「はーい勇斗。寝起きドッキリだぜい」
「…………何で目覚めて最初に見る光景が金髪グラサンアロハ野郎なんだよ」
不機嫌な声と共に、勇斗は掛け布団を蹴り飛ばし、体を起こした。
ここは寮の、勇斗の自室。ベッド脇の目覚まし時計に目をやる。――――午前4時半。その横に、見慣れた男の姿が見える。土御門元春だ。一体どんな手段を使ったのか、勇斗は部屋に忍び込んだ土御門に叩き起こされたのである。
「こんな朝っぱらから何の用だ」
不機嫌さを欠片も隠すことなく、睨みながら――――眠気のせいで瞼が重い――――勇斗は言う。非常に眠い。昨日御坂と別れた後、ゲーセンで遊んでからゆっくり温泉につかり、精神的にも肉体的にもリフレッシュできた。あとはぐっすりよく眠って万全に仕上げるつもりだったというのに。こんなわけわからん時間に不法侵入されたあげく睡眠を邪魔される羽目になるとは。一体どうなってやがるチクショウ。
そんな気持ちを視線と声色に乗せて、
「単刀直入に言う。魔術絡みさ」
――――その土御門の一言で、勇斗の意識が一瞬で覚醒させられる。
「……またローマ正教か?」
「お・お・あ・た・り、だぜい」
誰も得しないウインク1つ。それからすぐに、土御門は疲れたような表情を浮かべた。
「詳しい説明をしたい。舞夏が朝飯を準備してくれてるから、着替えてから俺の部屋に来てほしい」
「……わかった。すぐに行く」
「頼むぜい」
そう言うと、土御門は何食わぬ顔で玄関の方から出て行った。――――合鍵か、はたまたピッキングか。いくら土御門が暗部の人間だとはいえ、自分の部屋のプライバシーの無さにそこはかとない不安を覚える勇斗だった。
とはいえすぐに顔を洗って着替えを済ませ、上条の部屋を挟んで2部屋向こうの土御門の部屋に向かう。ドアを開け部屋に入ると、米の炊けるいい匂いと味噌汁の食欲を誘う香りが一体となって勇斗のもとに届いた。
「来たな。座って待っててくれ。ちょうど舞夏特製味噌汁が温まったところだぜい」
「お言葉に甘えさせてもらいますかね」
数分のうちに、居間で待っていた勇斗の前に美味しそうな朝食が並んだ。典型的な、しかしとてもレベルの高い和朝食。ご飯、味噌汁、焼き鮭、納豆、卵焼き、漬物、おひたし。旅館か何かのそれと見紛うほどだ。朝からこれだけしっかりした朝食を食べていれば、それは土御門も健康的な(安全かどうかはまた別の話)生活を送れることだろう。
手を合わせて、声を揃えて、いただきます。味噌汁を口に含む。……自分で作る味噌汁と一体何が違うのか。自分の味噌汁がおいしくないとは言わないが、こんな味を出せるとも思えない。後で舞夏にコツでも教わろうか。
「時間がもったいない。行儀が悪いのは承知の上で、食べながら解説しても構わんかにゃー?」
「別に構わんよ」
「助かるぜい」
そう言って、土御門も勇斗同様味噌汁へと手を伸ばし、一口飲んで満足そうに顔を綻ばす。
「カミやんと禁書目録が向かったのは、イタリアのヴェネツィアってのは知ってるだろ?」
「まあな。準備を手伝ってる時に聞いたよ。……『アドリア海の女王』、『水の都』、『アドリア海の真珠』、なんて呼ばれてるんだったか。有名な観光地だよな」
箸で卵焼きを半分に割り、口に運ぶ。――――だし巻だ。普段は甘い味付けの卵焼きばかり食べている勇斗にとってはとても新鮮な味付けだった。
「そうだ。そしてそのうちの1つ、『アドリア海の女王』ってのが、今回アイツらが巻き込まれた大規模術式の名前でもあってにゃー」
土御門は納豆をかき混ぜる。味付けはシンプルにタレとからし、そして細かく切った漬物。それらを加えてさらに混ぜ続ける。
「……『アドリア海の女王』、ね。どんな魔術なんだ? 名前的にヴェネツィアに関係してるってのは何となくわかるけど」
「そこを説明しようとすると少し昔話が必要になるんだぜい。……昔々、ヴェネツィアって街は、交易で稼いだ莫大な富とそれを背景にした強力な軍事力を持っていたんだにゃー」
泡で豆が見えなくなるくらいまでよくかき混ぜて、どんぶり山盛りの炊きたてご飯の上に移す。待ち侘びたような表情で土御門はご飯を掻き込んだ。
「おまけに当時のソイツらは当時の教皇直々の破門状を何度も何度も受け取ることになるくらいローマ正教に対して反抗的でな。ローマ正教からすれば、
「……もしかして『アドリア海の女王』ってのは、そのヴェネツィアが対ローマ正教用に作り上げた魔術だったりするのか?」
おひたしを食べ終えた勇斗は焼き鮭に取り掛かる。塩加減のちょうどいい、ご飯によく合う味だ。
「いや、逆逆」
土御門はそこで一度言葉を切って、味噌汁を一口。
「当時のヴェネツィアに対して危機感を抱いたローマ正教が、有事の際にヴェネツィアを叩き潰せるように組み上げたのが『アドリア海の女王』っつー大規模術式だぜい」
「……国家1つを叩き潰す、ねえ。具体的にはどんな魔術なんだ?」
「簡単に言えば、『全て』を壊すんだよ。文字通り『全て』をにゃー」
「? どういうことだ?」
妙なまでに強調された『全て』の一言。小骨を取る手を止めて、勇斗は眉をひそめる。
「ソドムとゴモラに振るわれた天罰の話は知ってるだろ?」
「まあ、それは知ってる。大天使『
「正解。『アドリア海の女王』はヴェネツィアをそのソドムとゴモラに対応させ、『神の力』がしたのと同じように火の矢を打ち込む。街の中心から外周まで、その全てを
「……『まず』?」
「良い所に気付いたな」
二ヤリ、と悪い笑みを1つ。
「物理的にヴェネツィアを消し去った後、その術式は次にヴェネツィアを離れていた人や物品に襲い掛かるんだぜい。旅行に出ていた人、国外の美術館に寄贈された芸術品、……それらに関係するありとあらゆる全てのモノが消されていく。実際発動されたことはないからわからないが、ヴェネツィア派という学問やヴェネツィア起源の文化、下手したら『歴史そのもの』すら消えてなくなるかもしんねーにゃー」
「は、え?」
あやうく箸を取り落としそうになる。正直、全く想像がつかなかった。火の矢の雨で物理的に破壊するというのはまだわかる。ミサイルを雨あられと打ち込むようなものだろう。
「……そんな事が出来るのか?」
「そんな事が出来てしまうというのがこの『アドリア海の女王』の怖い所なんだぜい」
そう言って土御門は卵焼きに箸を伸ばし、まるまる1つを一口で食べる。
「ま、そんな物騒な魔術であるが故に、『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対してしか発動できないんだけど」
「ん? そうなのか?」
「まあな。理由は簡単、術式を誰かに奪われた時に矛先が自分達に向けられる事を恐れたんだよ、ローマ正教はな」
「え、じゃあローマ正教が『アドリア海の女王』を持ち出したってことは、今更ヴェネツィアを攻撃するつもりってことか? もう何百年も昔の話だろ、ケンカしてたのって。むしろ今じゃ本拠地の近くにある世界的な観光地ってことで、ローマ正教も得してると思うんだけど。まさか中のお偉いさんって、そんな昔の因縁を引きずるような頭の固い連中ばっかりなのか?」
食事を再開した勇斗は焼き鮭と共にご飯を平らげる。
「頭の固い連中ばっかりだし、昔の因縁を引きずるような連中ばっかりでもある、っていうのは否定できないが、現在のヴェネツィアは至極健全な観光地だし、今のローマ正教との関係は良好だ。互いに互いを疎んじるような理由は無い。そこは断言できるぜい。……ああ、ご飯なら好きなだけ食ってくれ。早朝に叩き起こしたお詫びの1つだ」
「助かる。朝しっかりと食わないと何か調子が出ない人間でさ」
そう言って勇斗は席を立ち、ご飯をよそって、再び席に着く。2杯目は納豆をお供に。タレとからしを加えてかき混ぜる。――――漬物も取っておくべきだったか。
入れ替わり、土御門も2杯目を求めて席を立つ。すぐに戻ってきて、鮭の身をほぐしながら再び口を開く。
「さて、話の続きだ。……なぜローマ正教は、今更になってヴェネツィアしか攻撃できないような術式を持ち出してきたのか」
ほぐした身の半分を鮭フレークのようにご飯にかけ、土御門は勢いよく掻き込んだ。
「……実は『アドリア海の女王』について、とある筋からとある情報を貰ったんだにゃー。何かっつーと、『アドリア海の女王』の発動に『刻限のロザリオ』なる別の術式が必要らしい、っていう話。そしてその術式もまた発動の準備に入っているらしい、っていう話」
「何だそれ」
「……情報によれば、その『刻限のロザリオ』は適性のある人間の精神を意図的にぶっ壊して、ちょっとぶっ壊れた魔力を作り出さないと機能しない術式らしい」
勇斗の問いに、意味ありげな間を置いて土御門は回答した。
「……でもよく考えるとこれっておかしな話なんだにゃー。さっきも言ったけど、有事の際にヴェネツィアを一撃で叩き潰せるようにローマ正教が組み上げたのが『アドリア海の女王』だぜい。それなら即時発動できなきゃダメじゃね? 適性のある人間を探してー、連れてきてー、『刻限のロザリオ』の準備してー、発動してー、『アドリア海の女王』が起動できるようになってー、はいどーん! ……なんてモタモタしてたらその間に侵攻されて終わりだよにゃー?」
「まあ……確かに、言われてみればそうだな」
2つ目の卵焼きに箸を伸ばしながら、勇斗はイタリアの地図を思い出す。ローマとヴェネツィアは直線距離で言えば400キロくらいは離れていた気がする。近いとみるか遠いとみるかは微妙な所ではあるが、気付いたら包囲されていました、などという緊急事態を考えれば確かに即効性は重要だろう。発動できれば勝ち確定なのに発動できずに負けました、ではあまりにお粗末に過ぎる。
「『アドリア海の女王』はそれ単体で発動可能。『刻限のロザリオ』という面倒な術式が必要であるなんて記述は1つも無い、ってのがとある筋――禁書目録からの回答だ。あの10万3000冊の原典を『保有』する魔道書図書館が、そう言い切ったんだぜい」
勇斗の箸が再び動きを止めた。眉をひそめる。
「……じゃあ、今イタリアで準備されてる『刻限のロザリオ』は一体何なんだ?」
「その問いに対する回答が、なぜローマ正教が今更『アドリア海の女王』を持ち出してきたのか、っていう問いにも関わってくると俺は睨んでる」
ここに来て、土御門の目がスッと細くなった。吊り上っていた口元が引き締まる。
「そもそもの話として、今のローマ正教が今のヴェネツィアを攻撃する理由は無い。それなのに、ローマ正教は『アドリア海の女王』を持ち出してきた。『刻限のロザリオ』という存在しないはずのイレギュラーと共にだ」
土御門は一度言葉を切って、
「……勇斗。今のローマ正教にとって最大の敵はどこの誰だと思う?」
「…………学園都市、あるいはそこと繋がるイギリス清教か」
勇斗は思い出していた。大覇星祭初日に起こった、『
――――そこまで考えて、勇斗は気付く。
「そう、今のローマ正教にとっての最大の敵は学園都市とイギリス清教だ。……そしてついこの間、その最大の敵に、『聖霊十式』の1つを破られた」
土御門の言葉は続く。
「ヤツらが受けた衝撃は並のものじゃあなかっただろうさ。自分たちが切れる最高クラスのカードが全く効かなかった。じゃあその他のカードはどうなるんだ、って感じでな。そんな連中が、ここに来て動きを見せた。国家1つを叩き潰すことのできる大規模な術式を用意して。本来無いはずのイレギュラーな術式も添えて。――――『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対する効果しかない。どれだけ圧倒的な威力があっても、その縛めを解けない限りこの術式の使い道はない」
「『刻限のロザリオ』は、『アドリア海の女王』の制限を取り払うための術式か……!」
忌々しげに、勇斗は呟く。
「そうだ。その可能性が非常に高い」
固い声で、土御門はその声に応じた。
「『アドリア海の女王』は物理的な破壊をもたらすだけじゃない。関連する全てを破壊し、消し去る。そんなものが学園都市に放たれれば一体どうなる?」
今日において、世界に存在するありとあらゆる科学技術は学園都市の影響を大なり小なり受けている。学園都市に向かって『アドリア海の女王』が放たれれば、科学サイドという枠組みが消え去るのみならず、全世界に電気もガスもその他のインフラも使えない生活が訪れることになる。
「…………ん? じゃあ俺は何をすればいいんだ?」
今勇斗は日本にいる。そしてその全てを破壊する術式は遠く離れたイタリアで準備が進んでいる。超音速旅客機を使えば1時間ちょっとで行けるとはいえ、今から飛んで行ったところで間に合うのだろうか。
「……『アドリア海の女王』みたいな超大規模な魔術ってのはな、何かの拍子に暴発しないような『カギ』だったり、狙いを定めるための『アンテナ』みたいなものがあったりする場合が多いんだぜい。暴発して一番被害を受けるのは術者自身だからな」
さっきまでとは一転、軽薄な笑いを浮かべる土御門。
「そしてまた別の筋からの情報によれば、学園都市に外部から何者かが侵入したらしい。一瞬監視カメラに映った画像を見る限り、修道服を着ていたみたいだにゃー」
その目はしかし、笑っていない。鋭利な光を目に宿したまま、彼は告げる。
「もちろんカミやん達が向こうをどうにかしてくれれば話は早い。だが『アドリア海の女王』なんて物騒なものを使用する計画に乗っかるような連中が、こんな敵地のど真ん中に乗り込んで、素直に帰ってくれると思うか? 魔術という力を持ち、まわりに無知な『敵』が山のようにいる状況で、何事も無く解決すると思うか? ……こんな早朝にお前を叩き起こすことになったのはそれが理由さ勇斗。本当なら魔術師は魔術師がどうにかするべきだ。だが今回は、どうもそんな事は言ってられない。頼む勇斗、そいつらを叩きのめすために力を貸してくれ」
その言葉を受けて、勇斗は一瞬、考えて、
「……そんなん、頼まれるまでもないよ」
味噌汁を一気に飲み干して、これで綺麗に完食だ。勇斗は箸を置く。
「任せてくれ土御門。腹が落ち着いたら早速ケンカ売りに行こうぜ」
「……ありがとよ勇斗。助かるぜい」
「いいっていいって。どうせ俺らがオリアナを撃退したことくらい向こうにはもうバレてるだろうし。ここまで来たら最後までやらせてもらうさ。……せめて学園都市とイギリス清教の『上』にくらいは話通しといてくれよ」
「ああ、そこは任せてくれ。どうにかする」
土御門も完食。食器を片づけ、食後のお茶を準備する。
「……『アンテナ役』がいる場所に心当たりは?」
「敵の狙いは学園都市を含む『科学』の全て。なら『的』の中心になるのは、科学の象徴――――学園都市の中心。この街の中枢のはずだ。それは一体どこか」
「……『窓の無いビル』か」
少し考えて、勇斗は答えを導き出す。
「そう。そう考えれば、『敵』はその『窓の無いビル』の近くにいる可能性が高い」
「……もしハズレを引いたら?」
「その時はその時だ。『上』に頭を下げるか、魔術で探すか、……どうにかするさ」
土御門は肩をすくめる。
2人揃って、お茶を飲み干した。準備万端だ。
「――――じゃあ、行くか勇斗」
「りょーかい。ぎったんぎったんにしてやるぜ」
いっそ獰猛な笑みを浮かべて、2人は早朝の街に繰り出していく。