ノンナはスコープをのぞく。
視界に映っているのは、KV-2と、それを下から支えるT-34/76。
今の砲撃で、両者とも少なからず損害を受けている。
ノンナの作戦は単純だ。
さきほど、IS-2とKV-2二輛で試みた、二方向からの同時攻撃。
あれを、昨夜プラウダ本艦から到着したオブイェークト704とSU-152を使ってやり直す。それだけだ。
この二輛であれば、ロングレンジでKV-2と負けずに殴り合いができる。
704の重装甲であれば、近接もできる。
(――でも)
この二輛にまかせるつもりはない。
IS-2も、704の背後について山を登っている。
(カチューシャのKV-2にとどめを刺すのは、私――!)
使命感にも似た熱情が、ノンナを突き動かしている。
KV-2の榴弾が、上から704とIS-2を襲う。
だが、着弾が遠い。
二輛から遠く離れた斜面で爆発が起きる。
どちらにせよ、704の装甲は榴弾をものともしない。
じりじり、じりじりと、704が坂を登る。
無骨な砲身をKV-2にすえたまま。
#
704が発射した榴弾が、KV-2の近くで炸裂する。
まちがいなく、これまでで最大の危機だ。
KV-2の車内には、ぴりついた緊張感が漂っている。
だが、そんな切迫した空気など、意に介さない人物がいた。
そど子こと、B1bisの車長園みどり子である。
通常、戦車道の試合で、白旗の上がった車輌が通信を送っていいとされるのは、撃破された直後のみ。その後の通信は厳しく制限される。
しかし、ぐれた風紀委員に理屈は通じない。
そもそも、そど子にとっては試合ですらない。
河島桃がB1bisを引き取りにあらわれるのも、風紀委員の三人が疎開先の小学校に連行され、営倉がわりの飼育小屋に軟禁されるのも、もうちょっと先の話である。
白旗が上がった戦車は、動かない。
動かない戦車の中にいるのは、たいくつだ。
そんな理由で、そど子はさっきから通信に割り込んでは、だれかれかまわず絡みまくっている。
通信手がチャンネルを変えても、ついてくる。
聞いている側にとっては、気にさわることこのうえない。
ただでさえ、空気が張りつめた大事な局面なのだ。
「ちょっと、大洗のあなた、いいかげんにして!」
エリカは、KV-2の通信手の手からマイクを奪い取って叫ぶ。
「切るわよ、悪いけど! 関係ない話ならあとにしてちょうだい!」
「なによ! 誰なの!? 頭ごなしに!」
「誰でもいいでしょ! とにかく、もう割り込んでこないで! こっちは取り込み中なんだから!!」
エリカは問答無用で、通信を切ろうとする。
でも、すこしだけ遅かった。
「あら、あなた――」
なぜだろう。
声には、不吉な響きがあった。
続きを聞いたら、よくないことが起きる気がする。
そう思わせる何かがあった。
「誰かと思ったら、黒森峰の逸見エリカじゃない。黒森峰のあなたが、どうしてこんなところにいるわけ?」
ぎくりとする。
来年の大会に備えて大洗をスパイしに来たなんて、言えるはずがない。
「あ、あなたに関係ないでしょ」
「ふん」
通信機のむこうの相手が、鼻を鳴らす。
「あなたって――」
スピーカーから聞こえた言葉に、エリカが目を見開く。
言った当人は知るよしもない。
だが、後から考えると、結果的には、園みどり子のひと言が、この試合の勝敗を定めたのだった。
#
園みどり子は、こう言った。
「あなたって、ほんとに聞いてた通りね。いやなやつ」
いやなやつ。
短い言葉が、エリカの胸に鋭く突きささる。
「あ、あなたが、私の、何を知って……」
「だってあなた、黒森峰で西住さんをいじめてたんでしょ」
また、鋭い一撃。
力強い決めつけに、一瞬、無力感が湧く。
「いじめてた?! 私が?! あの子がそう言ったの?!」
「あなた以外に誰がいるのよ。西住さんはこう言ってたそうよ。黒森峰では友だちがひとりもできなかった、戦車道を楽しいと思ったことも一度もなかった――って。だから大洗に転校してきたんじゃない」
「な――」
なにか言い返してやろうと思った。
でも、その時にはもう、相手は通信を切った後だった。
「ちょっと! 待ちなさいよ! ちょっと!!」
呼びかけてみるが、返事はない。
なによ。
こっちがいやなやつなら、そっちは勝手なやつじゃない。
さっきまで好きに騒いでいたくせに、こっちに言いたいことができたときには、聞こうともしないなんて――
エリカはふり返る。
車内の全員が、エリカを見ている。
「なに!!」
「へぇ?!」
エリカに問いただされて、狩猟帽のニーナが砲弾を抱えたまま震え上がる。
「言っとくけど、私じゃないわよ!」
エリカはニーナの手から砲弾をひったくって、装填トレーにたたきつける。
「そりゃあ、あんな負け方したんだし、黒森峰はばりばりの武闘派ですもの。口さがないやつはいろんなこと言うわよ! 川に落ちたのは実力がない隊員の自業自得なのに、そんなやつを助けるためにフラッグ車の指揮を放り出すなんて、本当に西住流の師範の娘か、とかなんとか! でも、私は言わなかった!!」
「おら、なんも言ってねえ、ですけど……」
エリカは続いて、ニーナの手から装薬までひったくる。
「私だって、もっとしっかりして、くらいのことは言った。でもそれは、立ち直ってほしかったからじゃない! くよくよしてないで奮起してって、そういうつもりだったのに、あの子ったらますます思い詰めて! 私が悪かったの?! どういう言い方をすればよかったのよ!!」
KV-2の車内が、がたん、がたんと激しく揺れる。
どおん、と砲撃音。
エリカは意に介さない。
「あの子もあの子よ! ひとりで責任をしょい込んで、思い詰めて、壁を作って! 悪口なんて笑いとばしなさいよ! 西住流の娘なら、それくらい慣れっこでしょ?! せめて相談くらいしてくれればいいじゃない!!」
叫びながら、エリカにはわかっている。
西住みほは、それができないから西住みほなのだということが。
ふわりと、ひざから力が抜けそうになる。
「エリカ、装填!」
カチューシャの声。
エリカはぎゅっと唇をかんで、壁にかかった大型の砲弾を持ち上げる。
「ええ、そうよね! 家元の娘の苦労なんて、私にはわからないわ! だけど、なにも言わずに逃げ出すことないでしょ! それどころか、転校先でまた戦車道を始めるなんて!! あなたは知らないでしょ! 西住隊長が、あなたのことをどんなに心配していたか! それなのにあなたったら、新しい学校のチームメイトと、のんきに戦車喫茶なんかで遊んじゃって! いやみのひとつくらい言いたくなるわよ! はい、装填終わり!!」
KV-2の砲手が、すかさず主砲を発射する。
休む間もなく再装填の作業がはじまる。
「黒森峰には友人がひとりもいなかったですって?! 上等よ! どうせ私なんか、あなたにとっては口うるさい小姑と同じよね! じゃあ赤星はどうだったの! あの子だってひどく責められたわ! それでも黒森峰でがんばってる! ほかにも心配してる子はいた! 黒森峰でなにひとついいことがなかったなんて言わせないわよ!!」
KV-2の周囲で、着弾の衝撃音がいくつも響く。
だが、エリカの耳には入らない。
壁から持ち上げた砲弾を装填トレーに乗せ、後ろに薬嚢をセットし、ラマーで薬室に送りこむ。
砲弾の重量にも、轟音に負けずに叫び続ける。
「そりゃあ、厳しいことも言ったわ! でもそれは、戦車を降りたときのあなたが、あわあわ頼りないからじゃない! この子は私がいなきゃダメなんだって、私が補佐してあげなきゃって思うじゃない! 三年になったら、あなたが隊長になって、そのときは私が副隊長で、ふたりで西住隊長の後を継いで、西住まほがいなくても黒森峰は強いって、世間のやつらに言わせてやろうと思ってたのに! でも、それを夢にしていたのは私だけだったのね! あなたにとって、私はただの、いやなやつだったんだ!!」
頭を振ると、乱れた髪が、汗ばんだ首筋にまとわりつく。
爆発の衝撃で、いつのまにか、結んでいたリボンがほどけてしまったらしい。
だけど、そんなこと、どうでもいい。
エリカは叫ぶ。
「あなたは、ずるい! さっさと転校して、新しい学校で友だちを作って、戦車道を楽しんで! 残された側がどういう気持ちでいるかなんて、考えたこともないんでしょう?! 私はずっと考えてる! あのとき、なんて声をかければよかったのか、どうすれば、あなたが転校しなかったか! いったいどうすればよかったの?! 教えてよ!!」
ふいに、言葉が切れる。
なにも出てこない。
身体が軽くなったような。
胸の中にずっとずっと詰まっていたものを全部吐き出してしまったような。
そんな気持ち。
エリカは気がつく。
いつのまにか、自分がKV-2の床にへたりこんでいることに。
そして、あたりが妙に静まりかえっていることに。
「あなたもいろいろあるのねえ、エリツィン」
ハッチにしがみついたままのカチューシャが、上からエリカを見おろしながら、白い歯を見せて笑う。
「その呼び方、やめてって言ったでしょ」
エリカは目の下をこすりながら答える。
エリカの横では、ニーナが迷っている。
言うべきか、言わざるべきか。
だが、ニーナは結局、黙っていることにした。
エリカがたった今、KV-2の弾薬再装填のプラウダ校内記録を、大きく塗り替えたことを。
#
話は、すこしだけさかのぼる。
エリカが、通信機から聞こえたそど子のひと言に凍りついていたとき――
車外ではまだ、緊迫した状況が続いていた。
KV-2の正面、斜面下からは、オブイェークト704とIS-2が迫る。
右側面では、遠距離からSU-152が狙いを定める。
どちらを狙うにしても、どちらかに装甲の弱い側面を向ける必要がある。
だが、KV-2は、敵の砲撃により、履帯の片側と砲塔を破損してしまった。
もはや、応戦すら難しい状況だ。
しかし――
カチューシャはあわてていない。
KV-2は、車体側面を斜面に垂直に向けた状態で停車している。
簡単に言えば横向きだ。
それを下から、T-34/76が支えている。
履帯が壊れたのは、頂上に近い側。
反対側はまだ動かせる。
「あれをやるわ! T-34/76に連絡! 方向を微調整!!」
指示に従って、KV-2の通信手がマイクを握り、操縦手がレバーを動かす。
「いっくわよーー! みんな、どこかに掴まりなさい!」
号令と同時に、KV-2の車体が、がくんと大きく震動する。
ほぼ同時に、平野のSU-152が主砲を発射する。
今回発射したのは、徹甲弾。
KV-2の砲塔は、SU-152の側に側面を向けている。
この状態なら抜けると判断したのだ。
だが、しっかり狙いを付けたはずの砲弾は、KV-2のデカ頭から大きく外れる。
砲手の腕が悪かったのではない。
狙いはまちがいなく正確だった。
SU-152の砲弾が着弾する寸前に、KV-2の砲塔が移動したのだ。
斜面の中腹では、ノンナがスコープに押し当てた目を見開いている。
(――さっき外れた原因は、あれか!)
カチューシャの合図とともに、KV-2を下で支えていたT-34/76が、わずかに前進する。
同時に、KV-2が、残っている側の履帯を回転させる。
破損した履帯がばきんと音を立てて取り残され、生の転輪が地面に食い込む。
KV-2の車体が、斜面をななめに滑る。
それをT-34/76が受け止める。
結果――
KV-2は、車体を斜面に水平にした状態で止まる。
主砲が向いているのは、平原のSU-152の方角。
片側の履帯を回して、方向を微調整する。
発射!
砲弾はSU-152を大きくそれる。
だが、視界をふさげただけで御の字だ。
「もう一回!」
合図にあわせて、T-34/76がふたたび前進し、KV-2が履帯を回す。
KV-2はまたもや斜面をななめに滑り、車体を斜面に垂直にした状態で停止。
いま砲身が見つめているのは、斜面を登る704とIS-2だ。
砲塔側面を抜こうとした二輛の砲弾が、砲塔のそばをかすめて通りすぎる。
KV-2の装填手エリカは、そど子の捨て台詞のせいでぶち切れ中。
ミカがカンテレで鼓舞したときの継続のメンバー以上に、能力が向上している。
再装填の速度が、すこぶる速い。
KV-2は、停車とほぼ同時に榴弾を発射する。
狙いなど、つけていないに等しい。
この砲弾も、二輛を大きくそれる。
「もう一回!」
T-34/76が坂を下り、KV-2がななめに車体を滑らせ、T-34/76が受け止める。
そのたびに、砲塔の向きが変わる。
車内でエリカがわめく。
KV-2が砲弾を発射する。
「もう一回! もう一回!! もう一回!!! もう一回!!!!」
KV-2とT-34/76は、斜面を滑り降りながら、同じことを繰り返す。
斜面の704とIS-2、平原のSU-152の周囲で、大爆発が連続する。
プラウダ側は榴弾の爆発に視界を奪われて、応射する余裕もない。
「よーーし、撃ち方やめ! 再装填しときなさい!」
カチューシャが、満足げに指令を下す。
二輛が停車したのは、山の中腹にほど近い斜面の上だった。
KV-2は、斜面下方に砲身を向けて止まっている。
カチューシャが、床にへたり込んだエリカに呼びかける。
「あなたもいろいろあるのねえ、エリツィン」
「その呼び方、やめてって言ったでしょ」
それが、エリカの返事だった。