなんじゃまだまだ足りないんだ。もっと食べさせてもらうよ!」
その瞬間、ニュクスから神力がごっそりと持っていかれる。信長が領域を広げてニュクス本体からも神力を奪っていく。
「闇を駆け抜ける馬車よ、妾の下に来たりて妾を疾く運べ!」
このままでは不味い。そう思ったニュクスは二輪の馬車を召喚して乗り込むと、神速で信長へ突貫する。
「正面勝負か! いいね! そういうの嫌いじゃないよ!」
対する信長は灼熱の槍を消し去り、ニュクスの馬車に真正面から対峙する。
北欧神話において、地震はフェンリルの父ロキが光の神バルドルを殺した罪で幽閉、拷問にかけられた際の苦悶だとされている。信長がフェンリルから簒奪した権能のもうひとつの余技は、この地震を操る能力だ。
強力な振動を発生させることができる、際立って破壊力の高い天災を操る能力であり、空間を直接掴んで動かすことができたり、足場が無くてとも「宙」を蹴って移動することができる他、拳などにまとえば強烈な打撃を与え、その拳で大気や地面を殴れば強力な地震が発生する。また、津波など地震により発生するあらゆる二次災害も引き起こす事ができる。その眼光や吐息、気勢まですらも、自身から放たれるもの全てに地震の力が宿っているため、ただの咆哮ですら街一つを更地にしてしまえる。
「滅・侭・滅・相!」
信長は右腕に地震のエネルギーを纏わせて、突貫してくるニュクスの馬車を殴り飛ばし、木っ端みじんにする。しかし、ニュクスは再び完全な姿で上空に出現する。
「このままでは千日手よのう。妾の闇は汝に効かず、汝の攻撃は妾を傷つけることができぬ。」
確かにこのままでは千日手だ。ニュクスの攻撃も、信長の攻撃も、お互いを傷つけるに至らない。しかし、それは信長にほかの攻撃手段がなければの話しだ。
「それはどうかな? 太陽もダメ、殴ってもダメなら、物理的にじゃなく、君の存在そのものを斬り裂けばいいだけさ! 謡え、詠え、斬神の神楽。他に願うものなど何もない!
信長が新たな聖句を唱えると、信長の身体には青い稲妻が帯電し、その右手には抜身の日本刀が握られていた。信長がまだ魔王になりたてのころ、建御雷神から簒奪した、『戦場に迸る破壊の雷でありたい』『すべてを斬り裂く《鋼》の刃でありたい』という渇望に染め上げられた権能。すべてを斬り裂く雷への顕身と布都御魂剣。
「さぁ、いくよ!」
信長が布都御魂剣を振るうと、それに合わせて雷の斬撃が迸る。そして、直線上にある空間ごとニュクスを斬り裂いた。
「ガハッ!!」
右肩から左の腰にかけて体を切断され、口から吐血するニュクス。さっきまでと違い、すぐに闇の中から完全な状態で復活することができないことに混乱する。
「実体があるとかないとか、そういうの関係ないんだよ。空間だろうが、概念だろうが、それこそ神格だろうが斬り裂ける。それがこの権能さ。」
信長が斬り裂いたのは、ニュクスの神格そのもの。故にニュクスは闇から復活することができず、神力も大きく削られてしまっていた。
「許さぬぞ神殺し! せめて、妾と共に死んでもらおう! いと深き暗き闇よ、集え、集え、集え、集え、爆ぜよ!」
ニュクスが最後の抵抗で放ったのは、黒い重力球。しかし、周囲を破壊しながら自分に迫ってくるそれを前にしても、信長の余裕の笑みは消えることがない。
全力のニュクスが放ったものならば、信長も危うかっただろう。しかし、今のニュクスは信長のフェンリルの権能と建御雷神の権能によって、その神力を大きく削られてしまっている。故に信長に向かってくる重力球も、その力を最大限に発揮できず、信長の脅威たり得ない。
「いい戦いだった。さぁ、年貢の納め時だよ、ニュクス。我が一刀の下に散るがいい!」
その一言と共に、信長は唐竹に布都御魂剣を振り下ろし、重力球ごとニュクスを斬り裂いた。