彼は10分くらい経ってから風呂からあがってきた。
ドライヤーがあるのにも関わらず適当に髪をふいたのであろう。
ポタポタと今にも垂れそうなくらい濡れていた。
洋服は相変わらずその血がついた服を着ていたが、ここはもう目を瞑るしかないと思った。
「…これでいいでしょ」
未だに不服そうな顔をして、彼はいつも通り椅子に腰を下ろした。
私も何を言えばいいのかわからず、黙り込んでしまう。
こんな沈黙の時間、相手にとってはどうでもないのだろうけれど、私にとっては気まずくて怖くもあった。
自分を食べることが出来てしまう存在とこんなに近距離でいるのだ。
いくら私を食べる気がないとはいえ、いつ気が変わるかはわからない。
私は唾をゴクンと飲んで尋ねてみた。
「…フユは、何で私を食べようとしないの?」
お腹が空いているなら狩りに行くんじゃなくてじきに来る私を待ち伏せして食べればよかった。
私に刃向かう力なんて無いのだから、食べてしまうのは簡単だったはずなのに。
「気が向かないから」
いまいち納得出来ない理由だった。
気が向かないから私を食べないというのはどういう意味だろうか。
逆に捉えると、ふと気が変わって私を食べようとすることもあるということ。
ブルッと体が一瞬震えた。
自分の命を脅かす存在が近くにいると、人間はこうも思い通りに体を動かせないものなのか。
「……怖いって思った?」
ふと目線だけをチラッとこちらに向けられて、私はおどおどしてしまう。
「そんなことは…ないけど」
その言い方で自分が図星をつかれたことはバレバレだった。
彼もとくに返事をすることもなく理解した顔をしてまた前を向いてしまった。
こんな中途半端に会話が終わってしまい、なんだかもやもやが消えなかったが、ここでまた問い詰めるのもあとが怖いのでまた何も言えず、沈黙が流れた。
このまま立ち尽くしていてもしょうがないと思い、私は母から貰った林檎をかごの中から取り出し、包丁で丁寧に皮を剥いた。
時計の針だけの音が聞こえて、りんごの皮はどんどん伸びてシンクについた。
2口くらいで食べれる大きさに切り、お皿の上に置いた。
祖母にはこの後擦って食べやすくするのだが、それをやる必要は無いかとそのままテーブルにりんごを乗せた皿を置いた。
「林檎、たべる?」
恐る恐る聞いてみると、彼は無言のまま林檎に手を伸ばし、1個を一口で食べてしまった。
そのまま食べているので、私も席に座って林檎を食べ、無言のまま時間は過ぎてしまっていた。
ふと、彼が声を発したのはあれから何分経ったのか覚えていない。
フユが突然“腹減った”と呟いたのだ。
狩りをしていたというのにもうお腹が空いたのかとため息をついたが、お腹がすいたと言われると自分の身の危険を感じて少し怖くなる。
いくら食べないと言われても、この不安はいつまでも残るのだと思う。
「何か、作ろうか?」
このまま無視するのも嫌だったので、一番無難な返事をした。
いつも祖母に作っているから、料理はそれなりに自信がある。
「ん。肉食べたい」
冷蔵庫を開けるのに戸惑ったが、無理やり開けると中は生臭くなっていて、食べ物も腐っているのではないかと思った。
赤く染まった鳥には、必死に目を向けないようにした。
「…街に、買い物に行こうかな」
この中の食材を使うよりかは、街に買い物に行って新鮮な食材を買った方がいいかもしれない。
冷蔵庫の蓋を閉めて私はフユの方を向いた。
「食材が無いから買い物行ってくるね。ちょっと待ってて」
彼の返事は頷くだけだったけれど、わかってくれたようなので私はかごを腕にかけて家から出た。