科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

52 / 67
ep.51 9月30日-5

「きぬ……は、た……?」

 

 勇斗のうめくような呟きが雨の街に溶けてゆく。しかし呼びかけられた絹旗に反応は見られない。ただひたすらに、胸に空けられた大穴から鮮血が溢れ出すだけ。それ以外に、彼女が見せる動きは、何一つなかった。

 

「きぬはたっ!」

 

 完全に動きを止めていた勇斗の頭が、その機能を取り戻す。改めて勇斗は絹旗の様子を観察する。――――致命傷どころの話ではない。手刀で胸を貫かれ、心臓を握り潰された。普通ならまず間違いなく絶命する。そしてこのままなら、絹旗もまたその運命を辿ることは想像に難くない。

 

 ――――だが、まだ希望はある。この街にはあの『カエル顔の医者(せんせい)』がいる。『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』とまで呼ばれるあの人なら、この状況でもきっとなんとかしてくれる。そのためには可及的速やかにこの場から離脱し、絹旗を先生に託さなければならない。

 

 ――――そんなことを考えていた勇斗の全身を、横っ腹から強烈な衝撃が見舞った。目に見えない壁が物凄いスピードでぶつかってきたかのような、そんな感覚だ。

 

「が、っ……!?」

 

 あまりの衝撃に肺から空気が押し出され、ちょっとした酸欠状態が勇斗の意識を蝕む。吹き飛ばされ、転がり、雨に濡れたアスファルトに全身あちこちを削られるが、その痛みすら膜一枚通した向こう側のようなくぐもった痛みに感じられた。

 

「やあよぉ、話はまだこれからなんだからぁ」

 

 緊張感の欠片もない、直前に人の心臓を潰したとは思えないような気の抜けた声が勇斗の耳に届いた。声の出どころは倒れている絹旗のすぐ横。ふんわりと、こんな状況でなければ見惚れていたかもしれない、朗らかな笑みを浮かべている。行動と表情の不一致がここまで人に不安をもたらすものなのか、否応なしに理解させられる。

 

「私の名前はねぇ、『テネブラ』っていうのぉ。本当はぁ、『ルーチェ』がよかったんだけどぉ。まあとにかくぅ、これからよろしくねぇ、千乃勇斗くん」

 

「知った、ことか……ッ!!」

 

 怒声でそう返答し、勇斗は絹旗のもとへ駆け寄る。

 

「もー、聞き分けの悪い子はぁ、お仕置きよぉ」

 

 そんな風に、笑いながら呟いて、――――今度は真正面だ。再びの衝撃。『面』状の何かが、勇斗の体の前側に隈なく叩き付けられた。顔を殴られたわけでもなく、鳩尾を突かれたわけでもなく、前面から()()()衝撃が襲い掛かり、そして再び吹き飛ばされたのだ。視界が明滅し、平衡感覚が狂い、碌に受け身も取れないまま、またしても勇斗は全身至る所をアスファルトに削られることになる。

 

「これでぇ、少しは話を聞いてくれる気になったかしらぁ?」

 

「なるわけ……ねぇだろうがッ!!」

 

 よろけながらも再び立ち上がり、喉を枯らすほどの怒りにまみれた叫び声とともに、勇斗は『不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)』を打ち放つ。ありったけの範囲からありったけの量のAIM拡散力場を収束させた弾丸は、遠慮など欠片も含んではいない。普通の人間がまともに喰らえば、そのまま弾け飛んでもおかしくはない程の威力だ。それらを作り上げ、2つ3つ4つと連続で叩き込む。

 

「ふふふ」

 

 しかしテネブラはその妖艶な笑みを崩すことはない。朝目覚めてカーテンを開けるような、そんな動きと気軽さで、右手を払う動作を見せた。――――ただそれだけで、勇斗が収束させ練り上げたAIM拡散力場がいなされ、掻き散らされる。それも、全弾残らず。

 

「な、……」

 

「ざーんねーんでーしたぁ。それじゃあ届かないわよぉ」

 

 そのまま、テネブラは緩やかに右手を掲げ、振り下ろした。――――直後、上からの莫大な力を受けて、勇斗の体が沈む。同時にいくつもの破砕音が折り重なり、周囲の地面がクレーターのように陥没した。

 

「ぐ……ぁ……ッ!」

 

 勇斗のその呻き声は、果たしてアスファルトが砕ける甲高い音の中で通ったのかどうか。そして勇斗はいつまでその攻撃に耐えられるかどうか。肩が、腰が、膝が、ミシミシと音を立て悲鳴を上げている。身動きが取れない。天使の力(テレズマ)による身体強化を捻じ伏せる程の出力で、しかも間断なく、莫大な重力は勇斗に牙をむき続ける。

 

「ねーぇ?」

 

 右手を下ろしたその姿勢のまま、テネブラは口を開く。

 

「心臓を潰されて生きている人間なんてぇ、いると思うのぉ? だからはやく諦めてぇ、私の話を聞いてくれなぁい?」

 

 彼女のそんなセリフは、アスファルトの砕ける音と骨の軋む音が不快なデュエットを奏でる中でも邪魔されることなく勇斗の耳に滑り込んできた。彼の中にある大切な何かを突き刺し抉り取る鋭利な棘に満ち溢れたそのセリフは、一言一言が的確に精神を大きく揺さぶる。襲い掛かる莫大な重力とは明確に違う何かが、視界を明滅させる。止められない。ぐらつく。耐えきれない。勇斗の頭の中で、何かが弾ける。

 

「……ふざ、っけんじゃねえぞぉぉォォおおおああぁぁぁアアアアアア!!!!!」

 

 血を吐き散らすような絶叫。一瞬で脳内を満たしたドス黒い激情が意識と理性を吹き飛ばし、身体の中心から末端に至るまでの全てを赤黒く塗り潰す。何か大事な、越えてはいけない一線を踏み越えてしまったかのような。――――そして、身体を満たすその全てを吐き出すように、雨の街に、勇斗は獣のような咆哮を轟かせる。

 

 ――――青みがかった白銀に色づいていた勇斗の背の翼が弾け飛び、その根元から夜闇よりも黒い黒に染め上げられた翼が、爆発的に展開された。元の大きさの何倍程にまで膨れ上がったのか、その長さは10メートルを優に超え、更にその大きさを増していく。それは彼の頭上に浮かぶ白色の円環も例外ではなかった。叫びに呼応するようにその大きさを急速に増加させながら、漆黒へとその色を変じさせる。そして、血管のようにも見える赤色の筋が網目模様を描いて翼に刻まれた。激しい憎悪――――鋭い殺意を孕んだ視線を向ける勇斗の目、白目だったはずの部分は血の色で真っ赤に染まっていた。

 

 ――――その姿は、まさしく『悪魔』そのもの。体から吹き上がる不可視の『力』、『悪魔』の名に違わぬ禍々しさを感じさせるそれは、雨を弾き、周囲に得体の知れない『圧』を生じさせた。

 

 ――――そんな『悪魔』が、咆える。学園都市の、世界の、全てが震えたかのような錯覚。単なる空気の振動ではなく、もっと根源的な何かを震わすような雄叫びが世界を駆け抜ける。

 

 そして『悪魔』は。何の予備動作を見せることもなく、その場から掻き消える。逃げたわけではない。ただひたすらに、自分の敵を消し潰すために動いたのだ。瞬きをするより早く――――否、音をすら超えた速さで、『悪魔』はテネブラの懐深くに飛び込んでいた。その目が捉えているのは、ノースリーブのシャツを押し上げる豊かな双丘――――その奥に蠢く彼女の心臓だ。何よりも確実に障害を排除するために。確実に目の前の敵の息の根を止めるために。ドス黒い力を纏い、業物と呼ばれる刃物よりも鋭利に見える程に変形したツメを携えた『悪魔』の右手が、音を置き去りにして、テネブラの胸に叩き付けられた。

 

「――――あーあぁ、突っつき方、()()失敗しちゃったなぁ」

 

 ガッキィィン!! という硬質な音が雨の街に木霊した。そして、テネブラのしょぼくれた様な呟きが雨に溶けていく。

 

 ――――彼女の目前、胸までわずか数ミリの所で、悪魔(ゆうと)の突き出した右手が不自然に停止していた。その手は不気味な鳴動を続けるが、ある一線を越えてその先に進むことはない。越えられない一線が、歴然たる隔たりが、そこには存在している。

 

「――――あの子の事、()()()()大切だったのねぇ。うーん……、()()()()()()に気づけないから『お前は「テネブラ」がぴったりだ』とか言われちゃうのかなぁ……」

 

 目前に、心臓から肌と肋骨を隔て追加ほんの数ミリしか離れていない位置に、人の体など容易に引き裂く鋭い(ツメ)があることなど意にも介することなく、彼女は独り言を紡ぎ続ける。

 

「まあ、でも……、()()()()

 

 テネブラは今度は真っ直ぐに勇斗を見つめて、

 

()()()()()()()のよぉ。いやまぁ、そうなったのは私のミスのせいなんだけどぉ」

 

 自分で言って自分でダメージを受けたのか、はぁ、と再び彼女は大きく溜息を吐く。

 

「怒りで自我を失った()()じゃぁ、私の劣化でしかないわよねぇ。()()()だったら、『研究』のし甲斐もあったのにぃ」

 

 膠着する状況に業を煮やしたか、三度勇斗は咆え、その咆哮は街を震わせる。――――が、テネブラはゆったりとした視線を向けるだけで、全く動じる気配を見せない。人間の根源的な恐怖を呼び覚ますはずの悪魔の叫びは、目の前の女性の表情を変えるにすら至らない。

 

「……やっぱり逆だったかぁ。まあ、女の子を守る、ってのが王道だしねぇ。……守られることなんてないからすっかり忘れてたわぁ」

 

 ちょっと寂しげな、同時に皮肉気な、そんな笑みを浮かべてそう言い捨てて、テネブラは吹っ切れたような表情を見せた。

 

「……ま、こうなったら仕方がないわぁ。もったいないけどぉ、せめて『力』を貰ってぇ、後は死体を持って帰ってぇ、色々と弄くり回してみるかなぁ。もう自分の体で弄くれるところはないから、こういうのはありがたいのよねぇ」

 

 言って、彼女の表情が一変する。獰猛な、獲物を狙う肉食獣のそれにも似た剣呑な光が彼女の瞳に宿り――――テネブラが動きを見せる。右手を振り下ろし、地面を指さす。するとそこに、得体の知れない字や記号で溢れる魔法陣が出現した。回転し、半径を増していく魔法陣。その円周上から黒、紫、赤、――――毒々しく禍々しい色の光が吹き上がり、そこから同色の光を纏った幾多もの『鎖』が湧き出してくる。それらの鎖は、意識を持った生き物であるかのような動きを見せ、飛び掛かり、勇斗の抵抗を嘲笑うかのように彼に巻き付き、その動きを縛める。

 

「……知ってるかしらねぇ? 『光を掲げる者(ルシフェル)』ってぇ、『神の如き者(ミカエル)』にぃ、『鎖』で地獄の底に縛りつけられたのよねぇ。今のあなたにはぁ、ぴったりだわぁ」

 

 神話レベルで有効な方法。それはもう、天敵という言葉では言い表せないほどの弱点。並大抵のことではその力関係は覆らない。現に、見るからに身体能力が強化されているはずの勇斗をして、その鎖から脱出することが叶わない。やがてゴルゴダの丘で磔刑に殉じた『神の子』のように、勇斗の体は不可視の十字架に磔にされたような格好となった。――――十字教において、十字架は『処刑』の象徴。罪人の全てを根こそぎ奪い取る罰だ。

 

 そして、テネブラは1つ指を鳴らす。ただそれだけで、彼女の周囲にいくつもの黒い槍が出現した。――――槍もまた、十字教における『処刑』の象徴。磔刑に殉じた『神の子』の死を確認するために用いられ、『神の子』の血に直接触れたモノ。それ故に『槍』は、『十字架』や『釘』、『イバラ』のモチーフによって形作られる『処刑』のプロセス、その締めくくりという重要な役割(ロール)を担うこととなった。つまり、『槍』が『罪人』を刺し貫くことで、『処刑』は完遂される。

 

「……私が『神上』になれたらすぐに迎えに行ってあげるからぁ、それまで地獄の底でぇ、かわいい彼女ちゃんと一緒に待っててねぇ。心配はいらないわぁ。あなたがこれからそうなるみたいにぃ、絞りつくされて出涸らしみたいになっちゃった(同類)もいっぱいいっぱい溜まってるからぁ」

 

 それが最後の宣告だった。言葉を終えて、テネブラがいっそ清々しい程の極上の笑みを浮かべて、――――数多の黒い槍は放たれた。

 

 勇斗の手を、腕を、首を、胸を、腹を、太ももを、膝を、脛を、足首を、――――全身隈なく容赦なく、そして幾度となく『神様殺しの槍(ロンギヌス)』は刺し貫き、勇斗を勇斗()()()()()へと変えていく。

 

 そしてトドメとばかりに、一際太く鋭く禍々しい1本の槍が勇斗の心臓を貫き、破壊する。それが契機となったように、その槍を伝って急速に力が流れ出した。勇斗からテネブラへと。その速さは加速度的に増していき、勇斗の背に広がる黒い翼も瞬く間に輪郭を失い、雨の街に溶け去っていく。

 

「うふふ。ごちそうさまぁ」

 

 甘い、蠱惑的な声。『槍』もまた、雨の街に溶けていった。操り人形の糸が切れてしまったように勇斗が地面に倒れこむ。

 

 ――――奇しくもその姿は、横で斃れる絹旗のそれとよく似ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。