「……あらあらぁ? 何だかおかしなことが始まってるみたいねぇ」
虚空に目線を彷徨わせ、テネブラは1人そう呟いた。
彼女の周囲――――そして恐らくはもっともっと広い範囲で、『空気』が変質したのだ。不純物が紛れ込んだか、それか、なくてはならない重要なモノが欠落したか。ともかく、
今はまだ微弱。テネブラという魔術師――――仮にとはいえ『神の右席』にその名を連ねる魔術師をして、知覚認識できるかどうか。だがその違和感はこうしている間にも少しずつ少しずつ強さを増してきているような気がする。
「うーん……」
少し注意深く、意識を向けてみる。――――ヴェントの展開している『天罰術式』の他に、得体の知れない『何か』がこの街に広がっているようだった。そしてその『何か』は、世界に横たわる魔術的法則――――『界/位相』――――に不気味な『圧力』を与えているらしい。この状態で魔術を使おうとすれば、通常なら無い異常な高負荷を魔術師にもたらす可能性がある。
「これはぁ……あんまり魔術を使わない方がよさそうねぇ……」
そうひとりごちたテネブラは、その変質がもたらすだろう結果をそう分析した。例えば、サーバーに対して高負荷接続が行われることでそのサーバーへの通信が全体的に不安定になるような。例えば、慢性的な負荷が、金属疲労や疲労骨折を引き起こすような。異常な高負荷は、きっと異常なまでの副作用をもたらすだろう。
そしてテネブラは、この現象を引き起こした存在について思いを馳せる。ヴェントではありえない。自分が利用している魔術的法則を自分で吹き飛ばそうとするなど、自分で自分の首を絞めることに等しい。それと同様の理由で、学園都市外部に待機しているローマ正教の別動隊の仕業でもない。――――というかそもそも、『魔術の世界』に身を浸す人間が、自らが存在する世界を吹き飛ばすことなど出来はしないのだ。『魔術を極めすぎて神の領域にまで至った存在』――――すなわち『魔神』とよばれる存在まで昇華すればともかくとして。
ということは、だ。この現象を引き起こしているのは、『魔術』とは異なる枠組みに生きているもの――――『科学』の側の存在、つまり学園都市側ということになる。――――学園都市側が、世界に横たわる『界/位相』というものを理解した上で、それを利用して魔術師側に攻撃を仕掛け始めている。要するに、そういうことなのだ。
テネブラは思わず苦笑してしまう。魔術師である自分が言うのもあれな話だが、よくもまあこの街の人間たちは『界/位相』などという
「まあ、でも、
――――ローマ正教の魔術師としては非常に珍しいことに、テネブラは『科学』というものを毛嫌いしていない。むしろ、『科学』を毛嫌いする魔術師――――特にローマ正教の『お偉いさん』に多い――――のことを内心バカにすらしている。単純に『科学』があった方が生活していく上で便利であるし、古臭い伝統に必要以上に固執するという側面がある魔術の世界にずっと身を浸していると、物の見方が(魔術的という意味で)前例踏襲にとどまってしまうようになるのだ。『魔術』という枠の中には存在しない新たなインスピレーションを与えてくれるものとして、テネブラは『科学』を否定しない。
――――本来なら4人しかいないはずの、『神の右席』の5人目。そんな彼女は、そういった意味でも、『例外』的な魔術師だった。
と、そんな例外的な魔術師が、魔術師にあるまじきことを考えている、そんな時。そんな瞬間。
――――ゾクリ、と。テネブラの背筋を寒気が貫く。背中の産毛が1本残らず総毛立ち、ピリピリとした細かな痛みが走るような感覚がした。『悪魔』と化した勇斗と対峙した時にも動じなかった彼女の表情が初めて強張る。
街を覆う微弱な『何か』を捉えるために感度を上げていた彼女の『センサー』に、不気味に胎動する莫大な『何か』が反応したのだ。その『何か』は、現在進行形でこの街を覆いつつある得体の知れない『何か』を何十、何百、何千――――ともかく、ずっとずっと濃縮したような『感触』だった。そしてその『何か』は、怒りに震える勇斗が彼女に向かって幾発も叩き込んできた『不可視の弾丸』と同じものに思われた。その『何か』が、荒れ狂う大波となってある一点を目指して雪崩れこんでくる。
テネブラは振り返る。その『何か』――――得体の知れない濃密で膨大な『力』は、倒れ伏す2つの『死体』の片一方――――勇斗を中心に収束されていく。
――――そして、彼女は更なる驚愕に包まれることになる。全身を串刺しにし、心臓を貫き破壊し、
「なぜ……生きているのぉ?」
それは嘲りや煽りなどではない、彼女の心の底からの問い掛けだった。ただ殺しただけではなく、『処刑』の術式を使って徹底的に
「知った、こっちゃ、……ねえよ」
それでも少年は、粘つくような血を吐きながら、しかししっかりとした声で、彼女の言葉に応えた。それはつまり、少年には自我が残っているということ。得体の知れない科学技術や魔術で、物言わぬ死体人形として蘇ったわけではないということ。
「次は……こっちの番、……だぞ。クソ……魔術師、が!」
拒絶以外の明確な答えがないままに、勇斗を中心に収束した莫大な『力』が、硬直するままのテネブラに降り注ぎ、包み込む。
――――そしてそれは、発動した。
▽▽▽▽
勇斗に天使たる力を与えていた『
――――1つだけ残っている。
▽▽▽▽
――――AIM拡散力場の掌握開始……、……、完了。絶対隷属
――――
――――同データのAIM拡散力場への適用開始……、……、適用完了。
――――対象:『
―――― 干渉開始。
さあ、……ここからがショータイムだぜ。クソ野郎。
▽▽▽▽
――――その瞬間、テネブラが感じたのは、一言でいえば『不快』な感触だった。外側から自分の内側を覗き込まれているような。外側から何かが自分の内側に侵食してくるような。不気味な震えを見せる何かが皮膚を通して内臓を震わせるような。不可視の何かが自分という存在を隈なく舐め回しているような。
――――世界に満ちる何かが、世界そのものが、束になって自分に襲い掛かってきたような。
ドンッ!! という音にならない音と共に、テネブラの全身を脱力感が襲った。自分の内側を満たしていた力が、――――勇斗から奪い去った『
「ッ!!」
それは止まらない。テネブラが幾重に防壁を張ろうとも、それら全てを容易に無視して
その奔流が作り出す光景は、あたかも夜空にかかる天の川のようにも見えた。星々が作り上げる美しい光の帯のようなものがテネブラと勇斗を繋いでいる。そしてその一部は勇斗の体を経由して、横で倒れ伏す絹旗にも流れ込み、彼女の体の上で銀河のように渦を巻く。
――――そこでまたしても、テネブラは驚愕することになる。その『銀河』は瞬く間に回転速度を上げ、ブラックホールに吸い込まれでもするかのように絹旗の胸に空いた風穴へと吸い込まれていったのだ。そして絹旗の体全体が淡く光ったと思うと、一際大きな閃光が瞬く。それが収まったときには、もう絹旗の胸の風穴は塞がっていた。わずかばかりの傷跡だけを残して。
「回復魔術……? あの状態から回復するというの……?」
「本気になれば、さ」
狼狽の声を上げるテネブラの声を遮るように、勇斗の声が飛んだ。
「取り戻せないものなんてないんだよ」
その言葉が終わるや否や、勇斗の上に渦巻いていた
「――――さーて、と」
そんな、テネブラでさえ見惚れてしまうような神々しさを切り裂いて、光の中から弾むような少年の声がする。
「これでやっと仕切り直しだぜ」
バサァッ!!と、何かが空気を叩く音がした。巻き起こされた風が渦を巻き、夜雨を吹き飛ばす。
「リベンジマッチと行かせてもらうぞ、テネブラァ!!」
光が晴れ上がる。その少年はもう倒れ伏してはいなかった。学生服の至る所に風穴があけられ、制服の隙間から見える白のワイシャツは鮮血で赤く染め上げられているものの、その奥には絹旗同様もう傷はない。全身に戦意を漲らせ、軽く前傾姿勢を取った戦闘態勢だ。頭上には夜闇を照らす金の円環を冠し、その背には夜闇を切り裂く
▽▽▽▽
「……あなたが直々に動くとは、珍しいこともあるのだな」
『窓のないビル』の内部。『虚数学区』の展開と『ヒューズ=カザキリ』の出現が近づくことで目まぐるしく変化を続ける学園都市内のデータ群を観測し、手足となる部下たち――――
『彼が死んでしまえば君が悲しむから――――という回答では不満かな、アレイスター?』
姿なき声は、からかうような声音でそんな返答をする。そしてその声の主は、男性にも女性にも聞こえるような中性的な声でこう続けた。
『おっと、図星だからと言ってそう不機嫌そうな顔はしないでくれたまえアレイスター。今のは半分冗談だよ。主に私の個人的興味も多分に含まれていてね』
「……色々と言いたいことはあるが、生憎私はやることでいっぱいだ。とりあえずここは、素直に礼を言っておこう」
『……』
存外素直な言動を見せるアレイスターには姿なき声の主の方が驚いたらしい。
『ほう……。君は常にそれくらい、素直になることを心がけてみてはどうかな? 案外世界が変わって見えるかもしれないぞ?』
「何もなくても世界のほぼ全てが見えるこの身だ。今更何も変わらない」
『ふむ……。そんなことはないと思うがね。絹旗最愛との接触による千乃勇斗の心の在り様の変化については、君も興味を持てると思うけれども』
しかしその声にアレイスターが応ずることはなかった。再び思索の海に潜りつつ、『ヒューズ=カザキリ』現出の準備を着々と進めてゆく。
姿なき声の主は、実体を持っていればきっと肩をすくめていただろう。軽く息を吐くような音を鳴らして、
『……まあいい。メインディッシュは2体の「科学の天使」の現出だ。実に、興味深い』
声の主は、既にアレイスターへの興味を失ったようだ。楽しげに笑う声が、虚空に響いていた。