その1
「ノンナさま、アンツィオのCV33です!」
ノンナは、天幕の外から聞こえる部下の声で目覚める。
寝台から起きあがりざま、声を張る。
「どこです?」
「それが、発見したときは、すでに平原を移動中で……」
「遅い! なにをしていたのです!」
「申し訳ありません。霧が……」
霧がどうしたというのです――
そう叱りつけようとしたところで、ノンナは気がつく。
高原は、いつの間にか、白い朝霧につつまれている。
すでに日は昇っている。
かすみのむこうに陽光が透けて見える。
濃くはない。すぐに晴れるだろう。
しかし、見張りの目をくらませるには十分だったわけだ。
「……それで、CV33はなにを?」
「単独で移動中です。逃亡するつもりかもしれません。三時の方角です」
部下の報告を聞きながら、ノンナは愛機IS-2に登る。
中には入らない。
砲塔の上に立って双眼鏡をかまえる。
部下が指し示したのは、プラウダの右翼の、さらに右手――
たしかに、見える。
はるか遠く、あともう少しで森という平原の境目。
黄色い豆戦車が、カチューシャたちが立てこもる山から遠ざかる方向へ、のろのろと進んでいる。
「発砲しますか? T-34/76でも、ぎりぎり撃ち抜ける距離ですが……」
それも、たしかに。
ぎりぎりだが、撃ち抜けなくもない。
だが、それが不審だ。
小柄なタンケッテであれば、森の中を突っ切ることも不可能ではないはず。
本気で逃げる気なら、そうしたほうがはるかに有利だ。
速度も妙に遅い。
どこか故障しているのか?
それとも、われわれを誘っている……?
#
「山頂の様子は。ほかの車輌はどうしていますか」
「それが、霧のせいで……」
また霧ですか。
ノンナは、舌打ちしそうになる自分を抑えながら、山頂へと視線をめぐらす。
双眼鏡の視界に白雲がまとわりつく。
だが、霧は晴れかけている。
とばりの切れ目から、ときおりむこう側がのぞく。
山頂付近――
砲弾で表土が吹き飛ばされ、無残なあばたがいくつも開いている。
最初に見えたのは、KV-2の奇怪な砲塔。
次に見えたのは、その下からKV-2の巨体を支えるプラウダの戦車が一輛。
なにもおかしな所はない。
最初はそう思った。
でも、なにかが違う。なにかが記憶と食いちがう。
だが、なにが……?
ノンナは記憶をたどる。
昨日、KV-2は不調だった。
履帯が外れていたのが下から見えたし、砲塔も動かないようだった。
動かない砲塔の向きをむりやり変えるため、カチューシャのT-34/85が下から突きあげた。
それからずっと、T-34/85はKV-2にくっついている。
今見ている光景と、まったく矛盾しない。
いや。違う。
カチューシャに味方する誰かが、プラウダから鹵獲したT-34/76。
あの車輌も、KV-2に下から激突したのではなかったか。
ノンナが撃った砲弾にはじき飛ばされるようにして。
だから、KV-2の下には、戦車が二輛いるはずなのだ。
それなのに、一輛が消えている。
どこだ。どこへ移動した。
――ああ、霧が邪魔だ。
確かめたいのに、白い雲が邪魔をする。
ノンナは眉をひそめて、双眼鏡を目に強く押し当てる。
#
次に霧が晴れたとき。
ノンナはようやく、二輛のシルエットをはっきり確認する。
山頂近くの斜面に停車した、二輛の戦車。
一輛はもちろん、KV-2。
あの特徴のありすぎる面構えを間違えるはずがない。
だが、もう一輛はT-34/85ではない。
砲身が短いし、砲塔後部の形状が異なる。
あれは、鹵獲されたT-34/76のほう。
消えているのは、カチューシャのT-34/85だ――!
ノンナが号令する。
「CV33はおとりです! 探しなさい! カチューシャは、霧にまぎれて逃げるつもりです!!」
カチューシャがこの試合に勝利するには、二通りの方法がある。
プラウダの全車輌に白旗を上げさせるか。
あるいは、カチューシャが戦車で戦闘区域外まで脱出するか。
カチューシャは後者を狙うつもりなのだ。
#
霧に沈むように眠っていた濃緑の戦車たちが、あわただしくエンジンをふかす。
黒い煤煙がマフラーから吹き上がって、白い霧をかき乱す。
通信機越しに、部下が指示を求める。
「ノンナさま、どこを探せば……?」
「CV33のいないところです。斜面にはいませんか」
「見ていません。でも、ずっと起きて見張っていたんです。寝てなんかいません。信じてください。ぜんぶ霧のせいで……」
通信機のむこうから、泣きそうな声が聞こえてくる。
こっちだって泣きたいくらいだ――
表情を変えずに心の中でそう思いながら、ノンナは小さくため息をつく。
「その話はあとで。今は見つけるのが先決です。そんな情けない声を出していては、カチューシャに嫌われてしまいますよ」
「は、はい! かならず! 必ず発見してご覧に入れます!」
「CV33はどうしますか、同志ノンナ」
入れ代わりに、通信機から別の声が尋ねる。
ノンナの腹心、クラーラの声。
ノンナはまたため息。今度は安堵の息だ。
「山頂に残った車輌の動きが気になります。逃げるように見せて、連携するつもりかもしれません。包囲をかねて数輛残しますから、クラーラ、あなたが指揮してください。本当に逃げているだけだったら、好きにしてかまいません。判断は任せます」
「
「T-26四輛とBT-7二輛、KV-1二輛、残りの右翼は、クラーラと一緒に残りなさい。ほかの車輌は散開。カチューシャのT-34/85を探します!」
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ノンナの命を受けて、プラウダの戦車は平地に散る。
重点は左翼。
CV33がこれ見よがしに逃げている方向の反対側。
あれがおとりなら、T-34/85は、豆戦車が見てほしくない方向にいる。
見える距離にいるということは、T-34/85もまだ遠くへは行っていない。
追いつけないほど距離が稼げているなら、わざわざ姿を見せて、こちらを惑わせる必要はない。
それがノンナの読みだ。
ロジックとして100%正しいとは言えない。
ほかの可能性を切り捨てた、一種の賭けだ。
だが――
今回、賭けは当たった。
「いました! T-34/85です!」
じりじりしながら待っていたノンナのもとに、報告が入る。
発見された場所は、やはり、プラウダの右翼。
右翼を台地方向へ走るCV33とは、場所も移動する方角も正反対。
カチューシャのT-34/85は、渓谷のある台地に背を向け、昨日まで立てこもっていた山を右手に見ながら、数日前に定めた戦闘区域の境界を目指して走っている。
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ノンナが通信機に命じる。
「正確な位置を。動いている全機で包囲します」
「いえ、その必要はありません! 単独で撃破してみせます!」
だが、通信機から返ってきたのは、意気込みの上滑りした声。
ノンナは、マイクを握ったまま、しばし固まる。
理由の半分は、命令を無視されるとは思わなかったから。
もう半分は、声の主に気がついたからだ。
(彼女は――)
聞き覚えがある。
霧のせいで動きを見落としたことを、しきりに詫びていた隊員だ。
(――功を焦ったか)
ノンナはこめかみを押さえる。
聖グロリアーナではないが、熱い紅茶が飲みたい。
砂糖たっぷりのジャムをなめて、気持ちを落ち着けたい。
だが、ノンナは、それが部下だけの落ち度でないことも、よくわかっている。
これは、部下を恐怖で支配しようとしたノンナに対するしっぺがえしだ。
世の中のあらゆる選択には、副作用がある。
自主性を重んじれば、規律が損なわれる。
安定を追い求めれば、革新はうち捨てられる。
人を律するのに恐怖をもってすれば――
いつか、律せ得ぬものに膨れあがった恐怖に手を噛まれるのだ。
ノンナは優秀な副官である。
部下の心理を、頭では理解できる。
部下にしてみれば、失態をしでかして、学園艦に戻ったら死ぬよりもひどい罰が待っていると絶望していたところに、失地回復のチャンスが降ってわいたのだ。
独断専行もしたくなるだろう。
だが、理知的な天才ゆえの悲しさか。
どうすれば部下の暴走を防ぐことができたのか、それがノンナにはわからない。
(カチューシャなら……)
ノンナは、心から思う。
(隊を率いているのがカチューシャなら、こうはならなかったでしょうに……)
カチューシャのように、部下から恐れられながらも、同時に深く敬愛され、ちびっ子隊長と呼ばれて親しまれるようなリーダーには、ノンナはなれない。
ノンナは、どこまでいっても、ただの優秀な副官だ。
ノンナに理解できるのは、このままでは部下が各個撃破されてしまう、ということだけ。
「急ぎますよ!」
砲手席から、ノンナは強い調子で呼びかける。
#
晴れかけた霧の中。
追跡隊の一番手となったT-34/76が、T-34/85を追う。
T-34は足回りがよい。
重量はT-34/76が三十一トン程度、T-34/85は三十二トン。
CV33は三・一トンだから、T-34/76はその十倍。
アンツィオ生でもできる簡単な計算だ。
だが、最高時速は、CV33が四十二㎞であるのに対し、T-34は五十五㎞。
図体は大きいくせに、じつはCV33より快速なのだ。
そして、同じT-34同士の追いかけっこなら、操縦手の腕のよい方が勝つ。
戦功をあせるT-34/76にとって不運なことに、T-34/85の操縦手はすご腕だった。
T-34/85が速度を上げ、霧の中に消える。
追いつこうと、T-34/76も速度を上げる。
だが、ふたたび視界にあらわれたT-34/85は、なんと後退中。
T-34/76の側面をかすめて通りすぎながら、ターレットリングの継ぎ目を的確に撃ち抜き、また霧に消える。
「申し訳ありません! やられました! 行動不能です!!」
ノンナに報告する声の悲痛さったらない。
それを聞いて、ノンナとクラーラをのぞくプラウダの全隊員が思った。
かわいそうに、あの子たち、卒業まで永遠にシベリア送りだわ――と。
自分も彼女たちと同じ運命かもしれない――
次に全員の頭に浮かんだ考えが、ある者の行動を浮き足立たせる。
別の者を必要以上に慎重にする。
追跡隊の足並みが乱れる。
T-34/85はその隙を見逃さない。
ばらばらになったT-34/76の一輛に、死角からたくみに接近する。
撃っては離れる。
離れたと思ったらまた近づく。
高速でくるくる移動して相手を翻弄。
至近距離から相手を叩く。
プラウダの戦車がこの手口にしてやられるのは、昨日に続いて二日目だ。
「ノンナさま、あいつが操縦手です! 鹵獲したT-34/76に乗っていたやつ!」
白旗の上がった二輛目のT-34/76から、乗員が悔しそうに報告する。
T-34/85は、車輌の特性を把握し、目的を的確に理解した者だけができる動きで、敵をかき乱しながら、着実に戦闘区域外へ近づいてゆく。
#
ノンナのIS-2は、現場に急行している。
が、IS-2は足が遅い。
中軍にいたせいで、左翼までの距離が遠いのも災いした。
周辺に散開中の戦車は、ほとんどがT-34/76だ。
数で勝っているとは言え、性能はT-34/85が上。
むこうの車長がカチューシャであれば、なおさら不利だ。
クラーラに連絡して、後方からBT-7二輛を送ってもらったが、到着までまだ時間がかかるし、足の速さならともかく、主砲の性能では、こちらも及ばない。
対抗できる車両は――
「ノンナさま、自分が!」
マイクを取り上げて叫んだのは、KV-1の車長。
これからT-34/85がむかう方角に捜索に出ていた車輌だ。
「自分たちが前をふさぎますから、その間に!」
KV-1は、T-34に並ぶプラウダの傑作戦車。
登場からしばらく無敗を誇った頼れる重戦車だ。
製作はT-34/76とほぼ同時期で、主砲も同じ76.2㎜。
主砲の性能ではT-34/85に劣るが、装甲ははるかにぶ厚い。
そのぶん重量があるので、速度ではT-34/85にかなわない。
それでも自信ありげなのは、理由がある。
「近くに味方のT-34/76が二輛います。三輛で当たれば、足止めくらいは……」
「まかせます。撃破は狙わず、なるべく長く持ちこたえてください」
「了解!」
三輛のプラウダ戦車が、T-34/85の前に立ちふさがる。
抜け駆けはしない。
ノンナの指示を守り、連携して足止めを狙う。
T-34/85が足で駆けぬけようとすると、おなじく快速のT-34/76が前をふさぐ。
近距離から撃ち抜こうとすると、追いついたKV-1が壁になる。
T-34/85が一輛の裏を取ろうとすると、ほかの二輛がT-34/85の裏に回る。
フェイントで抜き去ろうにも、三輛のうちどれか一輛が出方をうかがっているので、裏をかけない。
KV-1は、すでに何発か、T-34/85にいい弾をぶち込まれている。
それでも、びくともしない。
元からの装甲にくわえて、砲塔と車体の側面に、ボルト止めで装甲を追加したモデルだからだ。
日が高くなってきた。
平地に垂れこめていた霧は、完全に晴れてしまった。
おまけに、T-34/85が手間取っているあいだに、包囲隊はさらに増加。
周辺にいた二輛が合流して、KV-1一輛とT-34/76四輛になる。
後方からは、ノンナのIS-2がじわじわ接近中。
T-34/85の立場は、悪くなるいっぽうだ。