ep.43 9月27日
「ここは相変わらず何でもでっかいなあ」
勇斗はそう言いながらぐるりと周囲を見回した。視界に映るのは、広すぎる程に広い空間。そのあちこちにはスーツケースを引きずる様々な人種国籍の集団がたむろし、壁――――全面ガラス張りとなっている――――の向こうには、秋晴れの青空とアスファルトの砂漠が広がっている。そしてその『砂漠』の上には白線が引かれ、その線に従って何機もの飛行機が動いていた。
――――そう、ここは第23学区に存在する国際空港の、そのロビーだ。ピカピカに磨き上げられた床が日光を照り返し、ロビー全体を明るく照らしている。あちこちに見えるスーツケースの集団は大覇星祭からの帰宅客だろうか。一時期はとんでもない混雑をしていたようだが、終了から2日が経ち、ようやくその数も落ち着きを見せているらしい。
勇斗は再び視線を『砂漠』――――滑走路へと向ける。この第23学区は大覇星祭の初日、学園都市に潜入したローマ正教系の魔術師オリアナ=トムソンを勇斗と上条が最後に迎え撃った場所でもある。広大なアスファルトの砂漠には、しかし先日の戦闘の痕跡は一切残ってはいないようだった。
「この窓もなあ、人間何人分くらいあるんだろうな」
勇斗達は今、丸テーブルを囲むように座っている。勇斗の左方、コーヒーショップで買ったアイスコーヒーにちびちび口をつけている上条が勇斗の言葉に反応し、そんなことを言い出した。
「なんだ当麻、気になるなら測れるぞ?」
上条の方に目を向けて、勇斗は親指で肩越しに自分の背中を指差す。
「悪目立ちするのでやめてください勇斗さん」
「わかってるよ冗談だ冗談」
即答に即答で返し、勇斗は視線を右方にずらす。いつもの針山めいた修道服ではなく、ブラウスとスカートという出で立ちのインデックスがサンドイッチにかぶりついていた。――――ちなみに服は上条セレクションだ。簡素ながらもインデックスに良く似合っている。さすが、普段から傍でインデックスをよく見ているだけはある。
「ああ……向こうの方から甘くて美味しそうな匂いが漂ってくるんだよ……」
上条同様コーヒーショップで買ったちょっとお高めのサンドイッチを口に運びつつ、漂ってくる甘いスイーツの匂いに舌なめずりする
――――そうは言うものの、確かに鼻をくすぐる甘い香りには思わず涎を誘われる。日本国内外問わず全世界と学園都市の内部を繋ぐ玄関・窓口である国際空港には、学園都市ならではの技術を用いた製品や世界各地のブランド品を売りにした店が軒を連ねる専門店街が作られており、3人が今居る所からはスイーツの専門店街が近いのである。常に一定以上の、繁忙期には身動きが取れなくなると言われるほどの混雑が見られる人気エリアだという。
時間を潰すにはなかなか辛い場所を選んでしまったらしい。かと言って今から移動するのも面倒であるし、そこまで待ち時間が残っているわけでもない。今は耐えるときだろう。もしあれなら、帰りに買っていけばいい。勇斗は溜息を吐いて目の前の飲み物に手を伸ばす。フローズンコーヒーにチョコチップ、チョコソース、ホイップを加えた人気の飲み物。――――驚く人も多いが、勇斗は実は甘党だ。
閑話休題。
――――さて、なぜこの3人は空港にいるのだろうか。当然、何の目的も無く『空港』という場所を訪れるはずもない。当然、飛行機を利用するために空港を訪れたのだ。事実、上条の横にはスーツケースが置かれている。
では、一体どこに行くのだろうか。上条のコーヒーの横、『イタリアの歩き方』とでかでかと書かれたガイドブックが置いてあり、その中の1ページには付箋が挟まれている。それを見ればわかる、イタリアへ行くのだ。
では、万年清貧生活を送る上条が、一体何故海外へなど行けるのだろうか。――――そこには、万年不幸生活を送る上条からするととても考えられないような、とある理由が隠されている。
2日前、上条は『来場者ナンバーズ』――大覇星祭の来場者数を予想する簡単なゲームで、実際の数と近い数を予想した人間には賞品が出る――に挑戦した。申し込みカードを3枚分購入し、それらに適当に予想した3つの数をそれぞれ書いた。すると、そのうちの1つが何とドンピシャ、特賞のイタリア旅行を勝ち取ったのだ。不運さには定評のあるあの上条が、である。
――――そこからがまた大変だった。上条が引き当てたイタリア旅行のプランは集団でのツアー旅行であり、現地集合後団体さんであちこち決められた日程に従って動き回るタイプのものだった。そして集合予定日は9月27日。つまり今日なのだ。
大覇星祭後の設備の撤収などのために設けられる臨時の休日に合わせてプランを組んでいるとはいえ、少々急すぎる日程であり、その準備は非常に慌ただしいものとなった。スーツケースや予備の財布、確実に金属探知機に引っかかるであろう針塗れ修道服の代わりの服なんかを購入したり、着替えその他の荷物の荷造りをしたり。勇斗も買い物を手伝ったり、いろいろと助言をしたり(代わりの服を用意するよう言ったのも勇斗だ)した。
――――自分が旅行に行くわけではなかったけれど。
上条が当てたのは『ペア旅行』で、この場合のペアとは当然上条とインデックス。――――海外旅行をさせるのには非常に不安が残るコンビであるのは言うまでもない。勇斗はむしろ自分からおせっかいを焼くことになったのだった。
そんな一昨日から昨日にかけてのドタバタを思い返して、そして時計を見れば、そろそろ搭乗の時間が近づいていた。勇斗はそれを2人に伝え、3人は立ち上がり、出入国管理ゲートの方へと移動を開始する。
「そろそろだな当麻。忘れ物は無いな?」
「大丈夫なはず……。さっき家出るときに勇斗と確認して、それから弄ってないぞ」
車輪をガラガラ鳴らしながら引きずるスーツケースにちらりと目をやって、上条はそう答えた。
「なら大丈夫だ。インデックス、通訳は頼むぞ」
「任せておいてほしいんだよ」
――――今の服装は普段の修道服よりも体型がわかりやすい。 インデックスはえっへん!と(薄い)胸を張る。
「いつもはとうまにお世話になってる分、今回は私がお世話をするんだから。フォローはいくらでもしてあげるから、とうまはしっかり楽しんでね」
「よ、……よろしくお願いしますインデックス様!」
「よろしい!その調子でもっと褒め称えるんだよ!」
「はい!インデックス様!」
「ふはははは!」
「テンション高すぎんだよ目立つからやめろよ」
――――そんなこんなのやり取りの後で、無事上条とインデックスはゲートをくぐり抜け、その向こうに消えて行った。
(……さて、何事も無ければいいんですがね)
空港の外、飛び立っていく飛行機を見上げながら、勇斗は心の中でそう呟くのだった。
▽▽▽▽
空港で2人を見送った勇斗はその足で第22学区へと向かった。
第22学区は勇斗達が暮らす第7学区に隣接した、学園都市で最も小さい学区であり、代わりに地下深く――――地下数百メートル程の深さまで開発が行われていて、地下施設が最も発展している学区である。……というかむしろ地上部分に普通の建造物は存在しておらず、ビルの鉄骨のように柱を組み合わせて作られた30階程度の高さがある『巨大なジャングルジム』に風力発電のプロペラが並べられている。換気や水の移動、調光などに消費される莫大な電力を何とかして賄おうと苦心した結果らしい。
円筒形の巨大な『穴』に作られた地下階層は全部で10の階層に分かれていて、 地下へ至る道路は直径2キロの外周を這うように螺旋を描いており、上りと下りの車線を合わせると理髪店のポールのような形状――――二重螺旋を描くようになっていた。
勇斗はその第3層、地下90メートルの深さまでエレベーターで降り、入り口ゲートをくぐる。目的は「スパリゾート安泰泉」というレジャー施設だ。スパ、という名前が示すように温泉があり、それだけでなくゲームセンターやらショッピングモールやらボーリング場やら、学生向けのアミューズメント施設がこれでもかと詰め込まれているのだ。
『ジャングルジム』のてっぺんに取り付けられたカメラで撮影された空の様子がリアルタイムで映し出される
そのビル群の1つに、目的地の「スパリゾート安泰泉」はあった。人工の自然の中をしばらく歩いて、勇斗は施設の出入口をくぐる。大覇星祭明けの休日ということもあってか、施設内はそこそこの混雑を見せていた。1週間も続いた祭りの疲れを癒すためか、温泉に向かう人の流れが目立つ。――――かくいう勇斗もその口なのだが。
「ごめんなさーい! 只今満員のため整理券を配布していまーす! 入浴希望の方はこちらへー!」
アルバイトと思しき大学生くらいのお姉さんが人混みの中、温泉の入り口で声を張り上げていた。――――混雑の中でこんなに声がはっきり聞こえるということは、何かしらの能力を使っているのかもしれない。ともかく、勇斗は整理券を受け取った。見れば、そこに書いてある時間は夕方、――あと2時間以上はある。
何をして時間を潰そうか、寮に帰るのも手ではあるが、一度帰ったらまた出てくるのが億劫と言えば億劫だ。それにせっかく近くにゲーセンやら何やらがあるのだ。遊んで行くのが良いだろうか。
立ち止まり、考え込む勇斗。そんな勇斗に背後から声が掛けられる。
「あれ、勇斗じゃない。こんな所で会うなんて奇遇ね」
そう言って近づいてきたのは、御坂美琴だった。
「おー、御坂。確かに奇遇だな。常盤台のお嬢様がこんな所に来るなんて思わなかったよ」
「純粋培養お嬢様なら多分そうでしょうね。でも私の家は一応一般家庭だし、こういう場所に抵抗は無いわよ。それに、湯上りゲコ太ストラップがもらえるスタンプラリーが始まったから、むしろ来るしかないじゃない」
そう言って肩をすくめる御坂は制服を着用していない。胸元に3つのハートマークがあしらわれた黒いTシャツの上に薄手のパーカーを羽織り、ショートパンツを穿いている。
「……お前、制服は?」
呆れつつも、勇斗はそう問い掛けた。常盤台中学の校則――――外出時の制服着用義務について知っていたからだ。しかし御坂は、
「目立つし、脱いできたのよ」
さもそうするのが当然であるかのようにあっけらかんとそう言ってのけた。
「……そういえば、アンタに聞きたいことがあるのよね」
「……なんだ?」
「実はね、……アイツと大覇星祭で賭けをやってたのよ。学校対抗順位で負けた方が、勝った方の言うことを何でも聞くっていうやつ」
「……ああ。そういやそんなこと言ってたな」
――――言わずもがな、御坂がこの文脈で用いた『アイツ』は当然上条を指す。ちなみに学校順位では勇斗達の高校は常盤台中学に惨敗している。いくら勇斗や九重のような『個の力』を持った人間がいても、それよりやや弱いくらいの人間――――これまた言わずもがな、
「黒子のお見舞いとかで会えればその時に言ってやろうかとも思ったんだけどね。できるだけ早く言ってやろうと思って。アイツがどこにいるか知らない?」
「うーん……」
その件、知っていると言えば知っている。ただしそれが御坂の希望に沿うかは知らないけれど。
「アイツなら今頃、……多分ロシアの空の上にいるんじゃねえかなあ」
「…………は?」
「北イタリアはヴェネツィアへ、5泊7日のツアー旅行ってな。ついさっき出発していったぜ」
「……………………誰と? 1人で?」
「インデックスと、2人で」
「………………………………」
沈黙が恐ろしい。なんだか御坂周辺の空気が帯電してきたような気がする。――――身の危険を感じる。
「……………………ほうほう。ほーう」
しかし予想に反して、御坂が『爆発』することはなかった。不気味な笑みを浮かべて、静かに静かに言葉を紡ぐ。
「人との約束を忘れて自分は女の子とラブラブ海外旅行ですかそうですか。よっぽど新技の実験台になりたいみたいねえ。
何やら不穏な言葉が聞こえてきた気がする。日本に帰ってきた後の上条の運命や如何に。
「邪魔したわね勇斗。ちょっと練習しなきゃいけないことができたから私は帰るわね」
いっそ清々しい笑みを浮かべて、御坂は勇斗に背を向けて去っていったのだった。