ノンナは、先を行く二輛のT-34を、無言で見守っている。
追いかけっことなると、重戦車であるIS-2は分が悪い。
そこで、T-34/76を先行させて、IS-2は後方から援護することにしたのだが…
二輛の距離は、先ほどからいっこうに縮まらない。
カチューシャのT-34/85は、T-34/76の改良型だ。
最大の変更点は主砲のサイズ。
だが、いいことばかりではない。
改良戦車ではありがちなことだが、エンジンは同じまま装備を追加したせいで、最高速度はわずかながら落ちている。
落ちているはずなのだ。
それなのに、二輛の距離は縮まらない。
それどころか、遊ばれている気配すらある。
おとりで釣ってからの待ち伏せは、プラウダがよく使う手だ。
全国大会でも大洗相手にこの戦略を披露して、あと少しまで追いつめた。
(……ほかにも戦車がいる?)
T-34/85のあの装填速度。
瓦礫を避け、こちらをおちょくるように動く手慣れた運転――
搭乗者が二名でないことは確実だ。
間違いなく協力者がいる。
「車長、距離を詰めましょう! このままだと逃げられます!」
「いえ」
速度をゆるめるよう、前方のT-34/76にも警告しようとしたとき。
当の車輌から通信が入る。
「ノンナさま! 成功です。前方の高台に、先回りした友軍が!」
たしかに、ノンナも肉眼で確認できる。
狭い峡谷は、前方でいったん開けている。
広場に入ったところで、断崖が行く手をさえぎり、道は左右に分かれる。
分かれた道は、高台のへりに沿う坂道となり、弧を描いて崖の上へ続く。
戦車が一輛、その崖の上に陣取っている。
色は濃緑。
まちがいなくプラウダ戦車の色だ。
(……考えすぎだったか)
一瞬安堵しかけたノンナの警戒心は、しかし、すばやく目覚める。
フォルムがおかしい。
あれはT-34/76のシルエットではない。
それに、先回りするのが早すぎる。
ノンナは双眼鏡を覗く。
アンバランスなほど巨大な箱形の砲塔。
ずんぐりと太く短い砲身。
あれは――
「KV-2!?」
なぜこんなところに。
あの戦車は、大洗の海岸で撤収を待っているのではなかったか。
ノンナの困惑をよそに、KV-2の砲塔は、じりじりと回転する。
狙いをつけているのは――
カチューシャのT-34/85ではない。
その後ろのT-34/76だ。
「いけない! 止まりなさい!!」
ノンナが叫ぶのと、KV-2の152㎜榴弾砲が咆哮を発したのは、ほぼ同時だった。
#
爆発の土煙は、遠くからでも確認できるほど盛大だった。
KV-2の砲弾は、T-34/76をかすめもしなかった。
当たったのは、大きく外れて、崖の側面。
しかし、爆発が断崖をえぐり、土砂崩れを起こす。
結果として、T-34/85を追っていたT-34/76は生き埋めに。
ついでに道もふさがれてしまった。
「いやー、ひさしぶりの命中弾だべ!」
「んだなあ!」
KV-2の内部では、ニーナとアリーナが再装填の作業にいそがしい。
毛皮の狩猟帽をかぶったお下げの子がニーナ。
黒髪おかっぱの子がアリーナ。
ふたりともKV-2の装填手である。
KV-2の砲弾は、弾頭と装薬が別々になった分離装薬式。
ただでさえ砲が大口径で、弾薬が重たくてかさばる上にこれである。
再装填には時間がかかる。
西住流のような手練れには、いつもその弱点を突かれてしまうのだ。
「んでも、土砂で押しつぶすのは、命中って呼んでいいんだべか?」
「いんだあ。試合だったら絶対白旗が上がってるところだべ?」
「んだな! 埋まっちまって見んねぇけど!」
KV-2は、全国大会の準決勝で、フラッグ車の盾役を満足につとめられなかった。
エキシビションで破壊できたのもホテルだけだった。
ニーナに至っては、準決勝で偵察に来た大洗のスパイ秋山優花里とエルヴィンに、機密情報をぺらぺらしゃべるという失態をしでかしている。
ひさしぶりの戦果に浮かれても仕方がないところではある。
彼女たちはなぜこんなところにいるのか?
話は今日のエキシビションにさかのぼる。
怪獣か海坊主のごとく海中から登場したKV-2は、不安定な岩場の上で砲塔を回したせいでバランスを崩し、砂利の海岸に砲塔がささって自壊した。
試合後には、参加校全員が集まって、温泉施設で懇談会が開かれた。
行動不能になった車輌は、そのあいだに引き上げてもらう手はずだった。
ところが、そこで連絡が入る。
KV-2は重すぎるから、クレーンを使っても立て直すだけで精いっぱい。
とても牽引はできない。
さいわい大きな故障はないようだから、運転して船へ戻ってくれ――というのだ。
彼女たちは、ふたたび海岸へ戻った。
立て直しの終わったKV-2を点検してみたところ、走行も、砲塔の操作も、発砲も可能だったが、ひとつだけ問題があった。
通信機がおかしくなっていたのだ。
具体的にいうと、受信がおかしい。
音声が乱れて聞こえる。
もしかしたら発信はできているのかもしれないが、返事がまともに聞こえないので、確認するすべがない。
つまり、本部と連絡が取れない。
おまけに、切れ切れに聞こえる通信の内容から推しはかると、むこうでなにか事件が起きている。
試合で活躍できなかったおらたちが、ここで勝手に動いて、また迷惑をかけるのもしのびねえ。きっと用事が終わったら探しに来てくれるべ……という想定のもと、KV-2の搭乗員たちは、夕暮れの海岸で蟹とたわむれて遊んでいたのである。
そこへやって来たのが、カチューシャとエリカの乗るT-34/85。
カチューシャは、最初は肝を冷やしたようだったが、ニーナたちがなにも知らない様子なのを見て、それならついて来なさいと自信たっぷりに命令。なにも知らないKV-2を丸め込んで、ここまで引っぱってきたのだ。
作業を進めながら、アリーナが疑問を口にする。
「それにしても、どうしてカチューシャさまは、味方を撃てなんて言うんだべ?」
「わっがんね。おらたちが試合で不甲斐なかったから、学園艦に帰る前に、模擬戦で根性をたたき直すつもりじゃなかっぺか」と、ニーナ。
アリーナは、ああー、と一回納得しかけてから、ふたたび首をかしげる。
「たしかに
んだなあ、とニーナも首をかしげる。
「でも、あのちびっ子隊長のことだから、きっとなにか深い考えがあるにちがいねえだ。下手に逆らって後で
「んだなあ」
「んだ、んだ」
かくして、プラウダ流の思考停止術に染まったKV-2の搭乗員たちは、そうとはまったく知らないまま、カチューシャの脱走に深く関わる羽目になったのであった。
#
カチューシャの乗るT-34/85は、カーブの坂道をきゅらきゅら登って高台にたどり着き、KV-2と並んで崖下を見下ろす。
「見なさいこの威力!
車長席のカチューシャが勝ちほこる。
砲手席のエリカは絶望のあまり天をあおぐ。
(無心よ。無心になるのよエリカ。動揺してはだめ)
しかし、何度深呼吸をしても、スコープから見える光景は変わらない。
崖を大きくえぐられ、変化した地形。
取りのぞくのに数日はかかりそうな量の土砂崩れ。
さすがKV-2。戦車戦より陣地攻略に向いていると言われるだけはある。
それに、エリカは目撃した。
T-34が、あの土砂の下敷きになるところを。
(――えらいことに巻きこまれてしまった)
なぜ後のふたりが平然としていられるのか、エリカには理解できない。
エリカはT-34/85の砲手席に座っている。
横で装填手をしているのは、さっき出会ったばかりの継続高校の子。
たしかアキという名前だったはず。
操縦手は、同じ継続の、ミッコという赤毛の子だ。
エリカとカチューシャが継続の三人と会ったのは、完全に偶然だった。
KV-2を連れてT-34/85で逃亡している途中に、三人がキャンプしていた林にたまたま飛びこんだ。それだけの関係だ。
継続はカチューシャとなにか取引をしたらしい。
だが、エリカはその内容を知らない。
T-34/85車内の通信機で、プラウダの動向に耳を澄ましていたからだ。
しかし、不思議な縁である。
歴史的な関係でいえば、プラウダと継続は仲がよくない。
黒森峰とプラウダの関係だって、良好とは言えない。
黒森峰と継続は、過去に共同戦線をはったことがある。
だが、あれが心から信頼しあう互恵的な関係だったとは、とても言えない。
互いの打算と、複雑怪奇な学園の関係性が生み出した、奇妙でいびつな代物だったように思う。
その三校の生徒が同じ戦車に乗っているのだ。呉越同舟どころの話ではない。
中国でたとえるなら、魏・呉・蜀が同じ船に乗り合わせているようなものではないか。
それに、他校の戦車だから手こずるはずと思いきや、このふたり、びっくりするくらい手際がよい。
アキはT-34の砲弾の格納場所を最初から知っていたようだった。
ミッコは、エリカが苦心して動かした重いギアを、楽々と操作している。
カチューシャが通信機をいじりながらぶつぶつつぶやく。
「ノンナったら、本気であの瓦礫を乗り越える気? ま、時間が稼げるからいいけど。あ、またロシア語。クラーラね」
「で、これからどうするのよ?」
エリカが尋ねると、即座に返事がかえってきた。
「渓谷を出る。アンツィオのCV33が、T-34/76を二輛とも釣っていてくれればそれでよし。もしダメだとしても二対二ですもの。挟み撃ちじゃなきゃなんとかなるわ」
カチューシャは、車長用ハッチを開放して頭を突き出すと、身ぶり手ぶりをまじえて、隣のKV-2に命令する。
「さあ、出口に急ぐわよ。ちゃんとついて来なさい!」
#
いったん広がった峡谷が、また狭い一本道に戻る。
道はゆるやかな下り坂。
渓谷を抜ければ、緑の平原がはじまる。
時刻はもう、夜だ。
視界はいちじるしく制限される。
エリカは主砲のスコープ越しに、前方の闇に目をこらす。
「いた、峡谷の出口! T-34/76が一輛、半分崖に隠れてるわよ!」
「しゃらくさい! 旧型が太刀打ちできると思ってんの? エリカ、外側から撃ち抜いちゃって!」
ああもう。走りながら撃つのは好きじゃないのよ。
えーと、T-34の車幅は約三メートル。で、この目盛り一刻みが…… シュトリヒじゃないのよね。なんで距離計が左右に二つあるの。どっち使えばいいのよ、これ。おまけに砲塔は手動旋回式だし!
心の中で悪態をつきながら、エリカは85㎜砲を発射する。
「はずれ。うまくないわねえ、エリカ」
「だから、黒森峰と照準の形式が全然違うんだってば!」
スコープに映ったT-34/76の砲口が光る。
どうっと、地面がはじける音。
車体が軽く揺れたけれど、スコープから目を離さなくてもわかる。はずれだ。
「二発目急いで! 次は当ててよ!」
「簡単に言わないで!」
エリカは足もとのペダルを踏み込む。
「はーずれー」
頭上からのんきな声が降ってくる。
危機感ないわね。誰のために戦ってると思ってんのよ!
敵の第二射が着弾する。前回より音が近い。
「ほらほら。当てないとあとがないわよー」と、カチューシャ。
「装填終わったよ!」横から継続のアキの声。
「もう! せめて躍進射撃でやらせなさいよ!」
ええい。理論はこのさい後回しだ。
前の二回の弾着位置から逆算して、目分量で修正して当ててやる――!
「じゃあ停車!」
カチューシャの合図にあわせて、T-34/85が動きを止める。
第三弾発射!
自分でもうんざりするくらい、やぶれかぶれの一発だった。
ところが。
スコープの中のT-34/76が、がいんと軌道をゆがませて白旗をあげたものだから、エリカは喜ぶよりも憮然とした気分になる。
(……なんで当たっちゃうのよ、あれが)
「やるじゃない、エリカ!」
車長席のカチューシャがウラーと拳を突き上げて称賛するが、返事をする気にもなれない。
「平原に出る! T-34/76がもう一輛、どこかにいるわよ、注意して!」
T-34/85は、煙を上げるT-34/76を横目に、狭い谷間から滑り出して左折する。
KV-2が、二呼吸ほど遅れてそれに続く。
「見える?!」
「待って。いま探してる」
エリカに問われたカチューシャが、闇に覆われた草原に目をこらす。
ここは周囲を山に囲まれた盆地。
山べりに林があるほかは、ときおり高い木が生えているだけで、視界をふさぐものはほとんど何もない。
遠くから、ぱらぱらと機銃の音。
そちらに目をやると、かすかな閃光が定期的にまたたいている。
「いた、
「七時ね!」
七時…… 七時…… ええい、ハンドル重っ。絶対明日腕がパンパンになってるわ。プラウダの子はこれを毎日やってるわけ?
どーんと、どこかから主砲の音。
しかし、CV33の機銃音は止まらない。
あれをずっと避けているのだから、アンツィオの子たちも大したものだ。
(……というか、逃げながらどうやって機銃で戦っているのかしら?)
というエリカの疑問は、CV33がスコープの視界を横切ったとたん氷解する。
あきれた。あの子たち、ずっと後ろ向きで走ってるの?!
「とらえた! 停止射撃させて!」
「オッケー。今度こそ一発で当てなさいよ!」
うるさいわね。黒森峰のドクトリンでは、停車してから撃てって言われてるの。聖グロリアーナみたいに行進間射撃やったら怒られるのよ。
ぎいっ、と機体をきしませて、T-34/85が停車する。
よし!
T-34/76は、CV33の追跡にそうとう入れ込んでいたらしい。
85㎜砲の発射に気づいたかどうかも怪しいもの。
砲弾に直撃され、派手に回転しながら窪地へと消えてゆく。
「エリカ、今のはよかったわよ! やればできるじゃない!」
そりゃどうも。
っていうか、いつの間に呼び捨て?
油断も隙もあったものじゃない。
半分あきれながらも、エリカはスコープから目を離す。
「よくやってくれたわ、あなたたち。これで残るは、ノンナのIS-2一輛だけ。T-34/85でも余裕で逃げられるわ。もうすぐ約束のものをあげられるわよ」
車長席のカチューシャが、自慢気に胸を張る。
やれやれ終わったかと、エリカもため息をつく。
#
そのときだった。
ぱうっ、と乾いた音。
同時に、夜空に黄色い光の玉が生ずる。
まぶしく輝きながら、しっぽのように煙を引いて、ゆっくりと落ちてゆく。
あれは……
「照明弾?!」
カチューシャが車外に身を乗り出す。
一発だけではない。
破裂音が断続的に鳴りひびき、そのたびに、夜の高原は前より明るくなる。
人工の星々に弱められた薄闇の中。
特徴的なシルエットが次から次へと、山際の林から平地へとすべり出す。
T-34/76にT-34/85、KV-1、BT-7にT-26、IS-3……
昼間にエキシビションで見かけたやつ、温泉の前の駐車場に止まっていたやつ、そこにすらいなかったやつ――
いるわいるわ。プラウダ戦車が大集合だ。
「いつの間に接近してたの!?」
カチューシャが歯がみする。
「わかった、クラーラね! カチューシャがわからないと思って、こっそりロシア語で連絡を取りあって、逆側から接近してたんだわ! ずるい!!」
元友軍という立場を生かして、無線を盗聴していた側が言うことじゃないでしょ――と口にしないだけの思慮が、エリカにもあった。
照明弾は次々と上がる。
範囲が広い。
進行方向の前方と右側を、ほぼ囲まれている。
左側はさっき抜けてきた台地。出入り口はひとつだけで、そこにはIS-2がいる。
一八〇度ターンして逃げたとしても、険しい山にぶちあたる。
CV33がT-34/85に走り寄る。
ハッチから上半身を出しているのはアンチョビだ。
「おい、どうする。囲まれるぞ!」
「あわてちゃだめ。こっちの動揺を誘うために、わざと姿を晒しているんだわ。逃げ道がないことを見せつけようとしてるの」と、カチューシャ。
「あわてちゃだめと言われてもな」アンチョビが腕組みする。「むこうには、
砲手席でスコープをのぞくエリカも同じ考えだ。
見せつけようとしている……?
とんでもない。そうじゃない。実際逃げ場がないのだ。
こちらのまともな戦力はせいぜい二輛なのに、むこうは見えるだけで十輛以上。
この絶対的な戦力差を、どうやって跳ね返すというのだ。