科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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学んだこと:深夜のノリを切らしちゃダメ



ep.52 9月30日-6

 ――――目を開けると、そこにはまず『闇』があった。

 

 全てを塗り潰すような漆黒とはまた違っていた。月明かりに照らされたような薄ぼんやりとした明るさを秘めた、穏やかな闇だった。そんな闇の中に、起伏の見えないどこまでも平坦な世界が広がっている。そしてそんな場所のどこかに、勇斗は立ち尽くしていた。

 

 ――――ここはいったいどこだ。自分はさっきまで、雨の降りしきる学園都市にいたはずではなかったか。天に伸びる針山のような高層ビル群で溢れかえる街のど真ん中にいたはずではなかったか。そこで絹旗共々、都市内部に侵入した魔術師の襲撃を受け、そして――――。そこまで記憶を辿って行って、勇斗の胸にチリチリとした痛みが走る。全身を脱力感が襲っていることを自覚した。体も、心も、怠くて重い。

 

 力の差は圧倒的だった。絹旗が襲われた時、動くことすらできなかった。絹旗が倒れた時、駆け寄って触れてやることすらできなかった。『暴走』した挙句、一矢報いることすらできず、あっさり返り討ちに遭い、そのまま串刺しにされてしまった。

 

 ――――そういえば、と。半ば逃避気味に勇斗の思考が脇道に逸れる。傷はどこに行ったのだろう。体の至る所を槍で貫かれ、心臓を潰されたはずなのに。痛みはない。血の跡もない。服にも破れや穴はない。この状態でこんな表現をするのは正直どうかとは思うが、見た目だけは健康体そのものだ。

 

 だとすれば、だ。――――これは、幻覚か何かなのだろうか? 脳内を巡る血液がほぼほぼ全て失われ、思考能力を失い、後は死に行くだけとなった脳が見せる最期の走馬灯的なものなのか。

 

 それともそんな『科学的』な理論では説明できないような、『オカルト』な世界に自分は迷い込んでしまったのだろうか。いわゆる『死後の世界』とかいう。――――科学では説明のできない法則が支配する世界があるということをその身をもって知っている勇斗はその可能性を笑い飛ばすことなどできはしない。むしろ最期の最期、『処刑』が執行されるその直前、勇斗の耳に滑り込んできたテネブラのセリフ。彼女はこんなことを言っていたのだ。「絞りつくされて出涸らしになった同類がいっぱい溜まっている地獄の底で、彼女と一緒に待っていろ(意訳)」と。彼女の言い分が正しいのであれば、自分が今いるこの暗闇の世界は『地獄の底』ということになる。

 

 と、そこまで考えが至ってようやく、周囲に人の気配()()()()()()が漂っていたことに勇斗は気づく。姿は見ることができないが、確かに誰かがいるように思える。――――これがテネブラの言う『同類』なのだろうか。なぜ見えないのだ。暗くて見ることができないだけか、はたまた何か違う理由があるのか。――――それはわからない。怠く重たい頭でそんな明確な答えの見えない問いを考えるのはとても辛いことだったし、何より考え始める前に、そんなことがどうでもよく感じられてしまうような出来事が起こったからだ。

 

「勇斗さん」

 

 勇斗の背後、やおらに『気配』が強さを増し、そちらの方から彼を呼びかける声が聞こえてきたのだ。――――彼にとってよく聞き慣れた、そして聞きたくて聞きたくてたまらなかった少女の声が。

 

 体の怠さも心の怠さも、一瞬で吹っ飛んでしまったようだった。期待と不安が絶妙にミックスされた感情が急速に浮かんでくるのを自覚しつつ、勇斗はゆっくりと声のした方向を振り向く。

 

「こんな場所で言う羽目になってしまって超アレなんですけど、またお話しできて超嬉しいです」

 

 穏やかな笑みを浮かべて、絹旗がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「――――勇斗さん。私たちが最初に会った時の事、覚えてますか?」

 

 いたずらっぽく笑う絹旗にそう問いかけられて、勇斗は過去――――ひと月くらい前のことを思い出していた。――――忘れられるはずもないだろう。その日はちょうど新学期の初めで、学園都市で魔術師がテロを起こした日で、事件塗れだったこの1ヶ月の幕が上がった日だったのだから。

 

「もちろん覚えてるよ。滝壺共々地下街に置き去りにされてたんだよな」

 

 勇斗の脳裏に浮かんでくるのは、薄暗く非常灯で照らされた地下街通路と、そこに軒を連ねるレストランのうちの1つ。その奥から歩いてくる絹旗の姿だった。

 

「絹旗も災難だったよな。体調崩した滝壺の看病してたら、店員たちに置き去り喰らってたとかね」

 

「まったくですよねー。まあテロリストが暴れてたっていう超非常時ってのを考慮に入れるとしても、客ほっぽって逃げてちゃあ、せっかく気を利かせても超台無しです」

 

 ――――あの日あの時、絹旗は突如として体調を崩した滝壺と共にレストランの仮眠室にいたのだ。店側からの好意ではあったのだが、良かったのはそこまで。忘れられていたのか慌てていたのか、放置され置き去りにされてしまっていたのだ。――――店側の福利厚生の一環として設置されていた、防音効果ばっちりの高性能さが仇になった形である。

 

 と、そんなことを、肩をすくめて皮肉気な表情を浮かべて、絹旗はのたまった。――――こらこら、可愛い顔してんだからそんな変な表情するのはやめなさい。

 

「……そういうことをさらっと言っちゃうのは超ずるいですよねー」

 

「まあ本音ですし」

 

「……もう!」

 

 ちょっと拗ねたようなご様子の絹旗。暗部にいる影響だろうか、普段は実年齢よりも大人びて見えるが、こういうふとした瞬間に見せる年相応の可愛らしさというか、恥じらいというか、見てて飽きないしぶっちゃけいつまでも見ていられる。

 

「…………ま、まあともかく! 次に会ったのは確か……樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の一件の時でしたか」

 

「んー、だねえ。監視カメラ網の『死角』に潜ってみたらそこに絹旗がいたんだもん。めちゃくちゃ驚いたわ」

 

「それはこっちのセリフです。まさか風紀委員(ジャッジメント)が自分から『死角』に首を突っ込んでくるとは思いませんでしたよ」

 

 2人の間に凍えるようなに冷たく固い緊張感が走ったのはあの一時だけだ。直接内臓を鷲掴みにされるようなあの感覚は、忘れたくても忘れられない。

 

 ついでに、

 

「いやー、まさかあの場で絹旗のお腹が鳴るとはなあ。タイミング的に完璧だったよね」

 

「それは忘れろって言ってンだろォがァ!!」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「そういえば勇斗さん」

 

「ん?」

 

「大覇星祭の時は色々と忙しそうでしたし、病院送りにもされてましたし、……一体何をしてたんですか?」

 

「あー、うんまあ、別に言ってもいいか。信じてもらえるかどうかはあれだけど」

 

「きっと信じられるんで教えてください。勇斗さんの言うことなら無条件に信じられますよ」

 

「初日はこの街に入り込んだ魔術師を追いかけてました」

 

「……勇斗さん。ここは曲がりなりにも科学の街なんですからオカルトはちょっと……」

 

「さっそく前言撤回してんじゃねえか。無条件で信じてくれるんじゃなかったのかよ」

 

「だって……ねぇ?」

 

「……まあ、信じてくれないならそれでもいいや。とりあえず初日はそんな感じでテロリストと鬼ごっこしてたんだよ。結果はご存知の通り、病院送りに遭いました」

 

「あー、お見舞いに行った時のあれですね」

 

「そうそう。まさか絹旗と1つ屋根の下で一夜を明かすことになるとは思わなかったけどな」

 

「……その言い方は、ちょっと」

 

「ははは、顔が赤いぞ」

 

「……勇斗さんだって人の事言えないじゃないですか」

 

「ッ、!?」

 

「……ふふふ、冗談ですよーだ」

 

「……………………で、2日目なんだけど」

 

「あ!今超ごまかしましたね!」

 

「うるせえよ。ともかく、2日目は内部のゴタゴタに対応してたよ。暗部の人間が色々好き勝手やってたせいで俺の周りが騒がしくてなあ」

 

「あー、色々動いてましたねえ」

 

「だろ? おまけにラスボスの御坂はえらく強いし。初日の魔術師戦でも大分あれな目にはあったけど、今考えると御坂戦の方がヤバかった気がする」

 

「うへえ。やっぱり超能力者(レベル5)は伊達じゃないんですね」

 

「だよなあ」

 

「ですねえ」

 

「……で、その後は色々応援とか来てもらって、と。そんで最終日……あれだな、一緒に飯行ったよな」

 

「行きましたねえ。いやあ、勇斗さん男子高校生なのによくあんな超オシャレな洋食屋さん知ってましたよね。よく行ってるんですか?」

 

「……なんでそんなジト目向けられなきゃなんねえんだよ」

 

「いえー? 別にー?」

 

「……野郎5人で行ったことがあったんだよ。上条に九重、あと金髪青髪の変態コンビな。変態コンビ、異常なまでにその辺の知識が豊富でさ」

 

「……あの2人ですよね? 今日地下街で会ったあの」

 

「そうそう。『将来何かの役に立つかも知れへんやんか!』とか言ってたぜ青髪の奴」

 

「むー……、それを聞いちゃうと超複雑ですね……。あんな人のおかげで楽しめたっていう」

 

「こらこら。あいつもそこまで悪い奴じゃないんだからそう言ってやるなよ。間違いなく変態だからもう関わっちゃダメだけどな」

 

「勇斗さんも大概酷いですよね」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………そして今、ここに至るわけですね」

 

 笑顔を消し、まじめな表情を顔一面に張り付けて、向かい合った状態のまま改めて周囲をぐるりと見まわしてから、強張った声で絹旗はそう切り出した。それに釣られて勇斗も周囲に目をやって、表情から笑みが消えた。同時に、全身を苛む脱力感がぶり返す。一気に現実に引き戻された。温かく幸せな時間から、暗く冷たいこの世界へと。

 

「……つい先刻までは、襲撃を受けるまでは、平和でそして幸せでした。けれど、それは一瞬で奪われて、こうして超訳の分からない世界に叩き落とされた」

 

 気丈に振舞っている声だ。よく聞けばその声には震えが滲んでいて、いまにもそれは溢れ出しそうに思える。でもそれを必死に必死に抑えつけて、絹旗はじっと、真っ直ぐに勇斗を見つめていた。

 

「――――決して長くなんてない、短い人生でしたけど、辛くて、クソみたいなことの方が、ずっとずっと多かった。物心ついたころにはもうこの街の、クソみたいな研究所にいましたから。その後、『暗闇の5月計画』に参加してからはもう、ずっとずっと暗部での汚れ仕事ばかりでした」

 

 一度目を伏せて、ゆっくりと目を瞬かせる。再び顔を上げて、それまでよりも伏し目がちになりながら、絹旗は言の葉を紡いでいく。

 

「――――でも、でもね。勇斗さん。あなたに出会えて、あなたと仲良くなって、それからはそれまでよりも、ずっとずっと、超楽しくなったんです。次はいつ一緒に会って話ができるかなあ、とか、いつ一緒にご飯に行けるかなあ、とか。麦野達にからかわれるのだって、もちろん超恥ずかしかったですけど、……それでも楽しかったし、嬉しかった」

 

 少しずつ少しずつ、強がりが崩れ去っていく。少し突っついただけで粉々に砕け散ってしまうような、そんな危うさがじわじわと絹旗の声を侵食していった。

 

「だから勇斗さん。私は、……私はね、あなたに会えて、あなたに会えたことが、本当に本当に、幸せでした。本当に、ありがとうございました」

 

 そして絹旗は、そう言って寂しげな笑みを浮かべた。笑みの形にかたどられたその目の端、ついにそこから、透明な雫が一筋流れていく。

 

 ――――ガツン、と。重たいもので思い切り殴りつけられたような衝撃。月並みで、ありきたりで、いっそ古典的で、そう指摘されたら何も言い返せないけれど。その瞬間、勇斗の心の奥底でわだかまっていた感情、それが明確な形を得て、濁流となって荒れ狂う。

 

 今度こそ、勇斗の頭から周囲の事が吹き飛んだ。やっと気づけた。やっと形にできた。やっとその感情に名前を与えることができた。たった1つ、それだけの事だったのに、それだけの事で、世界の在り様すら変わって見えた。明確な解が与えられたことで、芋づる式に様々なことが見えてくる。――――空虚な空洞となってしまった自分の体に、心に、どんな力が、どんな気持ちが、眠っていたのか。一体自分はテネブラに、何を奪われてしまったのか。

 

「でも…………もう、時間みたいです」

 

 絹旗が再び口を開く。声は涙交じりに震えていた。一線を越えてしまったか、次から次からへと雫が溢れ出していく。

 

「……ねえ、勇斗さん。1つ、わがままを言ってもいいですか? ……この『先』へ、私と一緒に、来てくれませんか?」

 

 鼻をすすり、目を真っ赤に泣き腫らし、絹旗は真っ直ぐに、勇斗に願う。

 

「本当はあの街で、あの世界で、一緒に歩いていきたかった。でも、もう……。……ならせめて、このままお互い消えてしまうのなら、ほんのちょっとでもいいから、夢を見させて……」

 

 ――――時間が来た、という絹旗の言葉が意味するところは、勇斗も気が付いていた。今でこそ2人とも人の形をとって会話ができてはいるが、今も雨の街に転がっているはずの自分の体が完全な死を迎えてしまえばもう、そうすることはできない。周囲を漂う得体の知れない気配だけの存在になって、この暗闇の世界に同化してしまうのみ。そうすれば、迎えるのは永劫の孤独。何故だかそれを、理解できてしまっていたのだ。

 

 

「…………悪いけど、それは嫌だ」

 

 そして勇斗は、ようやくその口を開く。そのことを理解したうえで、絹旗の最期の願いを粉々に打ち砕く形で。

 

「……ッ!」

 

 一瞬ポカンとした表情を浮かべ、それから絹旗の顔がくしゃくしゃに歪んだ。ついに嗚咽が漏れる。その1つ1つが、勇斗の心に突き刺さる。――――罪悪感に押しつぶされそうだ。待ってくれ絹旗。()()()()()()()()()()んだ。

 

「絹旗。聞いてくれ。俺はこの『先』には行かない。行けない。まだまだあの街で、あの世界で、やりたいことが残ってるから」

 

「そう、なんですか……」

 

 絶望を叩き付けられて、一縷の望みを叩き折られて、絹旗の目から光が消えていく。

 

「そんな顔すんなよ。俺のやりたいことってのは……」

 

 勇斗はそこで一度言葉を切った。一度、二度、深呼吸。そして絹旗の肩を掴み、そのまま強く抱き寄せる。

 

「……絹旗と、これから先の未来を、ずっと歩いていくことなんだ」

 

「…………え?」

 

 涙声のまま、驚きで呆然としたような声色。

 

「それは……」

 

「もちろんこんな暗い世界なんかじゃない。あの街がある、あの現実の世界で」

 

 一度覚悟を決めてしまえば、後はもうすらすらと言葉が溢れ出してくる。止まらないし、ここで止めるつもりもない。

 

「でも……私も、勇斗さんも、もう……」

 

「大丈夫だ。俺が何とかする」

 

 絹旗の言葉を遮って、勇斗はそう断言する。今まで感じたことのない程の自信が、力が、その言葉には満ち溢れている。

 

「……だからさ、もうちょっとだけ待っててくれ。1人で『先』に行くのはなしだぞ。……もし万一死んじまうような事になったら、そん時は、2人一緒にだ。絶対に1人になんてしない」

 

 一段と絹旗の嗚咽が大きくなった。涙がしみこみ、胸のあたりが熱くなる。絹旗からの返事はないが、その代わりだとでも言うかのように、絹旗の手が勇斗の背に回され、ぎゅっと、その手に力がこもった。

 

「…………俺はお前が、絹旗が好きだ」

 

「…………はい。私もです、勇斗さん」

 

 少しだけ互いを抱き寄せる力が弱くなって、少しだけ体を離して、勇斗と、顔を上げた絹旗の視線が交錯する。そのままどちらともなく顔を寄せ合い、口づけを交わした。

 

 ――――どれくらい経っただろうか。ほんの一瞬にも、いっそ永遠にも思える時間。

 

「……すげーな。今ならきっと、何だってできる」

 

「そりゃそうですよ。なんたって私がついてますから」

 

「だな。……よし、行ってくるよ」

 

「……はい。お待ちしています、勇斗さん」

 

 穏やかに笑みを交わしあって、勇斗は目を閉じた。

 

 そして数瞬の後に、勇斗は目を開く。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 周囲を覆う暗闇の世界も、腕の中にすっぽりと納まっていた絹旗も、消えていた。勇斗の目に映るのは、雨の降り続く夕闇の街。()()()()()()()()()絹旗。2人のものが混じり合った夥しい量の血溜まり。そして2人を見下ろすように立つテネブラの姿。

 

 ――――戻ってくることができた。この街に。この世界に。

 

 だが、まだ足りない。まだ何も変わっていない。このまま何もしなければ、せっかくの奇跡も無駄となって終わってしまう。まだ何も、始まっていないのだ。

 

 投げ出された右腕に力を籠めてみる。――――動く。まだ動ける。

 

 そう認識して、勇斗の口が笑みに動く。いっそ獰猛な程に。好戦的に。

 

 ――――目にモノを見せてやるぜ、このクソ魔術師が。

 








というわけで、書きたかったのはこんな感じの事でした。
うまく書けてないところが多々ありますので、気づいたところや思いついたことがあれば適宜修正したいと思います。

王道っていいですよね。だから私はゼシカよりミーティア派です(無関係)

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