科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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ep.56 9月30日-10

 降りしきる雨が彼女の修道服に次々と浸みこんでいく。修道服の中、下着までもうずぶ濡れだ。冷えた衣服が体に張り付き、修道服の長い裾が足にまとわりつく。

 

 しかし彼女は足を止めない。まとわりついてくる修道服を蹴り飛ばし、彼女は走る。視線の先に見えているのは、突如として学園都市に顕現した『天使』の姿だ。

 

「……ひょうかっ!」

 

 走りながら、息を荒げながら、彼女――――インデックスはその名を、この街で初めて出来た『ともだち』の名前を、叫ぶ。

 

 10万3000冊の魔道書の原典を記憶する彼女をして、詳しい理屈がさっぱり見えてこない。あの威容はまさしく彼女が知る『天使』そのもの。しかし、あの『天使』から感じられる雰囲気は間違いなく彼女の『ともだち』である風斬氷華のものだ。――――それはつまり、信じられないことだけれど、()()風斬氷華があの『天使』に変貌してしまったということだ。何やら『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)も『暴れて』いたようだったが、今はもうそれどころではない。

 

 彼女にしては珍しく、ギリッ、と強く歯を食いしばる。先刻の『雷撃』はとてつもない威力を秘めていた。学園都市の中心部近くにいる彼女の目にすら、巻き上げられた大量の土砂が見えたほどだ。――――あの少女が、それほどまでに暴力的な力を振るったという事実。風斬氷華という少女は、自ら望んでそんなことなどしない。するはずがない。

 

 ――――息が上がる。喉が、肺が、焼けるように熱い。それでも彼女は走る。止めなければならない。きっとあの少女は苦しんでいるから。

 

 そして、インデックスはあの『天使』が待つ方へと曲がり角を右に折れていく。――――そのタイミングだった。得体の知れない、正体不明の、不気味な黒づくめの集団が彼女の目に飛び込んできたのは。

 

「!?」

 

 予想外の光景にインデックスの足が止まる。ちょうど水たまりを踏んだ形だ。バシャッ! という水音が跳ねる。

 

 ――――弾かれた様に、黒づくめの集団は一斉に彼女の方を振り向いた。そして無言のまま、揃った動きで彼女に銃を突きつける。

 

(この人たちは……、さっきから『白い人』を襲ってた……!)

 

 異様な、極めて統率のとれたその集団に、インデックスは覚えがあった。先刻、上条当麻とはぐれてしまった後に、彼女は同じような光景を目撃していたのだ。地下街の出入り口の近くで白髪の少年(アクセラレータ)が襲撃されている光景を。

 

 知れず、彼女の足は後退を選択(あとずさり)していた。無理もない。魔術を、10万3000冊を、知っているだけで扱えない。武器になるようなものもない。そんな丸腰の状態で、不気味な黒づくめの集団に揃って銃を突きつけられたら、誰だってそうなる。

 

 ――――ヤバい。彼女の頭に浮かんできたのはその3文字だけだった。目の前の集団は既にもう引き金に指を掛けている。投降を呼びかけることもない。ただただ無言で、ぽっかりと真っ黒な空洞(じゅうこう)をこちらに向けたまま、少しずつ近づいてくる。

 

 どうすればいい。このまま何もしなければ、確実に自分は殺される。かといって何かしようと動きを見せれば、これまた確実にあの銃が火を噴くだろう。八方ふさがりとはまさしくこのことか。

 

 ――――――――しかし、そんな状況はすぐにぶち破られることになる。

 

「揃いも揃って改造サブマシンガン(そんなもん)を無防備な女の子に向けるなんてどういう了見してんだよ」

 

 唐突だった。絶体絶命の危機に瀕する彼女の耳に、上から聞き覚えのある少年の声が届く。

 

「とりあえず、容赦の余地なしってことで」

 

 そんな言葉が聞こえてから、わずかに1つ間が開いて。ゴッ……!! という形容しがたい、ひたすらに重く鈍い音が彼女の耳に届く。それは、彼女の上方から不可視の力が凄まじい威力を伴って打ち下ろされた音だった。そしてその莫大な力が地面の強化アスファルトを割り砕き、穿ち、黒づくめの集団を底に叩き付けた時の音だった。意識を断ち切られたか、集団は完全にその動きを止めた。

 

 ――――圧倒的な力の奔流だった。そしてそれを間近で観察したからこそ、彼女は気づいた。

 

(――――これは、……『光を掲げる者(ルシフェル)』!?)

 

 声の主(であろう少年)が操る力――――たしかAIM拡散力場とかいう名前だったか、が天使の力(テレズマ)に酷似した(だが明確に異なる)力場を持っているということは彼女ももう既に知っている。だがしかし、今の一撃で振るわれた力には明確に天使の力(テレズマ)が混入していた。属性は『光を掲げる者(ルシフェル)』。彼女が先刻観測した天使の力(テレズマ)と同じモノ。

 

 驚愕の連続にへたり込みそうになるインデックスの前に、その少年は降り立った。その背からは水晶の青(クリスタルブルー)の翼が飛び出し、頭上には等脚のケルト十字を模したような形状の円環が浮かんでいる。これまでの少年と同じような姿で、しかしこれまでとは明確に異なっている。白かったはずの翼と円環は荘厳に色づき、その身には濃密な天使の力(テレズマ)が満ち溢れていた。

 

 ――――そんな『天使』は1つだけ息を吐き出し、翼と円環を虚空に溶かして、インデックスに向き直る。活性化していた天使の力(テレズマ)が一瞬にして落ち着きを取り戻し、海が凪ぐかのように平静が訪れる。

 

「いやー、間に合ってよかったよかった」

 

「……あ、ありがとうなんだよ」

 

 おそるおそる、インデックスは目の前の少年――――勇斗にそう声を掛けた。

 

「ねえ、ゆうと……。その格好は……」

 

「あー、気になるのはわかるけど、その話は後な。今どうにかするべきなのは風斬の方、だろ?」

 

「ッ!! そ、そう! そうなんだよ!!」

 

 勇斗の言葉で、彼女は現在の最優先目標を思い出す。――――そうだ。勇斗のことならいつでも、隣室に乗り込むだけで話を聞くことができる。しかし『天使』は、風斬氷華は、すぐにでも会いに行かなければ手遅れになってしまうかもしれない。なればこそ、ここで立ち止まっている時間などないのだ。

 

 ――――しかし、決意を新たにするインデックスの意識が、新たな闖入者の接近を捉えた。時折水溜まりを踏み抜くパシャッという水音が、路地の向こう側から徐々に近づいてくる。

 

 またあの黒づくめたちか、と身を固めるインデックスだったが、勇斗の顔を見上げれば楽しそうに笑っているではないか。

 

「ゆうと、この足音は……」

 

「大丈夫。さっきの黒づくめたちがAIMを消せる超高性能アイテムなんかでも使ってなければ、多分当麻だよ」

 

 果たして、路地裏から飛び出してきた人影は、勇斗の言葉通り彼女の同居人である上条当麻の姿をしていた。勇斗とインデックスの2人の姿を見て、一瞬上条は目を丸くする。会うはずのない場所で知り合いにばったり会ってしまった時のような、そんな驚き方だった。

 

「お……」

 

 ――――しかし、そのことについて何か口を開きかけた彼の後方。また別の怒鳴り声が響いてきたのだ。それは女性のもので、これまたインデックスにとって聞き覚えのある声だった。

 

「だーっ!! バカじゃないの! よりによってこんな場所で足止めてんじゃないわよ!! いくらこの私でも銃弾を防ぐのは大変だって言ってんでしょうが!!」

 

 そして、上条同様路地から少女が飛び出してくる。彼女が予想した通り、それは御坂美琴だった。上条に怒声を浴びせ、それから勇斗とインデックスを見つけて目を丸くし、2人の横で倒れ伏す黒づくめたちに気づいて顔を強張らせる。

 

 ――――と、その御坂と入れ替わるように勇斗が路地に飛び込んだ。そして、空気を揺らす重たい衝撃と破砕音。すぐに勇斗は戻ってきた。

 

「……ま、こんな広い場所で話してる場合じゃないな。場所を移そう」

 

 一転、険しい表情で勇斗はそう告げた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あれ、先生。『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の命令系統に介入なんかしちゃって、何をなさっているんですか?」

 

 学園都市の、どこか。とある建物の、とある部屋で、白衣の女性がそんな声を上げた。――――その部屋にはスピーカーはない。念話能力(テレパス)を持つ能力者も、同等の機能を持つ得体の知れない最先端科学のカタマリもない。彼女以外にその場所にいるのは、豊かな体躯を持つ一頭の犬、ゴールデンレトリーバーだけだ。

 

『……アレイスターの手伝いといったところかな』

 

 しかし白衣の女性の声に対し、明確な応答があった。渋みのある、言ってみれば『ダンディ』な声だ。信じられないことに、その声はゴールデンレトリーバーから発せられているように思われた。

 

『この騒ぎに乗じて「ベクトル制御装置」への「AIM拡散力場の数値代入」を済ませてしまいたいらしい』

 

「……あー、なるほどなるほど」

 

 ――――ついでに言ってしまえば、この部屋にはディスプレイもない。2人は時折虚空に目をやり、ただそれだけで膨大な情報を得て、そしてやりとりを交わしていた。

 

「つまり今ここで『御使降し(エンゼルフォール)』に乱入されちゃうと、『装置』への『数値代入』が終わらなくなっちゃうってことですね」

 

『そういうことだ。「自分だけの現実(パーソナルリアリティ)」が「超能力」の土台となっている以上、制御領域の拡大(クリアランス)の獲得には演算面での成長だけではなく、精神面での発達成長(ブレイクスルー)も重要になってくる』

 

 そこまで言うと彼は器用に脚を操って葉巻を取り出し、火をつけ、咥え、深く吸って甘ったるい紫煙を吐き出す。

 

『……誰かを守りたい、助けたいという意思は固く強いものだ。まして「最終信号(ラストオーダー)」は彼にとっても大切なもののはず。ならば、おのずと結果は見えてくる。……私としては、ここで数多君とお別れになってしまうということが残念なところだね。彼は中々に興味深い人間だったよ』

 

 その声色に、微妙な感情が滲む。それは彼が属する一族――――『木原一族』の中では半ば廃れ切ってしまったはずのものだ。

 

「あー、そうですねえ。……今までありがとうございました数多のおじさま。きっとあなたの研究実績は我々の中で永遠に生き続けていくことでしょう」

 

 しかし、対する白衣の女性はそんな感情を欠片も見せず――――というわけにもいかず、やはり隠し切れないだけの何かを滲ませながらも、ざっくり極まりないセリフを声にする。そんな白衣の女性に、ゴールデンレトリーバーはほんのわずかに咎めるような視線を向けて、

 

『……まあ、そんなこと言っている我々が、まさしく()()なるように仕向けているんだけどね』

 

「仕方がないですよ先生。アレイスターに体よく利用されていることはマイナスポイントと見るべきですが、第1位の行く先を見ることの方が有意義です。そう考えてこそ『木原』では?」

 

「ふん……。……違いない」

 

 彼が表情というものを作り上げられたのなら、きっと笑っていただろう。煙を燻らせ、もう一度深く煙を吐いて、

 

『……では、彼らには申し訳ないが捨て駒になってもらおうか。下手をすれば万全の状態の第1位と真っ向から殴り合っても勝てる程の力を持つ「御使降し(エンゼルフォール)」相手に渡り合える可能性など万に一つもないとはいえ、多少の時間稼ぎくらいはしてもらわなければね』

 

「……そういえば、あんなに()()()()に勇斗君が成長したなんてなあ。まさしく『男子三日会わざれば刮目して見よ』ってやつですね」

 

『……いくらなんでも彼は例外、――――いや、反則だろう』

 

 ゴールデンレトリーバーは再びダンディな声を響かせる。きっと苦笑いでも浮かべているような声色だった。

 

『超能力を以て魔術(イレギュラー)を操る。私もこの街――――この世界は長いけど、そんな話はほとんど聞いたことがない』

 

 ――――聞いたことがない、とは言わなかった。彼には心当たりがあるからだ。『科学』的な素材を『魔術(イレギュラー)』によって組み上げることで『現出』するとある存在に。

 

 閑話休題。

 

『能力者が魔術を扱えば体に大きな負荷がかかり最悪死に至る――――これは20年ほど前に「エリス=ウォリアー」という少年がその命を以て証明してくれたことなんだが』

 

 ゲームの世界のような話になるが、と1つ前置きをして、

 

『普通の魔術師とやらはまず体内で魔力を精製し、それを基に魔術を使ったり、天使の力――――テレズマとかいうまた別種の力を操ったりする。――――で、さっき言った過負荷が生じるのは、能力者が「魔力」を精製する段階でね』

 

「……何のかんの言いつつ、先生って『魔術(イレギュラー)』に詳しいですね」

 

『詳しくなければ「ヤツら」に対する安全弁など勤まらないさ。……ともかく、「御使降し(エンゼルフォール)」はその「魔力」の代わりにAIM拡散力場を使うことで天使の力(テレズマ)を操っているようだね。「魔力」の精製がない分、リスクなしで魔術(イレギュラー)の世界に足を突っ込めているわけだ』

 

「ふへぇ。初っ端から統括理事長に目をつけられてる人たちってやっぱりすごいんですねえ……」

 

『突き詰めていくと科学も魔術も似たような領域に足を突っ込むからね。まさしくロマンだよなあ』

 

「ですねぇ」

 

 そんなところで、2人――――正確に言えば1人と1匹は会話を打ち切って、そしてもっと正確に言うならそのうちの『1匹』の方が、再び『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』への介入を開始したのだった。

 


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