勇斗の前で宙を舞い、吹っ飛んで行く小太りの少年。だが、地面や木々に叩き付けられることはなかった。周囲に何十体と控えていた犬型のロボットがその少年の体に飛びつき、高度に制御され統率された動きで運動エネルギーを吸収し、逃がし、クッションとなって主である少年の身を守る。
少年自体も服の内側に衝撃吸収素材でできたインナーでも身に着けていたのだろう、まさか特性『あついしぼう』ではあるまいし、とにかく大きなダメージを負った様子も無く、少年は2本足でしっかりと地面に足をつけた。
その後ろ、こちらもやはり大したダメージを受けた様子も無く、静かに、しかしその圧倒的多数による威圧感を持って、機械で出来た犬が体制を整え直し、陣形を作り上げていく。確か、鶴翼陣形とか言っただろうか。婚后をその背に庇うように立つ勇斗の周りを、ジリジリと取り囲むように動く。
「……チッ!人の邪魔ばっかしやがって、どいつもこいつも人をイラつかせてくれるよなあ!!」
その中心で、澱んだ目に苛立ちを浮かべた少年が口角泡を飛ばし、叫んだ。その姿には、中学生の女の子の顔面を蹴り飛ばしたことに対する罪悪感なんてものは欠片も浮かんでいない。あるのは、ただひたすらに怒りと、侮蔑。根拠なく他人を見下し、自分を過大評価し、格下だと見下していた人間達から手痛いしっぺ返しを受けたことに対して憤っているだけだ。
――――ここまである意味
暗部にいると思しき人間がこんな簡単に『表』の人間を襲ったのも、自分の身の回りにいる人間が傷つけられたのも、思春期に入っただろう女の子の顔を傷つけるなんて卑劣な真似にも、とりあえず目の前で勇斗を睨み付けるこの少年の存在そのものにも、とりあえずその全てに腹が立つ。
――――この手のバカは、その根拠のない自信を粉々に打ち砕いて、絶望のドン底に叩き落とすに限る。
なんて、口外したらどっちが悪人なんだかわからなくなってしまいそうなことを考えている勇斗の前で、再び目の前の少年が口を開いた。
「……なるほどその翼、『
そして、合図をするように右手を挙げる。それにつられてか、少年の背後の茂みから更に10体以上の犬型ロボットが現れる。
「何も考えずに首を突っ込んだことを後悔するといいよ。格下は格下らしく、地面に這いつくばるのがお似合いだ」
怒りよりも愉悦が優位に立ったか、これまた
――――しかし勇斗は、その言葉に驚きを隠せなかった。驚きすぎて、怒りが引っ込んでしまいそうになるほどに。
(コイツ、俺の能力に関してなんか誤解してないか……?)
一般人に他人の能力をおいそれと調べる権限など無いし、目の前の少年が
ということはつまり、非常に強力な情報収集能力を持っているはず。なのに、勇斗の能力の中で最も使用頻度の高いAIM拡散力場の弾丸について、言及が全くされなかった。いやそもそも、もしそれを知っているのであれば、こんなにいつまでも無防備に勇斗の前に立っているというのはおかしい。
目に見えない、AIM拡散力場の収束によって生み出される『
――――もしかすると、罠だったりするのだろうか。テンプレートな小物を演じているだけの、実はかなりの策略家だったりするのだろうか。必殺のカウンター攻撃を懐に隠し持っていたりとかするのだろうか。
そんなことを考えて、しかし勇斗はその考えを否定する。
何故そんな勘違いをしてしまっているのかはわからない。が、――――むしろ、勘違いはこっちにとって好都合だ。何も知らない人間を、何も知らないままに気絶させてもつまらない。アイツが勘違いをしているなら、それが原因で見下されているのなら、それに
普段人が良いと言われている勇斗をしてこんな風に考えてしまう程、勇斗の怒りは凄まじい。
▽▽▽▽
「…………御坂さんよりも先に、彼女の友人と『
とある場所の、とある建物の、とある部屋で、片言の日本語を話すスーツ姿の外国人がモニターに目を向けていた。
「どうやら交戦状態に入ったようですネ。凄まじい勢いで犬型ロボットを破壊し始めましタ」
視線の先、モニターには第7学区に存在する自然公園が映し出されている。より正確に言うのなら、その中の広い池のほとり、そこで起こっている戦闘の様子が。
「……ま、驚くことじゃないんじゃないのぉ? この人もあのツンツン頭さんと同じで、どうしようもないくらいにお人好しだからぁ」
それを彼と同じように、いや、懐かしいものを見るような目で見つめながら、肩をすくめて、その少女は呆れたような声でそう言った。
「……そういえばあなたはあの2人と面識があったんでしたネ」
「そうねぇ……。ま、もう2人とも
「その辺りと関わる、某統括理事のブレインを務める少女と繰り広げた『武勇伝』は耳にしたことがありまス」
「ちょっ、なっ!? それはどうでもいいことじゃないかしらぁ!? ていうか何でアンタが知ってるのよぅ!! 今すぐそんな記憶消しちゃおうかしらぁ!?」
彼が発した一言で、空気が激変した。呆れたような表情を浮かべていた少女――――食蜂操祈が、動揺と共に顔を真っ赤にしてスーツの男――――カイツ=ノックレーベンに詰め寄る。
「まあまあ落ち着いてくださイ」
それをさらりと躱して、カイツは更に一言。
「良いじゃないですカ。どうせ2人とも、その件に関しては覚えていないんでしょウ?」
「う……まあ、確かに、そこら辺に関する記憶力は特に念入りに消してあるからわからないはずだけどぉ……一体どこから漏れたのかしらぁ……?」
「ブレインの少女がばらしたのでハ?」
「そいつの記憶力もバッチリ消去したはずなのよぅ!」
「なら、そうなっても思い出せるように何らかのバックアップか記録を行っていたという可能性ハ?」
「…………あの女ならやりかねないわねぇ」
そう言って、溜息をひとつ。
「……仕方がないのよぅ。他人の精神力を操る事に長けている人間っていうのは、意外と自分の精神力を乱されるとボロが出ちゃうものなのよぅ!」
「……一体何に対して言い訳をしているのデ? というか、彼らの方のモニタリングはしなくていいのですカ?」
「心配するだけ時間の無駄よぅ! あの人が負けるわけがないわぁ! それより良いから、ちゃんと私の話を聞きなさいよぅ!」
「…………話題を間違えたかもしれないですネ」
▽▽▽▽
婚后と黒猫を抱きかかえながら、飛び掛かってきた『犬』を、翼を振るう事で叩き落とす。背後から時間差で飛び掛かってきた別の『犬』に対しては、体を捻って攻撃を躱し、カウンター気味に回し蹴りを叩き込む。
その勢いを保ったままもう1体を踏み砕き、更にもう1体を蹴り飛ばして別の個体に叩き付ける。前転して足元を薙ぐような攻撃を回避し、お返しとばかりに翼を一閃。容易に金属を切り裂いたその翼を、更に振るう。両の翼がそれぞれ複数の個体を串刺しにし、刺したまま2回3回と地面に叩き付けた。
3体の『犬』が3方向から同時に勇斗のもとに迫る。しかし勇斗は動じない。地面を蹴って飛び上がり、3体の攻撃を回避する。3体が互いに衝突し、わずかに動きを止めたそこへ、上空から翼を振り下ろす。それはまとめて装甲を引きちぎり、しかも地面にも甚大な影響を与える。
地面が砕け、土の槍のように鋭く尖ったいくつもの
勇斗は動きを止めない。両手が塞がっているという圧倒的に不利な状況の中、
遠慮など欠片も無い。ちょっとやりすぎて始末書を書く羽目になったとしても構うものか。自分がしたことがいったいどれほど愚かな事だったのか、それをあのゲス野郎の心に刻ませるまでは、勇斗は止まらない。
ただ1つ犬とは掛け離れた様相を呈す、ある意味象の鼻にも似たパーツをしならせ、『犬』が勇斗に襲い掛かった。しかしそれを翼で受け流し、別の個体に直撃させる。と思えば、今度は振り下ろされた『鼻』に真っ向から挑むように足を振り上げ、根元からそのパーツを蹴り砕く。
と、勇斗の頭上に影が差した。見上げれば、6体の『犬』が勇斗の頭上に。重力に従う形でそれらが落下を始め、勇斗のもとに殺到する。しかし、やはり動揺を欠片も見せることなく、勇斗はそれを迎撃する。振るった翼同士をシンバルか何かのように打ち合わせ、指向性を持った衝撃波を生み出したのだ。弾き飛ばされた6体の『犬』はそのまま受け身を取ることも無く、地面に叩き付けられあるいは池の中に沈んでいく。
「…………で、まだ続ける?」
真正面から突っ込んできた『犬』を翼を振るって2枚におろし、勇斗は凍てつくような平坦な声を投げかけた。
「…………な、なぜこんな力を持っているんだ。
怯えきった声が、それに反応した。
「翼の出力だってそんなに強くは無かったはずだ! それに、何故身体強化能力まで使いこなしている! お前はただAIM拡散力場を操っているだけだろう!?」
「…………さあ?
確かに以前までは翼の出力はそれほどでもなかった。せいぜい数人分の体重を支えるので精いっぱいで、とてもじゃないが金属をすっぱり切断する程の力は無かった。それに、
これは
「……んじゃ、訂正ついでにもう1つ。実は俺ってこんなこともできるんだよね」
そう軽く呟いて、勇斗はゆるりと右手を挙げて、その先を少年の方へ向ける。
ゲス野郎を中心とする半径十数メートルのドーナツ型の領域を範囲に指定し、その範囲に収束させたAIM拡散力場に下向きのベクトルを与える。すると、どうなるか。
――――簡単な話だ。怯えた表情の少年の周囲の地面がドーナツ型に陥没し、彼の周囲に控えている『犬』があっという間に押し潰され、破壊される。『弾丸』ではないが、原理は同じ。収束点を自分の所ではなく、直接相手の所に設定しただけだ。
「なん……だと……」
「さて……これでゴミ掃除も済んだことだし、“OHANASHI”しようかゲス野郎」
暗部の人間も真っ青のいっそ清々しいまでの笑顔と共に勇斗はそう言い放ち、ゆっくりとその少年に近づいていく。
「……ま、待ってくれ!僕は雇われただけで、何故こんなことをやらされたのか理由も知らないんだ!」
「……今更そんな言い訳、虫が良すぎるよね☆」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
泣きそうな表情で不快な叫び声をあげる少年は、勇斗が一歩近づくごとにびくりと体を震わせていた。
――――しかしそこに、予想だにしなかった乱入者が現れた。
その『人影』は、音も無くその怯える少年の背後に出現し、
「戻るよ馬場君。ここは一回退こう」
そう一言呟くと、今度はその少年を連れて、一瞬でその場から消え去ってしまった。
「な……
勇斗は足を止め、周囲を見渡すが不審な人影は無い。見えてくるのは、向こうからこちらに走ってくる佐天、湾内、泡浮だけ。――――逃げられた。
走ってくる3人に手を振りつつ、勇斗は心の中で舌打ちをする。柄にもなく熱くなってしまったせいで、捕獲に失敗してしまった。
――――だが、まあ、多分あの様子じゃあ鼻っ柱を叩き折ることには成功していただろう。そう考えれば、今後に関して見れば良かったと言えるかもしれない。
とりあえずいつまでもゲス野郎の事ばかり考えているわけにもいかない。今は婚后を病院に連れて行くのが先決だろう。この、体が熱を持っている感じ、何かしらのナノデバイスを撃ち込まれた可能性もある。
そう考えなおして、勇斗は次の行動へと移った。