科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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ep.29 9月19日-13

 霞がかったように全てがぼやける世界の向こう、戦い続ける2人の足音が聞こえる。

 

 アスファルトが砕け散る轟音が聞こえる。何かが風を切る甲高い音が聞こえる。

 

 淡々と話す女性の声がした。余裕を失った少年の声がした。

 

 しかしそれらは、切り裂かれた傷口から血が流れ出していくにつれて形を失い、うねりのような音となって、そして小さく聞こえなくなっていく。

 

(……体が、動かねえ)

 

 体という膜の中いっぱいに鉛を流し込んで固めたかのように、体が重く冷たい。投げ出された腕の先、拳を握るのでさえ重労働だ。

 

(……でも、アイ、ツは1人で戦っ、てんだ。右手の、不思議な能力、だけ、で……。俺だって、こんな、とこ、ろで、……寝てる場合じゃ、ないだろ)

 

 段々と勇斗の思考も形を失い始め、意思に逆らって、更に意識は薄れてゆく。出血量が多すぎる。もはやこれ以上の出血は、命に関わる。

 

(ク、ソがッ、……!! どうにか、なんねえの、かよ……?)

 

 薄れゆく意識に、ノイズが入りだす。視界が明滅し、テレビの砂嵐のような光景がちらつき始める。

 

 意識が揺らぐ。失血で三半規管でもやられてしまったのだろうか、地面が揺れている。地球が揺れている。

 

 それらは止まらない。鮮血がアスファルトに真紅を広げれば広げる程、ますます強く、ひどいものになっていく。

 

 ――――――――――――あたかも勇斗の中の何かが、勇斗の体という監獄の中から、無理やりに抜け出そうとしているかのように。

 

(……、……!)

 

 そんなとき、勇斗は気づく。

 

 自分の体の奥深くで、自分の能力(チカラ)が揺らいでいる。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の世界で、自分だけが観測するミクロな世界で、自分が抑圧し、封じ込めてきた『何か』が、外界を求めて、蠢いている。

 

 自分だけの現実(パーソナルリアリティ)という防壁(フィルター)越しにも、大きな力を感じる。これは危険だ。扱いを誤れば自分の身を滅ぼしかねない核兵器と同じ。――――しかし、どこか懐かしい。

 

 これは、なんだ。一体何が、この体の奥に眠っているのだ。

 

 そこまで考えが及んだ時、ほとんど途切れかけた勇斗の視覚と聴覚が、人間の倒れる音と、愉悦に震える女性の笑い声を捉えた。

 

 それが一体何を意味するのか。それが一体何をもたらすのか。その問いに対する答えをまとめ上げる前に、勇斗は意識を手放した。

 

 視界が黒く染まり、うねるような雑音は消え、揺らぎとノイズだけが勇斗を満たす。

 

 ――――――――――そして、

 

 ――――――――――それは始まった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………これでもう、邪魔者はいない。いいえ、いたとしてももう、間に合わない(・・・・・・)

 

 誰ともなしに呟くオリアナが指で弄ぶ金属の輪っかに、速記原典(たんごちょう)はもう1枚も残されてはいなかった。ここでこの作戦を確実に成功させるために、最後の障害である上条に残された全てのカードを叩き込んだのだ。

 

 さて、これからどうしよう。この場に留まって、全てが変わる瞬間を待とうか。それとも、フェンスのところでこちらへの殺意をみなぎらせている魔術師2人を潰しておこうか。

 

 ――――正直、どちらでも構わないかなあ。だって、私がどう動こうと、もう結果に何の関係もないのだし。

 

 視界の向こう、もうほとんど藍色に染まった夜空を明るく照らすこの街の中心部がある。その光の御許、何百万もの人々は間もなくローマ正教の支配下に堕ちる。それはつまり、科学サイドの崩壊。そして、ローマ正教への権力の一極集中。世界のほとんどが、『ローマ正教』という単一の価値観のもとで新しい生活を始める。これでまた、価値観の狭間で苦しむ人々を救う事が出来る。そう考えると、星空を塗りつぶしてしまう程の莫大な光量でも、何か感慨深いものに見えてしまうから不思議だ。

 

「……その理想の世界を脅かす要因は、排除しておくべきかしらね」

 

 フェンスの所からこちらを窺うイギリス清教の魔術師たちにとっては、この理想の世界は理想の世界たりえないだろう。ならば、妨害を受ける前に排除するだけだ。

 

 そう考えて、オリアナはフェンスの方に一歩を踏み出そうとして、

 

 ――――――――渦を巻き始めた、不穏な力をその背に感じ取った。

 

「…………?」

 

 彼女が後ろを振り返ると、そこにはノイズがかった翼を背に出現させた勇斗が立ち上がっていた。――――いや、その足は地に着いてはいない。翼を羽ばたかせることもせず、物理的に説明のつかない様子で、勇斗は宙に浮いている。

 

 オリアナが切り裂いた体の前面の傷口からは依然として血が溢れ続け、滴った血が大きな血だまりを形作り、体操服から靴まで全てが鮮血に染められている。首吊りの死体のごとく顔は俯いていて見ることができず、手の先から足の先までだらりと脱力した格好だ。

 

「……まだやるの?」

 

 そう問いかけるオリアナの声に、しかし勇斗は一切の反応を返さない。代わりに答えてでもいるかの如く、翼のノイズが更に酷くなっていく。形を失い、四散してしまいかねない程に。

 

「……ッ」

 

 漠然と、嫌な予感がした。この少年を放置してはいけない。ここで無視すれば、オリアナの努力は一瞬で水泡に帰す。その証拠に、渦を巻いていた力が、この少年の発する力が、右肩上がりに上昇していく。

 

「……やっぱり殺しちゃうべきだったかしら」

 

 そう言って、拳を握り、オリアナは勇斗に向かっていく。

 

 あれだけの傷を与え、あれだけ失血させているのだ。魔術など必要ない。ただ2-3発、拳を叩き込んでやればカタは着く。

 

 こんな最後の最後で、安易な逆転劇など許すわけにはいかないのだ。

 

「……さようなら、坊や」

 

 そう言って、渾身の拳を満身創痍の少年の心臓の真上に叩き込んで、

 

 ――――硬質な音と共に、その拳が動きを止めた。体まで、心臓まであと数センチのところで、その一撃が受け止められたのだ。

 

「――――」

 

 そしてオリアナが再び動き出す、その前に。

 

 ――――勇斗の背中が、弾け飛ぶ。

 

「ガッ、!?」

 

 その余波だけで、オリアナの体が簡単に吹き飛ばされた。地面に叩き付けられ、アスファルトに腕や膝を削られながらゴロゴロと転がる羽目になる。

 

 痛みを堪えて立ち上がり、オリアナは勇斗に向き直って――――そして彼女は驚愕で動きを止めた。

 

「な……」

 

 目の前の少年から、つい先刻まであったはずの斜めに走る大きな切り傷が消えていた。体操服は切り裂かれ、体の全面は鮮血で染められているのだが、その下にあったはずの血を吐き出し続ける傷が無い。

 

 それだけではない。いや、そんなことは(・・・・・・)どうだっていい(・・・・・・・)。それ以上に、オリアナが目を奪われたことがある。

 

「…………何、なの?」

 

 オリアナは、目前の光景を受け入れられないといった様子で、呆然と呟く。

 

「一体、それは、何なの?」

 

 勇斗の姿が変わっている。いや、勇斗の体そのものには傷が治っていること以外に目立った変化はない。しかし、勇斗の姿は変化を遂げている。

 

 ――――白銀の翼が、色付いていた。無機なる白銀から、更なる無機を宿す水晶の青(クリスタルブルー)。透き通る水晶の連なりのような鋭い翼が、その背に出現している。そして頭上。何も無かったはずの場所に、金色の円環が出現している。円の中心を交点にするように十字が交差した、全ての足の長さが等しいケルト十字のような円環だ。その姿は、これまでよりももっと、天使のそれに近づいていた。

 

 そこまでオリアナは理解して、更に気づく。勇斗の発する力の質が、つい先刻までのものとは変質している。天使の力(テレズマ)に似た力、から、天使の力(テレズマ)そのもの、へと。

 

 そして、オリアナが感知した天使の力(テレズマ)は、現代魔術でよく扱われる四大天使『神の火(ウリエル)』・『神の薬(ラファエル)』・『神の力(ガブリエル)』・『神の如き者(ミカエル)』のどれに対応するものでもなかった。

 

「…………まさか、…………これは」

 

 ――――その天使はかつて、神の右側に座する天使であるとされた。後に反乱を起こし、天使の3分の1を率いて神に逆らったとされた。その咎より天界から堕ち、遥か地の底で地獄を作り出したとされた。

 

 『明けの明星』の名を冠し、堕天使とされながら人間に光を与えた者として崇拝されることもある、大天使。

 

「…………これは…………、『光を掲げる者(ルシフェル)』…………?」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……説明してもらおうか、土御門」

 

「……なんのことかにゃー?」

 

(とぼ)けるなよ。千乃勇斗のアレについてだ」

 

 フェンスに身を預けて座りながら、ステイルは土御門を問い詰める。

 

「……千乃勇斗は大能力者で間違いないんだな?」

 

「ああ。勇斗は正真正銘、この街で開発を受けた能力者だぜい」

 

 怖い表情で睨み付けるステイルに対し、土御門は表情を崩さない。カラカラと乾いた笑いを浮かべながら、問い掛けに答え始める。

 

「……なら何故、彼は能力者でありながら天使の力(テレズマ)を宿している。能力者に魔術は使えないはずじゃなかったのか」

 

「普通はそうだにゃー。この街の『開発』を受けた人間は、発現した能力の強弱の如何を問わず、魔術を満足に扱えない体になる。だが……アイツは違う」

 

 そこまで言って、土御門は皮肉気に口を歪めた。

 

「……なあステイル。お前、勇斗と初めて戦った時の事を覚えているか? お前があの(・・)禁書目録に襲い掛かろうとした寸でのところで、勇斗に乱入された時のアレだ」

 

「……忘れるわけがないだろう。炎をあんな簡単に防がれたのも、僕自身があんな簡単にあしらわれたのも、……まあ、いい経験をさせてもらったね」

 

「その割には表情が引き攣ってるようだがにゃー。まあいい、その時だステイル。お前、何か気付かなかったか? 具体的に言えば、アイツが操ってる力について」

 

「ああ、あったよ。あの(・・)力、……AIM拡散力場といったか、一瞬天使の力(テレズマ)なんじゃないかと思う程力場が酷似していたね。けどまあ、それは偶然だろう。実際のところは似て非なる別物だ」

 

「それだにゃー。……悪いがこっからは推測だ。確証はない。構わないか?」

 

「ああ、別に気にしない」

 

「助かるぜい。勇斗の能力はそのAIM拡散力場を操る、というものだ。おそらくアイツは、その力場を媒介に天使の力(テレズマ)を操作している。ちょうど一般の魔術師が、自分の魔力を媒介にして天使の力(テレズマ)を操っているように」

 

「……一応聞いておくよ。そんなことは可能なのかい?」

 

「普通は無理だ。だが勇斗は恐らくその方式で天使の力(テレズマ)を操っている。アイツにはそれをやってのけるだけの特殊能力があるらしいからな」

 

「……なら、それが実際に可能であるとしよう。じゃあそもそもの天使の力(テレズマ)は一体どこから調達する? 彼は能力者だ、天使の力(テレズマ)の呼び出し方なんて知らないはずだ」

 

「……世の中には、知らなくても勝手に集めたりできちゃうシステムってのがあるんだぜい」

 

「偶像の理論、か」

 

 納得のいく結論に思い当たり、ステイルは首を左右に振って、溜息を吐いた。

 

「(ま、アイツの場合は『翼』が『天使』を呼んだってよりも『天使』が『翼』を作り上げたって方が正確なんだがにゃー)」

 

「ん、何か言ったかい?」

 

「いや、なーんも。……科学だの魔術だのって括られてはいるが、突き詰めれば案外元は同じ物なのかもしれないな」

 

「……」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 上条は立ち上がることができずにいた。もちろんオリアナから受けた最後の攻撃のダメージのせいでもあるが、それ以上に、場を支配する圧倒的な雰囲気に。

 

(あれが……)

 

 8月の終わり、『御使堕し(エンゼルフォール)』の時と似た感覚を上条は覚える。胃袋は石を詰め込んだかのように重く冷えきり、呼吸が浅く早く、早鐘を打つ心臓。

 

 その威圧感、存在感。

 

 あの時の『神の力(ガブリエル)』と比べればまだまだ弱いが、それでもあの大天使と同質のモノを上条は感じる。

 

(あれが、勇斗の本当の力……なのか!?)

 

 なぜ勇斗がこんな魔術的な力を持っているのか。なぜ学園都市の能力者が、こんな魔術的な力を振るっているのか。

 

 気になることはいくらでもある。聞きたいことはいくらでもある。

 

 しかし、上条は答えを知らないし、その場のだれもがその問いに対する答えを持ってはいない。

 

 ただただ、天使がそこに君臨するという事象だけが確固たる事実だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 勇斗が、動く。

 

 脱力していた右手が操り人形の糸に引かれるように動きだし、徐々に持ち上げられていく。

 

 口元も動いている。聞き取れない。ノイズに塗れた不思議な言の葉を、勇斗は紡いでいる。

 

 そして、その右手が、天上を指差して、

 

 ――――世界が(・・・)切り取られた(・・・・・・)

 

「な――――――」

 

 オリアナの全身を、再び驚愕が貫いた。夜空に星が瞬き始めた、わずかに西の空に太陽の残光が煌めく群青の星空の下にいたはずなのに。遠く向こうに、その星空を照らす莫大な光量を放つビル街があったはずなのに。オリアナの周囲にあるのは、ただひたすらに、漆黒。そして空に、その漆黒に不釣り合いなほどに満天の星。

 

 綺麗な星空だ。ともすれば、こんな状況でも見惚れかねない程に。しかし彼女はすぐに気付く。この星空は、地球上のどの地点のものでもない。目の前に君臨する大天使によって作り上げられた、偽りの夜空だ。

 

 星々が、一際強く瞬いた。

 

 その美しさにもう心を奪われることはない。オリアナの心に浮かぶのは、焦燥と、――――恐怖。

 

 しかし、もう手遅れだった。再び夜空の星が瞬き、

 

 ――――夜空が崩れ、星々がオリアナに降り注ぐ。

 

 動くこともできず、オリアナの体と意識が、光の濁流に飲み込まれた。

 





どこかで聞いたことがあるようなテンプレネタでいっぱいの世界を旅することになった少年の物語――――『異世界トリップ(仮)』

……書いてみたいなあ

3/24 4:08追記

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