空腹なのはエリカも同じである。
プラウダにアンツィオ、継続――
エリカはひとりぼっち。
愚痴を言える友人も、がんばろうと励ましあえる仲間もいない。
(……もっとも、黒森峰に帰っても、やっぱりいないんだけど)
そう自嘲して、エリカはため息をつく。
思い出すのは、夕刻に見たⅣ号戦車のこと。
ハッチから身体を出した、五人の少女のこと。
なぜだろう。
もう何日も前のことなのに。
あの光景を思い出すだけで、胸がきゅっと締めつけられる。
エリカはT-34/85の操縦席に背中をあずけて、開いたハッチから空を見ている。
見えるのは満天の星。
ゆるやかな夜風の中に、気の早い秋の虫の鳴き声がまじっている。
手を上にかざしてみる。
指も腕もすり傷だらけ。
見おろすと、白のワンピースにも、油の黒い汚れが何本も走っている。
サンダルだって、片方の足のひもが切れてしまっている。
(なんだってこんな場所で、こんなにボロボロになっちゃってるんだか……)
わからない。
理不尽である。
ただ、その理不尽さが、どこか好ましくもある。
このめちゃくちゃが吹き荒れているあいだは、胸の痛みを忘れていられる。
巻き込まれただけの、常識人の逸見エリカでいられる。
どうせなら、もっとめちゃくちゃになってしまえばいい。
心のどこかで、そう考えている気がする。
そうなると私は、あのちびっ子に感謝すべきなのだろうか。
巻き込んでくれてありがとうと。
(……ごめんだわ)
というのが、しばらく考えた末の結論だった。
あの子ったら、生意気だし。
人使いが荒いし。
それに。
(……私には、真似できないし)
たとえば。
あくまでたとえばの話だが、来年、エリカが黒森峰の隊長になったとして。
こんな作戦が立てられるだろうか。
ピンチのとき、あの子のように落ち着いていられるだろうか。
あの子みたいな態度で接したとして、みんなはついて来てくれるだろうか。
(……まず無理ね)
想像しただけで、エリカは苦笑いする。
三日で隊員全員が辞めるか、三日でエリカが追放されるかのどちらかだ。
私のまわりは、真似のできないすごい人ばかり。
西住隊長だってそう。
カチューシャだってそう。
それに――
まただ。
また、夕焼けの中のⅣ号戦車。
(さっさと寝てしまおう。起きていてもつまらないことを考えるだけだし)
エリカは目をつぶって、狭い操縦席で寝返りをうつ。
ぐうぐう鳴るすきっ腹をかかえたままで眠れるものか、自分でも自信はなかったが、すきっ腹をかかえたままで起きているよりはマシなはずだ。
#
がちゃりと、ハッチの開く音。
かんかんと靴音を鳴らして、誰かが下りてくる。
(あの子だ)
そう考えるだけで、目は開けない。
眠った。
私はもう、寝ている。
だから声をかけないで。
放っておいて。
エリカはそういう意思表示をしているつもり。
(もっとも、あの子相手じゃ、狸寝入りなんてムダだろうけど)
どうせ、こっちの気持ちなんかお構いなしの大声で起こされて、自慢話に付き合わされるに決まっている。
そう身構えていたのに、いつまでたっても声がかからない。
それどころか――
(え、なに……?)
エリカは耳を疑う。
かすかに聞こえてきたのは、鼻をすする濡れた音。
それに、しゃくり上げるような、短い呼吸。
泣いている、のだろうか。
「……うしよう」
聞き覚えのある声が、切れ切れに耳に届く。
「……のせいで……が……しちゃったら……」
エリカはようやく悟る。
(私がいることに気づいていないんだ……!)
私はサンダースの誰かさんとは違う。
盗み聞きなんて趣味じゃない。
泣いている子をなぐさめるのは、もっと不得手だ。
寝たふりを続けるのは居心地が悪い。
いまさら起きていたことにするのは格好が悪い。
たまたま目を覚ましたけれど、なにも耳に入っていないふりをする?
そんな白々しいこと、自分には絶対不可能だ。
自縄自縛で勝手に進退窮まったエリカの背後で、カチューシャがつぶやく。
「どうしよう、全部カチューシャのせいだわ」
あらまあ。
この子でも責任を感じて自分を責めることがあったんだ。
驚きにまつげを震わせるエリカの耳に、さらに意外な言葉が届く。
「カチューシャが巻き込んだせいで、あの子たち、歯を全部折られちゃう……」
え? なにそれ?!
エリカは驚愕に目を見開いて、後部上方の車長席を見上げる。
そのとたん。
目元に涙をためてうつむいていたカチューシャと、ばっちり視線が合う。
#
カチューシャがあわてて涙をぬぐい、つんとあごを上げる。
「な、なに! いるならいるって言いなさいよ!」
エリカもむっとして反論する。
「寝てたのよ! そっちこそ、どうして泣いてるのよ」
「泣いてないわ!」
「うそ。悲しそうにしくしく泣いてたくせに」
「泣いてない! カチューシャが泣くわけないでしょ!!」
カチューシャが叫ぶ。
エリカは沈黙する。
何でもない風を装おうと、カチューシャは何度も目元をこする。
「どこから聞いてたの」
「なにも聞いてない。言ったでしょ。寝てたの」
「そう。ならいいけど」
ごそりと、操縦席で寝返りをうった音。
「……それで、歯を折られる子の中には、私も入ってるの?」
「しっかり聞いてるじゃないの!!」
冗談よ、とエリカが言う。
「プラウダにそういう習慣があるとは知らなかったわ」
「あるわけないでしょ。カチューシャは寛大なんだから!」
「じゃあ、なんでそういう話になるのよ」
「だって、裏切り者はそういう目にあうって、ニーナが……」
「ニーナ?」
「装填手。KV-2の。毛皮の帽子かぶってる子」
「ああ、あの」
その子なら記憶にある。
朝食のとき、カチューシャの身長にまつわるジョークを披露してきた子だ。
エリカは、あの時のニーナの、得意げな表情を思い出す。
「……それ、本当じゃないんじゃない?」
「どういう意味」カチューシャが鼻をすすり上げる。
「冗談だったのよ、たぶん」
「そうかしら」
しばらくの沈黙。
納得したのかと、エリカが思いかけたころ。
砲塔からまた、すすり泣きが聞こえる。
「ちょっと、どうしたのよ。話聞いてた?!」
もう。こんなの私の柄じゃないってのに――
エリカは絶望しながら、狭いすき間をぬけて砲塔に登る。
カチューシャは、床にぺたんと座りこんで、ぽろぽろ涙をこぼしていた。
こういうときにどうしたらいいのか、エリカには本当にわからない。
とりあえず叱咤してみる。
「しっかりして。そんなの本当なわけないでしょ」
「だって、カチューシャだって、そうだったらいいなって思うけど、黒森峰のあなたが、ニーナよりプラウダに詳しいはずないし」
ああ。
頭の回る子って、こういうとき、すごく厄介。
「カチューシャだけならともかく、ニーナやアリーナや、エリツィンまで、歯をどうにかされちゃうなら、あんなことしなきゃよかったって……」
「その呼び方、やめてって言ったでしょ」
何なの、この子。
戦車戦の最中は、どんなに窮地に追い込まれても平然としていたくせに、
くだらない冗談を真に受けて、子供みたいに泣いちゃうなんて。
戦車道が優秀な子はアンバランスじゃなきゃいけない決まりでもあるのかしら。
カチューシャが、しゃくり上げながらエリカを見上げる。
「ごめんなさい、エリカ。あなたの歯まで……」
だから、なんで歯を砕かれることが決定事項になってるのよ。
エリカはため息をついて、カチューシャの隣にしゃがみ込む。
「安心しなさい。私がどこの生徒だと思ってるの? 黒森峰よ。私にそんなことしたら学際問題だわ。学園側が黙ってないし、強豪校が文句をつけたら、連盟だって見て見ぬふりはできないでしょ。継続高校や、えー、アンツィオだって同じよ」
「ニーナやアリーナは……?」
「心配なら、私から隊長に頼んで、連盟に掛けあってもらうから。あなただって知ってるでしょ? プロリーグの設立を目前に控えているから、連盟は今、そういう不祥事にすごく神経質になってるって。虐待なんて許すはずない」
プロリーグ……不祥事……と、エリカの言葉をおうむ返しにするうち、カチューシャの表情が少しずつ明るくなる。
「そう…… そうね! 戦車道連盟がそんなこと許すはずないわよね!」
「ええ。許すはずないわ」
「そうよ! プラウダはつねに西側の一歩先を行く進歩的な学園艦ですもの。そんな野蛮な行為、許されるはずがないんだわ! まったくニーナったら、いいかげんなデマを振りまいてくれちゃって! 許せない!!」
「そうね。許せないわね」
「学園艦に戻ったら、さっそく
エリカが、小さな暴君の機嫌が直ったことにほっとしながら、はいはい、シベリア送りでもす巻きでも市中引き回しでも好きなようにしてあげて、と心の中で思っていると、カチューシャがエリカを見上げて言う。
「ありがとう。エリカって優しいのね」
優しい……?
私が?!
厳しいとか、口が悪いとか、性格が歪んでるとか、ネガティブな評価には慣れっこだけど、優しいなんて言われたの、生まれて初めてかもしれない。
とまどうエリカに、カチューシャがほほ笑む。
「エリカには、なにかお礼をあげなくちゃ」
「お礼?! いいわよ、そんなの。この程度のことで」
カチューシャはエリカの言葉を無視して、しばし考える。
「そうね。エリカには、カチューシャをいつでも肩車していい権利をあげる。うれしいでしょ?」
それはお礼なのかしら……
エリカが頭を悩ませていると、カチューシャがほおをふくらませる。
「うれしくないの? ほかにこの権利を持っているのはノンナだけなのよ。クラーラだって持っていないんだから」
「そんなわけない。うれしい。すっごくうれしいわよ」
これ以上機嫌を損ねられたら、たまったものではない。
エリカが喜んでいるふりをすると、カチューシャはにっこり笑う。
「でしょう? これで、わたしとあなたは友だちね、エリカ」
友だち――
ピンと来ないのは、友だちという存在になじみがないせいだろうか。
どう反応していいのかわからず、エリカはぎこちなく笑顔を作る。
カチューシャが満面の笑みで応じる。
そういう風にして、夜はふけてゆく。
#
そして――
CV33が山頂から姿を消したのは、翌朝早くのことだった。