東亰ザナドゥ ―Episode Zero―   作:ゆーゆ

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5月15日 第1部エピローグ

 

 関東地方を襲った未曾有の大震災は、数多の爪痕を日本国内に残した。約二万二千に及ぶ国民が犠牲となり、七千人を超える行方不明者の数は、国内外を問わず世界各地で波紋を呼んだ。多くの被災者が不自由極まりない生活を強いられ、悲しみに明け暮れる中、一日での早い復興を果たすべく、復興支援の手は世界中から差し伸べられた。

 震災が発生して以降、東京が都市機能の大部分を失ったことで、日本政府が後手を踏んでしまう場面は多々見られた。しかし北都グループをはじめとした巨大企業による支援の甲斐もあり、二ヶ月間以内に都内へ規定数の仮設住宅を設けるという目標は達せられ、国土交通省は都内外への更なる増設を公表した。かつての日常とまではいかずとも、着実に復興の兆しは見られ、笑顔を取り戻す者も決して少なくはなかった。ユキノも、その一人だった。

 

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「はぁ、はぁ、はっ」

 

 崩壊した街中を、ユキノは無我夢中で走り抜ける。ユキノの背後から猛然と迫り来るグリードの群れは、執拗に彼女を追い回し、追い詰める。霊力は既に底を打っていて、頼みの綱であった筈のタロットカードは、最早用を成さない。逃げることでしか、護れない。

 

「お、お姉ちゃん……!」

「大丈夫、大丈夫だから。絶対に護ってあげる。だから、走って!」

 

 今にも泣き出してしまいそうな表情のアスカへ、懸命に声を掛けながら走る。大切な女性と交わした約束を果たすと、ユキノはそう心に決めていた。レイカとアスマが身を挺して、その身を犠牲にして託してくれた少女を、今度は私が護り抜く。その一心でユキノはアスカの手を取り、足を動かし続けていた。

 

「あぐっ!?」

 

 その足が何かに引っ掛かり、ユキノは正面から倒れ込んでしまう。すぐに身を翻して、アスカを抱きながら背後を睨み付ける。無数のエルダーグリードは舌なめずりをして、二人を見下ろしていた。グリードの毒牙は容赦無く、無慈悲に二人を襲った。血飛沫が、頭上に舞った。

 

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「っ!?」

 

 起床と共に、荒々しい呼吸を再開する。勢いを付けて半身を起こし、室内を見渡していると、深い安堵感が胸に広がっていく。

 

「……っ……また、あの夢」

 

 西東京市に設けられた仮設住宅の一室で、ユキノは額に浮かんでいた汗を拭い、過去を想っていた。3月15日の夢は、もう幾度となく彼女の安眠を妨げてきた。過去の結末を歪ませ、悪夢へと姿を変えて、忘れた頃にやって来る。もし夢が現実だとするのなら、ユキノはこの場に眠ってはいない。

 

(まだ、5時か)

 

 ユキノの隣で寝息を立てる伯父夫婦も、未だ心地良い夢の中。起こしてはいけないと思い、ユキノは再度身体を布団の上に寝かせた。あの夢を見て以降、再度眠れた試しが無かったのだが、起きるには幾分早い。ユキノは壁に掛けられていたカレンダーの日付を見て、今日一日の予定を頭の中で確認する。

 

「……アスカ」

 

 今日は2005年5月15日、日曜日。震災が発生してちょうど二ヶ月が経つ休日に、ユキノは一つの決意を固めていた。

 

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 ユキノは朝早くに仮設住宅を発ち、限られた交通機関を駆使して、杜宮の地に降り立った。向かった先は、レンガ小路と呼ばれるアーケード街だった。

 震災の爪痕は、レンガ小路にも刻まれていた。幅広い層から支持を受けていた筈の穴場からは、本来の賑わいが感じられない。謳い文句とされる瀟洒でレトロな雰囲気も鳴りを潜め、軒を連ねる通好みの店々の中には、未だ通常営業が叶わない店舗も少なくはなかった。

 

「マスター、お久し振りです」

「ん……おお、ユキノ君」

 

 そんな中で、壱七珈琲店はいち早く持ち直した飲食店の一つだった。レンガ小路の中でも比較的新しい建屋であった壱七珈琲店は、震災による被害を受けながらも、今月に入って以降臨時営業を開始している。店主であるヤマオカは仕入れも満足に儘ならない状況下で、限定数の珈琲を特値で振る舞い、利益度外視の営業を日々続けていた。

 

「お久し振りですな、ユキノ君。遠いところをよく来てくれました」

「いえ、思いの外に早く来れましたよ。今日も営業を?」

「見ての通りです。一杯如何ですか?無論、料金は頂きませんよ」

 

 返答を待たずに、ヤマオカは珈琲を淹れ始める。ユキノはカウンター席に座り、ヤマオカとお互いの近況を語り合った。

 

「学校はどうですか。先月末からというお話でしたが」

「取り急ぎの授業は再開しました。でも他校の生徒を交えての授業なので、上手く進まないんです。体育館に机と椅子を並べる日だってあるんですよ」

「苦労をしますね。三年生に上がった貴女にとっては、受験の年でもあるのでしょう?」

「充分です。あれからまだ、二ヶ月しか経っていませんから」

 

 ユキノはカウンターテーブルに置かれたコーヒーカップを手に取り、一口だけを静かに啜った。カップの中でゆらゆらと揺れる珈琲を見詰めながら、ユキノは続けた。

 

「明朝に、また夢を見ました。例によって、マスターは出てきませんでした」

「……そうでしたか」

 

 ユキノを悩ます夢は、決まって偽りの結末を迎える。アスカを連れて、グリードの追手から必死に逃げ惑うユキノを救ったのは、杜宮から駆け付けたヤマオカだった。ユキノはヤマオカと二人掛かりでアスカを護り抜き、その先に今日がある。悪夢は現実ではなく、夢は夢に過ぎなかった。

 しかし夢の世界では、いつだってヤマオカは現れない。二ヶ月前の悪夢に魘される日々も、ユキノのものだけではない。直接的な被災者のみならず、多くの日本国民が眠れぬ夜を過ごし、3月15日に囚われてしまっている。立ち直るには、時間が必要だった。

 

「余り気になさらない方がいい。夢も直に、見なくなる筈です」

「分かっています。それで、マスター。お願いしていた物を、見せて貰えますか?」

「おっと、そうでしたな。二階から取って参ります、少々お待ち下さい」

 

 ユキノがヤマオカを訪ねた目的は、無論世間話ではない。先月の下旬にヤマオカへ依頼した、とある物品の調達にあった。震災の有無に関わらず、一般人の手に届き得ないそれは、ヤマオカを頼ることでしか入手できない。

 ユキノの意志を汲んだヤマオカは、彼女を問い質そうとはしなかった。やがて二階から下り立ったヤマオカは、一つの小包をユキノに差し出して、言った。

 

「これをどう使うまいが、私は何も問いません……想像に、難くはありませんが」

「……ありがとうございます」

「私の分まで、あの子を励ましておやりなさい。貴女になら、きっとできる筈です」

 

 小包を受け取ったユキノの肩に、ヤマオカの手が置かれる。

 レイカは今わの際に、アスカを護って欲しいとユキノに願った。レイカと交わした約束は、ユキノの中で今も尚、継続していた。まだ、終わってはいなかった。

 

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 都内でも比較的被害が小さかった世田谷区は、多くの被災者を受け入れた。区が提供する応急仮設住宅の一画に、仮初の柊家はあった。小学一年生となったアスカは父方の両祖父に引き取られ、ユキノと同様に通常とは異なる臨時授業を受ける日々が続いていた。

 ユキノが柊家の建屋を訪ねると、アスカの祖母は快くユキノを迎え入れ、テーブルを挟んで対面に座ったユキノへ、何度も何度も頭を下げた。

 

「改めてお礼を言わせてちょうだい。アスカを護ってくれて、ありがとう。ユキノさん」

「いえ、そんな……私は」

 

 避難区域でアスカを見付けた祖父母は、歓喜の声を上げると同時に、傍らでアスカを見守っていた少女の姿を見て、愕然とした。身体中に巻かれた包帯にガーゼ、医療用のウィッグや固定具を身に着けた少女は、一目で重傷を負っていると分かった。それ程の被害に遭いながらも、少女はアスカから離れようとしない。どころか、アスカを連れ出そうとする二人に、少女は敵意を剥き出しにして応じた。アスカの祖父母だと伝えると、一転して少女は泣き腫らしてしまったのだ。

 事情を呑み込めないでいた二人に、ヤマオカは災厄の真実を伏せながら、全てを語った。息子夫婦の最期を看取り、アスカを震災の火の粉から護り抜いたのは、彼女に他ならないと。ヤマオカが語り終えると、今度は祖父母が目元を腫らす番だった。

 

「頭を上げて下さい。傷もほら、もう治りましたから」

「そう……貴女のおかげで、アスカは今日も元気にやっているわ。今は夫と一緒に、近くの公園へ出ているの。そろそろ戻って来る頃かしら」

「……あの、明日の何時頃、ここを発つんですか?」

「早朝の予定よ。最後に会いに来てくれて、本当に良かったわ」

 

 応急仮設住宅で柊一家が暮らす日々は、今日が最後。明日以降は、神那川県の住宅街にある一軒家へ、住まいを移す手筈となっている。その全てが、結社による計らいだった。

 レイカとアスマが見舞われた、二人の犠牲がもたらした全てを察した結社側は、親族の行く末を保障し、新たな生活地と住宅を提供した。アスカの祖父母は信じ難い持ち掛けに当初戸惑い、震災の被害に付け込んだ詐欺だと疑っていたのだが、息子の元上司でもあったヤマオカの熱心な説明の甲斐あって、二人は申し出を受け入れた。何より、孫娘に不自由ない日常を送って欲しいと、新天地での生活を決意し、明日がその移動日。だからこそユキノは今日という日を選び、アスカへ伝えたい想いがあった。

 

「あら、帰ってきたみたいね」

 

 やがて玄関扉のドアチャイムが鳴り、二つの足音が廊下から聞こえてくる。居間の入り口を潜った祖父は、ユキノに気付くと祖母同様の反応を見せ、一方のアスカは恥じらいながら、聞き取れない程の小声でユキノに挨拶をする。

 

「ほらアスカ、ちゃんとご挨拶をしなさい」

「気にしないで下さい。アスカにとって、私は見知らぬ他人のようなものですし」

「でも、そんな……」

「いいんです。その方が、アスカも変に気負わずに済みます」

 

 アスカは祖母の傍らに座り、上着のポケットから何かを取り出して、手元を動かし始める。アスカの手に握られていた物の正体を、祖父母は知らない。子供用の玩具程度に受け取っていたのだが、実際には違う。市場にすら出回っていない、最先端技術の集大成であるサイフォンは、両親の遺品でもあった。

 

「アスカったら、この玩具でいつも遊んでいるの。余程気に入っているのね」

「そう、みたいですね」

「でも電源が入らないのよ。使い方もよく分からないし……本当に、何が楽しいのやら」

 

 レイカとアスマが触れた術式は、周辺の怪異のみを燃やし尽くした。やがてその場に残されたのは、二人が使っていたサイフォンだけ。ユキノは二つのサイフォンを拾い上げ、肌身離さず持っていて欲しいと、アスカに託していた。多くを言わずとも、アスカはあの日からサイフォンを手離そうとはしなかった。

 

「ねえ、アスカ」

 

 ユキノは一旦立ち上がり、アスカの前に座り、小包を取り出す。アスカは首を傾げながら、ユキノに聞いた。

 

「お姉ちゃん。これ、何?」

「……今はまだ、言えないかな」

 

 小包の中には、サイフォン専用の充電機器が入っていた。サイフォンの電源は3月15日に切れ、バッテリーの充電をしないと画面上には何も映らない。従来の充電機器との互換性は無く、ユキノがヤマオカを介して取り寄せた機器を使わない限り、サイフォンは沈黙したまま。

 

「でもアスカに、ずっと持っていて欲しいの。だから、これを貴女にあげる」

 

 理由は無かった。たとえサイフォンを起動したとしても、既に通話機能やwebは使えない。アプリのほとんどは異界探索用で、英語でのみ綴られた説明も、アスカには理解のしようがなく、何の意味もなさない。けれど、ユキノはアスカに託したかった。両親の生き様を、この先もずっとアスカに持っていて欲しいと、願って止まなかった。

 

「それと、これもあげる。両足のどちらかに着けるといいわ」

「これって……」

「ホルダーよ。それを二つも持ち歩くのは、少し大変だと思うから。一つをこれに入れるの」

 

 加えてユキノが取り出したのは、革製のベルトホルダー。サイフォンがちょうど収まる程度のホルダーは、やはり小学一年生には不釣り合いな装飾品。それでもユキノはホルダーをアスカに手渡し、そして抱いた。優しく抱きながら、アスカの耳元でそっと囁く。

 

「アスカ。私のことは、忘れてもいい。でもね、お母さんとお父さんは、絶対に忘れちゃ駄目」

「お姉ちゃん……」

「強く生きて、アスカ。前を向いて、しっかりと生きるの。そう、約束してくれる?」

「……うん。分かった」

 

 思い出は儚く脆い。小学一年生の記憶は、大部分が時間と共に消え失せる。好都合だと、ユキノは思う。たとえアスカの中から、ユキノという存在が消えても構わない。悪い夢は、夢として無くなってしまえばいい。

 

「暫くのお別れね。アスカ、元気でね……バイバイ、アスカ」

 

 だから、どうか。どうか大切な物だけが、この子と共にありますように。そう願いながら、ユキノはアスカを抱いていた。

 

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 ―――同日。千葉県の外れ、北都グループに属する某企業の本社ビル、最上階。

 北都セイジュウロウは、多忙極まる日々を過ごしていた。一大企業グループの会長として国内を飛び回り、時に裏の世界に通じる権力者にしか為せないことを為す。東京震災以降、セイジュウロウは両者の責務を全うすべく、二ヶ月間が経過した今も尚、睡眠時間を削ってまでして事態の収拾に当たっていた。

 

『こ、困ります。アポも無しに、急にそんな』

「む……?」

 

 目元を擦りながら書類の数々に目を通していると、出入り口から騒がしい声が聞こえてくる。直後に扉が勢いよく開かれ、その先には身に覚えのない女性の姿があった。女性は秘書の一人が制止する声を振り払い、ずかずかと室内に歩を進めて、セイジュウロウの眼前に立ち止まる。

 

「お前が北都セイジュウロウだな」

「す、すみません。すぐに警備の者を」

「なに、構わんよ。ちょうど一服をしようと思っていたところだ」

 

 セイジュウロウは一旦書類をデスクに置き、女性の顔を見上げた。女性のギラギラとした鋭い眼光は、獰猛な獣の類を思わせた。しかしその出処からは、並々ならない覚悟と意志が垣間見える。セイジュウロウは女性と視線を重ねながら、厳かな声を掛けた。

 

「如何にも、私が北都セイジュウロウだが。君は?」

「アングレカム第十一部隊所属、雪村キョウカだ」

「ほう……裏の傭兵が、私に何の用件かね?」

 

 セイジュウロウが促すと、雪村キョウカは一度瞼を閉じて頭上を仰ぎ、先程とは打って変わり、切実な声を以って宣言をした。

 

「北都ミツキ。私の全てを、彼女に捧げたい」

 

 物語は、加速していく。

 

 

 




これにて第1部終了です。次回以降は3~4年後から開始します。
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