一体何が起こったのか。一体誰がこんな現象を引き起こしたのか。あれこれ考えたり、きょろきょろと周囲を見回す必要などなかった。自分の身に起こった『ノイズ』が、何が起こったのかを如実に示していた。
『風斬氷華』というAIM拡散力場で構成された存在を、押し流し消し去ってしまいかねない程の量と勢いを持った力場の奔流。自分という存在の本質を思い出し、受け入れた彼女の眼には、力場の流れが可視の物として映る。AIM拡散力場そのものである自分に匹敵するほどの統制力を以って、AIM拡散力場を操る者。
ゆっくりと、風斬は顔を上げる。その視線の先に映るのは、ついさっき、自分のために『化け物』と戦ってくれた少年の片割れ。背から伸びる無機質な純白の翼をはためかせ、空を舞う。
「大丈夫か風斬、インデックス!」
その少年、千乃勇斗は空中から叫ぶ。心のどこかで願っていたその展開に、場違いながら風斬の口元がほころんだ。
「っ、大丈夫なんだよ勇斗!すごくナイスなタイミングかも!」
叫び返しながら、インデックスが風斬に駆け寄り、気遣わしげに肩を抱く。
「ひょうかは大丈夫!? 痛い所とか無い!?」
『化け物』としての力を存分に振るった風斬。しかし目の前の少女は、そんなことは全く関係が無いとでも言うかのように、風斬に抱きついた。二度と触れ合えることなどないと覚悟していた風斬は、目を潤ませつつそれに応じる。
風斬は幸せだった。少なくとも、つい先刻まで自分を叩き潰さんとしていたゴーレムを思考の外に押しやれるほどには。
しかしそこで、インデックスが鋭い叫び声をあげる。叩き落とされ、潰された腕を復元し、ゴーレムが再び動き出していた。
風斬の思考が一瞬にして切り替わる。強大な『
「――――動くな」
底冷えするような怒気を孕んだ少年の声と共に、ゴーレムを中心とした円形の範囲が粉々に破壊しつくされた。
▽▽▽▽
先だってゴーレムの腕を叩き落とした攻撃。その攻撃の余波が風斬に与えた影響を観測し、解析し、演算式に修正を加える。高密度に編み込まれたAIM拡散力場に影響を与えず、学園都市全体にわたって薄く展開されている疎な力場をより広範囲から収束させる。
本来なら、高性能な精密機械なしではその手の能力者以外観測することすら不可能な微小なる力。しかしその力は、『ある程度の収束』を境に激増し、その後も幾何級数的に増大していく。勇斗はそれを能力によって隷属させ、その性質を以ってAIM拡散力場を攻撃に転用する。
風斬に与える影響を最小限にとどめつつ、敵性対象へ最大限の攻撃を加える。ちょうど、こんな風に。
これまでの攻撃と比してひときわ大きい轟音が鳴り響く。収束に収束を重ねた結果、本来なら不可視であるはずのその力場が、塩が真水に溶けていく時のような不自然な揺らめきを顕現させていた。
その揺らめきの奔流が、周囲の地面ごとゴーレムの体を砕き、沈めていく。
――――しかし、押し切れない。最後の最後。手応えという名のフィードバックが感じられない。空気の入った注射器を押し込もうとしても、最後まで押し込みきれないような、そんな感覚。やはり固い。シェリー=クロムウェルが言っていたように、『神の人形』の名は伊達ではないのか。
「……インデックスっ! こいつに何か弱点とかないのか!」
更に攻撃の出力を上げ、ゴーレムの縛めをより強固なものにしつつ、勇斗は魔道書図書館たる少女に助力を求める。
「普通こういう『人形』には『シェム』っていう触っただけで機能を停止させられる安全装置があるはずなの!だからそれを壊せれば何とかなると思う!」
風斬の背に隠れながら、負けじとインデックスも叫ぶ。
「でも普通そういうものはばれないように隠蔽されちゃうから、まずはそれを見つける必要があるかも!!」
「っ、めんどくさすぎんぞ!!」
要は実質手詰まり。このままではジリ貧だ。
そして勇斗達を嘲笑うかのように、潰されるがままだったゴーレムの体が少しずつ直立していく。
「……
「んなこと言っても……!」
そう毒づきつつ、勇斗は攻撃の出力を更に引き上げる。しかし、ゴーレムの動きは止まらない。少しずつではあるが体が復元されていく。直感で、ゴーレムが直立し完全に復元される時がタイムリミットだと理解した。
何か手立てはないかと勇斗は周囲を見回す。こういった異能の敵に絶大なる優位性を持つ右手を持った少年の姿はここには無い。今もゴスロリ魔術師と戦っているはずだ。援軍は期待できない。
こうなれば止むをえまい、多少の危険に身を晒してでも、更に高出力でAIM拡散力場を叩き込むしかない。
この街にはあのカエル顔の医者がいる。多少の無茶なら何とかなる。そう自分に言い聞かせ、勇斗は攻撃の出力を限界ギリギリまで引き上げる。
――――『副作用』はすぐに訪れた。キィィィンという甲高い頭痛が勇斗の脳を蝕み始める。ここまでの長時間、ここまでの出力を維持したまま能力を行使したことなど初めてなのだ。そのツケが回ってきている。持ち時間はもう無い。
しかし攻撃を止めることなどなおさら許されない。自分の限界が近いことを自覚しつつ、勇斗は演算を更に『攻撃』に割く。
こうして勇斗が、迫るタイムリミットと能力の限界双方に追い詰められている。
――――――――そこで唐突に、それが訪れた。
――――――――『つながった』という感覚だけがあった。
――――――――理屈も理論もわからない。
――――――――ただ『つながった』としか言えない不思議な感覚。
――――――――ゴーレムの内部、血液のように全身を巡る力の流れ。そしてその力がとある一点に集中している。
――――――――見えないはずの力の流れ。おそらくこれは魔力の流れだ。
――――――――もしかしたら、限界に近い勇斗の脳が都合のいい幻覚を見せているだけなのかもしれない。だけど今は、この感覚に頼るしかない。
そして勇斗は、視界の隅にその少女の姿を捉える。彼女の性格的に、騒ぎが起こっていたところに首を突っ込まずにはいられなかったのだろう。インデックスと風斬の後ろから、険しくしかし好戦的な笑顔を顔に浮かべて駆けてくる。何と都合がいい。攻撃の性質的にも、火力的にも、彼女に任せるのが一番だ。レベル5の第3位、御坂美琴に。
「――――右胸をぶち抜け!!」
既にコインを取り出し、その能力名の由来ともなっている必殺技のスタンバイができている御坂に向かって叫ぶ勇斗。
その言葉に、インデックスの表情に驚愕の文字が躍る。しかしその驚愕が音声として出力されるより早く、勇斗の言葉に頷いた御坂がインデックスと風斬の前に飛び出して、
オレンジ色の閃光が、一瞬でゴーレムを貫いた。轟音は遅れて鳴り響く。
勇斗は知覚する。御坂の解き放った閃光が、ゴーレムの『心臓』を寸分違わず撃ち抜いていた。それによって、全身を巡る力の流れが雲散霧消する。
そしてゴーレムは崩れ落ちていった。ひび割れながら、その形を失っていく。これまでのような復元能力を発揮することなく、ただの無機質な石ころへと還っていく。
――――これにて地上は一件落着か。蝕むような頭痛をこらえつつぼんやりとそんなことを考えて、勇斗は地面に舞い降りる。これで残るは地下世界に残る2人だけ。恐らく上条がどうにかしてくれているだろうが。ため息をついて、勇斗は地面に座り込んだ。
▽▽▽▽
そして、事態は終結した。シェリー=クロムウェルの身柄も『
風斬にはインデックスと上条がついていた。風斬は自らの力と本質に怯えていたが、2人はうまくやってくれただろう。
「おい、手止まってるぞ。現実逃避してないでちゃっちゃと書け」
「……別にそんなつもりはないんですけどねえ」
先輩である坂本の、半分笑いながらのそんなセリフにため息付きで答えつつ勇斗は再び手を動かしシャーペンを走らせる。事件の顛末やその状況下での自分の行動、考えを文章化し、その通りにそれを書きこんでいく。地下街での避難誘導中に逃げ遅れた少女2人を保護し、その後奥に向かったところで侵入者と遭遇、戦闘。その後、『偶然』居合わせた『一般人』達と協力して侵入者を撃破。侵入者が設置、準備していた『罠』も『一般人』達と協力して破壊。そんなふんわりとした、そして肝心なところをぼかしたハイライト部分。始末書(=反省文)としてはテンプレの「以後気を付けます。もうしません」的なフレーズを巧妙に省いた反省部分。
何度も書かされたせいで慣れてしまったのは幸か不幸か。あっさりと書き上げた勇斗はペンを放り投げ、不満を口にした。
「しかしなんでまた事件の解決の役に立ったのに始末書なんて書かなきゃいけないんですかねえ。
「美偉がこういう形式的なことを重視する鉄壁堅物な委員長キャラだってことぐらいいい加減把握してんだろ。自業自得だ」
日に焼けた精悍な顔をニヤリと歪め、高校球児よろしく刈り上げた頭を揺らしながら笑っている坂本。
「むしろこれくらいで済んでよかったじゃねーか。アイツの性格上研修やり直しとか更生施設にぶち込まれたりとか、そんな事言い出してもおかしくないぞ」
「……流石にそこまではしないけどご希望なら応えてあげましょうか? 何といっても鉄壁堅物な委員長キャラですからね」
そこで突如割り込んできた嫌に丁寧な声に坂本の笑顔が一瞬で引き攣る。
「あ、お疲れ様です固法先輩。始末書書き終わりました」
そう言って、固まった坂本を横目に書き上げた始末書を手渡す勇斗。あまりにも軽い調子で手渡された固法は呆れ顔を浮かべつつそれを受け取って、そしてこれまた呆れたような口調でこう言った。
「はあ……。ここの後輩たちはいつになったら落ち着いてくれるのかしら。千乃君も、白井さんも、正義感に溢れてるのはいいことなんだけどね。後、大地は後でお説教ね」
仕事が詰まっているのか、そんな言葉を残してあっさりと固法は去っていく。
「……勇斗、説教受けるの替わってくれないか?」
「それは先輩の自業自得です」
▽▽▽▽
「これで満足か、アレイスター」
ここは学園都市の中枢――――第7学区、窓の無いビル。
内部に一切の照明が存在せず、しかし常人には理解の及ばないような複雑な演算を繰り返し、制御する大量の計器類が発する光が暗闇を薄ぼんやりと照らすようなそんな空間に、忌々しげな男の声が響き渡った。声の主は、場違いな印象を見る者に与えるだろうアロハシャツに身を包んだ金髪の男、土御門元春。彼は空間の中央――――黄色く照らされた液体が入った巨大な
そしてビーカーの中に浮かぶのは、男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見える男、学園都市の統括理事長。アレイスター=クロウリー。
対峙する2人の男は、宙空に展開されたモニターを見つめていた。
この窓のないビルと同じ学区のどこかで繰り広げられている光景。映像は千乃勇斗と上条当麻の姿をそれぞれ映し出している。
「『風斬氷華』、『
学園都市全体に広がるAIM拡散力場。そしてそれが形作る虚数学区・五行機関と呼ばれるモノ。規模も、秘める力も不明のまま、ただ不気味に街に横たわっている。
「一つ反論するとすれば、『
「ぬかせ。アイツの『ハイブリッド』としての特質をプラン進行にフィードバックさせるつもりだろう? 成長すればAIM拡散力場と
そう言って睨み付けてくる土御門の言葉に肯定も否定も返さず、しかしアレイスターはうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「『似て非なる他者の境界を超える』ことのできる性質を用いて、科学側からだけでなく、魔術側からも五行機関へアプローチを掛ける。……なかなかいい発想じゃないか、アレイスター」
「……彼はあくまでも『保険』だよ。うまく話が進めば彼を使うような事態にはならない。何せ重要で希少な
「……フン、まあいい。時間も無いし本題に入ろう。……警告しておくぞアレイスター。今回の一件、お前はイギリス清教の正規メンバーを
「……ふむ。それくらいはわかっているさ。なるべく君の負担にはならないようにしてやろうとも」
尊大な物言いに頭に血が上りそうになる土御門。しかし一度深呼吸し、アレイスターに背を向けて、一言。
「……『幻想殺し』に『御使降し』。あいつらを利用するなら覚悟しておけよ」
言ったところでまるっきり負け惜しみになってしまったことに気が付きつつ、怒りを抑え、タイミングよく部屋に転移してきた『案内人』と共に、土御門はビルを出て行く。
不穏な会話の終わりと共に、新学期の初日が幕を閉じる。
この先の激動を象徴するかのような、穏やかならざる幕引きだった。