東の空が明るくなり始めた薄明の頃。暁の、東雲の、曙の、朝焼けが広がる秋の早朝。学園都市第7学区、とあるビルの屋上に、『彼ら』は佇んでいた。
人数は全体で10人。中世のそれのような銀の鎧を身に着け、長剣を佩く騎士が4人。外套つきの漆黒の修道服を着た修道士、修道女が5人。そしてその後ろ、その集団の中で際立って老けて(老け込んでいるわけではないが)おり、一際豪奢で重そうな法衣を身に纏う、一目で『上』の立場――
彼らの周囲――――ビルの屋上だけでなく地上にも、人の気配は欠片も感じられない。時間は午前6時。早朝だということを割り引いて考えても少しずつ動き始める人間はいるはずなのに、不自然なまでの静寂が彼らの周囲を包んでいた。
「ふむ。科学の街とはいえ、夜明けの美しさは変わらないものだな」
『人払い』の魔術によって作り上げられた偽りの静寂の中、法衣の男が口を開く。
「自然の美しさは不変。愚かなるは神を捨て、科学のみに走る人間、か」
「……ビショップ・エジディオ」
街並みに目を落として呟く司教に、修道士の1人が恐る恐る声を掛けた。
「イタリアより連絡です。ビショップ・ビアージオが……」
「ああ、わかっている」
部下の報告を遮り、エジディオと呼ばれた司教は1つ溜息を吐いた。
「『アドリア海の女王』と『女王艦隊』、『刻限のロザリオ』は破られた。イギリス清教の禁書目録、オルソラ=アクィナス、天草式、そして学園都市の上条当麻の手によって」
とても聖職者のそれとは思えない程に忌々しげに、大きく舌打ちをする。
「……特に上条当麻、あのビアージオを打ち破るとは。主を知らず、主の恵みを拒絶すらする異教の罪人風情ながらよくやってくれる」
放たれたのは嫌悪と苛立ちの感情。底冷えする平らな声で、それらが紡がれていく。
「ビショップ・エジディオ。この後は……」
「手筈通りだ。イギリス清教だから、科学サイドだから、……私はそんな無為な理由での破壊や殺戮は好まんが、主に背いた敵性を相手とするというのなら話は別」
司教のその言葉を引き金に、騎士姿の4人が腰に佩いた剣を抜く。エジディオに話しかけた修道士以外の4人が、ゲームの中の『魔法使い』のような杖を取る。
「認められんな。主の恵みを拒絶する力を主の信徒に振るうその悪性は。承服できんな。同じ主の信徒でありながら、主に仇なす敵性と共に我らに背くその背信は」
ここで、エジディオも杖を取った。司教の権能の象徴、羊飼いの杖にも似た、先端の丸まった
「ならば思い知らせよう。主に、その信徒たるローマ正教に、背くことが何をもたらすのか。あれだけの大人員と戦い、『女王艦隊』の大艦隊群を沈め、ビアージオという司教を撃破した、我らローマ正教の『敵』に」
「……今のセリフ、学園都市を攻撃するって認識していいんだよな?」
そのタイミングで、エジディオの演説を破る不躾な言葉が割り込む。ここにいるはずの誰のものでもない第三者の声だ。それはつまり、人払いの影響下にあるこの場所へ強制的な介入があった事を意味する。
全員が声のした方に振り向く。部下が皆驚愕の表情を浮かべる中、司教は1人、冷たい無表情のまま。
「これで正当防衛だと言い張れるぜい。いやいや、自分からそのセリフを言ってくれてこちらとしては大助かりだにゃー」
気が抜ける程軽い、2つ目の『第三者』の声。
10人がいるビルの屋上に、どこからともなく2人の少年が出現していた。1人は右袖に緑の腕章をつけた、黒のポロシャツにカーゴパンツという姿の黒髪の少年。もう1人は、金髪グラサンアロハシャツという中々にぶっ飛んだ格好の少年だった。
「お前らは……」
「
黒髪の少年が答える。爽やかに笑っているが、しかしその表情とは裏腹に背筋が薄ら寒くなるような威圧感を撒き散らしている。
「
「あんたらがどこの誰かは知らないけど、学園都市への攻撃意思を持つテロリストに対する逮捕権は持ってるんでね。どこの誰かは知らないけど」
「……人払いの術式を潜り抜けておいて、白々しいことを言う」
フン、とエジディオは苛立たしげに鼻を鳴らす。
「遠くローマからわざわざ来てくれたことは褒めてやってもいいが、ここで暴れられても困るんだぜい」
金髪の方の少年が口を開いた。――――エジディオの予想通り、こちらの正体はバレているらしい。そしてやはり、学園都市はイギリス清教との深く強いパイプを持っている。そうでもなければ、イタリアで起こっている事件に反応してこちらに接触することなどできはしない。本来であれば何も気づかれる事無く、この街を灰にできたというのに。
しかしエジディオはその苛立ちを表に出すことなく、冷静な声でこう言った。
「……このまま何もせずに帰ると言ったら?」
彼が放ったそんなセリフに、味方であるはずの騎士たちが驚きの表情を浮かべて彼を振り返った。何もせずに帰るなどあり得ない――――そんな感情がありありと見て取れる。
「バカか。『アドリア海の女王』なんて物騒なモンを用意してやがったヤツらをそのまま帰すわけねーだろ。
そこに、黒髪の少年からの辛辣な返答があった。早くも下手な芝居を止めたらしいその少年は、彼らの切り札
「司教を馬鹿呼ばわりとは何とも異教の罪人らしいことだ……。……まあそれより、暴れようが暴れまいが待ち受けるのは
そんな部下たちの様子を見てから、エジディオは口角を吊り上げる。
「……ならば抵抗させてもらうしかないようだな。主に反抗する報いを知れ」
引き裂くような昏い笑みと共に彼はそう告げる。弾かれたように、彼の部下たちが一斉に動き出した。
▽▽▽▽
2対10という圧倒的数的不利。しかも片方は魔術師ながら自由に魔術を使えない身だ。つまり実質的には1対10に近い。前衛として勇斗に飛び掛かろうとする騎士だけで4人。その背後では5人の修道士が、さらにその後ろではエジディオと呼ばれた
だが、
「……おいおい。いくらなんでも人を舐めてかかり過ぎだろ。得体の知れない敵相手によくもまあそんな突っ込めるよ」
勇斗は笑みを浮かべる。エジディオが浮かべた昏い笑みと同種のそれを。
閃光が瞬き、その背に青みがかった白銀の翼が、頭上に同色の円環が、それぞれ出現した。何らかの魔術の発動に伴い周囲に広がりだした魔力に反応したのか、ノイズで翼の輪郭は歪み、頭上の円環は円と十字を組み合わせた等脚のケルト十字のような図形を描いている。まさしくその姿は天の御使いたる天使そのもの。故にそれを目にした騎士や修道士、そしてエジディオさえもが驚愕の表情を浮かべ、たじろいでしまっても無理はないだろう。本来であればこんな科学に支配された街で見ることなどほとんどあり得ないのだから。
しかし勇斗はそんな隙を見逃さなかった。地面を割り砕く程の踏み込みで騎士の1人の懐に飛び込み、右の拳を叩き付ける。ゴガッ!という、硬い物で硬い物を思い切り殴りつけたような轟音。砕け散る鎧の破片を撒き散らしながら騎士の体が吹っ飛んでいく。
生身の人間に武装を破壊され吹き飛ばされる、なんて光景を目にさせられた他の騎士の動きが再び遅れた。その隙を突いて両の翼を振り下ろし、叩き付け、両側方から迫ろうとしていた2人の騎士をまとめて昏倒させる。そして吹き飛ばされた騎士の手から離れ落下を始めていた剣を空中でキャッチ、そのまま振り抜き、再起動して斬りかかってきた最後の騎士の剣を打ち据え、破壊する。武器を失い、今度こそ茫然自失と立ち尽くす騎士。
「慢心してはダメ、ってね」
意識を刈り取られた騎士の体が崩れ落ちた。
そこで、ようやく『魔法使い』達の魔術が発動する。勇斗の足元のコンクリートが物理法則を無視して泡立ち、空気中の水分から作り上げられた氷の刃が宙を舞い、術者の杖から巨大な火球が放たれ、渦を巻く風がカマイタチを生み出す。近代西洋魔術の基礎の基礎、土、水、火、風の要素を持った攻撃だ。4人の術者から4人の魔術。恐らく、その道のスペシャリストを連れてきたかなんかなのだろうか。
――――しかし、勇斗は
――――吹き散らされた術式群の向こう側。5人目の修道士が手に持った杖の先でトン、と地面を叩くのが見えた。その行為が何を意味していたのかは分からない。しかし、変化はすぐに起こる。勇斗の頭上、数十センチほどの場所で、AIM拡散力場の流れが変化した。それはつまり、その場所にイレギュラーな何かが出現し、その場所を流れる力場がそれによって押し退けられたということ。
「ッ!」
瞬間の判断で勇斗は振り上げていた翼を振り下ろす。ボフッ、と空気の抜けるような音が響いた。翼が何かを切り裂いたのだ。5人目の術士が操ったのは不可視の物質。1人1人がその道のスペシャリストであるという推測に従うなら、この5人目が操るのは
とにもかくにも、そんな不可視の攻撃を防がれたことが余程予想外の事だったのだろう。杖を振るった5人目の修道士は口角泡を飛ばしながら、外国語――――恐らくイタリア語で喚き散らしていた。防がれるはずの無い攻撃が防がれた時の焦燥と絶望、
そんな様子の彼が再び杖を――――先端に翼を広げた天使がデザインされたそれを、振るおうとして、
――――重力にも似た、しかしそれより激しく暴力的な『下向き』の力が、5人の修道士に襲い掛かった。抵抗する余裕など与えられない。勇斗が放った収束したAIM拡散力場によるその攻撃は、5人の意識を奪いコンクリートの屋根を穿つのには十分な威力を秘めている。
「……まあ、ざっとこんなもんじゃないかな」
クレーターの底で伸びている5人を、そして周囲に転がる4人の騎士を見下ろし、誇らしげに、しかしどこか安心したように、勇斗は呟く。9人は完全に沈黙し、残るはエジディオという名の
「……先に言っておく。この天使みたいな見た目に関しては色々言いたいこともあるだろうけど、この形状を取るにあたっては俺自身の意思は介在されてないからな。だからこれについてイチャモンを付けられてもどうしようもないしどうするつもりもない。文句を言いたいならお前の所の神様に言ってくれ。そいつがこんな面倒なことになった全ての元凶だろうからな」
勇斗は警戒を解くことなく、むしろその度合いを高めながら、対峙する。
「……さて、ここでアンタを仕留めればそれで終わり。あとはそこの土御門が全員
「…………は、はは、……はははは、あはははははは!!」
そこで突如として、エジディオは狂ったような笑い声を上げた。おかしくておかしくてたまらないような、楽しくて楽しくてたまらないような、そんな笑みを。
「――――黙れ、神と神の子を愚弄する異教の大罪人が。全力で殺す。慈悲などない」
それに反して放たれた言葉は物騒極まりないものだった。目をギラつかせ、深い皺を刻むほどに顔を歪めていた。ドロドロと絡み付くような悪意が、敵意が、殺意が、噴出する。同時に、周囲を漂う魔力がその量と濃さを増し始める。勇斗はそれを直接感じ取ることはできない。しかし、自分の中のノイズが大きくなっているのは感じ取ることができていたし、詳細を知覚できない『何か』が周囲に溢れはじめたことも理解できていた。
(……ここからが本番か)
取り巻きの9人は倒したものの、この『感触』は9人を合わせたモノよりもずっと大きそうだ。勇斗の直感がそう告げている。どうやら、
勇斗は構えを取り、――――すぐに第2ラウンドがその幕を開けた。