科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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ep.40 9月20日-11

 

 意識を覆うぼんやりとした暗闇が唐突に砕け散る。窓ガラスに銃弾が撃ち込まれた時のような、そんな様相の“ひび”が視界いっぱいを覆い、ボロボロと暗い世界が崩れていく。それを、そこまで認識して、御坂は驚愕に目を見開いた

 

 ひび割れた世界の向こう側、いくつものビルが瓦礫の山状態と化している広場が見えている。――――そして、禍々しく浮遊する、黒い球体も。

 

「な……何これ……? ……ッ!止まらない!? どーなってんの!?」

 

 すぐに御坂は理解した。この球体が、自分の呼び出したものであることに。しかしそれでいて、この球体が自分の能力とは無関係な物であることに。そしてこれを止めなければ、ただでは済まない事態になることに。だから彼女は、その球体を“あるべきところ”に返そうとしたのだ。自分で呼び出したのだから、自分で送り返すこともまたできるだろうと。――――しかし、そうは問屋が卸さなかった。彼女の意思に反して、球体は禍々しい黒い雷を周囲に纏いながら、不気味に蠢き続ける。

 

 ――――さらに、

 

「ッ、何……これ……?」

 

 突然御坂の両腕に、誰かに強く掴まれたような感覚があった。視線を落とすとそこには、人の手と腕から血管だけを残して他の全てを取り去ったような、そんな不気味な様相を呈する物体がある。球体の方から伸びる人の手のような形のそれは、彼女の腕に蛇のごとく巻き付き、球体の方に彼女を引きずり込もうとしていたのだ。獲物を締め上げる大蛇のように、少しずつ少しずつ腕を“浸食”しながら。

 

「な、何なのよ! 離しなさいよッ!!」

 

 腕をめちゃくちゃに振り回しても、その『手』は彼女の腕を離すことはない。それどころか、少しずつ少しずつ、締め上げる力が強くなっているようにすら思える。

 

 ――――このままではマズイ。どうにかしないと、それこそ『ただでは済まない』なんていう言葉で言い表せない程の事態に発展する。どれだけ楽観的に見積もっても、この学園都市は優に吹き飛ぶ。この街は地図から消え、後にはきっと瓦礫の山すら残らない。どうする。どうすればいい。これだけの『力』だ、自分の身を犠牲にして抑え込んだとしても、それがどこまで意味を持つというのだ。何か、何か打つ手は。

 

 ――――その時だ。不気味な『手』が、そしてその根本にある球体が、身じろぎするように動いたのは。まるで生き物であるかのように――――もしも人間の体を持っていれば、間違いなく驚愕の表情を浮かべていたのだろう。同時に御坂も気づく。きっと、今こうなっている(・・・・・・・・)からこそ気づくことができた。普段目にして感じ取っている電磁波とは違う、全く異質な『力』。目の前の球体から感じられる力と、どこかよく似た『力』。

 

 その出所を探し、視線をさまよわせ――――彼女は見つけた。普段の白銀の翼ではなく水晶の青の翼を背に携え、金の円環を冠する少年を。『力』は、そこから――――勇斗から、あふれ出している。そしてその後方には、よく見慣れたツンツン頭の少年も立っていた。

 

 ――――ただそれだけで、空気が変わる。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――空気が変わった。勇斗の『天使化』と時をほぼ同じくして、御坂の方にも何かしらの変化が起こったらしい。目の前の球体から発せられる禍々しさは、圧倒的な『力』は、変わらない。しかし、悪意や殺意のようなどす黒い刺々しさは消えている。

 

「なあ、勇斗……。それ……」

 

 勇斗の背に、上条から言葉が投げかけられる。期待と、困惑と、心配が混ざり合ったような声だった。

 

「……翼と輪っかの事なら答えられないぞ。自分でもこううまくいった事に驚いてるんだから」

 

 肩越しに振り返り、勇斗は答えた。金の円環とクリスタルブルーの翼は、これまで一度しか――――というか、昨日のオリアナ=トムソンとの一件で初めて発現したものだ。病院で確認した時も、公園で暗部の人間with機械の犬と戦った時も、水銀人形と戦った時も、こうはならなかった。9月19日以前までの姿に、無機質な白の円環が頭上に加わっていただけだ。しかし雷神モードとも呼ぶべき御坂に対面して、白の円環は等脚のケルト十字のような形に変化し、そして翼と共に色付いた。これが一体何を意味するのか。

 

「昨日みたいに斬られて命がヤバいことになってるわけでもないのに『こうなった』ってことは、今の御坂がオリアナ以上に魔術的にヤバい領域に足を突っ込んでるか、……もしかすると俺が天使の力(テレズマ)にやっと慣れてきたか、あるいはその両方ってことだろうな」

 

 やれやれ、とでも言いたげに勇斗は肩をすくめる。

 

「……アイツも雰囲気が変わったよな」

 

 そんな勇斗から視線を外し、御坂の方に向き直って、上条は意を決したように呟く。

 

「意識は取り戻したけど、あの球体を抑えられてない。今の御坂を見てると、そんな気がしてくる」

 

 そして、上条はその右手に目を落とした。手を握り込み、開いて、そしてまた握り込む。

 

「なんだ、当麻も気づいてたのか」

 

 上条の様子にやや目を丸くしながら、勇斗は小さく笑った。

 

「……で? その意味ありげなモーション、何か策でも思いついたのか?」

 

「勇斗、俺ができることなんて決まってるだろ」

 

 そう呟いて、上条は口元を歪ませる。

 

「勇斗に道を開けてもらって、ただ真っ直ぐ突っ込んで、この右手を叩き付けるだけだよ」

 

「……楽しそうな事やろうとしてるじゃねーか。俺も混ぜてくれよ」

 

 唐突に、2人の会話に乱入するものがいた。単純な引き算で正体はすぐにわかる。2人は振り向き、その少年に目を向けた。

 

「よう削板。もう動けるのか?」

 

「問題ねぇ。根性があれば血は止まるし骨はくっ付くし疲れも吹っ飛ぶ」

 

 根性にそんな効果があるとは初耳だった。百歩譲って疲れを感じなくなるのはまだあり得そうではあるが、前2つはどう考えてもおかしい。――――いや、でもこの男なら、噂に名高いこのナンバーセブンなら、それくらい可能なのだろう。一瞬の間にそんなことを考えて、勇斗は突っ込むことを放棄する。

 

「それにしても千乃、お前余計にオカルトっぽいことになってるな。今度手合わせ願いたいぜ」

 

 この状況でその発言が出てくるのは流石にちょっとどうなんだろうか、なんて考えが頭を掠める。しかし次の瞬間には、削板の表情は真面目なそれへと変わっていた。

 

「……にしても、アレはとんでもねえモンだな」

 

 球体を見つめ、深く考え込むように削板は呟く。

 

「俺を2回もブッ飛ばしたやつは濃縮されたエネルギーの塊みたいのだったが、あれは……どっか別の世界(・・・・)から来た、理解の及ばんシロモノだぞ」

 

 その一言に、勇斗は嘆息する。徹底的に科学に染め上げられたこの街で、天使の力(テレズマ)やそれに類する力に塗れた『異世界』の存在に気付く者がいようとは。『天使』を連想させる特異な能力を持ち、能力者でありながら天使の力(テレズマ)を操れるという特異な体質(?)を持ち、本職の人間(まじゅつし)に教えてもらって、自分はようやく気づき始めたばかりだというのに。――――どうやらこのナンバーセブンも、何かしらの深い領域(・・・・)に足を突っ込んでいるらしい。

 

 ――――閑話休題。

 

「……だからこそ、あれを『壊す』だけじゃダメだ。完全に『消し去る』必要がある」

 

 固い声で勇斗はそう返答する。あの球体は、『科学の及ばない世界』から呼び出された、途方もない――――炸裂すればこの学園都市を一瞬で更地に変えてしまいかねない程――――力の塊だ。恐らく今の勇斗ならあの球体を破壊することだけ(・・)なら可能かもしれない。根性バカ削板だって、もしかするとその根性でどうにかできてしまうかもしれない。しかし、水をパンパンに詰めた水風船を破裂させると周囲に水が飛び散るように、下手な破壊(・・・・・)は周囲を巻き込む。中身が水なら濡れてそれで終わりだが、あの球体で同じことをやったら、やらかしたら、どうなるか。結局、学園都市を更地に変えてしまう程のエネルギーが、飛び散った水のように学園都市中に撒き散らされることになる。それゆえリスクを回避するための最も確実な方法は、上条が自分で言っていた通り、上条の右手(幻想殺し)であの球体に触れることとなる。問答無用、それが『異能』であれば全てを打ち消す稀有な右手で。

 

「……上条、お前の右手がどういうモンなのかは知らんが、あんな『理解の及ばないモノ』にも通用するモンなのか?」

 

 勇斗の言葉を受けて、削板が上条に問う。

 

「……確証はないけど、多分うまくいく。これまでだってこういう相手(・・・・・・)には、なんだかんだちゃんと通用してきたからな。まあ、足りないところがあれば、……そん時は『根性』でどうにかするさ」

 

 上条はニッと笑う。

 

「ハハッ、やっぱおもしれーよお前ら!」

 

 その笑みに応えるように、削板も楽しげに声を上げた。

 

「……で、俺はどうすればいい?」

 

「さっきも言ったけど、一番リスクが少ないやり方は当麻の右手だ。だから俺ら2人は、あの球体までの道を作る事が仕事だな。具体的には、入っただけでヤバそうな匂いがプンプンする、球体の下の毒の沼地みたいな『あれ』を吹っ飛ばす」

 

 勇斗は球体の下、円形に広がる『黒い領域』を指差しながら、削板の問に答えた。そこからも『異世界』に通じているのだろうか。得体の知れない、黒に染まった雷のようなもの(・・・・・・)が間断なく吹き上がり、球体の周囲の空間を不気味に染め上げている。敵の侵入を拒むように。

 

「ああ、……流石の俺でもあれに飛び込むには相当な根性が要りそうだ」

 

「だろ? 当麻の右手で消しながら進むにしたって、もたもたしてたらあの『雷』にやられそうだしな」

 

 そう呟いてから、勇斗は右手を頭上――――天上へと掲げる。

 

「だから一気に吹っ飛ばして、迎撃される前にカタをつけるのがベストだろうよ」

 

 言い終わると同時、キン――――、という、硬く高く澄んだ音が周囲に響き渡る。

 

「下手やらかした時の暴発が怖いし、あんま大暴れはできないけどな!」

 

 掲げた右手のその手のひらを、勇斗は握り込む。

 

 ――――ただそれだけで、世界が切り取られる(・・・・・・)。周囲に存在していたビル群、そしてその向こうに見えていた公園の木々や競技場、それら全てが視界から消えている。広がっているのは、ただただ漆黒の世界。そして空に瞬く満天の星空。

 

 その光景を見て、削板は弾かれたように動き出す。――――勇斗の狙いが分かったのだろう。「バリア貼っといてやるから、ド派手にやってくれ」という、豪快極まりないそれを。

 

 フッ、と1つ鋭い息を吐き、振り上げた両手を、削板は振り下ろす。ズッ……! と、切り取られた空間全体が鈍く震えた。そして轟音と共に『何か』が放たれ、『黒い領域』に叩き付けられる。放たれたそれは『黒い領域』を穿ち、吹き飛ばす。モーゼが海を割り道を作り上げたように、御坂の元へ細くしかし確かな道が開かれた。

 

「今だ当麻! 行け!」

 

 勇斗が叫び、それに応えるように上条が駆け出す。瓦礫を踏み越え、小石を蹴り飛ばし、矢のような速さで御坂へと迫る。それを前にしても、彼女は動かない。黒い球体を呼び出したその時のまま、動きを見せない。

 

 ――――しかし、それでも『黒い領域』は抵抗を見せた。吹き上がる黒い雷がにわかに勢いと数を増し、削板の放った『何か』を押し戻そうと襲い掛かったのだ。

 

「ぐっ……!?」

 

 削板が苦悶の声を上げる。目をやれば、何かに斬り裂かれたかのように手や腕の至る所から出血していた。ぶつかり合う力場を逆流した何かが、削板に影響を与えたらしい。

 

「……!」

 

 それを確認して、再び勇斗は動く。右手を球体に向けて突き出し、一言二言、言の葉を紡ぐ。――――ただそれだけで、漆黒の空が崩れ、満天の星が雪崩となって降り注いだ。

 

 星々が作り上げる美しい光のシャワーは、しかし圧倒的な威力を持って『黒い領域』に叩き付けられる。吹き上がっていた黒い雷はあっさりと押し戻され、千々に切り裂かれ、押し流され、消えていく。

 

「……流石、やるじゃねーか、千乃。俺も、負けてられねーな! 根性だ!!」

 

 その勇斗の『攻撃』に対抗するように削板が吼えた。そしてそれに呼応して、スーパーサイヤ人もかくやといった可視のオーラが体から勢いよく吹き上がる。同時、削板が放つ『何か』の量が、勢いが、力が、増していく。

 

 勇斗の作り上げた星々のシャワーが、削板の放つ『何か』が、折り重なり束ねられ、一体となって『黒い領域』を侵食する。

 

 ――――そして。ガラスが砕けるような澄んだ音を立てて、『黒い領域(いせかい)』が砕け散り、消滅する。吹き上がる黒い雷も、もう全て徹底的に消え去った。後は、残った球体をどうにかするだけ。

 

 もう邪魔するものは無い。右手を前に、走る勢いそのままに、上条は球体に飛び掛かる。

 

 ――――「ダメ」。そんな御坂の叫び声が、響いた気がした。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「随分と楽しそうに見ているな。まるで玩具を手にした子供のようじゃないか、アレイスター」

 

「……あなたかエイワス。ここに『来る』とは珍しい」

 

 窓の無いビル。その一室。2つの声が響いていた。1つはアレイスター=クロウリー。生命維持装置の内部、得体の知れない液体の中に逆さに浮かぶ、男にも女にも、聖人にも囚人にも、見方によってはどのようにも見える、『人間』だ。そしてもう1つは、そのアレイスターに「エイワス」と呼ばれた声。しかし部屋を見渡しても、どこにもその姿は見えない。この部屋にいるのは、あるのは、巨大な生命維持装置とその前にあるいくつもの機器計器、大型のスクリーン、それを見つめるアレイスターだけだ。

 

「なに、ミサカネットワークが『面白いこと』になっているようだからね。そしてその対処に当たっているのが君のお気に入りの『幻想殺し(イマジンブレイカー)』に『御使降し(エンゼルフォール)』、そして『第7位(ナンバーセブン)』と来たものだ。どれだけ君が浮かれているのか、その様子を見に来たのだよ」

 

 声は楽しげに、からかうように、聞こえてくる。

 

「……ああ、今は実に楽しい」

 

 意外にも、アレイスターはその声に同意を返した。

 

「やはり、流石は木原幻生といったところかな。一時は脳幹に『消してもらう』事も考えていたが……その失点を補って余りあることをしてくれた」

 

 いつもの、喜怒哀楽の全てを内包するような声ではなく、明確に、楽しそうに。

 

「――――多少のイレギュラーは有れど、事態は全てプランにとって前向きに進行している。後は座して待ち、この共演をただ楽しむとしよう」

 

「……君は座してはいないだろう? 浮かんでいるだけだ」

 

 しかし、そんな実体のない存在からの無粋な指摘など聞こえないかのように、アレイスターは楽しげに、スクリーンを見つめていたのだった。

 


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